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エッセイを綴るぞっ!

遥かなるラグーサへの道12 花の都フィレンツェ

2007-02-15 10:29:10 | 連載もの 遙かなるラグーサへの道

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 フィレンツェはとても活気のある街だ。
 どんなに狭い路地にも、車やバイク(スクーター多し)が入り込んでくる。路上には行き交う人々がたくさんいる。
 シチリアの首都パレルモも活気に満ちあふれていたけど、それとは少々おもむきが違うようだ。
 では、どこが違うのか。


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額縁風景その1
ラグーサにて


 ええと、そうだなあー。
 東南アジアや南アメリカの街中の映像を、テレビで見ることがありますね。
 人々が、やたらと通りにいるとは思いませんか?
 通行のために通りにいるのではなくて、立ち話をしたり、ぼうっと風景を眺めたりしている。
 あまつさえ、飯を食っていたりする。
 パレルモは、そういう風景と似ていたのであります。
 山上の都市ラグーサもそうだった。夜の七時頃、夕食を食べるためにホテルを出てみると、通りには人々が溢れていた。


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額縁風景その2
タオルミーナにて


“人々が溢れる”という言葉を、ワタクシは何気なく使いましたが、本当に溢れていたんです。
「すわ政変か革命か!」と思うくらいに、みんな外に出ているんであります。
 しかし政変の割には人々に緊張感がない。非常に騒々しいが、統一感というものがない。みんなばらばらに話をしている。
 あとで分かったのだけれど、イタリアの人は、家にこもっているよりも外にいることが多いそうです。
 そして顔なじみと話をする。話をするのに、ともかく路上に出てきて、ずーっと立ち話をしている。


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額縁風景その3
パレルモ郊外、モンレアーレにて


 ここで話をフィレンツェに戻すけれど、フィレンツェはともかく観光客が多い。上を向いてふらふらしている人が、そこら中にいる(僕も含まれるけど)。
 地元の人々はというと、何かしらの目的を持ってテキパキと歩いている。
 だから、パレルモやラグーサみたいに、やたらと地元の人が溢れているわけではないのであります。
 ソフィスティケイトされていると言ってもいいかもしれない。
 ここで僕は、ブログ人の粋人であるalbero4さんに会いたかったのだけど、スケジュールの都合で会えなかった。
 会えなかったのだけど、なぜか彼女のパートナーであるビリーとチッチーノには会えたのだ。
 不思議な話ではある。
 そして、イタリア旅行の最終日。
 ローマ行きのユーロスターを予約してあったのだが、これがえらいことになったのであります。



 つづく
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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
フィレンツェはイタリア人にとっても、ちょっと異... (cipciap)
2007-02-15 11:11:30
いまや外国人、ツーリストの割合のほうが多いんじゃないかと思うくらい。
夫はフィレンツェ・ランドと言います。
(ディズニーランドみたいなので。行った事ないのに。)

南のほうは、多分こういうシチリアみたいな感じが多いのかなぁ。
北のほうはまた違うんでしょうね。
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cipciapどの (ハヤト)
2007-02-15 11:45:56
そうかそうか。ランドとはうまい表現ですな。
街中はすべて観光地みたいだもんなあ。
“イタリア”とひと言で言っても、地域によって人柄や文化が全然違うよね。
返信する
そんなフィレンツェが大好きです。 (albero4)
2007-02-20 11:37:11
暮らしてみると不都合も不具合も
すべて受け入れて
「居心地よい」と感じてしまうのです。

そんな街で本当はいろいろとマニアックな探検に
一緒に繰り出したかったのですが、残念。
ビリーとチッチーノはかなり満足だったようなんですけど(笑)。

いつかきっと
この不思議なテーマパークのような街を
一緒に探検しましょう。
返信する
albero4どの (ハヤト)
2007-02-20 22:11:08
>暮らしてみると不都合も不具合も
すべて受け入れて
「居心地よい」と感じてしまうのです。

うーん、納得ですな。清濁合わせて飲み込んでいるのだ。
ましてや旅人のココロは気紛れ。初めて出会った人の印象が良ければ、何があってもそこが大好きになる。

マニアックな探検、心惹かれますなー。
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