福井日銀総裁は即刻辞職せよ! 6月14日

日銀福井総裁の説明には、まったく説得力がない。むしろ、日銀総裁という立場の人物の、認識の甘さに驚くほどだ。総裁就任など予想できない時期の投資だと、多くの人が福井氏を擁護するが、総裁就任後もなお運用していた点と、量的緩和政策解除直前の2月に突然解約を申し入れている点とが、その説明が何ら説得力を持たないことを裏打ちする。結局は、元ライブドア堀江氏の逮捕が端緒となり、完全に検察の射程圏内に入った村上ファンド村上世彰氏の逮捕を十分に予測し得た2月、ついに手放すことを決断したのだ。1,000万円の資金は、2.5~3倍に膨れ上がり、丸儲けと言われても仕方がない。

当時富士通総研理事長だった福井氏は、直前までは日銀副総裁であったわけで、本来、李下に冠を正してはならない立場にあったはずだ。日銀総裁就任後の福井氏は、大銀行の不良債権処理を進めるためのゼロ金利の超低金利時代、多くの人々を銀行預金から株式投資に向けさせ、結局はその流れを自分の利益に直結させた。通常の定期預金なら年利0.1%、1999年からの7年間で10万円程度の金利しかつかないものを、福井総裁は村上ファンドを通じて、1,500万円~2,000万円もの利益を上げているのだ。公正中立であるべき中央銀行総裁のとるべき態度とは到底思えないし、この行為は、大銀行さえ儲かれば良いという福井氏の本音を、顕著に表すものだ。「世間からいささかなりとも疑念を抱かれることが予想される場合には、個人的利殖は慎まなければならない。」との日銀内規に、当然抵触する。

最も引っかかるのは、「富士通総研創設当時、通産官僚だった村上氏にお世話になり恩義を感じていた」との福井氏の発言だ。これは、通産官僚たる村上氏の職務権限にかかわることであれば、即ち、福井氏と村上氏とが明らかに贈収賄の関係にあったことを意味する以外の何ものでもない。福井氏は一刻も早く総裁を辞任し、社会的責任をとることが「筋」だ。

リクルート事件では未公開株を割り当てて多くの政官財の有力者たちに大きな利益を提供したが、村上ファンドは、政官財の有力者たちに、株の運用によって巨万の富を「贈賄」していた可能性が極めて濃厚だ。小泉総理が、何故、国会の会期延長をしないことに頑なにこだわり続けたのか、ここまでくるとはっきりする。堀江氏の逮捕以降十分に予測された村上世彰氏の逮捕は、政官財の重要人物たちを、次々と足もとから揺るがしかねない大問題だったのだ。

結局のところ小泉改革とは、政官財の癒着にメスを入れるどころか、政官財の有力者たちが金融システムの中でバリバリのインサイダー取引きを可能にするものだったのだ。就任当時の「自民党をぶっ壊す」との小泉総理の発言が、小泉政権5年間の表面上のメッキをなんとか支え続け、その裏で、竹中大臣を筆頭に規制緩和された金融市場でまさしくインサイダー取引きそのものが横行していたのだ。

強い者をより強くし、弱い者を斬り捨てる小泉構造改革は、決して真の改革ではない。小泉総理の辞任を直前にして、小泉政権下にインサイダーの耽溺に溺れた有名人たちが続々と失脚している。まやかし小泉改革の終焉だ。福井氏の日銀総裁としての最後の仕事は、中央銀行の中立と信頼とを死守するために、即刻辞職することしかない。強い者だけが得をする社会を、幸福な社会とは言えない。失われた小泉政権5年間は、国民に大きな禍根を残した。壊れた社会のセーフティネットを再構築するためには、政権交代しかもはや残る術はないのだ。

何年ぶりかに見た飛ぶ蛍の輝きは、世俗の荒廃への警鐘そのものだった。目先の利益や利権に惑わされない、高い志を持った人物こそ日本のトップリーダーにふさわしい。美しく輝く光だからこそ、蛍は愛される。日本も国民や周辺諸国そして世界の人々から心底信頼される、誇り高い優しい国家像を追い求めなければならないと、あらためて強く思う。
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「参加罪」の検討を示唆した朝日新聞 6月13日

5月末に行われた日本刑法学会の非公式な会合で、「捜査は供述に頼ることになる。幅広く身柄をとって弱い人をたたく捜査になる。1人が嘘を言うとそれをもとに全体のストーリーができ、冤罪が起きる危険がある。」と、「共謀罪」について警告した元検察官の弁護士がいたことを、朝日新聞が紹介している。想像以上の批判に、与党内でも政府案に疑問を持つ議員が続出し、与党と民主党とがともに修正案を提出したが、結局もとの政府案が継続審議(両修正案は廃案)となる「共謀罪」だが、問題は「共謀罪」の中身ばかりではなく、初めから「共謀罪」を押し付ける政府(外務省・法務省)の姿勢にある。

国連条約の趣旨によれば、本来なら「参加罪」についても、「共謀罪」とともに、どちらを選択するのかがまず議論されなければおかしい。初めから「参加罪」をまったく議論の対象からはずし国民と国会に説明もしない外務省・法務省の対応は、非常に不可解だ。一説には、「共謀罪」は米国からの要請・押し付けだという見解もあるくらい、実際、外務省や法務省の態度は説明責任を果たしているとは到底言えるものではない。

この先も政府が「共謀罪」にこだわるのなら、民主党は、「参加罪」についても同様に検討し、国民に対して選択肢を示さなければならない。G8各国でもドイツ・フランス・イタリア・ロシアは「参加罪」を選択しているわけで、議論もしないまま「参加罪」を斬り捨てることは、国民を無視した国会の怠慢だ。特に、これらの国々は、「参加罪」を選択しても条約のために国内法を変えていないという点が重要だ。更にG8各国の法制度を研究し、拙速に「共謀罪」に走らない姿勢が求められる。

辺野古の住民運動までもが罪の対象となるようにあらゆる市民団体等に対象が拡大する恐れのある「共謀罪」よりも、対象の団体を「指定暴力団」「国際テロ組織」「台湾マフィア」「蛇頭」などに法律で限定し、参加の段階で取り締まることによって組織犯罪を防止する「参加罪」のほうが、一般国民の安心は保証されるのではないか。国民の言論や思想・信条の自由を制約し、政府の方針を国民に強制することが法の趣旨ではないはずなのに、結果として「共謀罪」は、明らかに国民の言論と集会・結社の自由を侵害する。

国民の首を絞めるような法律を、何故、あえてつくらなければならないのか。やはり、米国の影がちらついて離れない。そもそも政府与党は、当初、「民主党案では条約を批准できない」と反論していたのに、与党は土壇場で民主党案の丸のみを提案してきた。つまり、政府与党の最初の主張は、まったくでたらめだったのだ。外務省・法務省の見解は、明らかに作為的で国会と国民とを欺くものだ。国連立法ガイドには、「条約が最優先ではない。国内法が優先する。」と明記してあるそうだ。朝日新聞も6月12日の朝刊で、「参加罪」の検討の余地を示した。ここは幅広い意見を受け入れ議論することが、立法府に課せられた責任であり使命だ。与党は、自民党総裁選にうつつを抜かしてばかりいるのではなく、もっと真摯に立法府の職責に向き合う必要がある。
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日本橋の景観5,000億円と世界の軍事費128兆円 6月12日

日本橋の景観を、首都高は確かに損ねている。しかし、だからといって、5,000億円もかけて首都高を移設することが正しい選択だとは思わない。日本橋の真上を首都高が走ることで具体的に被害を被っている人はいない。日本橋と首都高との位置関係を、どうしても許せない人は存在するかもしれないが、多くの人々にとって、首都高が日本橋の上を走ろうが下を走ろうが、殆ど関係のない問題だ。

にもかかわらず、5,000億円ものコストをかけて、首都高を地下に移設することにどんなメリットがあるのだろうか。できる限り歳出を削減して、年金や医療費などの社会保障を先細りさせることのないように必死になる一方で、今ある道路を景観という一点のみで否定し、新たに地下に道路を建設することは、まともな社会のまともな判断とはとても言い難い。

歳出の引き締めが度を超えると、参議院選挙にマイナスだと判断する与党だが、例えば、日本橋上空の首都高移設問題を国民投票にかければ、多くの良識ある国民は、移設は必要ないと判断するに違いない。道路の外観は我慢できても、そのために子ども達に巨額の借金を残すことは、無責任な大人による単なるわがままでしかない暴挙だからだ。こんなことで5,000億円もの税金を使う余裕があるのなら、即刻、子育て支援にまわすべきだ。

ストックホルム国際平和研究所の発表によると、2005年度の世界の軍事費は、前年比3.4%増の1兆1,180億ドル、日本円で128兆円にも達するそうだ。イラクなど対テロ戦争に莫大な経費を費やした米国が全体の約半分を占め、次いで英国・フランスが5%前後で続き、日本は約5兆円で第4位。5番目が中国で、2005年までの5年間で、中国の通常兵器輸入総額は世界最大の133億4,300万ドル。この10年間ほぼ毎年、前年度比10%の伸びを示すのが、中国の軍事費なのだ。

まずは、軍事費大国の5本の指に日本が位置することを、私たちは肝に銘ずるべきだ。膨大に軍事費を費やしても、まったく発展性はない。今、世界のトップリーダーがなすべきことは、地球上から貧困をなくし、限られた資源を保護し環境を守ることだ。米国が費やす莫大な軍事費は、地球を破壊することはあっても保護することはない。京都議定書も批准せず、地球環境を破壊する一方の米国の暴走に、本来、日本はブレーキをかけなければならない立場にある。しかし、現実には、米国の暴走のバックアップが日本の役回り。世界に胸をはって歩ける国家では、日本は決してないのだ。

日本橋上空の首都高移設費用と米国の暴走のバックアップは、いずれも小泉総理のムダ遣いだ。しかし、それらをはるかに超える最大のムダ遣いが、毎年膨れ上がる世界の軍事費だ。狭い地球で互いににらみ合っても、結局は共倒れするのがおちだ。中国は、通常兵器の輸入額が世界最大である一方で、スーダン・ネパール・ミャンマーなどに大量の武器を輸出して外貨を稼いでいる。名実共に軍事国家となった中国は、名実共に地球を破壊する国家であり、国の存在そのものが地球環境への脅威ともいえる存在だ。

互いの国々がにらみ合い勝負をかけるのは、今宵日本中が注目したサッカーワールドカップのようなスポーツの世界だけにしなければならない。負けた時こそ、得るものが多いのがスポーツだ。サッカー日本代表は、将来きっとはいあがる。しかし、戦争で打ちのめされた国々は、アフガンやパレスチナの例をみるまでもなく、簡単には復活しない。国々の闘いの場は、スポーツの世界に限定しなければならない。軍事費の抑制が、世界の大きな課題なのだ
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ケアマネジャーの独立 6月10日

ケアマネジャーの独立は、介護保険制度の本来の目的を実現させるためには欠くべからざる必要条件だ。現在のように、介護サービスを提供する事業所や施設に所属している以上、ケアマネジャーは所属する事業所の利益を最優先にケアプランを作成する。そのため、利用者の自立を促すよりも、むしろ介護サービスがなければ生活できない状態へと、利用者の介護度を後退させてしまうのだ。結局、介護ビジネスだけが潤い、自治体は、膨らむ介護費用に頭を悩ませることにもなる。

際限なく増大する医療費に歯止めをかけ、家族の介護負担を軽減するとして、2000年4月、鳴り物入りでスタートした介護保険制度は、ふたをあけてみれば、参入したサービス事業者が1円でも多くの利益を上げようとして、所属するケアマネジャーに不必要なケアプランを作成させ、結果的に、医療費とは別に、数兆円規模でのあらたな負担を社会に強いることとなった。まさに本末転倒。家庭での自立を夢見た高齢者の多くが、家族の都合もあって施設に追いやられ、途端に痴呆が進行する例は、介護保険制度がスタートして以降枚挙にいとまがない。

今年度、介護保険制度は見直され、「予防介護」に重点を置くという建前で、トレーニングマシーンを利用した筋力トレーニングがサービスに加わった。高齢者にとって、骨折はある意味命取りだ。若いときならいざ知らず、60代、70代の手習いで筋トレを始めても、果たして本当に予防介護につながるのだろうか。慣れない筋トレは、逆に捻挫や骨折を誘発する。そもそも、高齢者を対象として、筋トレという発想そのものに無理がある。筋トレの導入の恩恵にあずかったのは、筋トレマシーン業者やスポーツジムのインストラクター、所詮は官業癒着の構造がそこにはあるのだ。

一方、利用者と介護事業者との狭間にあって奔走させられるケアマネジャーの報酬は、依然として中途半端なままだ。要介護1,2なら1万円、要介護3,4,5なら1万3千円と、一律8,500円と比較すると引き上げられたように見えるが、ケアプランを作成する利用者の数を事実上39人以下に制限したことで、結局はせいぜい月額50万円が精一杯。事業所に所属していれば、報酬はこれをはるかに下回る。勿論、質の高いケアプランを実行するためには、頻繁な在宅訪問は欠かせない。50人・60人と、担当する利用者の数が増えれば増えるほど、サービスの質が低下することは目に見えている。しかし、人数を絞り利用者と真摯に向き合ったとしても、ケアマネジャーが独立できるだけの報酬が与えられない現状は、ケアマネジャーの手足を縛り、結局は所属する事業所に利益を誘導するケアプランを横行させ、結果的に制度の主人公であるはずの利用者に、大きなしわ寄せをもたらすことになるのだ。

高齢者が医療や介護のお世話になることなく元気なまま年を重ねていくことが、社会の理想であるはずだ。しかし、一部では、介護保険制度が創設当時の趣旨を逸脱し、むしろ利用者の自立を阻害するほどムダなサービスを提供していることも紛れもない事実なのだ。日本の医療や介護は、高齢者の真のニーズに応えていると言えるだろうか。たとえ看護や介護が必要な体であっても、精神が健康で文化的な生活を保障する医療であり介護でなければならないのだ。そのためには、介護保険制度のあり方そのものの道標となるケアマネジャーは、公平公正に利用者本位のケアプランを作成する立場になければならないのだ。

私は、地域に密着した郵便局や街角薬局こそ、ケアマネジャーが所属するのに最も効果的でふさわしい場所だと思う。現状のままでは、ケアマネジャーは、介護ビジネスの経営者にとっての打ち出の小槌でしかない。一刻も早く、ケアマネジャーの本分を存分に発揮できるための環境整備に、厚労省は取り組まなければならない。郵便局の再編・民営化にあたり、是非とも郵便局の居宅介護支援事業への参入を考慮すべきだと私は思う。
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シンドラーに発注した住宅公社 6月9日

「事故が起こるのは、保守点検の方法か、乗客の乗り方に問題がある」とのシンドラー社の見解は、あまりにも無責任で異常だ。しかし、シンドラーエレベーターの保守点検技能を有する人材がメンテナンスにあたっていたはずが、実際には、港区の住宅公社の事故機は、ブレーキを制御するブレーキパッドが磨耗し、緊急停止できない状況にあったことも事実だ。定期的に交換されるべき部品が、交換されぬまま放置された原因は、マニュアルの不備かメンテナンス会社の職務怠慢かのいずれかだ。

シンドラーエレベーターを発注した自治体は、単に価格だけが比較の対象だったのだろうか。安全性に関する調査を行わず採用を決定していたのだとすれば、自治体の責任も問われなければならない。更に、住宅公社の場合がそうであるように、殆どの自治体や国などの公共機関が、メンテナンス会社についても入札制度を導入している。その結果、本来期待されるべきメンテナンスが行われず、今回のような重大な事故を誘発させてしまったのだ。単に価格だけを選択の基準にした自治体や国などの公共機関の入札制度の在り方そのものにも、大きな問題があったと言える。責任の所在は、シンドラー社にとどまらない。

保守点検の不備が事故の原因だとするシンドラー社の主張は、シンドラー社のエレベーターが、そもそも、ドアが完全に閉まらぬまま動き出したり、人をはさんだまま動き出したりする可能性があるということを意味するものだ。世界中で続出するシンドラー製エレベーターのトラブルの状況を見ると、明らかにエレベーターの性能そのものにも問題があることが容易にうかがえる。シンドラーエレベーターは、紛れもない欠陥商品だ。世界シェア2位のシンドラー社が、製品のリコールに踏み切らない理由はただ一つ。自己の利益の追求だ。少年が犠牲になった港区の事案は、明らかにPL法の対象であり、耐震偽装問題同様に刑事訴追を免れるものではない。

いまだに謝罪の言葉を一言も発しないシンドラー社の本拠地は、永世中立国を標榜するスイスだ。しかしスイスには、北朝鮮に加担するプライベートバンキングが存在したり、米国政府要人へのインサイダーの疑いが濃厚なタミフルの製造メーカーであるロッシュが本社を置くなど、その片鱗をうかがわせる要素がある。最悪の事態を招きながら、メンテナンス会社に責任をなすりつけたり、「乗り方に問題がある」と耳を疑うような主張をするシンドラー社を、日本の法律は許さないはずだ。価格だけを指標とする公共機関の入札制度そのものも改めるとともに、少なくとも公共機関は、今後はシンドラー社を指名から除外すべきだ。

六本木ヒルズの回転ドアといい今回の事件といい、最悪の事態が発生しない限り、十分な安全対策は講じられない。エレベーターが危険なら当然エスカレーターも危険。特に公共機関は、安全面の再点検を早急に実施する必要がある。一方で公共機関は、入札制度自体を、あらためて見直さなければならない。都知事公舎に数百億円かけるくらいなら、高くても信頼のおけるエレベーターを選択すべきなのだ。一事が万事、税金は納税者の安心・安全のために使われなければならない。シンドラー社の姿勢は最悪だが、そのシンドラーを選んだ自治体にも、間違いなく大きな責任がある。愛すべき国家であるためには、今回のエレベーター事件に対して、公共機関が責任を回避するような態度をとっては、絶対にならないのだ。
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エゾシカが学校給食に! 6月8日

2005年7月に世界自然遺産に登録された知床が、今、大量発生するエゾ鹿に頭を痛めている。今月3日には、「知床科学委員会エゾシカワーキンググループ」の会合が開かれ、エゾ鹿の捕獲による密度捜査実験を行う「エゾシカ保護管理計画」の素案を了承した。今後環境省は、同委員会や地元住民への説明会を開き、2007年1月までに「保護管理計画」を策定し、2007年度から5年間にわたり計画を実行していく予定だ。

地元では、この大量発生するエゾ鹿を、BSE問題に揺れる牛肉の代用肉として、全国に発信し売り出そうとしているが、この程なんと釧路市教委で、エゾ鹿肉の学校給食への導入が決定した。第一弾として、コッペパンにタレ付きシカ肉とピーマンをはさんだ「焼肉ドック」が、今年10月お目見えする。その他に、カレー・ハンバーグ・酢豚ならぬ酢鹿が、給食のメニューとして検討されているそうだ。「肉が柔らかく牛肉のよう」「臭みがなく食べやすい」とは、試作に携わる栄養士の弁だ。釧路市教委は、調査捕鯨で取れたクジラの肉を献立に導入するなど、ユニークな食材を学校給食に導入することで知られている。

学校給食という形で、エゾ鹿が食肉として正式に導入されるにあたり、気になるのはやはり、狂鹿病(CWD)に対するリスクマネジメントだ。北海道庁の発表によると、独立行政法人「農業・生産系産業研究機構動物衛生研究所プリオン病研究センター」がウェスタンブロット法により検査した結果、検体全てにおいてBSEは陰性であったということだ。検査は、捕獲したエゾ鹿の延髄閂部で、平成15年度は127検体・平成16年度は11検体について行われた。これは即ち、食肉用に加工されるエゾ鹿については、牛のように全頭検査が実施されているわけではないことを示すものだ。

牛肉について日本の要請にまったく耳を傾けようとしない米国だが、実は米国では、BSEよりもCWDのほうが、より大きな社会問題として取り上げられている。BSE感染リスクが100万人に1人とされる米国で、なんと26名もの鹿ハンターがヤコブ病に感染したとの報告があるからだ。米国でのCWDに関する研究は熱心で、本年1月の「Science」誌にも次のような研究発表がなされている。「CWDに感染した鹿の骨格筋(通常、食肉にされる部分)に異常プリオンが存在する可能性があり、CWDのヒトへの伝播は定かではないが、CWD感染地域の鹿肉を食するハンターには感染のリスクがある」(農業情報研究所の資料による)。

CWDは、1970年に米国コロラド州で確認されて以降、米国・カナダで急速に拡大している。しかもCWDは、BSEよりも広範な組織に異常プリオンが分布する可能性が疑われており、米国でも、CWD感染鹿を、絶対に食してはならない旨の勧告がなされているのだ。しかし、現在までのところ、CWDがヒトに感染するか否かの科学的解明はなされておらず、それが食肉用に加工される鹿の全頭検査実施の妨げになっていることも、紛れもない事実なのだ。

翻ってエゾ鹿のリスクマネジメントを考える時、全体のほんの僅かの検体を検査しただけで、エゾ鹿がCWDフリーであると断定することは、到底できるものではない。特に日本では、その大半が北海道に集中して、既に27頭のBSE感染牛が発見されている事実を考慮すると、エゾ鹿のCWDリスクを払拭することは、とてもできないのだ。食品安全委員会プリオン専門調査会において、米国でのCWD感染鹿の肉骨粉が牛の飼料に混入するリスクについての検討はなされているが、CWDに関する独自調査がなされるはずもなく、CWDに対する同委員会の公式見解はいまだに発表されていないのが現状なのだ。

このような状況の中で、大量発生するエゾ鹿を学校給食に導入することは、果たして適切と言えるだろうか。少なくとも、学校給食用に加工されるエゾ鹿の全頭検査は、実施されなければならないはずだ。米国でも、CWDは野生の鹿に蔓延しているのだ。そして最も重要なことは、釧路市に対して、CWDのリスクマネジメントを、政府が適切に助言・勧告することだ。相手が米国ではないのだから、政府は十分にその指導力を発揮できるはずなのだから。

→CWD感染鹿の画像(BSE&食と感染症 つぶやきブログより)

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育児版「ケアプラン」の創設 6月7日

石川県の試みが興味深い。介護保険のケアプランならぬ、育児支援のためのケアプラン、さながら「チャイルド・ケアプラン」制度の創設だ。0歳から2歳までの未就園児を持つ家庭を対象に、介護保険のケアプラン同様に、1ヶ月単位で家庭の事情に応じた「チャイルド・ケアプラン」を作成し、子育て世代を支援する。プランを立てるケアマネジャーならぬコーディネーターは、県の養成講座を受講し「子育て支援コーディネーター」の認定を受けた保育士があたる。親の仕事や都合に合わせて、一時保育・子育て支援センター・保育ママ(幼児を自宅などで預かる有償ボランティア)などのサービスを組み合わせて、プランは作成される。

例えば、一時保育の場合、0歳児なら月4回まで、1~2歳児なら月8回までの利用が可能で、利用料金の1/2を県が補助するという。コーディネーターは、必要に応じて、育児サークルへの仲介や、自治体の保健師による訪問指導の調整を行う。サービスは今年の10月からスタートするが、介護保険とは異なり、プランの作成は無料だ。この制度が、本当に若い親たちを、子育てに関する不安やストレスから解消し、必要に応じて子育てから解放することができるのならば、子育て世代にとっては画期的な支援体制の構築ということになる。自治体が必要十分に子育て家庭にコミットすることは、例えば幼児虐待やネグレクトを、未然に防ぐことにもつながる。

ケアマネジャーの中立性が保たれていない介護保険制度は、介護産業の利益が最優先され、自立が促進されるどころか利用者はどっぷりと介護サービスに漬かり、結果的に膨らむ市場が保険料の引き上げを余儀なくさせるという悪循環に陥ってしまっている。チャイルド・ケアプランでは介護保険の轍を踏まぬよう、コーディネーターの中立性の確保が最大の課題となる。

有償ボランティアとして一時保育や育児相談にのるなど、この制度には潜在的なパートナーとして、団塊の世代の子育て経験者が大いに期待できる。団塊の世代の年金を保険料の形で負担する子育て世代への、目に見える対価として、年金受給者たる団塊の世代が子育てをサポートしていくことは、極めて理に叶った施策と言える。地域のニーズを体系的に捉えることは、自治体に課せられた責任でもあり、自治体にしかできないことでもある。子育て支援に地域の潜在力を活用することは、結果的に行政の無駄を省き、目指すべき「簡素な政府」へ向けての第一歩となる。

核家族化が当たり前のこんにちでは、子育てを地域全体でサポートしていくことが必要だ。何故なら、経済的にも社会的にも、決して親だけでは子育ては成立しないからだ。この先100兆円を超える年金を受給すると想定される団塊の世代が、子育て世代に有償ボランティアの形で貢献していくことは、子育てをバックアップするだけの十分な財源の確保に、欠くべからざる手段の一つとなる。高齢者施策と子育て施策とは、実は表裏一体なのだ。

団塊の世代の年金を十分に確保するためには、消費税を基礎年金の財源にすることは、もはや避けられない。しかし、団塊の世代は、いずれは自然減少する。その時、消費税を子育て支援にシフトすれば、子育て財源は十分に確保されるのだ。子育て世代が、社会から十分なバックアップを受けていると実感するためにも、子ども1人あたり毎月5万円の子育て手当ての支給が望ましい。チャイルド・ケアプランに、団塊の世代が有償ボランティアとして参加する仕組みをつくり、団塊の世代の年金財源を将来的には子育てにまわすことを国民の総意として、子育て財源を磐石なものにしなければならないのだ。チャイルド・ケアプランは、少子化対策において、まさにグッド・アイディアだ。石川県のアイディアを国は倣い、チャイルド・ケアプランが全国展開されることを、私は大いに期待したい。
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野菜と呼べない「野菜工場」の野菜 6月6日

光・温度・養分をコンピュータ制御して、室内で作物を育てる「野菜工場」が全国に広がっている。ハイテクグリーンハウスと呼ばれる野菜工場は、天候や虫に左右されるこれまでの泥にまみれた農業のイメージとは、180度異なるものだ。白衣で作業する農業者ならぬ作業員は、極端に言うと手も汚れない。昨今では、発光ダイオードを使用した完全制御型の野菜工場も登場している。

現在までのところ、主にレタス・サラダ菜・トマト・ハーブ類が主力商品だが、ブナシメジやエノキなどの茸類やカイワレは、以前からある「工場野菜」の一種だ。工場野菜の利点は、天候に左右されず、安定的に量産・出荷することが出来るという点だ。凶作のため野菜の価格が暴騰しても、コンピュータ制御で量産される工場野菜の価格は、変動することはない。光熱費が生産原価の3割にも及ぶため、平時の価格は露地ものの数割高から倍近いが、むしろ、凶作の場合には、工場野菜のほうが格段に安くなる。

キューピーやカゴメなど大手食品メーカーが、広大な土地を有する地方に、東京ドームの数倍もある巨大な野菜工場を手掛けているが、現段階では「野菜工場」の未来は未知数だ。後継者不足や低い食糧自給率など深刻な問題を抱える日本の農業にとって、「野菜工場」は活路を見出す突破口になると自負する事業主も居るが、茸類やカイワレがそうであるように、大量生産が供給過多を招き、価格破壊の悪循環に陥り、結果的に倒産する「野菜工場」が続出しはしないか、今から危惧する専門家もいる。

土を使わず、肥料を溶かした水で育てた採れたてのレタスは、歯ざわりが柔らかく苦味がないそうだ。旧川崎製鉄が20年以上も前から多角化の一貫で研究していた「工場野菜レタス」は、なんと28毛作が可能なのだという。日光を要しない室内栽培は、2階3階と増床していけば、単位面積あたりの生産性を、限りなく向上させることも可能だ。更に、ロボットを駆使することで、作業労働力の省力化と労働環境の改善を図ることができる。一方、栄養価に目を向けると、サラダ菜の場合、露地ものと比較して、工場野菜のカルシウムは7割弱、ビタミンCは約8割だ。

露地栽培よりも農薬が低減され、雑菌が排除された工場野菜は、ポジティブリスト制度の導入によって、需要に拍車がかかると言われている。確かに農薬の問題は回避することができても、日光にあたらない虫もつかない工場野菜を、本当に健康な食品と言えるのだろうか。工場野菜は、野菜の形をした単なるサプリメントにすぎないのではないか。大きな疑問が残る。「野菜工場」は農業ではないと、私は思う。工場野菜が今後益々普及するならば、食の安心・安全の根本にかかわる、農業にとって重大な問題として立ちはだかる。

政府は今日、平成17年度版の「農業白書」を閣議決定した。一定規模以上の農地を持つ大規模農家の育成に重点を置く政府の方針は、国土の7割、耕作面積全体の4割、農業生産の4割を占める中山間地域の農業の衰退を加速させるものだ。農業法人の設立や集落営農の組織化は、まさしく大手企業が資本参加する「野菜工場」を拡大させる。果たしてそれが、日本が求めるべき正しい農業の在り方だろうか。土をいじり生産の喜びを味わうことが人間形成に大いに役立つと、英語よりも農業を小学校教育に取り入れるべきだと主張する識者の声に、共鳴する人は少なくないはずだ。

擬似野菜を量産する「野菜工場」は、間違いなく真の農業を崩壊させる。たとえばカゴメが手掛けるトマトの巨大野菜工場が、中国山地にほど近い過疎化が進む田園地帯の一隅にある。野菜工場を建設したことで、中山間地域の緑の多面的機能は後退し、効率を追求する野菜工場のコンセプトは、周辺の農業を否定し地域の農業者を惑わせる。しかも、カゴメが酷いのは、ケチャップの原料用のトマトペーストについては、輸入に頼っているという点だ。言行不明瞭なカゴメの野菜工場は、将来必ずこの地域に大きな禍根を残すに違いない。中山間地域の農業を大切にしない政府の方針は、明らかに間違っている。そして何よりも重要なことは、私たちが、「工場野菜」を野菜だと勘違いしないような、賢い消費者にならなければならないということだ。
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村上世彰氏逮捕で、ドミノはスタートした 6月5日

今日の兜町は、一日中大荒れだった。逮捕直前の村上世彰氏の記者会見は、まさに村上氏の独演会だった。言いたいことを饒舌にまくしたてた村上氏を、起訴を前にして堂々たるものだと評したコメンテイターもいたが、それこそ、村上氏の術中にはまりきった間抜けな発言だ。村上氏は自ら、インサイダーの場面を事細かに解説していたではないか。堀江氏や宮内氏などは、ライブドアの役員そのものであって、たとえ談笑であったとしても、それはインサイダー取引きそのものなのだ。当然のごとく、村上氏にはインサイダーの意識はあり、堀江氏と村上氏とは、明らかに共謀していたのだ。

村上氏は、小泉構造改革のまさに黒幕とも言える規制改革・民間開放推進会議議長のオリックス宮内義彦会長とも極めて親密な関係にある。オリックスは、村上ファンドの中核であるMACアセットマネジメントの資本金の45%を出資し、非常勤役員2名を派遣していた言わば村上ファンドの親会社だ。ところが5月上旬、オリックスは一斉に村上ファンドから手を引いている。明らかに村上氏逮捕を予見していたからに違いなく、村上ファンドの親会社たるオリックス宮内氏にも、近い将来司直の手が伸びなければ国策捜査としての整合性がとれない。小泉政権の終了とともに、オリックス宮内氏も当然終了しなければならないのだ。

勿論、ヒルズ族の兄貴分的存在だった村上氏の逮捕を端緒として、一連の新進気鋭(?)のヒルズ族によるインサイダー取引きの全貌が解明されることも、大いに期待される。堀江氏とニッポン放送株でつながったように、楽天の三木谷氏と村上氏とは、TBS株でつながる。15.4%の株式を取得した三木谷氏が、TBSに経営統合を申し入れたまさにその時、村上氏は7%のTBS株を保有していたのだ。当然これも、インサイダー取引きの疑いが濃厚だ。村上ファンドに託された4,000億円以上の資金を、年率2割以上で運用するためには、M&Aをインサイダー取引きする以外に、村上氏にもはや手立てはなくなっていたのだ。

そして、マザーズ・ジャスダック・ヘラクレスの新興市場が、実際には、虚偽報告と粉飾決算とインサイダー取引きとで成り立っていることは、想像に難くない。大口投資家がつまづけば、後は芋づる式にドミノは倒れていくばかりだ。USENの宇野氏は、堀江氏の後始末を引受けているし、グッドウィルや光通信は、ライブドアの前身である「オン・ザ・エッジ」がマザーズに上場した際に、明らかにインサイダー取引きで売り抜けたし、サイバーエージェントの藤田社長は、口を開けば堀江氏の弟分だと自称する。村上氏の逮捕で、幕引きをはかるような地検特捜部ではないはずだ。

村上氏は、今日の会見の中で、自民党にも民主党にも親しい政治家が存在することを示唆した。東大・通産省の同期や後輩がそれにあたるか否かは断定できないが、自身の逮捕が政界へ及ぼす影響についても、村上氏の頭の中では既に計算されている。堀江メールは偽メールに成り下がってしまったが、ヒルズ族のインサイダー取引きに、政治家が絡んでいることはもはや否定できない。堀江氏と親しい後藤組組長が逮捕されたのと同時に、事実上の安倍氏の後援会である「安晋会」につながる菱和ライフクリエイト西岡社長も逮捕された。村上氏に45%もの資本金を出資したオリックスの宮内義彦氏は、いわば小泉総理の側近中の側近だ。

堀江氏の逮捕も村上氏の逮捕も、小泉政治終焉の断末魔だ。闇社会との深いつながりを指摘されて久しい安倍氏には、そもそも総理大臣に立候補する資格すらないことを、全ての国民は認識しなければならない。フロント総理は、小泉総理で終わりにしなければならない。堀江氏も村上氏も、時代の寵児ともてはやされていた。それは即ち、5年間に及ぶ小泉構造改革が、いかに、まやかし・インチキ・インサイダー改革であったかを、如実に物語るものだ。小泉・竹中のダーティペアは、遅くとも9月には、綺麗さっぱりと引退してもらわなければならないのだ。
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BSE:SRM付着検査キットで水際作戦 6月4日

米国産牛肉輸入再々開というお土産と3兆円の持参金を持って、今月末、小泉総理は訪米する。いずれも、日本国民を犠牲にしても尚、どうしても小泉ポチ総理が成し遂げたかったパフォーマンスだ。しかし現実には、それらがもたらす禍根は想像以上に深く、日本国民の生命と財産を著しく侵害するものだ。特に酷いのは、香港や台湾向けの米国産牛肉に、今尚相次いで脊柱などSRM(特定危険部位)の混入が発覚している最中に、日本政府が米国産牛肉の安全性は確保されたと判断して、輸入再々開に踏み切ることだ。誰の目にも、安全性は後退こそすれ、改善されたとは映っていないにもかかわらず、「安全」と言い張る日本政府のアメポチぶりには、あきれてものが言えないくらいだ。

BSEのヒトへの感染リスクを考えれば、世界の公衆衛生の観点から、日本は勿論、米国がとるべき態度に選択の余地はない。即ち、日本がそうであるように、最低でも「全頭検査の実施」「SRMの除去」「肉骨粉使用の全面禁止と焼却」」「トレーサビリティの確立」の四重の防御策を実施する必要がある。ところが、現実には、米国のリスクマネジメントは、限りなくゼロに等しく、BSE検査は、加工処理される牛のわずか1%に留まっている。24時間フル稼働のベルトコンベアーに吊り下げられた牛からのSRM除去作業は、見るからに完璧とは程遠く、しかもSRMの除去自体、米国内向けでは月齢30ヶ月以上の牛に限られている。更に、除去したSRMは、焼却されずにそのままレンダリングされて鶏や豚の飼料用の肉骨粉に加工されるのだ。

問題は、鶏糞や鶏舎内のゴミ(チキンリッター)が牛の飼料とされ、そこには当然、鶏が食べ残した肉骨粉が混入しているという点だ。一説には、飼料となる鶏糞およびチキンリッター100万tのうち30万tが肉骨粉であるというデータもあり、実数値がこれより少なかろうが勿論多かろうが、わずか1gの異常プリオンでも感染リスクはあるわけで、いずれにしても非常に危うい現実であることに相違ないのだ。少なくとも、日本向けに輸出される牛肉のトレーサビリティを、100%ディスクロージャーする責任が米国政府にはある。日本向けの肉牛の飼料に、鶏糞およびチキンリッターは使用されているのか否か、まずは、正確な情報を日本に報告する義務を、米国政府は負っている。

ただ、変異型クロイツフェルト・ヤコブ病が集団発生した発生源とされるテキサス州の競馬場レストランを、競馬場ごと解体して証拠を跡形もなく抹消する米国において、FDA(食品医薬品局)やUSDA(農務省)が日本向けに公表する資料にどれほどの信憑性があるかについては、甚だ疑問だ。昨年12月13日の日本の現地調査団の報告書を、日本国内で公表する前に米国が検閲し、多くの部分を真っ黒に塗りつぶして突き返してきた米国への信頼感は、限りなくゼロに近いものだ。そして最も腑に落ちないのは、それでも日本政府は、米国産牛肉の輸入再々開を決定するということだ。

であるならば、最後の砦である日本の税関で、徹底的に再検査する以外に方法はない。まさに、水際作戦だ。ロットごとに抜き取り検査を実施し、目視によるSRM付着検査の徹底、更に飛び散った脊髄液など目視できないものをも見逃さないために「SRM付着検査キット」の使用を義務付けることが必要だ。これまでSRM付着検査キットの使用は、日本でも義務付けられていなかったが、今後は繁用しているEUを見習って、日本でもチェック項目の一つに加えるべきだ。

そして、米国産牛肉同様に不安に満ちあふれているのが中国産牛肉だ。牛丼チェーンの松屋が、中国産の牛肉を使用しているが、中国でのBSE感染に関するデータは、ゼロではなく「不明」。即ち、データのない中国産牛肉は、米国産牛肉以上にリスキーであると考えざるを得ないのだ。農薬まみれの野菜を、平気で日本に輸出する中国の牛肉を、安全とは到底判断できない。ただし、消費者の求めに応じて、商品は開発されている。消費者の意識が、食品業界のモラルを左右する。何よりも、安心・安全の確保された食材を求め続ける消費者の態度こそが、全てに優るセイフティネットであることを、私たちは決して忘れてはならないのだ。
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