冬になると、少し現実的になる。そんなことを、さっき、ふと思った。
それは例えば、秋の切なさは、悲しい思いをした自分を哀れんで切くなる、というような歪んだ自意識なのかもしれない。それに対して冬の切なさは、子供がうんと寒がっているのに灯油を買う金がないとか、雨が降っているのに傘がないとか、そういうことかも知れない。
冗談はともかく、気候が寒くなってくると、自分勝手な気持ちはだいぶ引っ込むのだ。そうして他人の好意や協力に、素直に感謝したりするようになる。少なくとも僕の場合。
先週はトーキョーに来ていたalbero4さんと遊ぶ機会を得た。彼女は仕事の関係でアントニオ・ガットとリカルド・ルーチというイタリア人を連れてきていて、そこにブログ仲間のあきこさんとまゆみーなさんも参加して、総勢6人で新宿の居酒屋で遊んだのだった。
宴の終わる頃、ガット・アントニオが
「ネコという漢字を書いてくれ」
と言った。ガットとはイタリア語で猫という意味らしい。僕は曇った窓硝子に大きく「猫」と書いた。ついでにリカルド・ルーチのルーチは光なので「光」も並べて書いた。
二人はなぜかその前でポーズを決めたので、厳かに記念撮影を行った。女性3人は、僕の「猫」の書き順が違っていると言って笑った。
日曜日は別のブログ仲間、Noritanさんとお茶をした。上の画像は、彼がアメリカ土産に買ってきてくれたフォトフレーム兼コースター。
だいぶ前に、彼がこの商品を紹介した記事があって、そこに僕は「これはいいですね」とコメントしたことがあった。彼はそれを、ずっと忘れずにいてくれたのだ。
上の画像のなかで、左に見えているコラージュ風写真は、幼なじみでブログ仲間のマサル君が作った新型名刺。ちょっと切り抜いたら、このフレームにぴったりと収まった。
様々な人の好意によって、自分は生きているのだなあと、素直に思ったりして。特に今は、ブログという細くて目に見えない線でのつながりを、大事に思うのであります。いつか僕は恩返しが出来るのだろうか?
こういうことを感じさせる冬も、悪くないものですねぇ。
この記事は
『不埒な天国~Paradiso Irragionevole~』“Tornata a Firenze”
『walkup.sunnyday.jp』“探すの得意なんです”、“実家へ”
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