病院広報(はとはあと)評価支援情報

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病院広報「伝える」「聴く」「変わる」3原則

2012-09-16 08:41:57 | はとはあと最新情報

病院広報は、ヒトが主役の前向き社会参加

広報は、意見や立場の違う他者・社会との協働や協調をめざす包括的な対話コミュニケーションである。一方向の広告や放送、印刷物は、それだけでは双方向性は確保できず対話にならない。個人だけでなく、人と組織、組織と社会も広報という対話を繰り返して双方の共感、納得や利益を見出している。さまざまな組織・団体では、このような人間社会の原則を知り前向きに参加する仕組みとして「広報」という方法が活用される。

では、対話コミュニケーションを考えるとき、どんなことが必要になるのだろうか。広報というと「伝える」機能なり能力が問われるようだが、それには言葉や情報を、「記号のまま~相手に引き渡す」という印象があり、誤解のひとつとなってきた。院内の張り紙に書いて貼っておけば、それを「見ない方がわるい」などという理屈になりがちだが、それではあまりにも身勝手な感じ方だ。伝えたいという要望は、貼り紙を貼った側にあって、見る側に義務はない。

このためには、まず情報の受け手の立場、状況、能力などをよく理解・研究して、相手に「伝わるように~伝える」ことが重要である。それはまったくキャッチボールと同じで、投球には相手の捕球能力を知ることがいちばん大事なことである。「対話」においても同様で、キャッチャーは今、どんなボールを要求しているかを、常に把握してかかることが必要。双方の能力以上に、その相互理解の深さによってその出来はちがってくる。つまり「聴く」という姿勢と対応によってコミュニケーションの精度はいっそう高められる筈だ。

たとえば広報と同義語のようにいわれてきた「広報誌」は、あくまでも「伝える」ための媒体である。紙面にアンケートの質問を掲載し、その意見を集計するというのは、「聴く」姿勢によるものだが、役割は「聞く」だけである。広報誌で聴く作業には限界がありすぎる。そのほかに貼り紙・ポスターやパンフレット、広告などもそんな耳をもっていない。

 納得でサービスの質につなぐ病院広報

ではホームページはどうだろう。こちらも知識や情報を提供するという意味で「伝える」機能が中心である。もちろんアンケートやご意見箱のように「聞く」仕組み(モニタリング)として分析にも応用できるが、広報誌には負けないだろうが、納得や共感を引き出す「聴く」機能には限界がある。

「聴く」広報のために重要なポイント、それは「ヒト」によるモニタリングである。耳で要望を受け取るということでもあるが、耳や目でも「今その利用者が何を欲したか」という一瞬をモニターし、次回に生かすことこそ「サービスの本質」に迫る急所である。他者の立場に立てば、それは身を挺して聴いてくれたという高度な共感に結びつく可能性がある。医療の場において「聴く」という行為は、そのことを含むものでなければならないだろう。「広報」は広報担当者だけの仕事ではなく、「施設全体の機能として取り組むべきコミュニケーション」、というのはそのためである。

さて広報の原則、最後は、「変わる」あるいは「変える」ということである。相手に意識される・されないを別として、聴いた(話した)以上「変わる」ことがなければ、聴いた(話した)意味はない。読者はもうお分かりのとおり、( )内は相手の立場での表現である。言った・聴いたというレベルではなく、言わなくても(思っていただけで)、それが実現してしまう能力をめざすことが必要だろう。

くりかえすが広報は、双方向(対話)を進めるコミュニケーションであり、その「伝える」「聴く」「変わる」というプロセスを行き来して、社会・組織・個人の相互利益のために、つながりや絆を強くする役割を果たす。このように、人を軸(メディア)として高めた信頼やブランドを我々は「ヒトブランド」といっている。広報は、情報を伝えることに終始するものでなく、深く人的サービスの本質にもかかわっている。「いい病院には、いい事例がある」。11月3日、長野市でのHISフォーラムのキャッチ・コピーである。 

11月2・3日・長野市民病院/メルパルク長野


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