2011.9.6大江健三郎氏発言(「さようなら原発1000万人アクション」記者会見にて)

私は3.11の後、主にヨーロッパの友人たちからのインタビューのようなものが多かったもんですから、その続きでヨーロッパの雑誌、TVの録画とかいうふうなものをずっと見てきました。そうしますと、私が感じましたのは、我々日本での反応とヨーロッパ、特にドイツですね、フランス・イギリスのようなところの反応が随分、違うと。そして端的にいえばヨーロッパの人たちのこの福島原発の事故に対する悪い意味での評価と言いますか、どういう悲劇が起ったのか、どういう恐ろしいことが起こったのかということに対する評価は、非常に大きい。むしろ日本の私どもの政府、それから、原発と関係がある省庁の人たちの毎日テレビで見ておりました報告と、それから我が国のマスコミも含めて皆様の報道ですね、それを含めて、私たち日本人の反応はヨーロッパに比べてこの事故の大きさに対する評価が小さいという気持ちを持ってきました。そしてその気持ちが続いておりますもんですから、ずっとそのように外国の新聞の切り抜きを作ったりしておりました。

 

その中でそういう形で質問も受けます。その質問の中に一人フランス人の質問がですね、電話でしたが、ええっと、なんて言いましたか、放射能雲(くも)、放射性のあの・・雲という、直訳するとなりますが、放射能うん、放射能ぐもというものについて、それがどう動いたか、いうことに対する強い質問をする方がいられまして、私はその放射性雲(ぐも)というものがわかりませんでした。私どもが広島でよく知っているあのドーナッツ型のあの雲のこと、かと思ったくらいです。そして後から調べてみますと、ちゃんと日本の雑誌にも例えば「世界」などにその放射能雲ということが書いてありました。そして、そういうことを思いまして、私どもやはり毎日テレビジョンを見て、福島の原発の大爆発を見ている。しかしそこで空気中に大気中に放射された放射性物質というものが雲に乗ってずっと広がったと、いうことについて、あまり具体的な認識がなかったんじゃないかと、私はそうだったと思います。そしてそれが実は315日の午前2時から午前11時にかけて関東地方で非常に強く見られた。そしてその調査がありまして、発生源からの距離、地名、時刻、測定された放射能のピーク値、ピーク時、いうのが時間あたりマイクロシーベルトで示してあります。東京都も含んでいてあります。いわき市から横須賀市まで。それを私などあまり関心を持たなかったということを感じて、それから外国と日本の格差と、受け止めの格差ということを考えてきました。

 

そして今私が考えていますのは、今お話しようと思うことは一つだけでございまして、私の子どものときの記憶からずっと考えてみますと、私の人生はだいたい10歳ぐらいの時に始まったという気持ちを持っているのですが、それは戦争が終わった年です。すなわち広島・長崎の原爆がありました。そして日本が戦争に敗れた。そして翌年新しい憲法の公布があって、翌々年、その6ヶ月後憲法が施行された。それが私にとって非常に非常に大きい出来事だった。そしてそれから66年たちまして、現在に至ってみると、その次に大きい日本人に起こった事件が今度の大地震(だいじしん)、大震災、大津波とそして福島原発の大爆発ではなかろうかというふうに私は考えています。そしてあの広島・長崎があって、そして戦争が終わった、そして憲法ができたと。非常に大きい恐怖と、それから戦争から解放されたという気持ちと、あの新しい憲法というものに非常に強く揺り動かされた。動揺もしたし希望も持ったというとこから始まって、そして76まで生きてきまして、そして、今、大きい、いわばそこからいえば第三の原発(ママ)というものが、それも日本人が自分の国に落としてしまったような、大きい放射能の大きい危険・危害・障害、いうものが私たちに与えられそうになっている現在、与えられている現在、それまで生きてきたと。だから、今の起こっていること、あの戦争直後に私どもが広島・長崎、それから憲法発布について考えたことと結びついて考えようと思いまして、そのことを明後日の私どもの講演会でお話したいと思っております。

 

そこでその中の一つのことだけ申しますが、私は、井上ひさしさんと同い年の法律学者で樋口陽一先生て方がいらっしゃいました、いらっしゃいます。樋口さんがお書きになった憲法についての本で、我々が新しい憲法をつくったと。そしてそれが戦争放棄ということを言っている。実際には武装してしまったけれども、我が国の非武装ということまで言っている。そして戦争はしないということを言っている。あの憲法というものがどうしてあのように私たちは抵抗なく受け入れたんだろうかと。日本の大きい既成権力が、それから保守的な人たちも含めて、あれをどうして私たちが受け入れたのか、そして現在までそれが一応守り抜かれてきたというのはどういう意味かということを樋口さんはお書きになっています。彼の一番新しい本です。そしてそこで彼が言ってられるのは、法学をご卒業の皆さんは常識でしょうが、私は初めて知りました。憲法を含めて法律が出来上がるときには立法事実っていうものがあって、「legislative facts」じゃないでしょうか。立法現実というものがあるんだと。だから私たちがある法律を見るときに、法律の条項を見るときに、これがどういう時代的な背景を持って生まれたのかということをよく見る必要があると。それからそれを記憶しておく必要がある。それを記憶しなくなってしまうとその法律そのものの重要性っていうものを私どもは忘れてしまうことがある。法律家が忘れるし、一般庶民が忘れることがあると。日本の場合、原爆2つ落とされた。それから戦争に敗れた。そして、あの危機の中で憲法を作ったということは、あの憲法を作った背後にある事実として広島・長崎があるし、敗戦という非常に大きい窮乏・貧困、それから東京大空襲もあります。私ども含め大きい困難があったということが、その立法事実であって、そこであのように思いきった憲法を我々は作ったんだと。そしてそれを我々が今なお作り直そうとしないのは、持ち続けているのは、あの憲法事実「legislative facts」というものに対する強い記憶があるからだというのが樋口先生のご意見なんです。

 

そして私が考えましたのは、非常に3.11から現在までの6ケ月、私どもが考えたり感じたりしたことと重なってくるんじゃないか。今3.11のあと、私たちは広島・長崎のあと日本の国土が見舞われなかった、非常に大きい放射性物質の脅威の中にあります。特に子どもたちが、これから102030年の間に背負っていかなきゃいけない放射能物質(ママ)の被害というものは非常に明らかで、それが今もむしろ増大しつつあるような状況に我々はある。それが現在のその私たちの在り方じゃないか。そしてこういう時にですね、特に3.11直後から、先ほど落合さんがお話になった直後、1ヶ月後ぐらいまでは、日本のまあ自民党の政治家、民主党の政治家も含めてですね、実業家たち、政治家・・・の・・・ま様々なそういう人たちがこの原発っていうもに対して廃炉にしなきゃいけない、あるいは再稼働させることはやめなきゃいけないというふうな「国民的合意」というものがあったんじゃないかと私は思うんです。そして、現在既にですね、それは失われつつあります。ここの私ども今日の声明に書かれておりますけれども、現在新しく政権をとった首相は、この日本の経済活動のために、原子力発電所が必要であると、それをどのように再稼働させるかということを彼の政治課題の一つにしているようです。それに対して反対しようというのが私ども今日の声明ですし、9.19集会の非常に大きい焦点となると思います。

 

私はそこで9.19集会に向けてですね、今、そこに集まってきて下さる市民の方たちは、非常に私どもが敗戦のときに感じたように、世界と自分の国の危機ということを非常にお感じになっている。自分たちが起こした戦争のためにアジアに与えた加害ということと、自分たちが受けた大きい被害と、広島・長崎、東京大空襲もそうです、それをよく知っている人たちだった。それによって、そういう事実というものが背後にあって、あの法律をつくったんだと、憲法をつくったんだと。あの憲法をお読みになってみられると、その一番最初の章には「決意」という言葉が少なくとも二度使われています。私たちはこのように決意したと。不戦の国家と平和主義の国家を作ることを「決意」したということを言ってんです。「決意」ということが彼らの憲法事実のですね、一番根本の大きいところにある。現実を見てそういう決意をしたということがですね、決意は事実じゃありませんけれども、それはその決意したということが法律を作らしめたと。私たちは、現在ですね、非常に大きい決断を、決意をしなきゃいけないところにきている。この原子炉を今、全て廃絶するという方向に我々が決意をしてですね、今ですね、今のうちに、政治家たちを動かして、そしてそれを一つのはっきりした法律、法律上の決定として私たちが決定する。そして私たちのものとすると。そうすると本当に初めて、この広島・長崎の経験があり、それから66年たって、そして現在のこの大きい事故のもう一度経験がある。外国人たちがよく言うように、日本人はああいう大きい事故にあっても礼節を保って秩序を持っているという立派な人たちだという報道が最初沢山ありましたが、最近私が読む新聞、それから短波放送で聴くラジオは、むしろ、どうしてあれだけの経験をした人たちが、もう一度この、彼らは第三の原発と呼んでいましたが、第三の原発、いえ「第三の原爆」と、のようなことをもたらしてしまったのか、それに対する強い反省というものが、例えば政府にないのかと。原発をもう一度再稼働しよう、原発を全て廃絶するというようなことを、廃止するっていうようなことは、声が聞こえなくなってきたんではないか、例えばイギリスの新聞などは書いて、先週書いておりました。

 

そのときに私はね、思うんです。しかし私ども日本人の中に、この大きい事実を、すなわち福島の原発の大事故、それが放射能の大きい出来事として日本の国民、特に子どもたちの上にのしかかっている。それを大きく受け止めて、今後それを絶対にもう一度起こさせないと。今度のは事故かもしれないけど、それをもう一度起こさせれば、それは日本人が自分たちでやった犯罪だとアジアの人も例えば子どもたちも日本人の子どもたちも言うに違いない。将来言うに違いない。そういうところに、そういう大きい事実に立って私どもは生きていると。その事実をそのfactsを根底にして私たちは新しい法律を作ろうじゃないか。新しい、現在の原発を全て廃止にする、それも随分40年以上の時間がかかり、またその廃棄物の処理はもっともっと長い時間かかるようですが、ともかく、今それを決定的に廃止してしまう、再稼働はしない、新しいものはつくらせないということを私は国民投票すれば、現在私はその国民投票は勝利をおさめると私は思うんです。そういう大きい法律をつくろうじゃないか。そういう法律を私たちにつくらせるこの100年間のうちで二度目の大きい立法事実として、今度の大きい悲劇というものを困難というものを受け止めようではないか、それを今度の大きい大集会で決定しようじゃないか、決意しようじゃないかというのが私の考えでございます。どうもありがとうございます。

 

(質問:沖縄と今回の福島との関係などどう考えているか。)

私は沖縄について勿論考えますが、沖縄ということと今回の私どもの福島の大きい事故を中心の課題として行う大集会について自分がどういうことを考えているかということは明後日の講演会でお話しする主題にしています。それを今さっと言います。それは非常に簡単ですから。と言いますのはね、沖縄・・で、ある新聞に・・書いて・・その中で一節だけそれを書きましたが、沖縄で行われている市民の運動というのは本当に独特なものなんです。それは皆さんよくご存じの通りです。今現在で言いますとね、アメリカも日本の政府もそれから沖縄の地方自治体の考え方もですね、全部あの解決策は全く見つかっていない問題として普天間基地の移転問題があるわけです。今現在、非常にしかも非常に深刻な問題としてあります。新聞にも昨日それ載っておりましたけれども、アメリカ政府の予算の問題などを含めてというようなことが書いてありました。とにかく、沖縄でも沖縄の問題は、アメリカも日本も沖縄政府も沖縄県の県議会もそして我々本土に住んでいる人間も積極的なイメージを解決のイメージを持っていない。これはずっと今までそうです。この例えば普天間だけにいってもこの20年間そうです。ところがそれが行き詰っているにもかかわらず、非常に大きい危機が起こると沖縄では、10万人大集会というのが、100万人しかいない島ですよ、そういうのが起こる。そしてそれが非常にはっきりした意思を伝えることができているわけです。特にこの教科書の問題などでは明らかにその運動のみが日本の政府を動かしました。そのあとどうなったかっていうのはまた問題ありますけれども。そして私はまた大きい集会が起こると。そういう僕は沖縄が私どもに示している市民の実際行動というものの、直接的な民主主義の行動の模範だと考えています。そして私たちは沖縄問題はまだ解決しないままですが、しかし、次に大きい市民の運動が起こっている。それが新しい針路を示すだろうという期待も持ちながら、不安を持って沖縄を見つめているわけです。

 

そして今度の私どもの集会は私は政治色ということが表面に出てこない大きく統一された行動であるということ。それから特にそのために準備をして動いていられるタムラさんやオキヤさんの講演会に行った人から手紙をいただくということがありますが、特に女性の方が、特にお母さん方ですね、お子さん方を放射能の危険を感じて、集まりをしていられるお母さん方の反応が非常に、私どものところにも10件以上まいりました。ですから私は沖縄においての大きい集会が意味を持ってきたように、今度本土でこの集会は非常にかってない新しい意味と強さを持つんじゃないだろうかと思っている。この大きい集会をですね、沖縄をモデルとした全島民集会と、言っていいような大きい集会にして、大きい、それを何度も繰り返して、それが私どもの意思(意地?「いじ」と聞える)だということを国家が否定できないものにしていく、そして持続していくというのが私の考えている希望なんです。それを実際にどのように実現して、どのように持続していくかということは、例えば鎌田さんのように実際に運動を今支えて下さっている方のおやりなことで、私たち小説家はただくっついていくだけです。しかしくっついていこうと思っています。

 

(質問:白血病などが出ると他の国の専門家がいっているがどう思うか。質問者は外国人)

私は専門家じゃありませんから、お答えして意味があること、あるとすれば一つだけあることをしようとしています。原爆、広島の原爆を被爆して、それから患者の方が非常に沢山いられて、そして広島の場合は、あれですね、マッカーサー司令部が広島の原爆の直後に出した声明があって、それはこういう声明です。「広島で、ま、英語をそのまま訳すとちょっと刺激が強すぎますが、その、死ぬべき者はみんな死んでしまった、と。これから原爆の放射能ということを原因にした病気っていうものはもう考えなくていいだろう」ということを、マッカーサー司令部それから軍人そしてABCCというアメリカの広島の医療を研究する、被害を研究しますが医療はしないという団体がありました。それの結果として、共同で声明したんです。それは間違っていました。非常に多くの被爆者の苦しみっていうことはそれから始まりました。現在も続いています。しかし、その、とにかく広島では、特に放射能による内部被曝、すなわち、彼らは外部から非常に大きい勢いを持った放射性物質が人間にぶつかってそれで起こる大きい災害というようなことは言いましたけれども、小さな物質、放射性物質が体の中に取り込まれることによって起こる内部被曝ということは全くないと。内部被曝させるような放射性物質が発揮されても、その放射能は非常に小さなものであるから、それは人間の体にはさし障りはないということを声明したわけです。それがですね、この66年間の戦後の被爆者医学問題に非常に大きい影響を与えたんです。私が言いたいことは、今この機会にですね、今外国の方も関心を持って下さっているように、日本の子どもたちに、たとえば先ほどの放射能の雲というものが雨となって降り注いで、日本の多くの都市の子どもたちに影響を与えている。それが確かに低放射能の問題、低い放射能の問題であるけれども、それが無事だ、安全だということを言っているのは日本の医者と日本の官僚たちであって、その安全性が少しも評価されていないということがはっきりしている。そのことをですね、ずっと言い続けてきた医学者がいられるわけなんです。肥田っていう人です。肥田舜太郎先生という方です。そして、その方のご意見も、雑誌でいえば今月号の「世界」っていう雑誌に載っかっております。それは協力者の方が翻訳をして差し上げて持っていかれるといいと思うんです。今いう内部被曝、それから将来の子どもたちの医療の問題について一番まとまった文章です。それは肥田先生の長い長いインタビューです。そして私は来週はその肥田先生に対してですね、今の問題を広島の問題から出発して今度の福島の問題に至る、いう射程で長く私がインタビューしまして、それを一冊の薄い本ですが、その本にしようとしています。それは来週原稿をつくりますので、10月ないし11月にその本は発行されることになっております。そしてそれに今言われた、今度の放射能の物質におけるそれが、大気汚染したことについてあるいは水を汚染していることについての子どもたちに対する影響ということについては、今考え得る一番正確な調査に基づいた意見を肥田先生が述べて下さると思います。そして、もう一つ外国にもし持って行って紹介してほしいと私が考えている本がもう一つありますが、それは今言いました私のインタビュー集が出る本屋さんと同じところなんですが、この7年間に日本人の被爆者が400人集まって、いや600人集まって自分たちが本当に被ばくしたために今病気になっているんだということを国会に認めさせるという原爆症認知のための訴訟、集団でやる訴訟というものをこの7年間やってきました。そして政府はいやそういう戦争直後に発表された低放射能による内部被曝というものは病気の原因じゃないんだということを今も言い続けています。それに対して患者の証言と弁護士の人たちの非常に優秀な人たちの反論がありまして、そういうのはだいたいですね、600のうち400件くらいが勝訴に至って、それでも負けた方が230人くらいいられますけれども、そういう裁判があった。その裁判の全記録が非常に大きい本ですが、その日本評論社という本屋から出ています。それはね重いですが一部買って行って専門家にお示しになる値打ちがあると思います。値段は17千円(註:正確には15,750円)です。その本屋からもっと小さい本として僕たちが10月か11月にその子どもの被曝の影響ということについて本を出します。肥田舜太郎先生と私大江の共著です。

 

(ユーストリームよりテキストを起こしました。大江氏の発言に忠実に書きましたが、聴き間違いがあるかもしれません。なお、頻用された「あの」ということばは省きました。)

 

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終戦の日の千鳥ケ淵墓苑

なんとか間に合って、閉園間際の千鳥ケ淵墓苑を参拝しました。連日、盛大に慰霊行事が行われていたとは思えないほど、いつもと変わらずひっそりとたたずむ千鳥ケ淵墓苑は、無心に不戦を誓うのにふさわしい穏やかで品格ある追悼施設です。

一心に読経する人のかたわらで、小さな子どもたちが楽しそうに走りまわっています。木陰のベンチで横になり読書をする人がいるかと思えば、何やら小声で歌いながら逍遥する高齢の男性もいます。現在の平和を享受する人々がここに集い、それぞれのやり方で戦没者を慰霊し心を寄せているのです。

ランニングで汗ビッショリの私も、白菊を献花し手を合せました。

後方が御遺骨が納められている六角堂です。
セルフなのでカメラワークはイマイチ・・・。
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「8月6日原爆の日」民主党は遺骨収集にも全力を!

64年前というとはるか昔のようでもあり、しかし、人類の歴史からするとほんのわずか以前でしかなく、私が生まれる20年ちょっと前に、第二次世界大戦という壮絶なたたかいの歴史が刻まれていたなどと、いつなんどき考えても私には到底信じられません。

例えば、まだあどけない少年飛行兵たちは、二度と生きては帰れぬことを知りながら家族に思いを残しつつ大空に旅立っていきました。それは、本人や家族の意思とは別に、逃れようもない国家からの要求でした。

折に触れるたびに戦争の惨禍に思いを寄せますが、その事実は私にとって常ににわかには信じがたく、こらえきれない悲しみと切なさ、こみ上げる当時の指導者への憤り、そして現代を生きる私たちに託された「不戦の誓い」という未来へのバトンの重さに、いつも心が押しつぶされそうになるくらい緊張します。

戦禍に散った人々は、未来の私たちに何を託して逝かれたのだろうか。私たちは今、その思いに応えることができているのだろうか。

あの日あの時、少年飛行兵たちが書き残した家族への手紙を、知覧で見て以来私は忘れることはありません。68億人分の1でしかない非力な私ですが、それでも、生きている限り精一杯の責任感を振り絞って、未来を担う人々に「不戦の誓い」というバトンを手渡す努力を惜しまない覚悟です。

第二次世界大戦における日本人戦没者の数は、国内外に310万人あまりと言われています。しかし、戦後64年が経過した今も、海外戦没者240万人のうちまだ半数近くのご遺骨が、日本に帰還していません。犠牲になられた戦没者のご遺骨を、一刻も早く故国日本に帰還してさしあげることは、誰もが認める国家の至上命題です。

ところが現実には、厚労省の遺骨収集ミッションは非常に心もとなく、戦没者や遺族の期待に応えるものではありません。年間5億円の予算で、厚労省の職員が数人、民間の情報を頼りに各国を回るという、そのやる気さえ疑いたくなるような小規模かつ消極的な活動にとどまっているのです。

私は本来、今回の総選挙の民主党のマニフェストに、「遺骨収集ミッションの強化」について盛り込むべきだったと思いますが、たとえマニフェストに書かれなくとも、民主党政権は、遺骨収集に全力を注ぐべきだと思います。世界中の誰もが、迷うことなく参拝できる国立墓苑を創設することと同時に、そこにはすべての日本人無名戦士がまつられていなければなりません。

厚労省の資料によると、未送還遺骨115万柱のうち、海没遺骨は30万柱、相手国の事情により収集困難な遺骨は26万柱とされています。従ってそうではない約60万柱については早急に、民主党政権は全力で収集に努めなければならないのです。

遺骨収集に必要十分な予算を確保しミッションを強化していくことは、名実ともに英霊に哀悼の誠を捧げると同時に、国家の責任の在り方を示す一つの具体策になると確信します。そうなれば、たとえば現在求職中の若い人たちが、すすんでこのミッションに応募してくれるようになるかもしれません。

もとより戦後の総決算に終着点などあるはずもなく、私たちの平和への取り組みにゴールなどありませんが、戦争がもたらした様々な課題への取り組みの一環として、遺骨収集は非常に重要であり、最後の1柱まで探し出す気概が政府には求められるのです。

8月6日を迎えるにあたり、あの頃と同様の悲劇が今なお世界各地で繰り広げられていることへの、日本人としての責任の重さを痛感します。更に、戦争により解決されるものなど何もないことを人類の共通認識としていくために、世界中の人々が唯一の被爆国である日本に託そうとする使命の重さにも、心が震えます。

今日この日限りの2009年8月6日、米国オバマ大統領のプラハ演説も一隅とし、政権交代しても変わらず基軸となる日米関係の新たなる展望に思いをはせつつ、シビアな緊張感をもって私なりの不戦を誓い、平和への祈りを捧げます。

Remarks of Barack Hussein Obama, President of the United States of Americaオバマ大統領プラハ演説2009.4.5

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2008年8月6日「原爆の日」

2008年8月6日、今日も新しい1日が、私たちの人生に積み重ねられました。8月6日原爆の日は、毎年やってくるけれど、去年の8月6日とも、そして来年の8月6日とも違う、2008年、今日という日の8月6日を、私たちは迎えました。

世界中でいまだ繰り広げられる戦禍を見聞きする度に、人の命を犠牲にしてまで手にする利益とは一体なんだろうかと、考えずにはいられません。米国民の中にも、そのことに気付き、21世紀を迎えてもなお強行されたイラク戦争を、悔いる人々も出てきています。原爆投下から63年が経過したいまも尚、遺族らは避けることのできない恐怖やむなしさ、怒りに震えています。何も生み出すことのない戦争の恐ろしさを、そして、だからこその平和の尊さを、唯一の被爆国である日本は、2008年8月6日、全世界に伝えることができたでしょうか。

今日発信された現在の日本のリーダーである福田首相の言葉は、世界の人々の心に、どういう形で響いたのでしょうか?そもそも、福田首相の言葉に、皆、耳を傾けようとしていたでしょうか?平和式典が、年々色あせて、惰性で行われることを危惧します。福田首相が発した言葉は、本物だろうか?平和式典に臨む福田首相の姿勢を考えると、2008年今日という日、原爆の惨劇に思いを寄せ、平和への新たなる誓いを胸に秘めた人がどれほどいただろうかと、私は心配で胸がいっぱいになるのです。

8月6日、広島には平和の鐘が鳴り響きます。人々は手を合わせ、あるいは心の中で黙祷し、平和への思いを新たにします。大切なことは、世界中のすべての人々が、その瞬間に思いを1つにすることです。8月6日が、原爆で被害を被った当事者に近い人々だけのセレモニーに終わってしまっては意味がありません。そんな思いで語ることのできる日本のリーダーを、私は望みます。心から発せられる言葉は、必ず相手の心に届きます。でも、福田首相の言葉は、私の心には響きませんでした。2008年8月6日は、今日しかないのです。この瞬間に世界に生きる人々に、日本が平和のメッセージを伝えることができなかったことは、もう取り返しがつかず、本当に残念でなりません。

8月6日、この日があるから、人々は平和を希求し、互いに思いやる心を忘れずにいることができるのです。原爆の悲劇は、決して風化させてはなりません。日本国民が平和への思いを1つにして、核兵器根絶と不戦とを、堂々と世界に誓うことのできる8月6日を、いつか必ず迎えるために、力を注いでいきたいと、2008年8月6日、私は強く思うのです。
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憲法記念日 5月3日

今日は、憲法記念日。各新聞社とも、憲法特集でにぎわっている。それぞれバラエティに富んだ識者が論説しているが、中には私にはとても納得のいなかい議論もある。

各政党とも、基本方針の羅列をしているが、特に民主党では、党内での意見の一致がなかなかみられないことを誰もが知っている。結果、環境権などについては各党合意できそうだが、肝心の9条と人権については、とても収束する気配はない。

先日も患者さんから「9条は守ってくださいよ」と、念を押された私だが、民主党でも9条2項の堅持については、非常にあやういものだ。戦争の永久放棄をうたった9条1項については、絶対堅持で一致するところだと思うが、陸海空の戦力不保持を明記した2項については、意見がわかれるのだ。

いかなる場合においても、日本国が攻められるような状況にあれば、唯一の存在である自衛隊が国家防衛のため抗戦することは当然だ。かなり具体的に想定される北朝鮮などに対する個別的自衛権について、その行使を否定する日本国民は、多くは存在しないだろう。

一方で、米国は、明らかに戦争容認国家であり、自ら交戦する国家だ。そんな米国の後方支援と称して、世界中に自衛隊が出動することは、日本国のアイデンティティそのものの否定である。私は、2項を修正するかあるいは3項を加憲するかして自衛隊の正当防衛以外の武力行使を明文化することは、戦争の永久放棄をうたった1項の精神に、完全に矛盾するものだと考えている。

戦争を永久放棄した日本の平和原則は、なにものにも揺るがない世界に冠たる精神だ。戦後半世紀以上が経過した今、新たに「安全保障基本法」を制定することで、自衛隊の任務を、「個別的自衛権に基づく防衛」と「国連平和維持活動への参加」との二方面から明確に規定することが、時代が求める形なのではないかと私は考えている。9条を改正しなくても、十分に対応可能なのだ。

まず先に、与野党合意の上で「安全保障基本法」を制定して、21世紀の日本の安全保障原則を世界に明らかにすることが重要だ。その上で、将来、憲法を改正する時にそれを憲法の条文とすることが、正しい方法と言えるのではないだろうか。このままでは、9条をめぐる議論はいつまでも続くことになり、日本国民にとって決して良いことにはならないと思う。

各新聞社は、今日の憲法記念日を迎えるにあたり、世論調査を実施した。朝日新聞によると、憲法に自衛隊の存在を明記することを求めた人が58%もいたのに対して、9条の改正に反対する人が51%、改正賛成は36%に留まっている。矛盾しているように見えるが、国民はよく理解している。各政党とも、慎重かつ十分過ぎるほどの議論を積み重ね、「憲法を改正すること」が主目的にならぬよう、正しい指針を国民に提示して欲しい。

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憲法改正 11月17日

「いつの間にか、大変なことになっている!」職場でも、ざわめきが起こったほどだ。「自民党の憲法改正大綱原案」だ。論憲は大いに結構。しかし、自民党憲法調査会がまとめた改正案は、飛躍しすぎだ。現憲法が、背中に羽根をはやして、飛んでいってしまったような印象を否めない。「自衛軍」を創設して、集団的自衛権の行使及び国際貢献活動での武力行使を認めるという。戦争放棄を願う私たちにとっては、到底承服できない驚くべき内容を盛り込んでいる。

戦争放棄と、集団的自衛権の名のもとの海外での武力行使とは、矛盾する。日本領土が侵略されようとする時、我が国が個別的自衛権を発動し、必要ならば武力を行使することがあり得るという理論は、確かに全否定することは難しい。何故なら、そこまで否定してしまうと、国家が国民の安全を守ることができない可能性を残してしまうからだ。

しかし自民党案では、海外での武力行使を容認し、我が国が戦争に参加することを是認するものとなっているのだから、平和を願う一国民としては、間違っても容認できるものではない。自民党案は、イラクに派遣されている自衛隊が、戦地の最前線に立ち兵器を手に持つ、ということを意味するのだ。

原案にある「積極的に国際平和の実現に寄与する」とはよく言ったもので、それはすなわち、戦争への積極的参加を意味するものだ。女帝を認めることは良いが、一方で「天皇を元首とする」とは、21世紀の憲法というよりはむしろ19世紀に逆戻りしているようで、そら恐ろしい。2度にわたる世界大戦を経て、我が国は武器をペンに変え、主権を国民に置き民主主義の実現を目指してきた。自民党案は、再びペンを武器に変え、主権を国民から奪うものといっても良い。

国会議員の数を減らし一院制とし、首相公選制を実現することが、ムダを省きより民意を反映する方法だと、私は思うのだが、自民党案は、二院制を認め、閣僚は衆議院議員のみとし、衆院優位の見解を明確にあらわしている。それでなくても、国民生活の質の向上が認められないまま、依然として特権を維持する国会議員に対して、国民の不信は増幅するばかりなのに、自戒するどころか露骨に権利を主張しているようで気分が悪い。

今回の自民党の憲法改正案に、同調する国民はどれほどいるだろうか?特に、平和と安全保障に関しては、アメリカ世論はブッシュ大統領の再選を決定したが、世界の世論はケリー候補に軍配をあげていた事実を忘れてはならない。制定から半世紀を越えた現在、改憲しなくとも解釈の柔軟性で十分だとは、宮沢喜一元首相の弁だ。一院制や首相公選制は、憲法改正が必要だが、平和と安全保障の分野における憲法改正の必要性を、私は認めない。国家侵略に対する個別的自衛権の行使をあえて明記する道を選ぶにせよ、附則に盛り込むことで必要十分だ。9条が存在するから今日まで平和な国家を維持することが可能となり、将来にわたり尚、平和を追求・展望することができるのだと、私は信じている。矛盾をはらんだ自民党案の即刻撤回を、私は強く求めたい。
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11月9日ファルージャ掃討作戦・・・

ファルージャが、大変なことになっている!掃討作戦と称する大殺戮が行なわれている。ブッシュ大統領は、再選によりイラク戦争は支持されたと確信を持ったに違いない。アメリカ一国主義のブッシュ政権は、アメリカのポチを除く全てに対して、排他的だ。我がもの顔で、国連を無視し、イラク市民を巻き添えにした、反米武装勢力に対する掃討作戦に打って出たのだ。

来年1月に行なわれる国民議会選挙のためには、総攻撃が必要だとする米国の主張は、果たして正しいのだろうか。イラク国民を支配するフセイン政権が保持するとされた大量破壊兵器の査察を、それを拒絶するフセインに対して、アメリカが強制力をもって行なうことは否定されるものではない。しかし戦争については、断固否定するものだ。イスラム教を中心に生きるイラクの人々がイラクに民主国家を樹立するために、更にイラク市民を犠牲にする流血の争いを、キリスト教原理主義のブッシュ政権が仕掛ける権利が、どこにあるのだろうか。

そんなブッシュ政権の傲慢に、小泉総理は、相も変わらずのエールを送っているのだから、そのセンスを疑う。この攻撃を成功させなければいけない???よく言ったものだ。小泉総理の言う治安回復とは、総攻撃による殺人なのだ!日本の総理大臣として、とても許しがたい発言。こんな小泉総理のことは、天地がひっくり返ったって支持できない。

勿論、テロ撲滅のために、私たちは全力を尽くさなければならない。しかしそれは、新たなテロを生まないためにも慎重で緻密な計画の上、国連の旗のもとに実行されて、初めて意味のあるものとなる。ブッシュ政権の独断専行では、結果はいたちごっこだ。もはやこれ以上、ブッシュ政権のポチであり続けることは許されない。国民の税金でサマーワで蟄居している自衛隊を、一刻も早く撤退させるべきだ。ブッシュ政権の誤った行動に警鐘を鳴らすことも、パートナーを自負するのなら、小泉総理の務めなのだ。

フセイン政権崩壊は歴史的意味があっても、今回の掃討作戦は、正当性から言ってもあまりに分が悪い。「政治家は歴史法廷の被告席にある」とは、中曽根元総理の持論だそうだ。その持論に当てはめると、アラブ諸国からの信用を失墜させた小泉総理は、日本にとって歴史法廷の被告人ということになりはしないか。「STOP小泉」ができるのは、ブッシュ大統領の落選でしかなかったというのであれば、すべからく、自民党の内部には復元力がなくなったと言う以外に、他に表現のしようがないのではないか。

小泉総理に判決を下すのは、私たち日本国民だ。ブッシュ大統領では、決してない。
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