犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

高橋シズヱ著 『ここにいること 地下鉄サリン事件の遺族として』

2008-03-22 17:33:20 | 読書感想文

 「私はすぐ後に、初めての証言が控えていた。教団でサリンの生成方法を開発し作った土谷正実被告の裁判だった。・・・この日の証言は、亡くなった主人と、家族のためにもと考えていたからだろう、私は非常に冷静で、あがることもなく答えることができた。被告人の量刑について聞かれたときも、この間の裁判傍聴から人間性を何も感じなかった被告人に対して、明確に極刑を要求した。・・・弁護人は、あなたが死刑と言ったら、被告人の親も息子も悲しむことになりますけど、それでいいんですか、と聞いた。それになんと答えたか正確に覚えていないが、私は『違う。殺されるのと罪を償うために死ぬのとは違う』と言ったと思う」(p.84より)。


 私は地下鉄サリン事件の前日、1995年3月19日(日曜日)、地下鉄千代田線で霞ヶ関駅を通っている。新御茶ノ水駅の近くにある会場で、司法試験の答案練習会が開催されていたからである。前年の10月から商法、訴訟法と進み、年明けは憲法、民法に移り、3月の科目は刑法であった。受験生であった私は、阪神淡路大震災のボランティアに行くこともなく、論証ブロックカードの暗記に没頭していた。

 「甲がAのコーヒーに致死量の毒を入れたところ、たまたま乙も意思の連絡なくしてAのコーヒーに致死量の毒を入れており、Aはそれを飲んで死亡した。甲、乙に殺人既遂罪は成立するか。思うに刑法上の因果関係とは・・・」。現実の殺人事件と、刑法の教科書における殺人罪は、全くの別世界の話であった。私はサリン事件の6日後の3月26日(日曜日)も、霞ヶ関駅を通って司法試験の答案練習会に行き、殺人罪だか何だかの答案作成に頭を悩ませていた。


 「2001年5月10日、松本智津夫被告の裁判に、私は証人として出廷した。・・・検察側から、傍聴を続けている動機や気持ちを聞かれ、どうして主人が亡くなったのかを知りたい、被告人に拘置所で死んでもらっては困る、傍聴に来て、生きていることを確認していると答え、刑罰については、死刑にしてほしいし、それを見届けたいと答えた。弁護人の反対尋問は、だいたい予想していたことを聞かれた。・・・被告人が死刑になっても遺族の心が満たされることはないのがわかっているのか、という質問には、『そんなことはない。私の復讐心は収まると思う。それでも主人を殺されたという思いは私が死ぬまであるが、松本被告が生き長らえたら、もっともっと私の人生は辛いものになる』と答えた」(p.170より)。