僕はびわ湖のカイツブリ

滋賀県の風景・野鳥・蝶・花などの自然をメインに何でもありです。
“男のためのガーデニング”改め

赤坂山登山その1~サラサドウダンと春の花を探せ!~

2024-06-09 17:35:35 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 赤坂山は山と渓谷社により「花の百名山」に選ばれており、滋賀の山では霊仙山・鎌ヶ岳・伊吹山・武奈ヶ岳なども選ばれています。
山と渓谷社の元となっているのは田中澄江さんの「花の百名山」で、そちらに選ばれている滋賀の花の百名山は三上山・藤原岳・霊仙山・御池岳だという。

赤坂山は福井県と滋賀県の境界に立地して琵琶湖と若狭湾の分水嶺になっており、景観の素晴らしさと豊かな自然に恵まれた山です。
そろそろサラサドウダンの花の季節でどの山に行こうかと迷いつつ、勝手知ったる赤坂山に登ることにしました。



赤坂山をマキノ高原から登る場合、東屋のある「武奈の木平」までが約半分で樹林帯の中を通ります。
「武奈の木平」から「粟柄越」を経て山頂までの稜線歩きが残りの半分。
最初は木段が続き、体がまだ十分に目覚めていない朝一の木段は結構シンドイのですが、登りきるとフラットな道を歩けます。



ただしフラットな道もあるものの、岩がゴロゴロした道もあり、景色が見えない道でもあるので早く「武奈の木平」に着きたくなります。
登山道では標高の低いところではツツドリの声が聞こえ、途中からキビタキの囀りが聞こえるようになり、標高が高くなるとホトトギスがにぎやかになる。



ところで、過去に登った時には気付かなかったのですが、三角点の案内板があるのを発見。
下りるのが大変そうな急登を登らないといけないけど、上がどうなっているのか気になり見に行くことにする。



登ってみると確かに三角点があり、これは「栗柄越の三角点」(等級種別:四等三角点、基準点名:栗柄越、標高:483.4m)でした。
何度か登った赤坂山ながら新発見となりましたが、整備されていない急登を登ったので慎重に下りないと滑りそう!



そうこうしている間に「武奈の木平」に到着。
天気は晴れていて登山日和とはいえ、強い風が吹いていましたので、リュックに入れておいたウインドブレーカーを脱いだり着たりです。



山頂まで約半分というところまで来ましたので、この辺りまでに見かけた赤坂山の花になります。
フワフワとした白い花をたくさん付けているのはタンナサワフタギでしょうか?



タンナサワフタギは、赤坂山では中間的な標高のところで咲いているのを見かけましたが、花の名前が合っているかは確かではありません。
この種にはタンナサワフタギとサワフタギという類似種があるといい、見分けるのも難しそうです。



低木の枝先に沢山の白い花が房になって咲いているのはカマツカの花でしょうか。
花の識別に迷うのは数を見ていないからで、野鳥を探し始めた頃も最初のうちは同定できなかった記憶があります。



コアジサイは登山道の道筋に多いが、まだ花を咲かせているものは少なく、標高の低いところに生えているものが咲いている感じです。
これから一斉に花を咲かして登山道がにぎやかになると思いますが、その頃はササユリの季節を迎えています。



「武奈の木平」から少し登ると堰堤と沢沿いの道があり、そこから徐々に景色や植生が変わってくるようです。
堰堤から水が落ちて流れる清流に沿って歩きますのでヒンヤリと気持ちが良い場所で、このルート唯一のロープ場で堰堤を乗り越えます。



堰堤の上にも清流は流れており、登山者は右の岩の道を登ります。
右の道にも水が流れているので、足元注意の道です。



沢沿いの道から尾根筋に出るとタニウツギやヤマツツジの花を見かけるようになります。
タニウツギは一定の標高の辺りから生えていて、先日別の山で見たタニウツギより花の状態が良いのは環境の違いによるものか。



赤坂山にイワカガミが咲く時期に登ったことはないのですが、花期の終わったイワカガミの多さに驚きます。
4月下旬から5月にかけての赤坂山の花は今とは違った植生になっていると思いますが、今の季節はベニやサラサのドウダンツツジにカメラを向けている人が多い。



咲いていたのはほぼベニドウダンで、赤い実が沢山実ったような赤い花が見頃になっています。
花や野鳥は写真で撮ると実際より大きく写りますので、記憶の中の花と一年振りに見る花のサイズの違いに驚く。



ベニドウダンとサラサドウダンの識別って結構悩んだりして一緒に撮影していた方々も識別に迷われていました。
“これはベニドウダンです”と言い切れる花は多いのですが、サラサドウダンと言い切るには躊躇われるものが多い。





ベニドウダンには真っ赤な花と薄い色合いのものがあるようですので、見誤るケースもあるとのことです。
おそらくは見ている人にはサラサドウダンへの想いがあるので、花を見た時の期待値が高くなってしまうのが迷う原因か。



結局、サラサドウダンっぽいのもあったものの、これぞサラサドウダンと言い切れる花は見つからずでした。
一緒に撮影していた人の情報によると、サラサドウダンは黒河峠から三国山のトレイルに多いということでした。



足を伸ばしてみても良かったのですが、思い付きでコースを変えるのは止めておき、「明王の禿」まで行って戻ってきます。
次は別の日に改めて今度は逆コースになるマキノ町白谷の黒河峠から三国山ピストンで行ってサラサドウダンを探しに行きたいと思います。


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「四白展」(やまなみ工房)~湖のスコーレ~

2024-06-07 05:48:48 | アート・ライブ・読書
 長浜市のJR長浜駅から黒壁スクエアを歩いて行ったところに「湖のスコーレ」というカフェやショップの入った商業文化施設があります。
滋賀の特産品の鮒ずしにちなんで発酵食品をテーマにしたお店が入り、チーズ製造室で作られたチーズの販売やチーズを使った喫茶店などが入っている。

また文化棟には今では絶滅の危機にあるようなサブカル系の本屋さんがあり、棚にはセレクトされた新刊書籍と古書が並びます。
文化棟2Fには滋賀県甲賀市のアートセンター&福祉施設「やまなみ工房」の作家の作品が展示・販売されている。
展示されているアールブリュット作家は定期的に入れ替わり、いつでもアールブリュット作品を目にすることが出来ます。



現在、展示・販売されているのは「やまなみ工房」の四白さんの作品で、カラフルな色彩で書き殴ったような作品と綺麗に塗り分けられた作品に傾向は分かれる。
下は「オランウータン」という作品でサイケデリック調の色彩鮮やかな迷路の中にコミカルタッチのオランウータンが笑っているように見えます。


「オランウータン」

四白さんは、幼少の頃から自然の中で遊ぶことが好きだったが、青年期を迎え、行き場のないエネルギーをパンク・ロックなどのサブカルチャーに求めるようになる。
その後、大学でアートを学ぶようになるが統合失調症を発症し、大学を中退して放浪。
友人のイベントに参加した際に「やまなみ工房」を知り興味を持ち入所されたとあります。(会場の案内板から)

「マッドシティ」という作品では、描き込んだ「オランウータン」とはカラフルな色使い以外は全く傾向の違う作品になっています。
四白さんは、70~80年代辺りのロック・アーティストをモチーフとした作品も描かれいて、影響を受けたロックアーティストが伺われる。
5/11には湖のスコーレでライブ・ペインティングのパフォーマンスがあったそうです。


「マッドシティ」

3人のロッカーの絵は、一番左がゴッドファーザー・オブ・パンクとも呼ばれるイギー・ポップ。
絵は Lust For Lifeを地で行くようなジャンキー・タッチの絵。

真ん中は言わずと知れたローリング・ストーンズのキースリチャーズ。ヘビースモーカーのキースが煙草をくわえてギターを弾く姿は恰好がいい。
四白さんのキース・リチャーズは前回湖のスコーレで展示されていたキースの絵とは全く違うのが興味深いところです。

右はザ・クラッシュのフロントマンのジョー・ストラマー。
London Callingはバンドでコピーした記憶があります。


「イギー・ポップ」「キース・リチャーズ」「ジョー・ストラマー」

デイビット・ボウイをモデルにした2枚の絵は、全く個性の違う描き方になっています。
勝手に想像するなら、左が80年代初頭の「レッツ・ダンス」のような都会の垢ぬけたロック・スターのような感じ。
右はジギー・スターダスト時代のグラム・ロックか、ドラッグからの更生をしたベルリン三部作時代へのオマージュみたいな感じ。


「デイビット・ボウイ」「デイビット・ボウイ」

ロックアーティストは他にもトム・ウエイツやニック・ケイブを描いた絵があります。
両方のアーティストともに名前のみで音楽に馴染みはありませんが、下のニック・ケイブの絵はインパクトがあって魅かれる作品です。


「Nick Cave」

他府県でも同様かもしれませんが、アールブリュットへの理解や共感が高まってきており、作品に接する機会が増えてきています。
滋賀県では街の中やお店や商業施設やホテルのロビーなどでアールブリュット作品を目にすることがあります。
何度も見る作家さんが居られれば、初めて目にする作家さんも居られて、その奥行きの広さには驚くばかりです。


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つくる冒険 日本のアール・ブリュット45人 ―たとえば、「も」を何百回と書く。~滋賀県立美術館~

2024-06-05 06:52:22 | アート・ライブ・読書
 滋賀県立美術館では「つくる冒険 日本のアール・ブリュット45人『―たとえば、「も」を何百回と書く。』と題したアールブリュット展が開催されています。
この美術展は45人の日本のアールブリュット作家の作品が約450点展示される大規模な美術展で、多様性に富んだ作品が鑑賞出来ます。

美術展の構成は「1 色と形をおいかけて」「2 繰り返しのたび」「3 冒険にでる理由」「4 社会の密林へ」「5 心の最果てへ」で構成されます。
滋賀県では馴染みのある作家や書く都道府県で活躍されている作家、既に製作を止めてしまわれてる作家など多様な作家の作品が集められています。



「第1章 色と形をおいかけて」では伊藤善彦さんの粘土細工の作品「鬼の面」「鬼の顔(土鈴」が気にかかる。
伊藤さんは30年に渡って粘土作品を制作されていたといい、生前“人間の、奥の奥には、鬼が棲んでいる”と発言されていたといいます。



畑中亜未さんの「一灯式青い蛍光灯」「一灯の裸電球」「二灯の裸電球」「赤ちょうちん」...などの作品は灯りに興味を持った作品群です。
絵の中に作品名を書き込んでいて、ごくシンプルなクレヨン画ですが味わい深い。



舛次崇さんの絵には「きりん2」「ノコギリとパンチとドライバーとトンカチと左官」「うさぎと流木」などのタイトルが付いている。
絵とタイトルはパッ見ると合っているように見えないが、それはモチーフを独自の視点で見ているからなのでしょう。



「やまなみ工房」の作家の中でも有名な鎌江一美さんの作品「かお」は、ヒダのような突起物で作品が覆われるまでの初期の作品とのこと。
突起物に覆われた「まさとさん」とは少し違う鎌江さんの作品の源流ともいえる作品群です。



カラフルな色彩の楽しそうな絵を描かれるのは八重樫道代さんで、作品は「ダンス」と「チャグチャグ馬コ」です。
チャグチャグ馬コってなんぞやというと、岩手県滝沢市の蒼前様(農業の神・馬の守り神)の祭りに登場する馬たちのようです。



「第2章 繰り返しのたび」では繰り返し反復するミニマル・ミュージックのような作品が並び、齋藤裕一さんの作品はその典型的なものになります。
タイトルは「ドラえもん」や「はみだし刑事」なのですが、ドラえもんは「も」の反復で描かれ、「はみ」の反復ははみだし刑事のこと。



色鮮やかなマーカーの反復で描かれるのは上田志保さんの「こゆびとさん」。
小人?小指?恋人を連想させるキャラクターは上田さん独自のイメージの世界で、現代アートの作品のようにも見えます。



「第3章 冒険に出る理由」では木村茜さん、伊藤峰尾さん、佐々木早苗さん、石野敬祐さんの制作風景が動画で流されます。
それぞれの作家の日常の製作風景は、生活の一部のように日常に融け込んでいます。
まだ半分とはいえ、たくさんの作品を見て疲れたので、会場の中にある額縁のような枠の奥にある庭園を望むソファーで一息入れる。



「第4章 社会の密林へ」でインパクトがあったのは、宮間栄次郎さんの「横浜の金魚の帽子おじさん」シリーズでしょうか。
宮間さんは横浜の繁華街を自転車に乗って回遊するパフォーマンスをされていたといい、その奇抜で派手な服装から「帽子おじさん」と呼ばれるようになったそうです。





作品の横には宮間さんご自身が写るスライドが流れています。
ご本人の姿も楽しそうですが、映像に移っているギャラリーも笑顔です。



木工で精密なバスやトラックや車を作られているのは西本政敏さんは、メーカーのロゴまで再現した完成度の高い作品です。
この精密な表現は、通所する福祉施設で木工を担当して得た技や知識が役に立っているようです。



太い線でデフォルメされた平野信治さんの作品は「志村けん(子役)」「舘ひろし」「モナ・リザ」「ライオン」のタイトルが付いている。
平野さんは志村けんに特別な想いがあったといい、縁あって志村けんに直接バカ殿を描いた作品を渡す機会に恵まれたそうです。
しかし、その翌日から絵を描かなくなってしまったといいます。



みんなほっぺがピンク色の人物画を描かれるのは大久保寿さんで、実際に人物名が付いている絵と無題の絵があります。
平野さんは46歳から絵を描き始められ、大胆な線でサッと描いたように見えて、実際はとてもゆっくりと指を動かして描かれていたそうです。



ペーパークラフトで角ばった女の子たちを作るのは石野敬祐さんでタイトルは全て「女の子」ですが、イシノ52のような作品群です。
製作風景は第3章で見ることが出来ますが、とても手早く器用に女の子たちを作り出していかれます。



「第5章 心の最果てへ」では記憶や精神疾患によって見ることの出来たモチーフを作品にしたものが多く登場します。
内山智昭さんは聴覚障害があって意思表示が困難だった頃、粘土造形を始めて精神的に落ち着きを得ていかれたそうです。



上は「遠い国の人」、下は「花を抱いた女」。
内山さんは5~6年間に300点近い作品を製作されてそうですが、手話を身に着けて施設を退所して以降、作品は全く製作されなかったそうです。



昭和の時代には封切り映画がやってくると、映画の宣伝用の看板が描かれることがあり、蛭子能収さんも「ガロ」でデビュー前に看板店で絵を書いていたそうです。
木伏大助さんは、小学校の時に映画館や街角に貼られた映画のポスターを毎日眺めていて、福祉施設に入ってから映画ポスターそっくりの絵を描き始められたそうです。
役者の名前まで正確に書かれていますので、その記憶力たるや恐るべしです。



富塚純光さんの「青い山脈物語111万円札と花を貰ったの巻」「青い山脈物語8おっかけられたの巻」は彼の記憶を絵と言葉で描いたもの。
壁一面に貼られた記憶のメモから月一回の絵画クラブで1枚を選び、渾然一体の作品となっていくという。



美術館では図録が販売されていましたので購入して、各作家の詳細を知り、参考にさせて頂きました。
滋賀県立美術館はアール・ブリュットを収集方針に掲げる国内唯一の公立美術館で、世界有数のアール・ブリュットのコレクションを有する美術館となったようです。



アールブリュット作品には現代アート作品を感じさせる作品や現代アートへ影響を与えたと感じられる作品があります。
現代アート系の作品は作為的に意味を求めるような作品がありますが、アールブリュット作品は無作為なところに魅力があるのかもしれません。


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Borderline~ボーダレス・アートミュージアム NO-MA

2024-06-03 06:31:31 | アート・ライブ・読書
 NOMA美術館の案内文によると、Borderlineという言葉には「境界」「境目」とい意味があると同時に「どちらともいえない」「曖昧な」という意味を含むとあります。
今回の美術展では使用用途を思わせるのに用途がない作品、使用用途をなくして作品にしてしまった作品など境界の不明瞭な作品が展示されています。

境界線を引くわけではないけど、ボーダーレスアートの名にふさわしく、出品者はアールブリュット作家が4人、美術家が2人、企画デザイン会社1社の内訳となる。
ボーダレスは境界がないこと、ジャンルに分けられないことの意味で、ボーダーラインを曖昧にしてカテゴリーに当てはめることができないものが並べられる。



昭和初期の町屋をリノベーションしたNO-MA美術館の前庭では、山田浩之さんの陶芸作品「壁を取りはずして向こうを見る」という大きな作品が出迎えてくれます。
山田浩之さんは、信楽の陶芸作家で陶歴は約30年。数々の陶芸展で受賞歴のある作家さんのようです。



山田浩之さんの作品を検索すると、酒器やぐい呑や皿、急須や花器などオーソドックスな陶器から個性的で独創的な作品まで幅広いようです。
展示されていた「CAVE340 コメット」は得体の知れない生き物のような作品で、「CAVE340 BIG FOOT」の方はデフォルメされた足。
作品は全て陶器にスピーカーが埋め込まれており、BIG FOOTは実際に音楽を聴くことが出来るようになっていた。





現在67歳になるという山ノ内芳彦さんは、鳥取で生まれて「田舎で死にたくない」という気持ちで東京に出て15年暮らしたといいます。
田舎で暮らしたくないという18の頃の気持ちはよく理解できる話で、同じ思いで都会へ出て行ったのは当方も同じでした。



その後、30歳を過ぎた頃に帰郷されて、そこで木の中に生命の形を感じ取り、木の仕事をするようになったといいます。
材料はその辺にある伐られた庭の木や捨てられた木などを使い、声がかかればもらったり伐りに行ったりするそうです。



上は「クスノキの椅子」で下は「イチョウの寝台椅子」。
イチョウの椅子には腰かけてみると、何とも言えない落ち着いた気分が味わえて木の優しさに包まれます。
作品は元あった木の形が想像できない姿に彫り出しており、樹齢の長い木の持つ生命感のようなものを際立たせています。



下田賢宗さんは、15歳の時にイクラの柄のポスターが欲しくなったけど、探してもそんな柄のパジャマは売っていなかった。
そこで、白い服をマジックや絵の具と一緒に下田さんに渡すと、彼はあっという間にイクラの絵を描き上げて欲しかったパジャマを手に入れたといいます。

下田さんは「自分が大好きなものに包まれて眠りたい」という思いを叶えるため、オリジナルのパシャマを制作されてきたといいます。
作品は「イクラのパジャマ」「かぼちゃのてんぷらのパジャマ」「はだいろおちんちんのパジャマ」。



山崎菜邦さんは、カラフルな糸を繰り返し縫って一点物の服を仕立てていきます。
今年2月に滋賀大学で開催された「やまなみ工房」のアールブリュット展では全身が縫物のヒトガタになっていましたが、今回は「Yシャツ」が出品されています。



吊るされたYシャツは空調の風でゆっくりとゆらゆら動いている。
机の上に置かれたYシャツは機能を失った何者でもないものに変化していっています。



少しいびつな形をしたかわいらしい箱は、臼井明夫さんの「臼井BOXシリーズ」です。
臼井さんは箱を作っては周りの人にあげていたといい、箱はいびつですが工夫を凝らして丁寧に作られた作品です。



高丸誠さんは眼鏡を作り、ほぼ毎日自分で作った眼鏡をかけているそうです。
レンズはなく眼鏡としての機能は果たしていませんが、“形状は使用用途を思わせるのにその用途がない作品”ということになります。
展示は、眼鏡屋さんの商品が並べてある棚のように見えます。



geodesign〈ジオデザイン〉は株式会社ジオが企画・デザインした商品で、面白ろアイデア文具を商品化したもの。
レタスだけどメモパッドになる、食卓にあるねり梅やわさびやしょうがのチューブはカラーマーカー、割り箸がボールペン、豆腐パックが付箋紙。

鯛の形をした醤油のタレビンは、醤油の香りがするペンで、<ケチャップ香る>醤油鯛ペンなんてものまである。
どこまでから雑貨であり,どこからが雑貨ではないかという範囲設定が分からない不思議な製品カテゴリーにある文化・雑貨の世界です。




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荒神山古墳群の横穴式石室を見に行ったが...

2024-05-30 06:39:39 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 荒神山は彦根市にある標高284mの独立峰で、奈良時代に行基が山頂に「奥山寺」を開山し、三宝大荒神を祀ったことから荒神山と呼ばれるようになったといいます。
山頂には荒神山神社という「奥山寺」に起源を持つ神社が祀られ、尾根には滋賀県第2位の規模とされる荒神山古墳があります。

荒神山古墳は4世紀末に築造の前方後円墳とされており、荒神山には他にも十数基の古墳があることから、荒神山古墳群と呼ばれているといます。
昨年、荒神山では湖東地域で最大とされる「横穴式石室」が発見されており、その古墳を見たさに荒神山を訪れました。



古墳のある場所は、「荒神山神社遥拝殿」から本坂を呼ばれる荒神山神社(かつての奥山寺)の表参道の途中にあるようです。
荒神山は3コースほどの登り道がありますが、本坂コースから登るのは初めてで、古(いにしえ)の参道を興味深く登りました。



道は一部に石段や石畳が残っていて、旧参拝道ゆえの雰囲気のあるいい道です。
夏の野鳥とおぼしき囀りもにぎやかですが、声はすれども姿は見えず...。



緑に挟まれた場所もありますが、路面は石畳が敷かれていて歩きよい。
そろそろ古墳があってもいいのにと思いつつも、快調に登っていってしまったのは登り過ぎであとで困ることになりました。



途中からは道幅が広くなり、石畳が敷き詰められています。
この参拝道がいつの時代に整備されたかは分かりませんが、天智天皇や聖武天皇の時代からあったと想像してみるのも楽しい。

奥山寺は叡山派の天台宗寺院だったため、信長に焼き払われて宝物などは堂宇と共に焼失したとされます。
江戸時代に彦根井伊藩の保護により再興していったそうですが、明治の神仏分離により奥山寺は廃寺となってしまったという。



で、調子良く登っていったら林道との出会いに入ってしまい、林道の「腹切地蔵」さんのところまで来てしまいます。
このお地蔵さんはお腹の部分が斜めに割れていることから「腹切地蔵」と呼ばれているようです。



古墳は神社まで行って場所を確認して下山の時に立ち寄ろうと思い、神社へと続く石段を登っていくと、下りてくる方が居られた。
古墳のことを聞いてみると、下山途中に分岐があるので案内するので一緒に下りましょうと言って頂き、下山を開始する。
しかし...辿り着いた古墳は何とブルーシートに覆われている...。



古墳は、中世に護摩などの祭祀を営む空間として利用していたことが伺われ、幕末から明治にかけて築造当時の姿から大きく改変されているという。
幕末から明治にかけて大量の土を入れたのは、廃仏毀釈により仏教関係の痕跡を埋めるためだったと考えられる。(読売新聞オンラインより)



ほとんど山頂まで登っていながら登り口近くまで下りてきたにも関わらずブルーシートに覆われた古墳しか見れなかったので心が折れる。
登り返す気持ちが失せてしまいましたので、林道から車で登ることにする。

荒神山神社の手前に駐車すると正面は展望の良い広場となっていて、ここが荒神山の山頂(284m)になる。
山頂の雰囲気はまるでない場所ですが、一応ここが山頂ということです。



山頂から見る風景は、かつては内湖で今は埋め立てられた曽根沼の水田と、その先にはベタ凪の琵琶湖。
浮かんでいるのは多景島。対岸に見えるのは高島の比良山系か?いずれにしろ絶景です。



荒神山神社はかまど神をお祀りする神社で、御祭神に火産霊神・奥津日子神・奥津比売神をお祀りします。
「かまどが賑わう」は暮らしが豊かになる、商売が繁昌すること。「かまどを破る」は身体をつぶす、会社を破産させるの意だそうです。



荒神山の山頂には全長124mの前方後円墳がありますので、周回して日夏山にある三角点まで歩きます。
墳丘が大きく、石室や玄室の開口部がないので、小山にしか見えませんが、大和政権と深くつながるとされる大きな影響力を持った人物の古墳とされます。



三角点は日夏山(標高261m)の山頂にあり、真ん中にある東屋では数人の方が休憩中でした。
山頂表示を探したものの見当たらずで、以前は見たことがあったので付けられたり取られたり(見落とした?)しているようですね。



視界の広がる場所からは水を張った水田と、多賀の山々の向こうに霊仙山や鈴鹿山系が見え、背比べするかのように伊吹山が見えます。
山々と琵琶湖に挟まれた広い湖東平野の豊かさが感じられる光景です。



訪れた時は5月中旬頃でしたが、シャクナゲの花がかろうじて残っていました。
誰かがお世話されているのか赤色の花とピンク色の花の2種が咲いていました。



下山して西側より眺める荒神山。
田植えの終わった田圃に規則正しく植えられた苗は、みるみると大きく育って秋には黄金の稲穂を付けます。
少し前までは荒神山に山桜がチラホラと見えていたと思いますが、季節はあっという間に巡っていきますね。




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電車でGO!-縦走-~猪子山・伊庭山・丹生山・繖山~

2024-05-26 16:25:55 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 山登りに行く時は基本車で行くのですが、電車などを利用すると周回出来る山なら良いがピストンで折り返してくるか、ロードで戻ってくるかになります。
繖山は南北に長い山ですのでどこかで引き返すことになり、いまだに完全縦走が出来ず、継ぎ足し登山となっていました。

そこで今回は電車でGO!とばかりに、JR能登川駅からスタートして繖山を縦走し、観音正寺から下山してJR安土駅へ戻るルートを計画しました。
これで繖山を一気通貫で登れると意気込んでおりましたが、下山ルートが行き当たりばったりで、下山後のロード歩きが長かったのは想定外となる。



まずはJR能登川駅からスタートです。
猪子山公園の「上山天満天神社」の鳥居が登山口になりますので公園を目指して歩いて行きますが、数分程度で到着する。



猪子山公園には林道があり、途中に巨石を祀る「岩船神社」や「山面古墳群」があるのですが、林道は使わず登山道に入ります。
舗装された林道を使わないことに特にこだわりがある訳ではなく、土の道の方が歩きやすく感じるからです。



木段を登りきると「上山天満天神社」の境内に入りますので、本日の安全祈願。
御祭神の天常立命は、比良山より岩の御船で繖山麓に来着したのが始まりとされ、麓の岩船神社・勝菅の岩屋も同様に岩の船で来たとの伝説が残る。



神社から先は2つのルートあるが、右のルートだと「北向岩屋十一面観音」を越えてしまうので、御神木の横からのルートで登る。
繖山は個人的に“木段地獄”と呼んでいるくらい木段が多く、木段が苦手な人は登るのがしんどい山です。



「北向岩屋十一面観音」の下には「巨石の神々を訪ねる道」という巨石が並ぶ道があり、北向岩屋十一面観音の手前には「白瀧大神」という巨石があります。
この巨石の前を通るたびに思うのは“妖怪ぬりかべ登場!”です。別名は「屏風岩」というそうです。



「白瀧大神」を越えると「北向岩屋十一面観音」の磐座の前に出てきます。
北向岩屋十一面観音は厳窟内に石造りの観音像をお祀りし、観音像は合掌の手に数珠を掛けておられ、奈良時代に安置されたと伝わります。



石仏は御堂の中に祀られており、近づくとほのかに線香の匂いが感じられます。
ここへ訪れる度に参拝されている方に出会いますので、信仰と健康づくりのため日々参拝にこられる方が多いようです。



ここからは西の湖と琵琶湖、湖西の山々まで望むことができ、今の季節は水を張った田圃が鏡のように空の青さを映し出します。
ここは秋になるとタカの渡りを写真に納めようと大砲が並ぶスポットでもあり、ピーク時には500~1000羽もカウントできるとか。



「北向岩屋十一面観音」から登山道を進むと、本日一つ目の山頂になる猪子山に到着します。
繖山の山系には猪子山と繖山の山頂に三角点があり、位置的には北の山頂と南の山頂になります。



「北向岩屋十一面観音」と「雨宮龍神社」の間は尾根筋を歩くようになっており、登り下りしながら進みます。
各ピークにはナンバリングがされており、ここはP1。全部でP12までピークがあります。



本日2つ目の山頂になる伊庭山は、以前に来た時は山名標示がなかったが、今回は伊庭山336mの標示が追加されていました。
途中で会った方は毎年道の草刈りや木段の補修などの整備をされている方で、情報が伝えやすいようにピークにナンバリングしているそうです。



その方と「雨宮龍神社」まで喋りながら行ったのですが、一人で黙々と木段の登り下りするのはシンドイけど、誰かと話しながら登るとしんどさを感じない。
木漏れ日の山道を喋りながら歩いて行くうちに、あっという間といった感じで「雨宮龍神社」の境内へと到着しました。



「雨宮龍神社」は読んで字のごとく雨乞いの神様で、推古天皇時代の創始・弘法大師による雨乞いの実施の社殿が残るという。
滋賀県では、平野部と近い場所にある山には八大龍王や龍王を祀る雨乞いの場所があり、農耕の安定や水流の氾濫のないよう祈りの場所が多い。



彫り物の美しい雨宮龍神社の本殿の近くには御神木と共に、船の形をした磐座が祀られていて、ここにも岩船の信仰が確認出来ます。
この雨宮龍神社の本殿が祀られている場所は本日3つ目の山頂になる瓜生山(標高300m)になります。



雨宮龍神社が山の中間点となり、これまでは能登川側からは雨宮龍神社、安土側からは繖山山頂が折り返し点としていましたが、今回はこの先の地獄越えへ進みます。
「地獄越え」とは、戦国時代に織田信長に攻められ観音寺城が落城したおり、六角氏の落人でこの谷は地獄のようになったことよるものです。



この峠は、現在の石馬町から北須田町へ抜ける峠道にもなっているといい、峠には石仏地蔵が祀られています。
お地蔵さんには山中に生えていて鮮度の良いヤマツツジの花が奉られ、信仰の篤さを感じられます。



地獄越えから木段を登り下りしながら進むと、繖山が見えてきて最後の山頂が近づいてきます。
天気は良いのですが、気温はさほど上がらず、木漏れ日の尾根筋の何とも気持ちの良いこと。新緑に覆われた山の美しさも堪能できます。



登山道には何ヶ所も展望の良い場所がありますが、景色としてはこの岩の上が最高ではないでしょうか。
鏡のような水田と西の湖に伊庭内湖が見え、琵琶湖と湖西の山々を見ていると、いろんなことがプラス思考になります。



これまでと違って反対側から登ってきたので危うく通り過ぎてしまうところでしたが、本日4つ目の山頂・繖山(標高432.5m)に到着。
ここで出会った方に登山のことや山や花情報を教えて頂き、直近1~2カ月の登山情報の参考になりました。



繖山の二等三角点もタッチはしませんが、パチリだけしておきます。
これで縦走は完了ですが、さてどこから下山しようか。安土側にさえ下りたら少々のロード歩きは覚悟している。



まぁ時間もあるし観音正寺方向へ行ってみるとということで、繖山の山頂で出会った人と喋りながら歩いていきます。
この日はかなり変わった登山になって、途中で出会った方と喋りながらの登山となり、随分と雰囲気の違う山行となりました。



登山道は「ねずみ岩」の横に出て観音正寺の門の前まで来ましたが、この先の観音正寺も桑実寺も通行するだけでも拝観料がいるんですよね。
今回は参拝目的ではないので観音正寺の手前の石段を降りて下山することとします。
石段を降りた先は石寺町の日吉神社の本殿と参道で、石寺の日吉神社は観音正寺の守護神として近江坂本の日吉大社から勧請されたようです。



あまり気にしていなかったのですが、石寺町から安土駅に行くには山麓を迂回していかないといけないようで、4~5㌔のロード歩きとなりました。
長閑な田圃道を歩きながら振り返れば繖山の長~い山並みが見える。ここからだと観音寺山城跡の大石垣なんかも見えます。



延々と歩くウォーキングでやっと安土駅にやってきました。
半分半分で何度も登った山でしたが、これで一気通貫の縦走完了です。

山行は電車を使うのも一つの手かと思いましたが、バス利用で行くのもありかなとも思います。
でもバスの山行って本数がなさそうだし、最終も早かったして乗り遅れたら...。




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初マラソンを快走!?~奥びわ湖健康マラソン~

2024-05-20 17:25:25 | 風景・イベント・グルメ
 人の趣味趣向というのは時に信じられないような変化があるようで、ランニングを始めることになろうとは1年前の自分が知ったらさぞやビックリすることでしょう。
一定の距離を走るなんてのは高校の体育の時間以来だし、山登りを始めるまでは歩くのもあまり好きではなかったのにも関わらず走り出したのです。

走り始めた頃は数百mも走れずの状態でしたが、少しづつ走れる距離を伸ばしていって、5㌔とか3㌔のコースを設定して週に何度か走っています。
5㌔なら安定して走れるようになりましたので、5㌔コースが設定されている「奥びわ湖健康マラソン」が初マラソンのデビュー戦です。



「奥びわ湖健康マラソン」は3コースあり、15㌔コースに約1500名・5㌔コースに400名少々・1.5㌔に200名弱の方、計2000名以上がエントリーされています。
当方がエントリーしたのは5㌔コースで、これが今の実力レベルでは精一杯です。

開催場所はJR永原駅の近くの長浜市役所西浅井支所で、とってもローカルな駅近くの施設からのスタートとなります。
JRの運行本数がとても少ないので車で現地に向かいましたが、会場が近くなると道路が渋滞してきて他府県ナンバーの車も多い。



会場に到着すると初めてのマラソン大会の雰囲気に緊張感とワクワク感を感じつつ、スタートとゴールを確認します。
このところ夏日が続いていたので暑さとも戦わなけらばならないかと思っていましたが、幸い曇り空で気温が上がらずコンデションはまぁまぁです。



フィニッシュはゴールと書かれたエアアーチを通り抜け、両脇に人がが並ぶ直線コースを駆抜けることになる。
タイムとか順位とかは関係のないレースなので、自分の力を試しつつ走ることを楽しみたいな。



開会式での浅見長浜市長の挨拶と、横に並ぶは「スポレク滋賀2008」のマスコットのキャッフィーと2025年に滋賀県で開催される国体のマスコット「チャッフィー」。
開会式が始まる前は出場前のランナーたちが列を作って、ビワコオオナマズのマスコット・キャラクターたちと記念撮影をされていましたよ。



発走はまず15㌔レースからですが、1500名ものランナーが走るとスタートラインに並ぶまでが大変です。
15㌔レースだけスタートが別の場所になっているので1500名のランナー大移動が始まります。



ところで、当方が走ろうと思った一つの要因は、山行をしている時にトレイルランニングの人を何度か見かけ、カッコ良いなと思ったことが始まりです。
トレランをするにはまず平地で10Km走れる事が必要と言われますので、走り始めたのが最初です。

決めた距離を走れるようになってくると、次は時間を縮めることに関心が移ってきて購入したのが「オン(ON)」のシューズのクラウドモンスターです。
ホカオネオネのシューズかONのシューズかで迷いましたが、履き心地が良かったONの方を購入。(価格は2つとも同じくらい)
ONはスイスのシューズメーカーで、この靴を履き始めてから1Kmあたり30~45秒くらい早く走れるようになりましたよ。



...ということで当方が走った5㌔コースは、序盤は人の渦に囲まれてスローペースでしたが徐々にペースを上げていく。
ペースの上下はあったものの、最終的には練習での最高タイムに1秒及ばなかったものの、たいへん満足できる結果となりました。

初経験で困ったのはエイドでの給水で、走りながら飲み物を飲むのはなかなか難しく、これは慣れが必要ですね。
ただ途中の集落内では、家の前で観戦して励ましの声を掛けて下さる方々(主におばぁちゃんたち)が多数おられ、これは心強かった。
下は参加賞のタオルです。



記念に購入したのは奥びわ湖健康マラソンのオリジナルTシャツです。
スピードは遅いながらもとても気持ち良く楽しく走ることが出来ました。
来年の大会にはこのTシャツを着て走ろう!

 


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鳥越峠から彼方に白山が見えた!

2024-05-19 15:00:00 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 そろそろ山は夏鳥でにぎわっているかと思い、車で鳥越峠まで林道を登ってみました。
標高が高くなるに従って、ツツドリやホトトギスの声が聞こえていたものの、姿は見えずで越夏する小鳥の気配も薄い。

峠からこの日は白山と思われる山がよく見えていたのが収穫でしょうか。
何度も訪れてたり越えたりしてきた鳥越林道ですが、これだけ見えていたのは初めてです。



山は手前から涌谷山(1,079m)、蕎麦粒山(1,297m)、能郷白山(1,617 m)でその奥のゼブラ状に残雪があるのが白山(2,702m)でしょうか。
この方向にある山は、登ったことのない山ばかりなので位置関係はよく分からない。



鳥越峠から金糞山に登る登山口の駐車場は、満車で路肩にも数台の車が停まっていましたので金糞岳や白倉岳の人気の高さが伺えます。
野鳥や昆虫や生き物を目当てに何度も訪れた林道で、山の紅葉の時期も美しい山で、今の季節はタニウツギが花盛りです。



一頭だけアサギマダラがタニウツギの近くを飛んでいましたが、そのまま高い所に飛んで行く。
雪の多い年だと日陰の谷間に残雪が見られたりしますが、今年は雪が少なかったので残雪は全く見られず、その分、残雪の残る白山が印象に残ります。


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小谷城址散策と小谷山登山!~下山はランで下りる~

2024-05-13 17:28:15 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 小谷城は戦国時代に近江国を治めた浅井三代(亮政・久政・長政)が本拠とした城で戦国時代の堅固な山城として知られます。
小谷城は日本五大山城(戦国五大山城)のひとつに数えられ、他には春日山城・七尾城・観音寺城・月山富田城が数えられている。

しかし、小谷城は1573年に織田信長と浅井長政との間で行われた「小谷城の戦い」で落城してしまい、長政とお市の方の悲劇の舞台とされます。
三代目の浅井長政と信長の妹・お市の間に生まれた浅井三姉妹は、歴史ドラマに何度も登場しますし、豊臣家と徳川家の覇権争いにも深く関わりました。



近江国は、小谷城の浅井氏滅亡後に長浜城を居城とした羽柴秀吉が納め、その後城主は変わりながら大坂の陣の後に彦根城(井伊藩)へと支配が移ります。
支配者の居城が遷されるたびに資材なども移されたようですが、土塁・曲輪・石垣などが遺構として残っており、城跡ファンが訪れる場所となっています。
長浜観光協会では5月のGWや11月の休みの日に「番所」までのシャトルバスの運行があり、城址はにぎわいをみせます。



シャトルバスの運行がなくても城址へ行くことは出来ますが、バスの運行があるとついバスに乗って小谷山へ行ってしまいます。
小谷山は標高495mと登るのに適当な高さの低山ですが、熊出没の噂のある山で、あちこちに「熊注意!」の看板があるので薄気味悪い。
バスの運行で人が増えていれば熊は出たくても出てこれないだろう、と安心して登れそうということもあります。



始発から満席となったバスで「番所跡」まで行き、そこから先は城址の散策になります。
「本丸」まで行って折り返す方も居られれば、小谷山の山頂になる大嶽城跡まで行く方もあって山中は何ともにぎやかなことになります。
小谷城ののぼりのある最初のポイントからは、虎御前山や山本山、琵琶湖と竹生島の景色が見られます。



かつて「黒鉄御門」があった場所には今も両側の巨石と石段の一部が残り、在りし日の姿を留めています。
黒金御門の先には千畳敷とも呼ばれる巨大な曲輪(大広間跡)があり、その先は小谷城の本丸跡へと続きます。



小谷城址では拡張現実(AR)でかつての姿を見ることができ、黒鉄御門もARで見ると下の写真のようになります。
近年、観光地でARを導入しているところがありますが、往年の姿を想像させるにはとても効果のある技術だと思います。



浅井家の家臣の供養塔などがある「桜馬場跡」には、小谷城の戦いの際に織田信長軍が陣取っていた虎御前山を見るお市の方と三姉妹の姿がARで再現されています。
戦国時代とはいえ、実の兄に攻められて亭主が亡くなり、お家が滅亡していくお市の心境は心苦しいものがあったことでしょう。
歴史にIFはありませんが、もし金ヶ崎の戦いで長政が信長を裏切らなかったら歴史はどう変わっていたのでしょうか。



小谷城の中心であった「本丸跡」にはまだ一部石垣が残っています。
本丸は、南北40m×東西25mの規模がだったとされ、上下二段から成り立ち、二層天守が築かれていたとの説もあります。



ARで再現された天守は戦国時代の山城とは思えないほど立派なもので、当時の浅井氏の繁栄ぶりが分かります。
本丸の北側には巨大な堀切があり、その上には中丸・京極丸・小丸・山王丸と続きます。



山王丸の正面は石垣が崩れており、時の経過によって崩れたのでしょうか?それとも落城時に打ち壊されたのでしょうか?
実際のところは分かりませんが、戦いの傷跡を感じさせる遺構です。



ここから右に回り込んだ道を進むと「大石垣」という壮大な石垣を目にすることになります。
高さは約5mあるといい、規模では本丸を上回り、一説では浅井氏はこれらの石垣を権力の象徴として戦国大名になっていったといいます。



小谷城址に訪れた人は、本丸までで折り返す人・山王丸で折り返す人がいますが、ここから六坊跡を経て小谷山の山頂になる大嶽城跡までは道が明らかに変わります。
ここまでは城址の中を歩く緩やかな道でしたが、ここからは登山道になり、一旦六坊跡まで下って、鞍部を経て山頂までの約500mほどは長く急な木段を登ります。
谷の向こうに山頂らしきが見えてきますが、あそこは山頂ではなく山頂はさらに向こう側になるようです。



まずは六坊跡のある鞍部まで急坂を下ります。
岩が剥き出しになっている場所もあり、急坂にはロープ場もあります。



山頂まで約500m登る木段です。
一部は段差が高くなっていて登りにくく汗が吹き出してきますが、あと〇mの標示が何ヶ所かにあり、気を紛らわせながら登る。



木段の途中に岩尾という休憩スポットがあり、そこから見る景色は素晴らしい。
左には伊吹山が聳え、物部守屋伝説が残り冬の野鳥の観察場所でもある西池、姉川の戦いで信長軍が陣取った横山城址も見えます。



汗をいっぱいかきながら木段を登って小谷山の山頂となる大嶽城址(495m)へ到着。
広い山頂部には何組かの方が休憩中で、陽射しの良さと緩やかな風にゆられる、ゆっくりとした時間を過ごされています。





山頂からは山本山と琵琶湖に浮かぶ竹生島。奥に見える半島は葛籠尾崎でしょうか。
なんか年中山の上から琵琶湖を眺めているような気がします。



これで下山となりますが、このまま普通に下山するとシャトルバスが昼休みで運行がなくなり時間待ちが長くなってしまいます。
歩いて下山も出来ますが、往復料金の券なのにバスに乗れないのもつまらないので、バスの時間に間に合うように走って下山します。

バスの発車時間まで40分足らず。
軽く走って下りたら25分で着いてしまい、今度は逆にバスの到着時間待ちになってしまったという落ちが付きました。




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春のシギチの仲間たち~田圃に下り立つ野鳥たち~

2024-05-10 06:33:33 | 野鳥
 毎年、春と秋になると通称「シギチ」と呼ばれるシギ・チドリ類の野鳥がやってきて、田植え前後の水田に下り立ちます。
シギチの大半は渡り鳥で、春に繁殖地(ロシア・アラスカなどの北極圏)に移動し、秋には越冬地(東南アジア等)に移動する鳥です。

日本には中継地として一時的に立ち寄り、海辺の海岸や干潟などに飛来しますが、淡水の琵琶湖や水田で一時を過ごすシギチもいます。
シギチはカラフルな色合いの鳥は稀ですが、クチバシや足など特徴のある姿の種類が多く、バーダーの春の楽しみになっています。



まず最初に見つけたのはセイタカシギの番です。
ピンク色の長い足に特徴があり、スラッとした姿で優雅にエサを捕る姿から「水辺の貴婦人」と呼ばれるセイタカシギ科の鳥です。



背面の羽の色が片方は黒色で、もう一方は褐色がかっているので普通に見ると番ということになりそうです。
2羽のピントをそれぞれに合わせて撮ってみました。



次に遭遇したのはアオアシシギが1羽。
以前は水田に数羽が入っている姿を見かけましたが、周辺に仲間は以内でしたので単独で過ごしているようです。



複数のアオアシシギが水田でエサ取りしている時に見かけると、白っぽいお腹がよく目立つ鳥です。
アオアシシギは渡りの鳥ですが、過去に真夏に見かけたことがありましたので、定住して越夏する個体もいるようですね。



当方がシギチの楽しみを知った頃、ベテランのバーダーから“数年前に比べたら数も種類も減った”とよく聞きました。
それから年月を経た今感じているのは、この何年かで飛来するシギチの数も種類も増々減ってきているなぁ~です。
以前は春のシギチ20種にあと僅かとか、数十・数百の群れなんてことがあったのですけどね。



コチドリ(チドリ科)は留鳥だと思いますが、ケリ(チドリ科)と一緒にカウントしておきます。
湖北のシギチが減ったのは部分的な話ではなく、気候の変動や繁殖地・越冬地の開発など全体的な問題があるのかもしれません。





例年、春のシギチ祭りの時はどこへ行ってもチュウシャクシギに出会うのですが、この日は中々出会うことが出来ませんでした。
過去には他のシギチはいなくてもチュウシャクは居る、とかチュウシャクばっかで撮るのをやめたなんてこともあったにも関わらずです。



でも、居ましたよ!
まず2羽を見つけ、その後に6羽のグループを発見!
飛ばれてしまったのでちょっとお遊びカットでホップ!



水面に足は着いていないけどステップ!



田圃の水面すれすれをジャンプ!



そして着地!



ちょっと目を凝らせば、田植えが終わったばかりの田圃にこんな面白いクチバシをした鳥が普通に過ごしています。
少し数も種類も寂しいかぁと感じることはありますが、湖北の田圃に下り立つ鳥たちに楽しませてもらいました。




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