花水木の独り言

庭の大きなハナミズキの、白い蝶のような花びらや、真紅の葉に気持ちを託して・・徒然なるままにキーを打ちました。

源範頼の伝説の地と金沢八景

2012-07-05 | 鎌倉の四季

範頼は源義朝の6男,源頼朝の異母弟として(1150年?)生まれ,父義朝が平治の乱(1159年)で敗死した後,遠江国蒲御厨(かばのみくりや・・現浜松市)で成長します。このことから,蒲冠者(かばのかじゃ)と呼ばれました。

寿永2年(1183)大将軍として平氏打倒に功績を揚げ,その勲功から三河守となり源家一門として重んじられました。しかし建久4年(1193)5月の「曽我兄弟の仇討」に始まる陰謀事件で,頼朝に対する謀反・反逆の疑いをかけられ伊豆に追放されてしまいます。そして追放後のことが「吾妻鏡」では何も触れられていないため,8月に伊豆修善寺で抹殺されたとする「保暦簡記」に対して,悲運の武将・範頼は死なずに,密かに幽閉されていた伊豆修善寺を逃れ出たという伝説が語られているのです。

時の鎌倉幕府征夷大将軍源頼朝は,その猜疑心から弟範頼を討たんとします。鬱蒼たる樹木に囲まれた深浦湾の洞窟を隠れ家とし,蒲冠者の縁の寺や その従者が蒲谷の姓を名乗り近隣に多々住み現在に至っていると聞きます。この洞窟を昭和47年に岡村製作所が取り壊したことで,不自然な事故が起きるようになったことなどから,「蒲地蔵尊」が建立されました。私達も 一人ずつ心を込めて拝礼しました。

                                   

                            蒲地蔵尊

 【 金沢八景 】

一つの地域に八つの景色を設定し 「八景」 とする考え方は,中国の「繍湘八景」がその始まりとされます。11世紀後半の中国・北宋時代に広まり,鎌倉時代中期,禅宗文化と共に日本にもたらされ次第に普及しました。

金沢八景は,江戸時代の初めごろには,具体的地名を冠した例が見られるようになります。その後中国禅僧の心越禅師が能見堂に立ち寄った折に作った漢詩が評判になり,京極高門の和歌が添えられ今日の金沢八景として定着しました。

    ✿  夕照 瀬戸 (瀬戸のセキショウ)

           

 【伊藤博文 金沢別邸】 

 旧伊藤博文金沢別邸は,初代内閣総理大臣を務めた伊藤博文公により,明治31年に建てられました。横浜指定有形文化財で 野島公園内の郷土資料館として運営されています。

     

             

            入場して説明を受ける。上記の文字は博文公の筆。

   ✿ 前庭は海に面していて 八景島シーパラダイス が見えています。

        

  【野島公園 展望台】

  野島の中央に聳える山の頂きにある展望台。360度に展開する眺望は雄大です。

     

     

  日産自動車の工場群が見えます。左手先端の小山は伊藤博文達が「明治憲法」を起草した夏島です。当時孤島であった夏島は重大な機密地とされたのです。

 【九覧亭 金龍院】

境内を上り詰めたところの「九覧亭」は,平潟湾に臨み 金沢八景の景観を脚下する名所として知られていました。 今では聖徳太子堂が建てられています。 大きな椿の実が美しい。