花水木の独り言

庭の大きなハナミズキの、白い蝶のような花びらや、真紅の葉に気持ちを託して・・徒然なるままにキーを打ちました。

「ローマ人の物語」

2006-02-27 | Weblog

14年前 塩野七生氏は【1992年~2006年にかけて一年に一作ずつ書き下ろす】と構想を発表しました。

     

私が気付いたのは第4巻目の「ユリウス・カエサル」から。氏も渾身の力を籠めて異例の2年間をカエサルに宛て、私は虜になってしまったのです。
そこから過去に遡りローマの成り立ちから「ローマは一日にして成らず」を知る事になりました。
古代ローマにのめり込み次の作品を待ち続けた この10年間だった気がします。

それも後1年で完結します。其の寂しさはあの強大なローマが終焉を迎える時でもあるのですから。 先日読み終えた14巻は4世紀に当たります。日本は弥生時代 この文化の違いは常に頭を掠めたことでしたが・・・。

ヨーロッパの各地を旅した時ローマ以外でも、ローマ遺跡を 古代の地名を 何度となく目にしてきた事に思い当たるのでした。

14巻すべてをを要約するのは無謀ですが ”私の好きな帝政の初期”と蛮族に脅かされながらも踏ん張り続けながら ”内側から崩壊していった所” を書いて見たいと思います。

     
          《初代皇帝:アウグストゥス》
     
          《皇帝:ネロ》

ユリウス・カエサルは名門中の名門出身で、「知性。説得力。肉体上の耐久力。自己制御の能力。持続する意志」の指導者に求められる全てを持っていました。
「ガリア戦記」「内乱記」と優れた記録を表していますし、クレオパトラとの出会いは劇的ですが戦いに明け暮れた中にも、愛人も数多くいたらしい・・・「戦いも恋も」だったようです。

BC44年3月15日 ユリウス・カエサルは暗殺されました。享年55歳。

カエサルは敵対する者も多くいる事を知っていました。遺言状があったのです。
姪の子供であるオクタヴィアヌス18歳を後継者に指名していました。
オクタヴィアヌスは優秀な協力者を得て暗殺者たちに勝利し、ここで初代皇帝アウグストゥスになったのでした。(カエサルが打倒した共和政から帝政に代わる)

初代皇帝になってからは戦いもなく「パクス・ロマーナ」と言われる平和を享受する時代でした。平和を遂行するために努力を尽くして77歳の人生を全うしたのでした。

この時代後継者は血統第一主義でしたが、実子(男)が無く 妻の連れ子が第2代のティベリュウス。第3代は若きカリグラ。4代はクラウディウス。そして5代は悪名高きネロ。

ネロの母アグリッピーナは息子を皇帝にするため、あらゆる手段を用いて皇帝クラウディウスと再婚し息子を養子にしたのです。そして5年後クラウディウス死去(アグリッピーナによる毒殺説)。 
ネロ16歳で第5代皇帝に。母の「邪魔者は消す」をネロも踏襲するかのごとく、母を殺害し妻も殺す。この時期競技場からの出火でローマの大半を焼く大火になりました。ネロの放火と言う噂が拡がります。其の頃はまだキリスト教徒も弱小で、ネロはこの人達に罪を転嫁しようとしますが「ネロが放火を命じた」と言う噂は消えませんでした。
やがて食の不備から「国家の敵」と元老院が可決するに至りネロは自死。

かくしてユリウス・カエサルの血脈はここに終りをみたのです。

     
          《ミラノ司教:アンブロシウス》

AC68年ネロの死より300年を経た時 ローマ帝国の首都はコンスタンチノーブルになっていました。1年の内に3人もの皇帝の入れ替わる混迷の時や、非常に平穏で国土を最大に広げた賢帝もいました。蛮族にローマまで攻め寄せられつつも、凌ぎつつ盛り返し力の限り持ち堪えたことも度々でしたが「ペンは剣より強し」の例えの如く信仰の力が勝る時が来たのです。

ミラノ司教アンブロシウスの思い描いた通りになって行きました。
時の皇帝テオドシュウス大帝は、キリスト教の洗礼を受けて神の僕となり従順な羊となってしまったのです。
AC393年の事でした。そしてオリンピックも廃止になりました。この競技はゼウス(ユピテル)に捧げられていましたから・・・この年こそギリシャ・ローマの文明が公式に終焉した年と言われています。多くの彫像や神殿が破壊されました。
ルネッサンスに発掘が始まって、今日でも時にニュースになっています。