犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

沖縄米海兵隊員暴行事件

2008-03-01 22:19:31 | 実存・心理・宗教
沖縄県北谷町で2月10日、米兵が14歳の女子中学生を暴行したとして逮捕された事件で、少女側は地検に告訴取り下げ書を提出した。これに伴い那覇地検は、米海兵隊所属の2等軍曹を釈放した。強姦罪は、被害者側の告訴が必要な親告罪であるところ、少女側は騒ぎが大きくなることを望まず、告訴を取り下げたとのことである。少女は一言、「そっとしておいて」と述べていたそうである。

この突然の終結を前にして、人はそれぞれの立場から色々な見解を述べる。「週刊誌が少女にも非があるような書き方をしたし、警察の事情聴取につらくなったんだろう」。「勇気を出して訴えた少女を守れなかったのが悔しい」。「犯罪事実があるのに、親告罪という理由だけで裁けないのはやりきれない」。「問題が解決したわけではない」。「女子中学生が告訴を取り下げた心情は分かるが、沖縄の人権を守るために今立ち上がらなければならない」。「ひどい目に遭い、傷つけられた被害者が泣き寝入りする結果は返す返すも残念」。ここには事実は一つもなく、解釈だけがある。

少女の「そっとしておいて」という言葉は、誰に対して述べられたものか。恐らく、自分以外の全員であろう。沖縄県議会は「女性に対する暴行は肉体的、精神的苦痛を与えるだけでなく人間としての尊厳を蹂躙する極めて悪質な犯罪である」との抗議文を採択した。県内の全41市町村も抗議決議を可決しており、さらに幅広い参加を呼び掛けている真っ最中であった。その反面として、被害者の少女の行動には軽率であるとのバッシングも向けられ、それに対する擁護論も湧き上がっており、わかりやすい善悪二元論、政治的な右派と左派の構図ができあがっていた。その渦中に、当の本人が「そっとしておいて」である。わかりやすい構造が一気にカオスに陥った瞬間である。

今回の何とも後味の悪い結末は、犯罪被害者支援の難しさを端的に示している。犯罪被害者支援の問題は、熱く討論する政治問題ではない。右派に親しい問題でもなければ、左派に親しい問題でもない。「女子中学生が告訴を取り下げた」という一報を聞いた瞬間の絶句、唖然、呆然、はしごを外されたような感情、善悪二元論の大混乱。これらはすべて、1人の女子中学生に過大な政治問題、国際問題を抱え込ませたことのツケである。14歳の少女に15年以上の歴史を背負わせることは、端的に無理な要求である。「そっとしておいて」の一言が、すべてを語っている。少女のためにやっていると思っていたことが、何も少女のためになっていなかったということである。

抗議の県民大会の開催を予定している団体は気勢を削がれた形になったが、「米兵による少女・婦女子への暴行事件に抗議する県民大会」の名称を「米兵によるあらゆる事件・事故に抗議する県民大会」に変更して、予定通りに開催するらしい。関係者は「人権にかかわることなので泣き寝入りはできない」、「怒りをさらに強く持って県民大会を開催し、被害者に代わって厳しく糾弾することが必要だ」などと述べている。ここにも政治問題は政治問題としてしか捉えられず、犯罪被害者支援の問題とは次元が違うことが如実に示されている。人権を守る活動が相手方の人権のためになっておらず、単に自分のエゴだったということは、政治的な主義主張においてはよく見られることである。本人が「そっとしておいて」と言うならば、被害者に代わって厳しく糾弾することも不要である。