収束の目途さえ立たない原発、速やかに復旧される火力~天然ガスコンバインドサイクルをベースロードに

東北電力・原町火力発電所(石炭・100kW×2基)は福島第一原発から北へ約27km(福島県南相馬市)。3/11本震当日は1号機が定格100kWで運転中、2号機はボイラ点検で停止中だった。1号機は地震発生直後は運転継続、大津波警報発令で出力降下、津波到達で手動停止した。原町火力を襲った津波は今回の津波の中では最大級と言われ、主要設備の後方が高台となっていた立地の影響で、タービン建屋等の冠水は13mにも達した。地震動に加え最大級の津波により原町火力発電所はほぼ全壊、回復不可能に近い状況にまで陥った。復旧に向け大変困難な作業が続くが、この際、原町火力は最新型火力にリプレースすべきではないか。

 

また、津波襲来により東北電力・仙台火力発電所(44.6kWLNGコンバインドサイクル)は約5m、新仙台火力発電所(1号機35kW重油、2号機60kW天然ガス・重油・原油)は約3m冠水した。新仙台火力は今冬までに復旧の見通し。

 

一方、福島県双葉郡広野町の東京電力・広野火力発電所(1号機60kW重油・原油、2号機60kW重油・原油、3号機100kW重油・原油、4号機100kW重油・原油、5号機60kW石炭)は、3/11本震当日、1,3,5号機は停止中、2,4号機が運転中、津波襲来により15全基が被災した。総力を挙げた復旧作業により、7/16全基運転再開した。

 

宮城県との県境、福島県新地町にある相馬共同火力㈱新地発電所(石炭・100kW×2基)は、3/11本震当日、1号機は定期点検中、2号機は定格100kWで運転中だったが地震直後、タービン軸受振動大で緊急停止。約1時間後、津波襲来で機器が次々ダウン、電源喪失した。今冬ピークまでに重油で出力を出し、来夏フル出力での発電を目標に復旧作業中。

 

福島県いわき市にある常磐共同火力㈱勿来発電所(6号機17.5kW重油、7号機25kW石炭、8号機60kW石炭、9号機60kW石炭・重油・炭化燃料)は、3/11本震当日、6号機は長期計画停止中、8号機は定期点検、7,9号機が運転中で地震発生直後、7号機は手動停止、9号機は地震動による主バーナー失火により自動停止した。津波襲来で6,7号機は1.5m8,9号機は0.4mそれぞれ冠水したが、8号機は7/79号機は6/30運転再開、7号機は年末までに再開予定。(以上、被災状況は火力原子力発電技術協会「協会誌」を参考にした)

 

このように、3/11甚大な被害を受けた原町・仙台・新仙台・新地・勿来・広野の各火力発電所は、全壊の原町を除き来夏までに全てが復旧見込み。広野、勿来8,9号機は既に再開済。空前の大災害に見舞われても、火力発電所は可及的速やかに復旧される。いまだ収束の目途が立たない福島第一原発とは極めて対照的。

 

新生日本のビジョンを描くとき、原発があまりにも経済合理性を欠く時代遅れの「ローテク」であることは明白。日本には世界最新鋭の天然ガス・モアアドバンスト・コンバインドサイクル(LNGMACC)発電技術があり、熱効率60%超のプラントは低炭素・低コストを実現する。新生日本のベースロード電源には、安全・安心・安定のLNGMACCを位置付けるべきなのだ。政府は、無利子融資等で自家発やPPSも含め火力LNGMACC化を推進し、更に、日本企業のLNG調達・開発等を積極的に支援すべきだ。

 

原発が当面する大問題は、福島第一原発事故で明らかになったように、事業者が起こった事故の真実を隠蔽し、保安院がそれを全くチェックできていないという現実だ。シビアアクシデント時の運転マニュアルさえ東京電力は公表を拒否。これでは第三者による公正な事故の真相究明・検証は不可能だ。殆ど黒塗りの東京電力「事故時運転操作手順書」の国会(衆議院科学技術・イノベーション推進特別委員会)提出のやり取りから、保安院がシビアアクシデント時のマニュアルの正式名称すら知らず、見たこともないことも判明した。保安院は電力会社からの報告を追認するだけで、なんらチェック機能を果たしていないのだ。事故の真相究明が何より最優先であるにもかかわらず、国会の資料提出の求めに対して「知的財産」と「核物質防護上の問題」を理由に公表しないという東京電力の事故・加害の当事者意識を欠く無神経・傲慢な姿勢は、断じて許されるものではない。東京電力に原発運転資格・事故対応能力がないことは誰の目にも明らかだ。

 

今なお大量の放射能を大気に放出し、汚染水を出し続ける福島第一原発。しかし、政府も国会も東京電力をコントロールできていない。政府・国会には、東京電力に福島第一原発事故シークエンスの真実を公表させる責任がある。

 

同時に、政府は、東北電力・原町火力発電所の復旧or最新型火力へのリプレースと、東北電力操業予定の上越火力3号系(144KwLNGコンバインドサイクル)の運転開始前倒しを全面バックアップし、東北の復興に勢いをつけるべきだ。人間がコントロールできないことが証明された原発は、東北の復興計画の中にあってはならない。巨大リスクの原発をあえて選択する理由はもうなくなった。原町復旧orリプレース・上越運開までの間、必要があれば東北電力へは東京電力等から十分に電力は融通されるのだ。

 

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黒塗り手順書=通常時orシビアアクシデント時の「事故時運転操作手順書」は事故原因究明のカギ~ツイート

【1号機・非常用復水器ICの①】衆院科技特委に提出された東京電力の黒塗りマニュアル「事故時運転操作手順書」を9/7川内博史委員長が公表。3/11地震直後に自動起動したIC(緊急時、電動でなく自然循環で原子炉冷却・減圧の最重要機能)をわずか11分後に手動停止させたと東電は主張。続posted at 01:24:21

【1号機・非常用復水器ICの②】緊急時で冷却が最も必要な時に何故ICを止めたのか。東電は55℃/時以上温度変化させてはいけないというマニュアルがあると主張。その公開を求めた衆院科技特委に東電は「黒塗り手順書」を提出。その際これとは別に「非常用マニュアル」があると東電側が表明。続posted at 01:24:38

【1号機・非常用復水器ICの③】提出された黒塗り「事故時運転操作手順書」とは別にあるという過酷事故時の非常用マニュアルを、保安院がその正式名称も知らず見たこともないことが判明。保安院は運転員の聞き取り調査もしていない。存在するという「非常用マニュアル」の提出を東電は拒否。続posted at 01:24:53

【1号機・非常用復水器ICの④】東電は「事故時運転操作手順書」なる黒塗り文書を衆院科技特委に提出したが、「過酷事故時」のマニュアルの提出を拒否。同委は改めて正式資料請求。東電の極端な隠蔽体質と虚偽、そして保安院・安全委のチェックなど実は無いに等しいことが明らかになりつつある。続posted at 01:25:03

【1号機・非常用復水器ICの⑤】ブログ「福島第一原発事故・地震による損壊検証」にICの「」について詳述 →こちら at 01:30:39

【1号機・非常用復水器ICの⑥】6/6保安院発表、ICが機能せず「地震発生後約3時間で燃料の露出が始まりその後1時間で炉心損傷が始まった」。東電は、地震直後に自動起動したICをの「黒塗り手順書」に従い11分後に手動で止めたと主張。その間メルトダウンに一直線。あり得ない説明だ!posted at 10:30:34

9/12東電が衆院科技特委に「事故時運転操作手順書(シビアアクシデント)」を提示したが、殆ど黒塗りの目次だけ見せ、回収。存在は確認されたが保安院審議官も見たことがないと言い、保安院が非常時マニュアルを把握・チェックしていない実態が明らかに。こんな状況で再稼働など絶対にあり得ない。posted at 23:46:54

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2011.9.6大江健三郎氏発言(「さようなら原発1000万人アクション」記者会見にて)

私は3.11の後、主にヨーロッパの友人たちからのインタビューのようなものが多かったもんですから、その続きでヨーロッパの雑誌、TVの録画とかいうふうなものをずっと見てきました。そうしますと、私が感じましたのは、我々日本での反応とヨーロッパ、特にドイツですね、フランス・イギリスのようなところの反応が随分、違うと。そして端的にいえばヨーロッパの人たちのこの福島原発の事故に対する悪い意味での評価と言いますか、どういう悲劇が起ったのか、どういう恐ろしいことが起こったのかということに対する評価は、非常に大きい。むしろ日本の私どもの政府、それから、原発と関係がある省庁の人たちの毎日テレビで見ておりました報告と、それから我が国のマスコミも含めて皆様の報道ですね、それを含めて、私たち日本人の反応はヨーロッパに比べてこの事故の大きさに対する評価が小さいという気持ちを持ってきました。そしてその気持ちが続いておりますもんですから、ずっとそのように外国の新聞の切り抜きを作ったりしておりました。

 

その中でそういう形で質問も受けます。その質問の中に一人フランス人の質問がですね、電話でしたが、ええっと、なんて言いましたか、放射能雲(くも)、放射性のあの・・雲という、直訳するとなりますが、放射能うん、放射能ぐもというものについて、それがどう動いたか、いうことに対する強い質問をする方がいられまして、私はその放射性雲(ぐも)というものがわかりませんでした。私どもが広島でよく知っているあのドーナッツ型のあの雲のこと、かと思ったくらいです。そして後から調べてみますと、ちゃんと日本の雑誌にも例えば「世界」などにその放射能雲ということが書いてありました。そして、そういうことを思いまして、私どもやはり毎日テレビジョンを見て、福島の原発の大爆発を見ている。しかしそこで空気中に大気中に放射された放射性物質というものが雲に乗ってずっと広がったと、いうことについて、あまり具体的な認識がなかったんじゃないかと、私はそうだったと思います。そしてそれが実は315日の午前2時から午前11時にかけて関東地方で非常に強く見られた。そしてその調査がありまして、発生源からの距離、地名、時刻、測定された放射能のピーク値、ピーク時、いうのが時間あたりマイクロシーベルトで示してあります。東京都も含んでいてあります。いわき市から横須賀市まで。それを私などあまり関心を持たなかったということを感じて、それから外国と日本の格差と、受け止めの格差ということを考えてきました。

 

そして今私が考えていますのは、今お話しようと思うことは一つだけでございまして、私の子どものときの記憶からずっと考えてみますと、私の人生はだいたい10歳ぐらいの時に始まったという気持ちを持っているのですが、それは戦争が終わった年です。すなわち広島・長崎の原爆がありました。そして日本が戦争に敗れた。そして翌年新しい憲法の公布があって、翌々年、その6ヶ月後憲法が施行された。それが私にとって非常に非常に大きい出来事だった。そしてそれから66年たちまして、現在に至ってみると、その次に大きい日本人に起こった事件が今度の大地震(だいじしん)、大震災、大津波とそして福島原発の大爆発ではなかろうかというふうに私は考えています。そしてあの広島・長崎があって、そして戦争が終わった、そして憲法ができたと。非常に大きい恐怖と、それから戦争から解放されたという気持ちと、あの新しい憲法というものに非常に強く揺り動かされた。動揺もしたし希望も持ったというとこから始まって、そして76まで生きてきまして、そして、今、大きい、いわばそこからいえば第三の原発(ママ)というものが、それも日本人が自分の国に落としてしまったような、大きい放射能の大きい危険・危害・障害、いうものが私たちに与えられそうになっている現在、与えられている現在、それまで生きてきたと。だから、今の起こっていること、あの戦争直後に私どもが広島・長崎、それから憲法発布について考えたことと結びついて考えようと思いまして、そのことを明後日の私どもの講演会でお話したいと思っております。

 

そこでその中の一つのことだけ申しますが、私は、井上ひさしさんと同い年の法律学者で樋口陽一先生て方がいらっしゃいました、いらっしゃいます。樋口さんがお書きになった憲法についての本で、我々が新しい憲法をつくったと。そしてそれが戦争放棄ということを言っている。実際には武装してしまったけれども、我が国の非武装ということまで言っている。そして戦争はしないということを言っている。あの憲法というものがどうしてあのように私たちは抵抗なく受け入れたんだろうかと。日本の大きい既成権力が、それから保守的な人たちも含めて、あれをどうして私たちが受け入れたのか、そして現在までそれが一応守り抜かれてきたというのはどういう意味かということを樋口さんはお書きになっています。彼の一番新しい本です。そしてそこで彼が言ってられるのは、法学をご卒業の皆さんは常識でしょうが、私は初めて知りました。憲法を含めて法律が出来上がるときには立法事実っていうものがあって、「legislative facts」じゃないでしょうか。立法現実というものがあるんだと。だから私たちがある法律を見るときに、法律の条項を見るときに、これがどういう時代的な背景を持って生まれたのかということをよく見る必要があると。それからそれを記憶しておく必要がある。それを記憶しなくなってしまうとその法律そのものの重要性っていうものを私どもは忘れてしまうことがある。法律家が忘れるし、一般庶民が忘れることがあると。日本の場合、原爆2つ落とされた。それから戦争に敗れた。そして、あの危機の中で憲法を作ったということは、あの憲法を作った背後にある事実として広島・長崎があるし、敗戦という非常に大きい窮乏・貧困、それから東京大空襲もあります。私ども含め大きい困難があったということが、その立法事実であって、そこであのように思いきった憲法を我々は作ったんだと。そしてそれを我々が今なお作り直そうとしないのは、持ち続けているのは、あの憲法事実「legislative facts」というものに対する強い記憶があるからだというのが樋口先生のご意見なんです。

 

そして私が考えましたのは、非常に3.11から現在までの6ケ月、私どもが考えたり感じたりしたことと重なってくるんじゃないか。今3.11のあと、私たちは広島・長崎のあと日本の国土が見舞われなかった、非常に大きい放射性物質の脅威の中にあります。特に子どもたちが、これから102030年の間に背負っていかなきゃいけない放射能物質(ママ)の被害というものは非常に明らかで、それが今もむしろ増大しつつあるような状況に我々はある。それが現在のその私たちの在り方じゃないか。そしてこういう時にですね、特に3.11直後から、先ほど落合さんがお話になった直後、1ヶ月後ぐらいまでは、日本のまあ自民党の政治家、民主党の政治家も含めてですね、実業家たち、政治家・・・の・・・ま様々なそういう人たちがこの原発っていうもに対して廃炉にしなきゃいけない、あるいは再稼働させることはやめなきゃいけないというふうな「国民的合意」というものがあったんじゃないかと私は思うんです。そして、現在既にですね、それは失われつつあります。ここの私ども今日の声明に書かれておりますけれども、現在新しく政権をとった首相は、この日本の経済活動のために、原子力発電所が必要であると、それをどのように再稼働させるかということを彼の政治課題の一つにしているようです。それに対して反対しようというのが私ども今日の声明ですし、9.19集会の非常に大きい焦点となると思います。

 

私はそこで9.19集会に向けてですね、今、そこに集まってきて下さる市民の方たちは、非常に私どもが敗戦のときに感じたように、世界と自分の国の危機ということを非常にお感じになっている。自分たちが起こした戦争のためにアジアに与えた加害ということと、自分たちが受けた大きい被害と、広島・長崎、東京大空襲もそうです、それをよく知っている人たちだった。それによって、そういう事実というものが背後にあって、あの法律をつくったんだと、憲法をつくったんだと。あの憲法をお読みになってみられると、その一番最初の章には「決意」という言葉が少なくとも二度使われています。私たちはこのように決意したと。不戦の国家と平和主義の国家を作ることを「決意」したということを言ってんです。「決意」ということが彼らの憲法事実のですね、一番根本の大きいところにある。現実を見てそういう決意をしたということがですね、決意は事実じゃありませんけれども、それはその決意したということが法律を作らしめたと。私たちは、現在ですね、非常に大きい決断を、決意をしなきゃいけないところにきている。この原子炉を今、全て廃絶するという方向に我々が決意をしてですね、今ですね、今のうちに、政治家たちを動かして、そしてそれを一つのはっきりした法律、法律上の決定として私たちが決定する。そして私たちのものとすると。そうすると本当に初めて、この広島・長崎の経験があり、それから66年たって、そして現在のこの大きい事故のもう一度経験がある。外国人たちがよく言うように、日本人はああいう大きい事故にあっても礼節を保って秩序を持っているという立派な人たちだという報道が最初沢山ありましたが、最近私が読む新聞、それから短波放送で聴くラジオは、むしろ、どうしてあれだけの経験をした人たちが、もう一度この、彼らは第三の原発と呼んでいましたが、第三の原発、いえ「第三の原爆」と、のようなことをもたらしてしまったのか、それに対する強い反省というものが、例えば政府にないのかと。原発をもう一度再稼働しよう、原発を全て廃絶するというようなことを、廃止するっていうようなことは、声が聞こえなくなってきたんではないか、例えばイギリスの新聞などは書いて、先週書いておりました。

 

そのときに私はね、思うんです。しかし私ども日本人の中に、この大きい事実を、すなわち福島の原発の大事故、それが放射能の大きい出来事として日本の国民、特に子どもたちの上にのしかかっている。それを大きく受け止めて、今後それを絶対にもう一度起こさせないと。今度のは事故かもしれないけど、それをもう一度起こさせれば、それは日本人が自分たちでやった犯罪だとアジアの人も例えば子どもたちも日本人の子どもたちも言うに違いない。将来言うに違いない。そういうところに、そういう大きい事実に立って私どもは生きていると。その事実をそのfactsを根底にして私たちは新しい法律を作ろうじゃないか。新しい、現在の原発を全て廃止にする、それも随分40年以上の時間がかかり、またその廃棄物の処理はもっともっと長い時間かかるようですが、ともかく、今それを決定的に廃止してしまう、再稼働はしない、新しいものはつくらせないということを私は国民投票すれば、現在私はその国民投票は勝利をおさめると私は思うんです。そういう大きい法律をつくろうじゃないか。そういう法律を私たちにつくらせるこの100年間のうちで二度目の大きい立法事実として、今度の大きい悲劇というものを困難というものを受け止めようではないか、それを今度の大きい大集会で決定しようじゃないか、決意しようじゃないかというのが私の考えでございます。どうもありがとうございます。

 

(質問:沖縄と今回の福島との関係などどう考えているか。)

私は沖縄について勿論考えますが、沖縄ということと今回の私どもの福島の大きい事故を中心の課題として行う大集会について自分がどういうことを考えているかということは明後日の講演会でお話しする主題にしています。それを今さっと言います。それは非常に簡単ですから。と言いますのはね、沖縄・・で、ある新聞に・・書いて・・その中で一節だけそれを書きましたが、沖縄で行われている市民の運動というのは本当に独特なものなんです。それは皆さんよくご存じの通りです。今現在で言いますとね、アメリカも日本の政府もそれから沖縄の地方自治体の考え方もですね、全部あの解決策は全く見つかっていない問題として普天間基地の移転問題があるわけです。今現在、非常にしかも非常に深刻な問題としてあります。新聞にも昨日それ載っておりましたけれども、アメリカ政府の予算の問題などを含めてというようなことが書いてありました。とにかく、沖縄でも沖縄の問題は、アメリカも日本も沖縄政府も沖縄県の県議会もそして我々本土に住んでいる人間も積極的なイメージを解決のイメージを持っていない。これはずっと今までそうです。この例えば普天間だけにいってもこの20年間そうです。ところがそれが行き詰っているにもかかわらず、非常に大きい危機が起こると沖縄では、10万人大集会というのが、100万人しかいない島ですよ、そういうのが起こる。そしてそれが非常にはっきりした意思を伝えることができているわけです。特にこの教科書の問題などでは明らかにその運動のみが日本の政府を動かしました。そのあとどうなったかっていうのはまた問題ありますけれども。そして私はまた大きい集会が起こると。そういう僕は沖縄が私どもに示している市民の実際行動というものの、直接的な民主主義の行動の模範だと考えています。そして私たちは沖縄問題はまだ解決しないままですが、しかし、次に大きい市民の運動が起こっている。それが新しい針路を示すだろうという期待も持ちながら、不安を持って沖縄を見つめているわけです。

 

そして今度の私どもの集会は私は政治色ということが表面に出てこない大きく統一された行動であるということ。それから特にそのために準備をして動いていられるタムラさんやオキヤさんの講演会に行った人から手紙をいただくということがありますが、特に女性の方が、特にお母さん方ですね、お子さん方を放射能の危険を感じて、集まりをしていられるお母さん方の反応が非常に、私どものところにも10件以上まいりました。ですから私は沖縄においての大きい集会が意味を持ってきたように、今度本土でこの集会は非常にかってない新しい意味と強さを持つんじゃないだろうかと思っている。この大きい集会をですね、沖縄をモデルとした全島民集会と、言っていいような大きい集会にして、大きい、それを何度も繰り返して、それが私どもの意思(意地?「いじ」と聞える)だということを国家が否定できないものにしていく、そして持続していくというのが私の考えている希望なんです。それを実際にどのように実現して、どのように持続していくかということは、例えば鎌田さんのように実際に運動を今支えて下さっている方のおやりなことで、私たち小説家はただくっついていくだけです。しかしくっついていこうと思っています。

 

(質問:白血病などが出ると他の国の専門家がいっているがどう思うか。質問者は外国人)

私は専門家じゃありませんから、お答えして意味があること、あるとすれば一つだけあることをしようとしています。原爆、広島の原爆を被爆して、それから患者の方が非常に沢山いられて、そして広島の場合は、あれですね、マッカーサー司令部が広島の原爆の直後に出した声明があって、それはこういう声明です。「広島で、ま、英語をそのまま訳すとちょっと刺激が強すぎますが、その、死ぬべき者はみんな死んでしまった、と。これから原爆の放射能ということを原因にした病気っていうものはもう考えなくていいだろう」ということを、マッカーサー司令部それから軍人そしてABCCというアメリカの広島の医療を研究する、被害を研究しますが医療はしないという団体がありました。それの結果として、共同で声明したんです。それは間違っていました。非常に多くの被爆者の苦しみっていうことはそれから始まりました。現在も続いています。しかし、その、とにかく広島では、特に放射能による内部被曝、すなわち、彼らは外部から非常に大きい勢いを持った放射性物質が人間にぶつかってそれで起こる大きい災害というようなことは言いましたけれども、小さな物質、放射性物質が体の中に取り込まれることによって起こる内部被曝ということは全くないと。内部被曝させるような放射性物質が発揮されても、その放射能は非常に小さなものであるから、それは人間の体にはさし障りはないということを声明したわけです。それがですね、この66年間の戦後の被爆者医学問題に非常に大きい影響を与えたんです。私が言いたいことは、今この機会にですね、今外国の方も関心を持って下さっているように、日本の子どもたちに、たとえば先ほどの放射能の雲というものが雨となって降り注いで、日本の多くの都市の子どもたちに影響を与えている。それが確かに低放射能の問題、低い放射能の問題であるけれども、それが無事だ、安全だということを言っているのは日本の医者と日本の官僚たちであって、その安全性が少しも評価されていないということがはっきりしている。そのことをですね、ずっと言い続けてきた医学者がいられるわけなんです。肥田っていう人です。肥田舜太郎先生という方です。そして、その方のご意見も、雑誌でいえば今月号の「世界」っていう雑誌に載っかっております。それは協力者の方が翻訳をして差し上げて持っていかれるといいと思うんです。今いう内部被曝、それから将来の子どもたちの医療の問題について一番まとまった文章です。それは肥田先生の長い長いインタビューです。そして私は来週はその肥田先生に対してですね、今の問題を広島の問題から出発して今度の福島の問題に至る、いう射程で長く私がインタビューしまして、それを一冊の薄い本ですが、その本にしようとしています。それは来週原稿をつくりますので、10月ないし11月にその本は発行されることになっております。そしてそれに今言われた、今度の放射能の物質におけるそれが、大気汚染したことについてあるいは水を汚染していることについての子どもたちに対する影響ということについては、今考え得る一番正確な調査に基づいた意見を肥田先生が述べて下さると思います。そして、もう一つ外国にもし持って行って紹介してほしいと私が考えている本がもう一つありますが、それは今言いました私のインタビュー集が出る本屋さんと同じところなんですが、この7年間に日本人の被爆者が400人集まって、いや600人集まって自分たちが本当に被ばくしたために今病気になっているんだということを国会に認めさせるという原爆症認知のための訴訟、集団でやる訴訟というものをこの7年間やってきました。そして政府はいやそういう戦争直後に発表された低放射能による内部被曝というものは病気の原因じゃないんだということを今も言い続けています。それに対して患者の証言と弁護士の人たちの非常に優秀な人たちの反論がありまして、そういうのはだいたいですね、600のうち400件くらいが勝訴に至って、それでも負けた方が230人くらいいられますけれども、そういう裁判があった。その裁判の全記録が非常に大きい本ですが、その日本評論社という本屋から出ています。それはね重いですが一部買って行って専門家にお示しになる値打ちがあると思います。値段は17千円(註:正確には15,750円)です。その本屋からもっと小さい本として僕たちが10月か11月にその子どもの被曝の影響ということについて本を出します。肥田舜太郎先生と私大江の共著です。

 

(ユーストリームよりテキストを起こしました。大江氏の発言に忠実に書きましたが、聴き間違いがあるかもしれません。なお、頻用された「あの」ということばは省きました。)

 

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泊原発3号機の営業運転移行プロセスはデタラメ

菅総理(当時)は8/11の参議院予算委員会で次のように答弁した。

  

泊原発については、従来の原子力安全・保安院による検査のみでは、国民の理解と安心を得ることは困難と考えております。このため、官房長官・原発事故担当大臣及び経産大臣で協議した結果、原子力安全委員会も関与した形での安全性の確認を行うことといたしております。

具体的には、原子力安全・保安院による検査結果を原子力安全委員会に報告するとともに、同委員会に安全確保上の留意事項の有無についての意見を求め、問題がないことを確認した場合には、経産大臣の方から定期検査の終了証を交付する、問題があるということになれば、そこでもう一度考え直すということになるわけであります。

8/11参議院予算員会議事録 当該答弁は本委員会での菅総理最後の答弁)

 

一方、原子力安全委員会・斑目委員長は8/11夕の記者ブリーフィングで次のように述べ、安全委員会によるダブルチェックを全面否定した。 

 

・私の方は何ら要請等を受けていません。

・あくまでも我々は、報告を受けたという、それだけの立場ということになります。

・そういう立場に安全委員会は法的にもない。

・あくまでも、そういう報告を受けたということだけでございます。

・細野大臣から要請を受けることはあっても少なくとも指示を受けることはないという、独立した立場にございます。等々

 

斑目安全委員長がこのようにダブルチェックがなかったことを明言したにもかかわらず、8/17高橋はるみ北海道知事は泊3号営業運転移行の同意を発表した記者会見の場で、「安全委員会のダブルチェックを受けた」と嘘をつき、住民を騙した。高橋はるみ知事の「同意」を受けて、同日、泊3号は営業運転へ移行した。

 

また同日(8/17)夜、菅総理(当時)は「原子力安全委員会でもきちんとチェックしたと聞いている」と発言。菅総理(当時)も高橋はるみ知事も、斑目安全委員長が自らダブルチェックの要請すら受けていないと明言しているにもかかわらず、「ダブルチェック」はあったと「嘘」の発言をしたのだ。

 

8/11の菅総理(当時)発言「原子力安全委員会も関与して泊3号の安全性の確認を行う」は、国会での答弁であり正式な政府見解だ。総理の指示のもと、この問題を担当した枝野官房長官(当時)・細野原発相・海江田経産相(当時)3閣僚は「協議」したというが、結局何をしたのか、しなかったのか。

 

8/23菅総理(当時)は参議院財政金融委員会で「ダブルチェックはしていない」との質問に対して次のように答弁した。

 

私は、ちゃんと原子力安全委員会も関与してチェックをするようにということを指示し、そういうふうになされたという報告を受けております。

 

今日質問があるということで、改めて法的背景を調べてみました。そうすると、この原子力委員会及び原子力安全委員会設置法の中に、核燃料物質及び原子炉に関する規制のうち、安全の確保のための規制に関すること、あるいは原子力利用に関する安全の確保のための規制に係るものに関することというのは、十三条の中で原子力安全委員会が企画、審議及び決定するという項目の中に入っております。つまり、私は、この法律に基づいて企画、審議及び決定するという手続を原子力安全委員会がきちっと取ったという理解の下で了解をいたしました。

 

私がきちんと原子力安全委員会にも関与するように、すべきだと言ったときに、こういう設置法に基づいてそれが可能ですという説明を事前の段階で受けておりまして、その法律に基づいて原子力安全委員会の方に指示をしたという理解をいたしておりました。今の議事録(8/11斑目安全委員長・記者ブリーフィング)については、確かにこの御質問いただくということで初めて見ましたけれども、もし法律に基づかない対応がなされたとすれば、それは問題ですので、私ももう一度法律にきちっと基づいた対応がなされたかどうかは確認してみたいと思っております。

 

私が一般的にやったことは、御承知のように、七月十一日に三大臣に新たなルールを作ってくれということで申し上げました。実は、この新たなルールの中では、一次評価というものは、定期検査中で停止中の原子力発電所についての運転再開の可否について判断するとなっておりまして、率直に申し上げて、定期点検中で稼働が再開されているものというものがややグレーゾーンに掛かっておりました。そういうこともありましたので、改めて原子力安全委員会の方にきちんと関与してくれという確かに指示もいたしました。その裏付けとしての、法律にあるから指示をしたというよりも、裏付けとしての法律もきちんと確認をしたということで、もしそうした手続がちゃんと取られていないとすれば、少なくとも私の指示なりその裏付けとなる法律にのっとらないことになりますので、それについては改めて原子力安全委員会の方にどういうことであったかは聞いてみたいと思います。

8/23参議院財政金融委員会議事録 後半の大門実紀史委員に対する答弁)

 

菅総理(当時)は8/23国会質疑で、安全委員会によるダブルチェックが行われていない可能性を認識し、安全委員会に確認・事実関係を聞いてみたいと述べたが、まさに政権末期症状でその後に対応した形跡はない。このように泊3号の営業運転移行に関する政府の対応、高橋はるみ北海道知事らの対応は、支離滅裂でまるでデタラメだったのだ。新任の鉢呂経産大臣は、まず、泊3号営業運転移行問題について、事実関係を精査・検証する必要がある。

 

現在、菅総理(当時)が指示した「ストレステスト」が行われている。政府は7/11の枝野・海江田・細野3閣僚文書で、ストレステストについて「(現行法令では関与が求められていない)原子力安全委員会による確認の下、評価項目・評価実施計画を作成し、これに沿って、事業者が評価を行う。その結果について、原子力安全・保安院が確認し、さらに原子力安全委員会がその妥当性を確認する」という方針を示した。しかし、次々と「やらせ」が明らかになっている電力会社がテストを実行・評価し、その結果を「やらせ」の主犯たる保安院が確認し、更に法的権限もスタッフもない安全委員会が確認するというやり方で行われるストレステストの信頼性は、あまりにも低いと言わざるを得ない。

 

泉田新潟県知事も西川福井県知事も、地震による損壊の可能性に言及し、事故原因究明・検証が行われない限り再稼働は認めないと言明している。再任となった細野原発担当大臣は統合会見のやりとりからも明らかになったように、保安院・東京電力と完全に一体となっている。臨時国会で国会に設置される「福島原発事故調査委員会」は、原発批判派の専門家の意見も求め、隠蔽を許さず徹底的に真実を追及すべきだ。

 

鉢呂経産大臣は就任会見で「より厳格な安全基準で評価し、保安院のみに任せず、地元の理解を得る方向でやっていく」と述べたのだから、誰もが納得するチェック体制の構築を最優先に行うべきだ。その誰もが納得する新体制のもとで安全審査指針・耐震設計審査指針・防災指針等の全面改定がなされ、それに基づく新たな知見による安全チェックが行われない限り、原発再稼働は議論・検討の対象とさえならないことは、論理的に自明ではないか。

 

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