犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

岸本佐知子著 『ねにもつタイプ』

2008-03-30 16:39:05 | 読書感想文
「むしゃくしゃして」より

前々から気になっていたのだが、なぜ報じられる放火の動機は判で押したように「むしゃくしゃして」なのであろうか。放火だけではない。痴漢の動機は決まって「仕事でストレスが溜まって」だし、虐待は「しつけのため」だし、未成年のひったくりは「遊ぶ金ほしさ」だし、人を包丁で刺すのは「カッとなって」だ。たまには遊ぶ金ほしさに放火したり、カッとなって痴漢したり、むしゃくしゃしてひったくりするようなことがあってもよさそうなものなのに、そのような話は一向に聞かない。

刑事 「なぜ火をつけたのだ」

犯人 「モヤモヤしていたからです」

刑事 「つまり、むしゃくしゃしていたわけだな?」

犯人 「いや、“むしゃくしゃ”はちょっと違うな。自分的には“モヤモヤ”が一番ぴったりくるんですけど」

―― 刑事、“むしゃくしゃしてやった”と記入。

犯人 (それを覗き込んで)「ちょっと待ってください。“むしゃくしゃ”じゃ私のあの時の微妙な心理は表現しきれません。“モヤモヤ”に訂正してください」

刑事 「大して変わらないだろう」

犯人 「いや、全然ちがいます。私は私の心に忠実でありたい。あなたは私の表現の自由を奪うのか」

―― 刑事、“むしゃくしゃしてやった”を二本線で消し、“訳のわからないことを供述”と記入。

“訳のわからないこと”として片づけられてしまった無数の名もない供述、それを集めた本があったら読んでみたいと思うのはいけない欲望だろうか。そこには純度100パーセントの、それゆえに底無しにヤバい、本物の文学があるような気がする。

(p.142~146より)


結論1: 取調べの可視化を完全に実現したところで、世の中には見えないことのほうが多い。
結論2: 供述調書が刑事の作文であることをやめれば、それは純文学になる。