漢方の真髄:セルフメディケーション


2009.9.20日経新聞「漢方なんでも道場」に、”我が意を得たり”の文章がありました。

「自分の健康は自分で守る=セルフメディケーション」が、これからの医療に欠かせない視点だと思います。


(記事)
Q.61歳女性。漢方やサプリメントがはやっているようですが、私は毎日の食生活や運動など日常生活の管理や心の持ち方の方がずっと大切だと思います。漢方ではもっと養生を「強調」すべきではないでしょうか。

A.質問者は「最近、病院に行くと何種類もの現代医薬品が出される。さらに漢方薬も追加された。症状をいうたびに薬が増える感じです」と不満を語っています。
「養生」が第一で、病気も未病(みびょう)、すなわち、病気の芽のうちに治すのが、漢方治療の基本です。

養生の重要性は江戸時代の多くの医家が述べています。

例えば、後藤艮山(ごとうこんざん、1659~1733)は湯熊灸庵(ゆのくまきゅうあん)との「あだな」があります。温泉や、熊の胆(くまのい、熊の胆汁を乾燥したもの)、おきゅうで体をあたためるととてもよいと説きました。病気のセルフメディケーション(自分の健康は自分で守る)を最も重視した優れた医家でした。

身体の「気」のめぐりが滞ると病気になる、薬はみな「毒」であり、体内の不調は食事でなおすのが基本で、風邪などの時でも漢方薬を一時的に使用するのに留めるべきだという立場でした。

漢方治療の基本は間違いなく養生です。

(北里大学東洋医学総合研究所所長 花輪 壽彦)
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茨城県医師会長・原中勝征氏「民主党マニフェストは80点!」

茨城県医師会は、今回の総選挙で、あえて民主党支援を強力に打ち出しました。茨城県医師会長である原中勝征氏は、民主党マニフェストに対して「80点をあげてもいい」と、非常に高い評価をくだされました。栃木県医師会などでも民主党候補を推薦する動きが見られ、これまでの自民党の特に医療・社会保障政策への医療従事者からの不満が、ここへきて一気に噴出してきています。当然です。

医師会「地方の乱」他県に拡大(asahi.com)

民主党の医療政策マニフェストには、

・地域の保健師を増やして、健康啓発活動の一層の普及をはかる。

・新薬などの製造・輸入の承認過程の審議をオープンにする。

・医師以外のコメディカルスタッフの職能拡大と増員をはかり、医療事故を防止し、患者さんとのコミュニケーションの向上をはかる。

・助産師業務の見直しをはかり、共同体制を促進する。

・漢方・ハーブ療法・食餌療法・マッサージ・音楽療法など、相補・代替医療について科学的根拠を確立し、専門的医療従事者の養成をはかる。

など、注目すべき画期的な表現がいくつもあります。

ドクターヘリの強化にも言及しています。私は更に踏み込んで、羽田をはじめとする各地の空港の中に「ドクターヘリ基地」を設置して、救急医療の飛躍的向上を国家ビジョンの一つとしてとらえ、日本は救急医療先進国として世界のモデル地域になることを目指すべきではないかと考えています。

これまでのような「病気をつくる」医療から、必要なとき必要十分な医療を享受できるあるいは提供できる社会に転換していかなければ、憲法で保障された健康で文化的な生活は、結局いつまでたっても実現しません。

医師に偏重した医療から、医師をとりまくコメディカルの職能発揮とその自立を促進することが、患者利益の観点からも重要です。

民主党は、診療報酬を細かく見直しをして、患者さんの負担増にたよらない医療機関の経営向上をはかります。民主党は、既得権益の枠にとらわれない、公正で踏み込んだ発想の転換によって、医療の未来を拓きます。

民主党医療政策マニフェスト(PDF版)

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新たな病ビジネス:まやかし「メタボ健診」2

過日はたともこブログで、「新たな病ビジネス:まやかし「メタボ健診」というタイトルで、私見を述べました。今日の産経新聞に、同趣旨の記事がありましたので紹介します。

「メタボ診断に疑問続出の理由」2008.10.3産経新聞朝刊・正論

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「後期高齢者医療制度」:10月15日から、新たな年金天引きが!

2005年の郵政解散総選挙の直後に発足した第3次小泉内閣は、衆議院で与党が2/3以上の議席を獲得した勢いに乗り、初当選した小泉チルドレンと称される人々のお祭り騒ぎでメディアをにぎわす中、あろうことか当の与党議員もその本質を知らぬままに、天下の悪法「後期高齢者医療制度」を成立させました。「小泉マジック」とは、まさにこのことを指すのであって、国民が支持した小泉政権は、実はそれに乗じて、国民を欺いていたのです。

65歳~74歳の障がいのある人を含めると、この制度の対象者は1,300万人です。政府の一方的な通告により、本年4月から、75歳以上の方々が、従来の保険から後期高齢者医療制度に強制的に移行させられ、保険料を年金天引きされるようになりました。何よりも保険料の「年金天引き」は、高齢者に大きなショックを与えました。特にギリギリの年金生活を送られている方々にとっては、事実上の年金削減、弱い者いじめもここまでくると虐待といっても過言ではありません。

厚労省の前で座り込みをしたり街頭で訴えたりと、政府への不満をあらわにする75歳以上の方々の姿を、今でもよく見かけます。2006年当時、人気に乗じて国民を騙すようなやり方をした政府は、恥を知るべきです。また、この法律の内容をよく知らなかったとコメントした与党議員は、議員の資格がありませんから辞職するのが当然です。

制度そのものの問題もさることながら、年金天引きというやり方は、弱い者いじめ以外の何ものでもありません。本制度で、4月からの保険料天引きが見送られた方々は、来月10月15日から天引きが開始されます。「会社員の被扶養者200万人」「4月からの天引きが間に合わなかった31自治体90万人」「健保組合などに加入する会社員本人35万人」と「65歳~74歳の前期高齢者の国保加入者250万人」、合わせて575万人の方々が、10月15日から年金天引きが始まるのです。政府は、この間の制度の廃止を求める国民の声の拡大をまったく無視して、新たな年金天引きを強行しようとしています。

平成18年度の70歳以上の医療費は、約14兆円でした。34兆円にのぼる医療費全体の、なんと4割以上です。医療費を沢山使う当事者に負担させようという後期高齢者医療制度は、事態の抜本的改革にはまったくなりません。一方で厚労省は、医療費増大の要因は、高価な薬や医療機器による「新しい治療手段」と言ってはばかりません。厚労省は、高齢化は医療費増の要因ではないとし、先進7カ国の中で、最も高齢化率の高い日本の医療費は、GDP比で見ると先進7カ国の中で最も少ないとも主張し、このままいくと2025年には倍増が予想される医療費を、決して高くはないと主張しています。

すなわち、厚労省は、年々増大する医療費をこのまま野放図にして、その分の負担は国民に押し付けると言っているに等しいのです。野放図にするどころか、あらたにメタボ健診を導入したのですから、医療費は予測をはるかに超えて膨れ上がり、2025年、国民の医療費負担はいったいいくらになるのか?空恐ろしくてなりません。

あえて諸外国と比較するなら、日本の医療費で目立つのは、薬剤費の占める割合が高いことです。先発医薬品の薬価は高く、ジェネリック医薬品が浸透してきたとはいえ、医療費全体に占める薬剤費の割合は約25%です。中でも高血圧疾患に用いられる薬剤費の割合が最も高く、1兆円規模の市場です。血圧の数値だけ見て体全体を診ず・・・多くの高齢者に降圧剤が処方されているのです。過日レポートした通り、新たに始まったメタボ健診によって、降圧剤は1兆円増・コレステロールを下げる薬は2兆円増と予測されており、医療費増大の大きな要因に薬剤費があげられることは、もはや否定できません。

対GDP比を諸外国と比較し、医療費はもっと膨らんでも当然と豪語してはばからない厚労省による医療行政は、あきらかに製薬会社に偏重しています。覚えきれない数の薬を毎日飲まされるご高齢の患者さんに遭遇する度に、薬剤師としての職業倫理から胸が痛みます。病状(体調)は良くなるばかりか一向に変化しないのに、漫然と与えられるがままに服用を迫られる患者・・・このまま看過して良いはずがありません。

遡れば漢の時代、皇帝は的確な診断と治療を施し病気を治す医者に、高い報奨金と名誉を与えました。翻って現在の日本の医療はどうでしょうか?今の医療に最も欠けているのは、適正な医療が行われたか否かを監査するという視点です。不適切に薬剤を処方していても、それをジャッジする担当者は当の患者を目の前にすることはできないので、レセプトに記載されている病名を信用するしかありません。病歴・病態について正確に把握することが不可能なので、長期間漫然と同じ薬が処方されていたり、むしろ病状が悪化しているケースがあったとしても、チェックしようがないのです。

将来的には、医療保険は、都道府県単位で一元化することがベストです。各自治体の裁量で医療費の適正化をはかるのです。選挙で選ばれた知事と住民自身の手で、しかるべき方法で公正なチェックをして、薬の使いすぎを直ちに指摘する仕組みが必要かもしれません。予算執行者である自治体に任せなければ、真のレセプトチェックは不可能です。

直面する課題である、産科・小児科・外科の医師不足に対して、単純に医師の数を増やすことだけをしても、問題は解決しません。新たな医師が、比較的楽な診療に偏在してしまっては、医療費だけが膨れ上がり本末転倒です。医師を増員するコストについても、新たに予算を組むのではなく、現状の医療費の組み換えによって捻出すべきです。そして、産科・小児科・外科の勤務医の処遇を厚くすることによって、これらの診療科の医師を確保していかなければならないのです。医療費は膨れ上がっているのに、何故、産科では医療を受けられる機会が激減し、小児科・外科では医師の数が減っているのでしょうか。医療費に占める高い薬剤費、中でも高血圧やコレステロールの薬など内科開業医が主に処方する薬の割合が多いことは、医療偏重の大きな要因になっています。勿論、検査づけも重要な問題です。このように、結果的に製薬会社や医療機器会社に偏重した予算を、国民本位に組み替えなければならないのです。

75歳以上の方々をターゲットにして、あらたに保険料収入を得ようとする「後期高齢者医療制度」は、天下の悪法です。それを見抜けなかった与党議員は、職務怠慢です。麻生太郎自民党幹事長は、社会保障費の伸びを年2,200億円抑制するという政府の方針を、凍結すると日本医師会に約束したそうです。新型インフルエンザに効果が期待できないタミフルの備蓄に2,000億円かけたり、新たな病気をつくり数兆円市場と言われるメタボ健診を導入したり、予防介護と称して筋トレマシーンを介護施設に導入したり、厚労省のやることなすことすべてが、業界との癒着です。いったい、誰のための行政であり政治なんでしょう!!

 医療費の適正配分をはかるために、まずは医療費の中身を精査することが必要です。医療費そのものがいまやメタボリックシンドロームなのですから、真っ先に「メタボ健診」をすべきは、医療費なのです。製薬会社や医療機器会社のために国民にしわ寄せが来る厚生行政は、即刻やめなければなりません。すなわち、政権交代です。自民党の総裁の顔が変わっても、自民党の中身は変わりません。政権交代だけが、たとえば厚労省ひとつとってみても、霞ヶ関の横暴を止めさせる、唯一無二の手段なのです。

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新たな病ビジネス:まやかし「メタボ健診」

お腹のまわり、気になりますよね。ビールや脂っこいものを控えなきゃ、そう思っている中高年の皆さん、流行の「メタボ健診」にだまされないでくださいね。動物性脂肪とコレステロールの多い卵などの摂取を減らし、リノール酸の多い植物油を増やすと、血清コレステロール値は下がり、動脈硬化や心疾患を予防できるという「コレステロール仮説」が、欧米の研究者の間では、もはや過去の神話になってきているのです。

例えば、長期追跡の結果、卵を1日に1~3個食べる人よりも4個食べる人のほうが、コレステロール値が低いことが、2000年米国で報告されています。体内にあるコレステロールは、3割を食物から、残りの7割は体内で合成されますが、コレステロールを多く摂取すると、体内でコレステロールの合成を抑える機能が働くのです。

また、短期間では、紅花油を使用したほうがバターを使用した場合よりもコレステロール値は下がりましたが、米国で大規模に行われた数年にわたる追跡調査の結果、紅花油(リノール酸)であろうがバターであろうが、コレステロール値に大差がないことが判明しました。また、「リノール酸」を積極的に摂取するよう栄養指導を受けた群ほど、心疾患のリスクが高いことがわかり、更に、コレステロール値が高いほうが、心臓病の罹患率が低いことも判明しました。

今では、リノール酸(ω6)を減らしα‐リノレン酸(ω3)を増やして、ω6/ω3の比率を低くすることが、心疾患の予防につながることがわかっています。すなわち、コレステロール値と心臓病とは、まったく関係ないということです。むしろ、コレステロール値の高い人のほうが、心臓病はもとよりガン罹患率も総死亡率も低く、長生きすることが、欧米で認められるようになりました。総コレステロール値に高い相関関係のある悪玉コレステロール(LDL)を、「悪玉」と呼ぶ理由がなくなったのです。バブルの頃から盛んに行われてきた、薬剤によりコレステロール値を下げようとする「コレステロール医療」は、もはや過去の神話と化しているのです。

金城学院大学薬学部・予防薬食学・「脂質栄養」オープンリサーチセンター奥山治美教授は、摂取油脂のω6/ω3比(n‐6/n‐3比)を低く保ち、有害因子を含む食用油の摂取を減らすことが、動脈硬化、癌、アレルギー症、精神神経症を予防する有効な手段であると明言しています。このように、国内外での長期追跡調査の結果、コレステロール医療が神話化しつつあるのに、厚労省は、これらの研究発表を無視して、なんと本年、「メタボ健診」の義務づけという強硬手段に打って出たのです。

2008年4月から健康保険組合などに義務づけられた特定健康診査いわゆる「メタボ健診」は、検査が重複する人や既に加療中の人を除き、40歳から74歳までのすべての人を対象とし、ウエストサイズの基準値を設けたことで注目を集めたことからもわかるように、内臓脂肪すなわちコレステロールに重きを置いた健診です。2008年9月14日の読売新聞朝刊では、体内でのコレステロールの合成を抑制する「HMG-CoA還元酵素阻害薬」(~日本でも多くの人が飲まされています。リピトール・リバロ・リポバス・セルタ・メバロチン・ローコール・クレストールetc思い当たる人は多いのでは?)を、ノーベル賞級の薬と大絶賛し、メタボ健診の普及によりこれらの薬剤の使用が更に広がると示唆しています。記事は、当該薬剤は、LDL値を25~35%下げる。LDL値を40下げると冠動脈疾患による死亡率が19%減ると、医学誌ランセットからも引用しています。

メタボ健診には、当然コストがかかります。国・市町村・健保組合が1:1:1の割合で負担することが決まっていますが、何故か国は、総費用の予測をあえて隠し、市町村にも試算する必要はないとし、必要なら交付金を国に要求するよう進言しています。意味不明です。メタボ健診の項目である中性脂肪やコレステロール・血糖値・肝機能を調べるには、血液検査が必要です。医師の判断で、心電図・眼底検査・貧血の検査が実施されれば、更に費用は嵩みます。厚生労働省は、メタボ健診のコレステロールの測定に、LDL値を採用しています。しかし、これは先に述べたように、奥山治美先生らの研究結果と相矛盾します。すなわち、厚労省は、LDL値が高い方が、むしろ心疾患リスクが低いとされる最新の報告を無視し、LDL値に固執し、結果的に先に商品名をあげた薬剤の使用を促進しようとしているのです。そうです、言うまでもありません。メタボ健診は厚労省とその天下り先である製薬会社、更に健診を請け負う開業医との癒着が生んだ、新しい「病ビジネス」なのです。

嘘で塗り固められたメタボ健診の大義名分のもと、医療費は更に膨むことが確実です。メタボ健診によって、新たに病気がつくられるからです。内臓脂肪の蓄積を判断するために、男性85cm女性90cmのウエストサイズの基準値が設けられているのですが、内臓脂肪の蓄積は、男性85cm女性90cmという一律の基準で、推し量れるものなのでしょうか?それこそ身長も体型も人それぞれなのに、笑うしかありません。更に言えば、やせ過ぎも代謝異常すなわちメタボリックシンドロームの1つです。しかし、メタボ健診は、太りすぎだけを対象とし、やせ過ぎを無視しています。いかに、厚労省の建前がまやかしであるかが、よくわかります。

少年の異常行動とタミフルの服用との因果関係を主張する浜六郎医師の言葉を借りると、メタボ健診は、仕掛け人にとって、「こたえられない病ビジネス」です。40歳~74歳の2/3の3,600万人が受診勧奨者となり、初診料と生活習慣管理費だけで年間5~6兆円の医療費が試算されています。降圧剤だけでも2兆円増、先のコレステロールの薬は1兆円増と見込まれています。厚労省は、いったい何を考えているのでしょうか?タガがはずれきった厚労省は、まさに日本のガンとしか言いようがありません。

メタボ健診を拒否したからといって、国民にペナルティはありません。病気街道まっしぐらの道を選ぶのか、暴飲暴食をやめ適度な運動を継続する自主自立の道を選ぶのか、選択権は国民にあるのです。一人一人の、賢い選択を期待します。しかし、一見悪事に見えないメタボ健診は、多くの国民を惑わすでしょう。後期高齢者医療制度も、厚労省の筋の通らない横暴でした。厚労省のやることに、ろくなことはありません。厚労省ひとつとってみても、霞ヶ関の解体は急務です。何が何でも来るべき総選挙では、民主党が政権をとり、しがらみのない立場で、霞ヶ関にメスを入れなければならないのです。リーマンやメレルリンチは、「つぶれちゃったあ!?」で済むけれど(すまないけれど)、厚労省の横暴によって日本の医療が崩壊し、日本という国家の財政が破綻してしまったら、私たち国民は、いったいどうなってしまうのでしょうか・・・・・。
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「死亡時画像病理診断(Ai)」死因究明~最期の人権

時津風部屋の力士が、リンチされ死亡した事件は、いまだ記憶に新しい。この事件では、明らかな不審死であるにもかかわらず、遺族の申し出がなかったら解剖には至らず、真実は解明されていなかった。それどころか、当初は、当時の時津風親方と警察によって、遺体は遺族に対面する前に火葬され、証拠隠滅がはかられようとしていたのだ。間一髪で行政解剖が行われ、親方と兄弟子によるリンチが死因であることが究明され、その結果加害者は起訴された。

 現在の日本では、監察医制度が機能していると言える東京23区を除いては、異常死にかかわる解剖は、ほとんど行われていない。この事実は、監察医制度が機能している地域を除いては、異常死であっても、死因が正確には究明されないケースが大半を占めていることを意味する。解剖医の不足がその主因とされるが、それはすなわち、天下り先として魅力を感じることのない、つまりビジネスにならないこの分野に、霞が関の役人の力が入らないという、行政の重大な欠陥をもあらわしている。

更に、手続きの煩雑さのため、解剖にもちこむことを敬遠する臨床医も多く、そんな医師の怠慢が解剖そのものを衰退させ、正しい死因の究明を阻害していることにもつながっている。生きている人間の治療に関心はあっても、亡くなった人にまで労力を費やすことには否定的な医師が少なからず存在する以上、死んだ途端に人間は、尊厳あるものとして扱われなくなってしまうのだ。医師が診ているのは患者という人間ではなく、目の前にある病巣だけなのではないかと指摘されても、仕方がない。

正しく死因が究明されない社会の実態を、私たちは看過することはできない。正しい死因の究明は、人間の尊厳の一部を保障するものでもあり、公衆衛生上も極めて重要なファクターである。まかり間違っても、この世の中で殺人事件が見逃されるようなことがあってはならず、法治国家たる日本の、それが社会正義だ。

そこで、病理医であり作家の海堂尊氏は、死亡時の正確な状況を把握する手段の一つとして、死亡時画像病理診断=Ai(Autopsy Imaging)を提唱した。解剖できないのならせめて、遺体のCTやMRIを撮ることによって、死亡時、特に異常死における客観的な情報を残すためのあらたな制度を義務づけようというものだ。

明らかに有意な情報すなわち証拠の1つとなり得るAiは、解剖ができない場合、異常死のみならず、医療行為の最終監査の役割も担うものとなる。何事も第三者による評価がつきまとう世の中にあって、医師だけが医療行為に対する監査を免れる権利はどこにもない。死因を究明する上で、解剖にまさる「証拠」はない。しかし、すべての死においての解剖が不可能である以上、Aiを導入することは、次善の策として他に変わるものがない。カルテよりも、Aiが真実を語ることもある。

近年、医療ミスを扱う裁判が急増しているが、Aiは、遺族だけではなく医療従事者にとっても有益な証拠となり得る。正しい死因を究明されては困る医師がもし仮に存在するのだとしたら、それは明らかに医師としての社会正義にもとる行為だ。専門職の医師のもとに、患者は医師の言いなりになる必要は決してないし、そこには医療行為における客観的事実のみが存在するのだ。解剖がなされないなら、Aiがそれを語る。

死亡時Aiの導入は、理論上そんなに難しいことではない。CTやMRIを撮影するマンパワーとその設備投資にコストがかかるが、この先の10年間の59兆円もの道路計画を考えれば、比較にならないほど軽微であるし、凶悪犯罪の横行や医療裁判の増加を考えれば、Aiの導入は、法治国家として必要な整備だ。

本年3月、腰の重い厚生労働省の背中を押す形で、日本医師会が死因究明にAiを導入することに前向きな姿勢を明確にした。「(虐待を考慮し)幼児の死亡すべてにAiを義務付け、更に大人に拡大していく」と提案している。また、正しく死因が究明されれば、診療行為に関連した異常死における医師の責任も、おのずと明らかになってくる。その診療行為が現在の医学に照らし合わせて非難されるべきか否かは、そこで初めて社会が客観的に判断する。

人生の最期である死が、正しく判定されない社会は健全とは言えない。「死人に口なし」だからこそ、今私たちは、最善がダメなら次善の策を望まなければならない。国民が日頃から健康に気を遣い、例えば開業医が患者をつくらず、厚生労働省が天下り先としての製薬会社を優遇することをしなければ、医療費は自然と抑制できる。後期高齢者医療制度などという愚行よりも、死亡時Aiの制度化に精力を注ぐことのほうが、より国民に利益をもたらす。この国の厚生行政をつかさどる官僚の資質が、いま問われている。

(参考)

http://www.cabrain.net/news/article/newsId/15328.html

http://plaza.umin.ac.jp/~ai-ai/

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院内助産所 6月30日

昨日のブログでも書いたが、私は、かつての日本のように、助産師が再び活躍する社会を目指すべきだと考えている。産婦人科医不足に悩む地方都市の、それが福音になることは勿論のこと、何よりも、本来、出産よりも大変である育児に対する助言を助産師には期待できるからだ。信頼のおける街角助産師なら、子育て世代の若い親は、気軽に育児の悩みを相談できるはずだ。授乳のこと、離乳食のこと、発育に関する疑問や悩みなど、育児経験の浅い親なら、チャンスさえあれば聴きたいことは山ほどあるはずだ。

4月25日のブログに詳しく書いたが、単純に計算すると、1人の産婦人科医がとりあげる赤ちゃんの数は、1975年当時のほうが、2004年よりも圧倒的に多いのだ。終戦後GHQによって、日本では盛んだった助産院での出産に対して否定的な見解が示され、急速に助産院の数は減少した。ここ数年、助産師の数は微増傾向にあるとはいうものの、現在、我が国の助産師の数は約25,000人余りで、その殆どが病院に勤務している状況だ。助産師には開業権がある。助産師が、近隣の医療機関とスムーズに連携することができれば、開業助産師が増え、一気に「出産難民」は救われるはずなのだ。

助産師による出産は、医師の勤務体系にあわせて出産時間を無理矢理コントロールされることはなく、限りなく自然に近い形で行うことができる。しかも助産師は、妊娠から出産・育児とトータルで相談に乗ってくれる。考えれば考えるほど、出産において助産師を活用しない手はないのだ。

最近注目されているのは、今日の朝日新聞でも紹介されている「院内助産所」という形態だ。産婦人科医の常駐する病院の一隅に「助産院」を設け、正常分娩の場合は、助産師だけで出産の介助を行うというものだ。緊急の場合には、当然医師が対応するが、出産の多くは正常分娩であるから、「院内助産所」が軌道に乗ることは、産婦人科医の過酷な労働条件の緩和に直結するものでもあるのだ。

街角助産院であっても、「院内助産所」と同様に、近隣の医療機関とスムーズに連携可能であることが望ましい。助産師との役割分担を、産婦人科医が割り切りさえすれば、地域の出産事情は激変する。助産師の地位も保障され、産婦人科医も助産師も妊産婦も、そして産まれてくる赤ちゃんも、全員がハッピーになる。開業助産師の割合は現在7%に留まっているが、街角助産院は、地域の子育て相談の窓口になり得る、無限大の可能性を秘めた存在であることを忘れてはならない。「院内助産所」と「開業助産院」とが出産のメインステージにとって代わった社会に、育児ノイローゼやネグレクト、虐待などの言葉は無縁であるはずだ。医療機関での無機質なお産と異なり、助産師が活躍する出産は、人間味があふれ温かい。

医師不足に悩む岩手県では、昨年から「院内助産所」の第一歩となる「助産師外来」がスタートした。検診や保健指導を助産師が行うのだ。一方、長野県では、地元住民から、助産師の活用を求める声が挙がった。佐久市立国保浅間総合病院では、今秋から「助産師外来」を本格始動させ、いずれは院内助産所の開設を目指すという。

産婦人科医不足の解消と同時に、子どもの健やかな成長を促すためにも、GHQの指導により減少してしまった助産院が、再び街角で元気を発信できる場になるように早急な政策転換が必要だ。抽象的でしかない少子化対策・子育て支援対策を議論する政府よりも、明らかに地域自治体のほうが現実に沿った意義深い挑戦を始めている。しかし本来は、国が先頭に立って、信頼のおける街角助産師の育成に乗り出さなければならないのだ。「院内助産所」はもとより、医療機関との連携のとれた開業助産院が地域に増えることは、何よりも生まれてくる子どもたちに幸福をもたらすのだ。信頼できる助産師に介助され、温かい気持ちで出産に臨む妊婦からは、元気な良い子が産まれてくるに違いないのだ。

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国が控訴したC型肝炎訴訟 6月28日

国敗訴の判決が下されたC型肝炎集団訴訟に対して、国は今日、判決を不服として控訴した。国の全面敗訴が確定したB型肝炎訴訟の最高裁判決の直後でもあり、国は控訴しないのではないかと期待もされていたが、案の定、国の対応は誠意の感じられるものではなかった。当時、明らかにC型肝炎のリスクを知りながら放置した張本人は、他ならぬ厚労省だ。厚労省には、薬害を二度と繰り返さないという決意が、まったく感じられない。

「当時、妊婦の命を救うためには必要な薬だった。」と断定し、治療上の効果がリスクを上回っていたとする厚労省の主張は、極めて危険な解釈だ。即ち、「ベネフィットがリスクを上回る」との見解が、今後もオールマイティに利用される可能性を示唆するからだ。将来、エンブレルなどの米国産ウシ由来原料をいまだに使用する医薬品に「薬害BSE」が発生しても、国は「ベネフィットがリスクを上回ると判断した」と、意地をはり続けるつもりなのだ。とんでもないことだ。

そもそも、問題の「フィブリノゲン」を投与する際、医師は患者に対して、C型肝炎に感染するリスクを十分に説明していたかどうかは非常に疑問だ。十分な説明がなされぬまま投与されていたのであれば、監督責任を負う厚労省すなわち国がその責任を負うことは避けられない。例えば、現在「エンブレル」を投与されている患者のすべてが、BSEリスクを十分に認識していると断言できるだろうか。将来、不幸にも薬害が発生した場合、厚労省は「治療上の効果がリスクを上回ると判断した」と、必ず主張するに決まっている。この言葉を切り札に、いかなる場合にも厚労省は、意地を張り通すつもりなのだ。

患者に過酷な治療を強いて最悪の場合はガンを誘発してしまいかねないリスクを、医師が患者の立場に立って十分に認識していたなら、実際には、治療上の効果が殆どないとされる「フィブリノゲン」を、その場で医師は投与していただろうか。結局は、医師自身の認識が甘く、一種の「惰性」で「フィブリノゲン」を投与してしまっていたことが最大の問題なのだ。

最後の砦である処方医が、十分にリスクコントロールができなかった薬害C型肝炎は、「ベネフィットがリスクを上回る」と断言できるものでは、決してないのだ。ただ、当時の「フィブリノゲン」の添付文書に、患者に対するリスクの説明責任が明記されていなかった以上、処方医の刑事責任や賠償責任は問えない。従って、リスクコントロールを十分になし得なかった製薬会社と厚労省とに、すべての責任があるのだ。

薬害被害者の苦しみに、少しでも心を寄せる気持ちが厚労省にあるのならば、控訴という形にはならなかったはずだ。製薬会社のための厚労省なのか、国民の健康を守るための厚労省なのか、つくづく考えさせられる今日の「控訴」なのだ。
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薬害こそ官僚政治の最たるものだ 6月18日

2003年12月に、日本でも販売が開始された抗菌剤「ケテック」が、米国で大きな波紋を呼んでいる。「ケテック」の販売が開始されて以降、米国では2年間で110件もの肝障害が報告されている。うち4名は死亡が確認され、「ケテック」を承認したFDA(米食品医薬品局)に批判の矛先が向けられ、とうとう公聴会が開催される見通しとなったのだ。

2001年誕生した「ケテック」は、当初から肝臓に及ぼす副作用が懸念され、承認が見送られるというアクシデントに見舞われていた。開発したフランスのサノフィ・アベンティス社は、独自に安全性を確認する臨床試験を行い、その結果、日本では2003年、米国では2004年に承認、販売が開始されたのだが、実は、この臨床試験に重大な問題があったのだ。サフィノ・アベンティス社は、臨床試験の報告書に副作用を過少に報告、即ち記録を誤魔化し虚偽のデータを記載していたのだ。臨床試験にかかわった医師は、2003年、詐欺罪により実刑判決を受けている。

これらの事実を認識した上で「ケテック」を承認・販売許可した厚労省やFDAに、落ち度がなかったとは到底言い難い。厚労省もFDAも、そしりを免れるものではない。耐性菌の発現を忌避する狙いはあっても、他に類を見ない効能が期待されるほどの医薬品でもないのに、リスクの高い「ケテック」を承認するメリットが、いったいどこにあったのか。患者利益とは別の、官業にまたがる利権の構図が疑われても仕方がない。

米国では、公聴会という異例の措置がとられることとなったが、日本国内でも「ケテック」は2004年に約20件の副作用が報告されている。同年11月厚労省は、サフィノ・アベンティス社と販売元のアステラス製薬とに注意を喚起すべく添付文書の改訂を通知しているが、製造・販売元を指導するだけでは、事故の未然防止にはつながらない。「ケテック」が私たちにとって本当に必要十分な医薬品であるのかどうか、厚労省は、科学的なエビデンスのもとあらためて公正に審査・検討する必要があるのではないか。

ジェネリック医薬品が徐々に市民権を得る中、大手製薬メーカーは新薬の開発にしのぎを削る。その結果、私たちにとって本当は不必要かもしれない医薬品が上梓されるばかりでなく、「ケテック」や「エンブレル」のように、十分な安全性の科学的根拠のないまま患者に投与される医薬品が、今後も少なからず流通する可能性を完全には否定できない。独創性のある新薬の薬価は、高額だ。発売後数年間で、莫大な利益を挙げたい製薬メーカーが、当然、ネガティブファクターを可能な限り隠し通したいと考えることは十分に予測される。だからこそ、新薬の安全を確保するためには、厚労省やFDAが、開発メーカーの資料に頼らない独自の審査体制を構築していくことが求められるのだ。

今月16日、原告の完全勝訴となった「B型肝炎訴訟」は、提訴から17年もかかったことを除いては、当時の厚生省の不作為を認めるに十分な判決だった。21日に判決が言い渡される「薬害C型肝炎集団訴訟」では、旧ミドリ十字(現三菱ウェルファーマ)が加熱フィブリノゲンによる肝炎発症例を少なく報告し、当時の厚生省が、ミドリ十字のこの報告を極めて信頼性の高いものだと評価していたことが判明している。即ち、医薬品の安全性や副作用情報については、当時もそして現在も、製薬メーカーが提出する資料を厚労省は丸のみしているということなのだ。それが薬害や重大な副作用をもたらす大きな要因であり、特に、新薬を承認する際の最大の問題点となっているのだ。

天下り先である製薬メーカーが承認申請する新薬に対して、厚労省が独立した立場で公正に審査することなど、常識的に考えてもできるはずがないのだ。厚労省から製薬メーカーへの天下りを完全に断ち切らない限り、医薬品を公正に審査することは不可能だ。数ある役所の中でも、製薬メーカーに天下る厚労省の天下りほど、国民に不利益をもたらすものはない。医薬品は、人間の命をも左右する両刃の剣だ。どんなに画期的な効能が期待されても、同時に重大な副作用を伴うものであれば、その承認には慎重に慎重を重ねることが必要だ。「エンブレル」がそうであるように、重大な副作用の可能性があっても、製薬メーカーの提出資料のみに頼り、科学的エビデンスのないまま、いわばメーカーの言いなりになって販売を許可した薬事審議会の対応は、過去の過ちをまったく教訓としない厚労省の姿勢の現われなのだ。

日本にとって最も重要なことは、国民に重大な被害を与えても決して過ちを認めようとしない官僚政治からの脱却だ。天下りの禁止にまったく手も足も出なかった小泉政権に、「改革」を語る資格などそもそもありはしないのだ。官僚と対等に議論できるだけの能力を備えた「国会」でなければ、真の改革は断行できない。互いに癒着して共存するのではなく、名実共に三権が分立して、国家社会の再構築に取り組まなければ、この国に未来はない。

そのための第一歩が、政権交代なのだ。
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帝王切開急増 6月11日

帝王切開での出産が、この20年で倍増している。日本の出産事情の大きな変化が、その数字から見てとれる。1984年には全体の7.4%だった帝王切開が、2002年には出産全体の15%を超えた。医院が11.8%であるのに対して病院での帝王切開率は、17.9%にものぼる。ハイリスク出産である高齢出産が、帝王切開の割合を高めていると同時に、近年は、産婦人科医の不足という医療側の深刻な状況がその背景にある。出産時間のコントロールが増え、例えば助産院では出産のピークは日の出に近い午前6時前後であるのに対して、病院での出産時間のピークは、午後1時~2時、しかも土日の出産が極端に少ないという現実がそこにはある。

産婦人科医不足が、結果的に産婦人科医に自然分娩を敬遠させ、そんな医師の思惑が妊婦に伝わり、痛みへの恐怖も相まって帝王切開を選択する妊婦が増えている。一番ダメージを被っているのは、他ならぬ赤ちゃんだ。スムーズな自然分娩が、赤ちゃんにとっても妊婦にとっても、最も負担の少ない方法であることに相違はない。陣痛促進剤などを使用し、出産の時間をコントロールされる赤ちゃんは、言葉を発しないだけで実は大きな負担を強いられている。本来、難産や逆子、胎児の心拍数が低下した場合に踏み切る帝王切開を、なんら問題もないうちから安易に選択する現代の出産事情を、私たちはこのまま看過しても良いのだろうか。

2005年の医療事故の1割を占める産婦人科領域において、医療事故・医療過誤を避けたいという医師の心理が、結果的に妊婦に帝王切開を選択させていると専門医は分析する。帝王切開は、医師にとって、精神的にも肉体的にも楽。しかし、自然に産まれようとする赤ちゃんの生命力が、恣意的に左右されていることもまた事実だ。そして、帝王切開が紛れもない外科手術であることも、忘れてはならない。妊婦は、安易に帝王切開を選択すべきではないし、医療サイドも、病院の事情を妊婦に押し付けてはならない。誰のための出産なのか。出産の主人公は誰なのか、妊婦も医師も、今一度考え直す必要がある。

自然分娩は、病院に最低限の利益しかもたらさない。しかし、何らかの事情で帝王切開に踏み切ると、診療報酬は上乗せされる。産婦人科医不足が、実は、新たな医療費のムダ遣いを招いていることに、厚労省も気付かなければならない。本当に必要な帝王切開であるのか、そうでないのか、レセプトのチェック機能も問われるところだ。比較的労働環境に余裕のある診療科に、医師が集中してしまうことは自然の摂理だ。厚労省は、診療科ごとに医師が偏在しないように、工夫する努力を怠ってはならない。医学部の卒業試験や医師国家試験あるいは適性等を考慮することによって、診療科および地域間の医師の格差を是正することは可能だろう。

特に産婦人科領域においては、助産師の育成に重点を置き、出産・育児経験のない親たちが社会から孤立しないよう、気軽に相談できる信頼のおける街角助産師を輩出していくことは、喫緊に課せられた国家の使命だ。優秀な助産師は、日の出とともに誕生する命を、ありのまま受け入れ歓迎してくれる。赤ちゃんはペットではない。誕生する命に敬意を表し、確固たる人格を形成し社会に送り出していくことは、親をはじめかかわる全ての大人の責任だ。その最初の難関である出産で、大人が半ば責任を放棄してしまっては先が思いやられるというものだ。本当に必要な場合を除き、易々と帝王切開を選択することないように、医師は責任を持って妊婦に指導・助言をしなければならない立場にあるのだ。医師のほうから、暗に帝王切開を選択させるような説明があっては、決してならないのだ。そして何よりも、赤ちゃん本位の施策が、厚労省には求められるのだ。
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