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熊野那智大社の主祭神は「熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ)すなわちイザナミノミコト」となりますが、第一殿 滝宮(大己貴命)、第二殿 証誠殿(家都御子大神)、第三殿 中御前(御子速玉大神)、第四殿 西御前(熊野夫須美大神)、第五殿 若宮(天照大神)、第六殿 八社殿(天神地祗)と六つの本殿が並びます。
熊野三山では「熊野十二所権現」と呼ばれる12柱の神様が祀られていますが、この熊野那智大社だけは飛龍権現という滝の神様を第一殿の滝宮にお祀りしています。
熊野那智大社は那智の滝と並行するような高さにありますが、滝の下にある飛龍神社の飛龍権現も加えて13柱として祀っているようです。(注:第6殿の八社殿は8柱の神を祀っている)
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土産物屋さんが並ぶ通りを歩いて行くと、「表参道」の看板が出てきます。
見た感じではとても表参道とは見えなかったため、周囲を探したのでしたが、結局この石段が表参道ということでした。
石段の途中の段のない踊り場には何件かの土産物屋さんがあって、表参道らしい雰囲気は多少ありましたが、下の土産物屋通りの方がお店は整っているようですね。
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石段を登りきると見えてくるのは一之鳥居。
鳥居は神の領域を守る結界ですが、神社めぐりをしていると鳥居の雰囲気で神社の感じが何となく分かるような気がしています。
わざわざ参道を戻って鳥居から入ったりすることもあるのですが、この鳥居はとても雰囲気のよい鳥居だと思います。
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石段はこれで終わりかと思っていたら、ニ之鳥居までの石段があるではないですか。
前日から熊野速玉大社・神倉神社・補陀落山寺・飛龍神社(那智の滝)と石段の昇り降りで足に疲れがきていたので、“まだ登るのか?”と結構つらい石段(467段)でした。
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熊野那智大社の本殿は元々は大瀧の近くに祀られていたそうですが、約1700年前にこの場所へ遷ったといわれます。
拝所には護摩木を燃やす常香炉があり、記入用の護摩木が置かれていましたから熊野の地には神仏習合が根付いていることが実感できます。
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主祭神である熊野夫須美大神の“夫須美(ふすみ)”は“結(むすび)”という意味につながるとされ、諸々の願いを結ぶ御利益があるとありましたので、神妙にお参りを致しました。
社殿は317年に現在の位置に創建され、織田信長の焼き討ち(1581年)で焼失しましたが、豊臣秀吉によって再興(1851~1854年)されたと伝えられます。
信長の焼き討ちが那智勝浦にまで及んでいたとは驚きます。
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江戸時代には第8代将軍・吉宗の尽力で享保の大改修が行われたとされ、社殿は重要文化財の指定を受けています。
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拝所より中へは入れませんので玉垣越しに社殿の様子を見てみました。
拝所の正面には第1~5殿が横並びに建ち、第6殿だけが他とは直角の向きに建てられているようです。
神社の社にある千木は祀られている神様が男神か女神かによって先端部の形が違いますのですが、熊野那智大社でも熊野速玉神社と同じく違いが見られます。
女神を祀っている第4殿(熊野夫須美大神)と第5殿(天照大神)の千木は地面に並行した形になっていて、男神を祀る社殿の千木との違いがありました。(左の2殿)
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熊野の神に“神武天皇御東征に際に天皇の軍隊を熊野国から大和国へ道案内し勝利に導いたとされる八咫烏”が数えられますが、境内にある御縣彦社(みあがたひこしゃ)では八咫烏を神として祀っています。
社は本殿と同様に重要文化財に指定された建築物で、正面には八咫烏の銅像が祀られていました。
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境内には樹齢約850年の樟が御神木として祀られており、この御神木は、平重盛(清盛の嫡男)の御手植えと伝わっています。
ここでも熊野速玉大社の樹齢約千年の葛の神木と同じく、平重盛の御手植え伝説が伝承されているようです。
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この樟は内部が空洞になっており、初穂料を納めると護摩木を持って胎内くぐりが出来るようでした。
入口が少し狭そうでしたので胎内くぐりは断念しましたが、胎内くぐりに入る方の姿は多く見受けられました。
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さて、神社の御朱印は寺院に比べると頂いた数は少ないのですが、現在使っている御朱印帳の残るページがわずかになっていましたので、熊野那智神社の御朱印帳を購入しました。
本殿と滝の位置関係は違ってはいますが、記憶に残る風景とはこんな感じかもしれないということいいのではないでしょうか。
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本州のほぼ最南端、深山と海しかないような地の果てとも思える熊野三山が大変な信仰を集めたのは、生きながらの再生を目指して人々が訪れたからだといわれます。
この時期に熊野を訪れたくなったのは、少し甦りの気持ちが強くなってきていたのかもしれません。