花水木の独り言

庭の大きなハナミズキの、白い蝶のような花びらや、真紅の葉に気持ちを託して・・徒然なるままにキーを打ちました。

古都鎌倉史跡めぐり 「秋深き巡礼道を歩く」 

2007-11-22 | 鎌倉の四季
                           【山茶花(報国寺)】 

      ・・・衣張山から名越切通しへ・・・

源頼朝は観音信者でしたので、関東地方の豪族に其の地方の観世音を本尊とする有力寺院を推挙させ、鎌倉を拠点とする坂東三十三ヶ所を設定しました。 

今回は『鎌倉第十番札所報国寺』からの出発でした。
「竹の寺」とも言われ1000本を越える孟宗竹があります。この地が北限で元気のいい竹として武士に好まれました。 開基は足利家時(尊氏の祖父)。 
本堂に釈迦の仏像。庭を経て加葉堂(カショウドウ:釈迦の墓)があります。

【加葉堂を本堂より撮影】


美しい報国寺の庭を散策しました。
【竹林】

     【千両】
     
          【藪椿】
           

巡礼道は かって杉本寺(一番札所)から岩殿寺(二番札所)に通じる観音巡りの道がありましたが、宅地造成のためその道がなくなり現在は浄明寺緑地へ通じる「衣張山ハイキングコース」に変わっています。

【衣張山】
この山名は、源頼朝が政子のために夏の暑い日 この山を白絹で覆わせて、雪の降りかかる冬景色に見立てて涼をとった伝説に由来しています。
標高120.1m 手前の山 遠く稲村ガ崎 尚遠く右上に富士も見えます。


浄明寺緑地は「子供自然ふれあいの森」とも呼ばれ広々とした明るい森が広がり、海に向かった見晴台でお弁当でした。
紅葉には少し早かったようですが、櫨の木が沢山ありましたので蝋を採っていたのでしょうか。

【12月に入れば紅葉の見頃だと言う事でした】

【櫨(雄株)】

          【櫨(雌株)】
          

頼朝の死後、北条氏は源氏の有力御家人を次々と亡ぼしましたが、三浦半島を本拠地とする三浦氏には手を出せず、名越の山を城郭構造に築きました。道は険しく切岸の迫った所や、天然の地形に人工の防備の跡が残されています。
【名越切通し 細く急坂】

【名越切通し 障害物を置く】

【切岸 10mくらいの垂直の岸】


明治16年名越ずい道が開通するまで、この坂道は利用されました。
今はハイキングで楽しんでいます。
最後に晩秋の植物を・・・
【山茶花】

     【ツワブキ】
     
          【ススキ】