病院広報(はとはあと)評価支援情報

「はとはあと」は、市民の暮らしに必要な、誠実で適切な医療情報を評価し、支援することで参加施設の透明性と“信頼を高めます。

詩的表現だけで、理念(思考)は伝わるか

2018-09-07 11:34:58 | はとはあと最新情報
詩的表現だけで、理念(思考)は伝わるか

「心のこもった医療」というのは、どんな医療だろうか。心のこもった「言葉」ならわかるような気がするが、心のこもった医療とはどんな色、どんな姿をしているのだろうか。人は感情という生き物を抱えていて、これが動き出すと、すべてが引きつられていくのだ。心のこもった医療そのものは見えないが、その姿が示す動きには、あたかも心自体が付き添っているようだという意味にとれるとでも言いたいのかもしれない。日本語は「情」があっていいのだが、その分、曖昧なところがあり、文の目的によっては注意が必要である。

ましてその表現が、病院の理念を示すためであったりすると、困ってしまう。心を込めておこなう医療サービスというのはいいが、目に見えない心ばかりを強調する医療では、それでいいのかという不安が頭を持ち上げる。つまり医療が医療たる所以は、医療の科学性に裏付けされた専門性、その道筋を外さない、いわばその純粋な質であり、なんとしても譲れない部分であるはずだ。しかし、それが医療経営という視点となると、俄然違ってくる。顧客第一の目線となり、それが”カミサマ”にに繋がってしまうので、怖い。

とはいえ、何をするにも心を込めてすることは尊いこと。何の批判にも当たらないはずだとも言える。心を集中させてことに当たるのは、仕事の基本、それこそ心構えということになる。もうそれは気合の話のようになるが、神経が集中できるので、間違いのない仕事にもつながる。でも、それでもやっぱりなんかヘン!心で浮かれている場合ではない。医療現場の使命は、医学の実践であり、求めるべきは“成果”なのである。心身の正常化技術に国家の価格がついている。心ばかりで済ませるのは詐欺行為に等しいのではないか。

しかし、困ったことに時代は変わりつつある。心をこめて仕事をしても、“成果”が上がらなければ評価されない。風潮ではなく現実的な時代の変化だ。情緒性などなんの役にもたたないという価値観が増加しつつある。究極の理念は、経済性の達成指標これのみになりつつある。ましてや世界中にデジタルシステムがさらなる拍車をかけてくる。やはり医療も“感情サービス”? 利用者の「ご満足指標」がすべてを語る。なんでもいいから「心をこめて」を感じてもらって、アンケートに○がつけば、収まりのつく成果となってしまう。

「心のこもった医療」を謳う理念は、各地の病院経営に見られるが、これは表現能力の問題として考えることができる。この言葉に接する立場からいえば、どうしてそのような表現が可能なのか聞きたくなってしまうが、それを問うとほど暇はないとして、見て見ぬふりが通っている。本当に心がこもっているなら、こんな表現は使わないのが大人の世界・・という具合である。当院の利用者が何を求めているか。2歩も3歩も先をゆく市民の暮らしの真実を見つめ、心に伝わる医療文化と感性がほしい。mitameya 180907


HISフォーラム2018にご参加ください

全国病院広報の優秀事例の発表・審査と記念講演に加え、
先進の病院広報誌の展示を行います。
日時:10月21 日(土)午後
会場:京都・聖護院御殿荘ホール
先着順受付

参加申込など詳しくは、http://www.j-his.jp/ または事務局075-741-8219まで。



HIS経営につながる「見ること」の感性を

2018-09-02 18:37:47 | はとはあと最新情報
HIS経営につながる「見ること」の感性

先週エル・おおさかで、197回となるPL実践講座を開いた。少人数の受講だったが、返ってそれがよかった。内容はホームページの解析についての基礎知識を理解するものであった。いわゆる効果的サイトづくりに欠かせないアナリシスの進め方や仕組みを会得するよい機会となった。今や病院のホームページは、広報だけでなく、地域医療の進展や重要人材育成にも欠かさないメディア性を高めている。また、目に見えない無形の価値としての医療・介護の価値や成果のマネジメントにも欠かせないツールでもある。

その朝、京都新聞朝刊に元NHKアナウンサーであった作家下重暁子さんのインタビュー記事が目に止まった。新刊「極上の孤独」が注目を浴びているという。そこで拾った情報とは、人が世の中とつながる方法は二つあるという。一つは、自分のことから目を背けず、嫌なことにも付き合う。いま一つは、外に目を向けて、そこで得た情報を自分と突き合わせて考えるのだそうだ。言いかえれば、現実に照らして自分を把握する。つまりここには数値データではないが、客観的に自己を把握するアナリシスの姿勢情報として見ることができる。

下重さんは戦前生まれ、子供時代は、友人もなく一人で自然と触れ合うしかなかったが、あちこちにクモが張るクモの巣を見て、ジッと獲物が網に掛かるのを待つことで得る知恵を付けたという。ジッと待つという精神的エレルギーが、ある種の品格を育ててくれたのだと話している。診断・治療という医療サービスの最前線においても、サイトや広報誌での働きかけや諸サービスにより利用者を確保するという知恵もあるが、必要な体制を具備しつつも、「待つ」という(売り込まない)姿勢や品格も忘れてはならないのではないか。

自分とは「ありのままの自分」とともに、「あるべき自分」を考える時がある。ありのまま自由な自分でいたいと考えていても、身をおく社会や組織の中では、そうは行かない。あるべき自分の主体的な活躍が周囲から望まれる。それに応えることがその人の存在価値であり存在理由となる。つまりこれは、主体的なアイデンティティの確立に繋がっていく。またジッと待つという状況を判断して対応する品格は、ホスピタリティということができる。人が協働するために最も必要なマインド、他者へのおもてなしを超えて組織の成果に結び付く思考である。

これらの精神性は、組織と個人が常に共振し共鳴することで、社会に受け入れられていく。必要な経営の根幹である経営戦略の達成には、今述べてきた精神に加え、もっぱら筋力に価する「組織」や「仕組み」が連動することが必要になる。その相互作用が機能してこそ、私たちHIS(Hospitality・Identity・System)の3概念のリンクによるインクルーシブな医療機能となり、相互の効果的な連携・分散を実現、社会性の豊かな仕組みとなりうると考える。そのヒントと可能性は、それぞれの現場の足下に落ちている。まず「見る」ことから始めよう。mitameya

写真は、夏の黄昏、鴨川の川床が見える京都の三条大橋。
西詰のスターバックスにも川床ができている。