見ることは、生きること。命の感覚そのものである
見る・視る・観る・看る・診る。多くは人の目を通して行う人体の掌握機能である。ぼんやりと全体視するときもあれば、部分を取り出して詳細を分析することもある。残念なことにそれは、そこに存在する全てを把握するという程のものではない。むしろ気ままに、見たいもの見るという傾向が強く、また保守的で過去に見たもの・見えたものに拘りがある。その後の自らの行動に大きく影響を与えるところが問題でもあるが、人の目は、要するにこの人間社会の基底となっている。目でなく手でもなく、全身をから見えるものは見えるのだ。
たとえば、過去の経験によって得られたデータ・記憶に照らし合せて、今後とるべき行動基準を作成するなどということ自体は、特別に斬新なわけではない。数字でない概要などを、全体に平らな傾向などを基準にして考えていくことは、新しい感覚につながらないだろうか。人心を惹きつけていくような斬新な感動のためには、それを纏める脳神経が対応していなければならない。しかし、一般には、見ることは、分析的であり、他と見分けることで自立している。過去に見た記憶や経験が、現在を決めているのだ。
我々は、脳内や神経に蓄えられたイメージ・印象・閃き・連想は、「夢を見る」というようにそのとき瞼に浮かび上がる不確かで一瞬の絵空のように捉えがちだ。だが、例えば意識レベルによる印象のアンケートによりデジタル的に処理した場合、どのようにも考えることができる。つまり過去の経験値が自らにとって、たまたま最悪を示していれば、それを覆すことはかなり困難となる。ここに個人差やバイヤスがかかれば、生産的な判断は、そのデータに左右されて困難となる。多面的な印象調査は、それらの要素を拾いきれるかが問題である。
特別な人の話を聞くときや、初めて入って見ようかと考えるレストランでは、事前の印象に工夫、というより相手側の好みや考えが強くなりがちで、具体的なイメージにも独自の配慮がされていることが多い。だが、どんな場合であれ固定的な印象をもつのではなく、それこそ“白紙”でいくほうがいい。気構えたり期待していくと失望につながりかねない。お互いに見てきた世界が違うと、見て欲しい印象と見た目に差ができて失敗する。よいイメージは、決して演出するのではなく、本質に触れ時間をかけて“仕組むこと”が最も重要である。
見るとは、ただ見る・見えるという効用の次元ではなく、また、正確さを追求する機能の面だけではない。自動車で言えばまさしくフロントガラスの存在である。部分を詳しく見ることから、全体を見抜いて自と他を把握する。その質を見分ける動きや変化を捉える。推測し思考し統合するなど、知性の多くを担うのが目である。見ることは命。まさに生きることに等しい。よく見ること。気をふんだんに注いで視ることで人生や社会の質をあげる。ただ、聞くことも、触れることも、そして話すことも、すべては「見ること」であらねばならない。mitameya
HISからお知らせとご案内
〜病院広報&広報誌の成果コンテスト〜
BHI賞(広報事例)・BHIデザイン賞(広報誌)受付開始 !
いずれも7月末日が応募締切日(先着順受付)です。
発表/表彰:10月27日(土)午後 会場/京都・聖護院御殿荘ホール
詳しくはhppt://www.j-his.jp/をチェックしてください。
案内資料は電話075-741-8219 または info-his@j-his.jp でも受け付けます。
見る・視る・観る・看る・診る。多くは人の目を通して行う人体の掌握機能である。ぼんやりと全体視するときもあれば、部分を取り出して詳細を分析することもある。残念なことにそれは、そこに存在する全てを把握するという程のものではない。むしろ気ままに、見たいもの見るという傾向が強く、また保守的で過去に見たもの・見えたものに拘りがある。その後の自らの行動に大きく影響を与えるところが問題でもあるが、人の目は、要するにこの人間社会の基底となっている。目でなく手でもなく、全身をから見えるものは見えるのだ。
たとえば、過去の経験によって得られたデータ・記憶に照らし合せて、今後とるべき行動基準を作成するなどということ自体は、特別に斬新なわけではない。数字でない概要などを、全体に平らな傾向などを基準にして考えていくことは、新しい感覚につながらないだろうか。人心を惹きつけていくような斬新な感動のためには、それを纏める脳神経が対応していなければならない。しかし、一般には、見ることは、分析的であり、他と見分けることで自立している。過去に見た記憶や経験が、現在を決めているのだ。
我々は、脳内や神経に蓄えられたイメージ・印象・閃き・連想は、「夢を見る」というようにそのとき瞼に浮かび上がる不確かで一瞬の絵空のように捉えがちだ。だが、例えば意識レベルによる印象のアンケートによりデジタル的に処理した場合、どのようにも考えることができる。つまり過去の経験値が自らにとって、たまたま最悪を示していれば、それを覆すことはかなり困難となる。ここに個人差やバイヤスがかかれば、生産的な判断は、そのデータに左右されて困難となる。多面的な印象調査は、それらの要素を拾いきれるかが問題である。
特別な人の話を聞くときや、初めて入って見ようかと考えるレストランでは、事前の印象に工夫、というより相手側の好みや考えが強くなりがちで、具体的なイメージにも独自の配慮がされていることが多い。だが、どんな場合であれ固定的な印象をもつのではなく、それこそ“白紙”でいくほうがいい。気構えたり期待していくと失望につながりかねない。お互いに見てきた世界が違うと、見て欲しい印象と見た目に差ができて失敗する。よいイメージは、決して演出するのではなく、本質に触れ時間をかけて“仕組むこと”が最も重要である。
見るとは、ただ見る・見えるという効用の次元ではなく、また、正確さを追求する機能の面だけではない。自動車で言えばまさしくフロントガラスの存在である。部分を詳しく見ることから、全体を見抜いて自と他を把握する。その質を見分ける動きや変化を捉える。推測し思考し統合するなど、知性の多くを担うのが目である。見ることは命。まさに生きることに等しい。よく見ること。気をふんだんに注いで視ることで人生や社会の質をあげる。ただ、聞くことも、触れることも、そして話すことも、すべては「見ること」であらねばならない。mitameya
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