96条こそ最大のポイント 10月30日

自民党の新憲法草案第9条は戦争宣言だと書いたが、実は、この草案の最大のミソは、9条の改訂ではないかもしれない。ミソと言うより「ワナ」と言ったほうが正しいと思うが、最も注目すべきは第96条、憲法改正要件の項である。現憲法では、両院の2/3以上の賛成がなければ、国会が憲法改正案を発議することはできない。しかし、本草案では、両院の過半数の賛成で憲法改正の発議を可能としているのだ。

本当に残念なことに、9条改正について、民主党の現執行部は、話し合いで同調できる節を匂わせている。前原代表は、「集団的自衛権」を憲法に明記すべきだと主張しているタカ派の一人だ。自民党は、今回の草案にある程度の幅を持たせ、民主党も賛成できるような内容に抑えておいて、この草案が現実のものになるやいなや、96条をたてに、あらゆる面で本音を暴露し、国家主義的な憲法改正を行うつもりに違いない。

最も懸念されるのが、非常事態における“戒厳令”や、国旗・国歌の強制、靖国神社の国家護持を可能とする第20条の改訂などだ。“戒厳令”のもとに私たち国民の人権は、完全に失われてしまうのだ。9条2項に幅広く曖昧な解釈を持たせる意味が、ここにある。戦争を具体的に想定し、国民に義務規定を設け、非常時、逃げ場を失った国民の人権は、国家によってズタズタに踏みにじられてしまうのだ。

自民党の憲法草案は、昨日の2+2での在日米軍再編問題の合意とも、明らかに連動している。アメポチ小泉政権は、米軍への緊密な協力のために、日本国民の人権までをも侵害しようとしているのだ。あたかも米国が譲歩したかに見せた普天間基地移設問題と引き換えに、横須賀に原子力空母を導入する。すべては日米首脳間で仕組まれたシナリオだ。知らぬは日本の国民ばかり・・・。

隠された最大のポイントは、第96条にある!この事を、広く一般の国民に伝える責任が、民主党にはあるはずだ。現憲法の改正は、民主党の協力なしには実現できない。自民党は、当然、民主党に歩み寄ってくるに決まっている。しかし、2/3以上の壁が取り払われてしまった暁には、民主党には見向きもせず、国家主義的な憲法改正へとばく進するに違いない。民主党も国民も、惑わされてはならない。96条こそが、最大のポイントなのだ。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

自民党新憲法草案9条は戦争宣言だ 10月29日

自民党の新憲法草案は、自衛隊を「自衛軍」と呼び、9条2項によって自衛隊を明確に軍隊と位置づけている。集団的自衛権を認め、自衛隊の戦闘地域での武力行使を可能にした2項と、戦争の永久放棄をうたった1項とは、明らかに矛盾する。小学生でもわかることだ。しかし、スレた大人になると、1項と2項との矛盾を紐解く、姑息なテクニックを身に付けるようになるのだ。無理を通して道理を引っ込めたのでは、憲法の威信は失墜する・・・。

特に第79条にある軍事裁判所の設置は極めつけだ。これこそまさに、自衛隊の活動が他の国々と同じ軍事行動であることの裏づけとなるものだ。戦後60年、秩序ある平和で人権の豊かな日本の社会を支えてきた、最後の砦が憲法だった。好戦的条文を加えることが、21世紀にふさわしい未来志向型の新しい憲法ということになるのだろうか。

戦闘地域での武力行使を命じられるとなれば、自衛隊に入隊する人は減り、除隊する人は増えるだろう。理性を失った国による急迫不正の侵害に対処するための、個別的自衛権は勿論必要。しかし、日米同盟の名のもとに、米軍と一体となって参戦し武力行使することは、自衛隊員を、あらたに靖国神社にまつることになる。世界からも評価されない上に、好戦主義・米国への単なる隷属に過ぎず、何より主権国家の名がすたる!

大改憲論者である中曽根康弘元総理は、自身のまとめた素案が無視されたため、奇しくも、「国柄や子孫に伝えていくべき考え方が完全に抜けている」と論評している。この草案のもとに育つ子どもたちは、戦争に対する意識が、完全に“行け行けドンドン”になってしまいかねない。これまでの日本国家は、たとえ与えられたものにせよ現憲法下、被爆国の痛みを胸に、弱者の立場に立ち、思いやりの心を忘れず、平和と人権の豊かな社会を目指し必死に頑張ってきたのだ。

自民党の新憲法草案・第9条は、好戦国家アメリカに対する唯一のタガであったはずの専守防衛という砦を、なし崩し的に崩壊させるものだ。この上、教育基本法まで改正されてしまったら、21世紀後半の日本は、独善的な軍事国家になりかねない。

地球上のどこであっても、紛争や戦争はあってはならない。米国が何かと理由をつけて開戦することは、人類が唯一生息できる小さな星「地球」を、自ら痛めつけていることに他ならない。そもそも、こんなちっちゃな星で領土を争ったところで、何の意味もない。アメリカと一体となった戦争を想定する「集団的自衛権」は、人類を自滅の道に導く、愚の骨頂の論理なのだ。人間は、もっと賢い生物であるはずだ。

今日、小泉総理は、自衛隊殉職隊員追悼式に出席した。この1年間で、訓練中の事故や海外での支援活動での事故により殉職した自衛隊員は、なんと16名にものぼるそうだ。驚くべき人数だ。海外での支援活動中の事故って、いったい何なんだ!?ベールに包まれた部分を明確に情報開示し、憲法を見つめ直す上での重要なファクターにしなければならないではないか。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

「麻垣康三」ではなくて、タケナカタケコ 10月28日

小泉総理は燃えている!闘志がみなぎり、小泉流改革路線をまっしぐらだ。郵政民営化の次は、政府系金融機関の統廃合に本気で取り組むつもりだ。日本政策投資銀行・国際協力銀行・中小企業金融公庫・国民生活金融公庫・商工組合中央金庫・農林漁業金融公庫・公営企業金融公庫・沖縄振興開発金融公庫とその名を聞けば、確かに既に役割を終了したものが多い。小泉総理の目に、天下りのためだけに存在する時代遅れのお荷物機関と映るのもうなずける。

中小零細企業あるいは自営業への支援は、今後も当然必要。小泉総理の「民間にできることは民間に」の言葉は、逆に言うと、民間にできないことは公的機関がやるしかないわけで、貸ししぶり・貸しはがしで中小零細企業を苦しめてきた民間銀行に、ベンチャーを育成することなど到底できはしないのだ。今日の日経トップの、東京三菱銀行がメガバンクとしては初の「無担保・個人保証免除」での中小企業向け融資に乗り出すとの記事は、小泉総理の政府系金融機関統廃合路線を後押しするための、世論操作だったのかも!?

各省庁ごとの政府系金融機関は、勿論不必要!民営化が決まった以上、「良い民営化」となるよう、国民生活金融公庫・中小企業金融公庫・農林漁業金融公庫などは郵政公社に吸収して、民営化後の郵政公社が中小企業や自営業者の融資を担えるようにすれば良い。それこそまさに、郵貯・簡保の資金が、民間に流れる構図だ。民営化後の郵貯銀行を、外資や大資本のものとはせず、政府が1/3を出資する会社にして、政府系金融機関を一つに統合したのち、いずれ郵貯銀行に吸収する形が良い道筋だ。

経済財政諮問会議で、統廃合をしぶる各省庁の代弁をした谷垣大臣と中川大臣を、小泉総理は激しく机をたたいて一喝したそうだ。これでポスト小泉の芽はなくなった!?

「首相、異例の名指し批判」と取り上げた日経の記事に、朝刊が届くやいなやいち早く反応したのは、中川秀直自民党国対委員長。~ただし、「玉石混交を砕く」ではなく「玉石共に砕く」だとは思うが~また、過日、武部幹事長は「増税の前に歳出削減を」と発言している。今や小泉総理が全幅の信頼を置く人物は、「麻垣康三」ではなく、竹中経済財政担当相と中川秀直国対委員長や武部幹事長、そして刺客第一号の小池百合子環境相なのだ!?

小泉総理は、11月2日に予定していた内閣改造を2日前倒しして、10月31日に行うことを決めた。小泉流2005年体制とは、「アメリカと経団連の利益+創価学会+マスメディア」体制ということだ。そこに国民は不在だ。誰のための改革なのか、何のための改革なのか、そろそろ国民は、小泉改革のまやかしに気付き始めている。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

普天間基地移設問題合意は、牛肉輸入再開とのバーター!? 10月26日

普天間基地移設問題は、一応の合意を得た。当初から沖縄県内での移転ではなく、国外(例えばグアムやサイパンなど)への移転を要求してきた私たち日本国民にとっては、とても満足のいく内容ではない。しかし、アメポチ小泉政権は、何らかの形でいずれ妥協点を見出すことは想像に難くなかった。

案の定、アメリカ政府に「日米関係が悪化しないため」と言わせ、いかにも日本が恩を売られる形で、防衛庁の案にほぼ沿った、キャンプ・シュワブ兵舎付近から沿岸の海上にかけて、滑走路を1,800mとすることで合意した。それでも、滑走路が海上に突出する以上、ジュゴンが生息する周辺海域への影響は甚大であり、美しい沖縄の自然環境が、米軍基地によって更に破壊されてしまうのかと思うと、理不尽な人間の営みに無力感さえ覚える。

迷いもなく環境を破壊しようとする米国(軍)は、必ず自然からのしっぺ返しをくらうだろう。現実に、年々勢力を増す北米を襲うハリケーンは、京都議定書から離脱するほど環境を軽視する米国に対する、まさしく地球からの反逆だ。

今日の合意を落とし所とする普天間移設問題での日米の駆け引きは、おそらく、年内の米国産牛肉の輸入再開とのバーターに違いない。日本国民と沖縄県民は、政府からとことん馬鹿にされたものだ・・・。沖縄県民の怒りは当然で、日本政府は、断固として米軍基地の国外移転を主張すべきだったのだ。

日本は米国の属国ではない。この上、憲法9条に集団的自衛権の行使が明記される事態になれば、いよいよ日本は米軍の2軍勢力、好戦国家ということになる。大戦当時、一度、地獄を味わった沖縄の人々を、今もなお苦しめる日本の政府は、本当に不甲斐ない・・・。

米国政府は、徹底的に自国の利害・覇権だけを考え、日本に要求を突きつけてくる。一方、日本の政府は、日本の国民の利益を考えているのか米国にシッポを振っているのか、さっぱりわからない。今こそ、アメポチ路線を断ち切り、堂々と米国を相手に主張し世界に貢献できる、真のリーダーシップが求められるのだ。アメポチ・ネオコンのお坊ちゃま総理なんて、もういらない。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

直接支払い制度の行方 10月25日

日本でも2000年から始まった農業の「直接支払い制度」は、バラマキと思われても仕方がないくらい、発足当初は心もとない状態だった。WTOでは「緑の政策」として既に実績があるこの制度は、食糧自給率の向上と同時に環境保全の見地からも、21世紀の日本の農業の発展を考える上で、大いに期待される制度だった。

所謂「田舎」すなわち過疎化が進む中山間地域における農業の後継者の育成には、都市部と農村部との交流は不可欠であり、折りしも三位一体改革のもと市町村合併が進む中、中山間地域と都市部とが地産地消で結ばれることは、資源の有効利用の観点からも絶対に必要なことだった。21世紀、日本が進むべき道「小さな政府」を実現するために、直接支払い制度が真に意義ある制度に発展していくことは、多くの人々が期待する非常に重要なテーマなのだ。

私自身も、最も重要な政策として、近隣の26市町村すべての役所にヒヤリングし、直接支払い制度の進捗状況や実態を調査して歩いた。中には、堂々と、集落協定を結んだ急傾斜地の棚田を案内して下さる役場の職員の方もいらっしゃり、中山間地域であればあるほど、この制度に対する思いの程は強かった。

発足後5年間の区切りを経て、本制度は継続されることとなったが、同時に、目前に迫ったドーハ・ラウンドを控え、農水省はまったく新たな所得補償政策を始めようとしている。農業は、途上国の経済活動を考える上で最大の武器となる。WTOの農業交渉は、先進国が途上国とのたたかいを迫られる珍しい場だ。当然日本は、先を見越して国内の農業の足腰を固め鍛えておくべきだったのだが、実際には、2000年と今現在とでは殆ど進歩の跡は見られず、結果、ドーハ・ラウンドを乗り切ることを大義名分とする、大規模な農業法人のための新たな直接支払い制度が、どさくさまぎれに導入されようとしているのだ。

5年間に及ぶ直接支払い制度の成果は、残念ながら殆ど見受けられなかったが、今回登場した大規模農家への所得補償は、WTOで認められた「緑の政策」とは異質のものだ。今、大切なことは、中山間地域の農業を発展させていくために、既存の直接支払い制度を充実改善させていくことなのだ。特に中山間地域の直接支払い制度は、今や「環境税」とも切り離すことはできない。欧米諸国のように、「環境直接支払い」の導入も取り組むべき課題の一つになっている。農業の後継者の育成、また地産地消による真の循環型社会の実現を目指す上で、まず取り組むべきは「中山間地域」なのだ。

都市部に隣接する平野部の農家と、急傾斜地が多く過疎化が進む中山間地域の農家とを、同じ「直接支払い制度」でくくることは、そもそも間違っている。本来は、「環境税」を導入する前に、都市部に水や農作物を供給している中山間地域の農家を助成・発展させることに、重点を置かなければならないのだ。

平野部への新たな所得補償を否定はしないが、そのために本来の直接支払い制度の意義が見えなくなってしまったのでは本末転倒だ。過疎化の進む中山間地域の農地は、水源涵養・洪水の防止機能・大気の浄化作用など「緑のダム」としての機能を果たし、都市部の人々にとっても大きなプラスとなる。地球温暖化を食い止めるためにも、中山間地域の農地の多面的機能をフル活用することが重要だ。

食糧の自給率を高め、環境保全の観点からも有効な、真の意味で足腰の丈夫な日本の農業を構築していくために、意義ある議論が活発に展開されることを、中山間地域を大切に思う者の一人として私は心から期待する。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

食品安全委員会プリオン専門調査会と自民党財政改革研究会 10月24日

今日、食品安全委員会プリオン専門調査会が開催されたが、輸入再開となる結論部分に異論も出て、次回以降へと先送りとなったようだ。そりゃそうだ。

①全頭検査の実施②厳格な飼料規制③SRM(特定危険部位)の除去④トレーサビリティの確立、これら4本柱で、日本のBSE対策は行われている。しかし、米国のそれは、4本柱すべてにおいて、むしろ日本と同等のものはない、と言ったほうがよい状況だ。

今日の調査会では、米国産牛肉と国産牛肉とのリスクの差は非常に小さいという結論でほぼ合意したとの報道もあるが、それは郵政民営化以上に、メディアの先走り、「飛ばし」報道と言える。先の4本柱が、完全に食い違っているのに、どこが「リスクに差がない」ということになるのだろう。調査会の専門委員も、皆、そのことはわかっている。現状では、米国産牛肉には多大なリスクがあるのだ。

そもそも、輸入再開をしつこく迫るアメリカの連邦議会の議員たちは、日本に輸出しようとする「牛肉」を、実は、食べていないのではないか!?アメリカの上流階級(高所得者)の近年のブームは、オーガニック。牛肉も例外ではなく、自然の牧草などを食べた「有機牛肉」を摂取しているそうだ。日本に輸出しようとしている「牛肉」は、米国の低所得層が食べているものであって、米国議会は、自分たちが食べない肉を、日本に押し付けようとしているのだ。冗談じゃない!!

一応、今日の会合では、問題はまだまだ未解決との認識で一致したようだ。誰が見ても明らかなように、現状の米国産牛肉はリスクがありすぎる。そんな牛肉を、無理やり日本に輸入再開させても、賢い日本の消費者は、決して買ったりしない。米国との間で、付け焼刃的な約束は、絶対にしないことが重要だ。

さて、自民党財政改革研究会は、2007年度、所得税と個人住民税に関する定率減税を、廃止すると提言した。一般的なサラリーマン家庭で、年間数万円の増税となる。サラリーマンに増税を課すのなら、当然のこととして公務員の総人件費と公共事業費の削減が先に来なくてはならない。国と地方とを合わせてそれぞれ約40兆円もあるこれらの予算を、20~30%削減することは、喫緊の最重要課題だ。

勿論、公務員の生首を切るということではなくて、高級官僚の天下りを廃止することと、天下りの温床である特殊法人を全廃することが肝心なのだ。そして、団塊の世代の大量退職による欠員の不補充で、公務員の総人件費の削減は可能となるのだ。また、普天間移設の問題とダブルパンチで沖縄の海に衝撃を与えようとしている、新石垣空港建設問題。こんな、あまりにも生態系を無視した、「人間よがり」の無謀極まりない公共事業を、絶対に許してはならない。あらゆる観点から考えて、八重山の美しい海を傷つけてまで新石垣空港を造らなければならない意義を、私はまったく見出せない。そんな、環境破壊以外の何ものでもない公共事業を、止める勇気が必要だ。

さらに、医療福祉関係の歳出の伸びを抑制することも必須。医療費は、今回の厚労省試案にあるように、2025年度の総医療費を49兆円、国民所得比9.1%に抑えること。そして、懸案の年金財源は、消費税を「年金目的税」と限定し、それを基礎年金の財源に充てることが必要なのだ。自民党財政改革研究会のように、消費税を「医療・年金・介護」と社会保障全般にあてるという案は、結局は、目的を限定しないことと同じだ。やはり「消費税=基礎年金」という構図が、一番わかりやすくて合理的なのだ。

プライマリーバランスの赤字をゼロにしても、更に国と地方とを合わせて、約20兆円の赤字が残るのだから、消費税の年金目的税化は、避けては通れない間近に迫った問題だ。消費税を上げることは、誰もが嫌がることだ。しかし、それでも、やらなければ、国の財政は破綻する。議員年金を廃止して、公務員の総人件費と公共事業費を削減した上で、消費税の全額を基礎年金の財源にあてるということで、国民の納得を得るしか方法はないと、私は思う。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

名騎手・武豊に感動! 10月23日

武豊の手綱さばきには恐れ入った!素晴らしい!感動!
今日のディープインパクトは決して万全とは言えず、馬に任せていたら最後は失速していたに違いない。武豊騎手が騎乗していなければ、「無敗の帝王」の栄冠を、ディープインパクトは手にすることはできなかっただろう。

第4コーナーを回ってからのラストスパートを、あれほど見事に決めこむ天才ジョッキー武豊の才能に、心底脱帽。あんな風にググッと伸びるこの先の人生であったら良いのになあと、思った人は多いはず。賭けなくても、存分にしびれたレースだった。

総選挙の67.08%と打って変わって、32.75%という極めて低い投票率に終わった神奈川の参議院補選。あらためて、先の総選挙における、メディアの影響力の大きさを思い知らされる。総選挙から間もないのに、こんなにも有権者の関心は薄れるものなのか。出口調査の結果、先般の総選挙では投票に行った無党派層が、今回は投票していないことがわかった。そんなもんなんだ・・・。川口さんも、複雑な心境だろう。

でも、やっぱり、投票して初めて、有権者の責任を果たすということになるのではないか。サイレントマジョリティを決め込めば決め込むほど、官僚マジックによって、有権者への負担増は、着々と忍び寄って来る。投票していない以上、何があっても文句を言える立場にないのだ。

武豊騎手は、3分間のドラマを駆け抜ければ良いが、政治はそうはいかない。郵政公社や道路公団を民営化した責任を、小泉総理に代わって誰がとるのか。国民は、時の総理大臣のおもちゃではない。中国やアジア諸国への配慮を忘れず、尚且つ、沖縄県民より米国を優先することのなきよう、武豊騎手のようにまっすぐ真剣に政治に打ち込む総理大臣を、国民は望んでいるのだ。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

議員年金いよいよ廃止 10月21日

いよいよ議員年金が廃止される見通しとなった。本当に残念なことに、数々ある既得権益にしがみつく偽善者たる国会議員は意外に多く、とにかく、何はさておき議員年金を廃止せねば、議員の説得力のかけらもない有様だ。

小泉総理はなんと、即時廃止を主張する民主党案にのっても良いから、議員年金廃止を早くやって欲しいと明言した。大勝した余裕だとはわかっていながら、そう言いきる小泉総理を、この問題に関しては評価しなければならない。靖国参拝とのバランスを、自分なりにとろうとしているのかもしれないが、感情論ではなく是々非々でいかなければ政策は実らないのだから、良しとしよう。

民主党案では、既に議員年金を受給している人の受給額を3割カット、まだ受給はしていない議員が納めた保険料の5割を返還し、残りの5割で現在受給する議員の年金を賄うというものだ。現状を勘案して、最善の策だと評価すべきである。

高村正彦議員は、「老後に備えて、サイドビジネスに励む議員の姿が目に浮かぶ」と述べているが、それこそ愚の骨頂だ。仮にそんな議員が居たとしら、即刻クビだ。そもそも、議員たるや、河村たかし議員がいつも言っているように「ボランティア」で十分なのだ。ボランティアだからこそ、損得抜きで真剣に政策を語ることができるのだ。

議員年金が本当に廃止されれば、議員は当たり前だが国民年金にスライドされる。大半の国会議員が、「ええっ!!割の悪い国民年金かあ・・・・・」と溜息をついていることだろう。こうして、やっと国民年金ひいては我が国の年金制度が真面目に議論され、本当の意味での年金改革が進んでいくのだと、私は思う。既得権益に守られた国会議員が、庶民の暮しなど真剣に議論できるはずがない。議員年金廃止によって、国会議員はやっと庶民と同じ土俵に立ち、懸案の年金改革に真剣に挑んでいくことになるのだ。

とにかく年金は、すべての人々に公平公正でなければならない。共済年金や厚生年金が特別優遇されるということは、職業による人生の格差が存在することに他ならない。何人も職業選択の自由は保障されるが、その結果、年金の配分が異なるようでは、憲法第22条の意義が薄らぐというものだ。

人々を取り巻く環境は様々であるので、基礎年金により国が最低限の生活を保障することは必要だ。現在は何に使われているのかさっぱりわからない消費税を、基礎年金にのみ当てることとし、すべての国民に基礎年金の財源を明確に理解してもらうことは、非常に意義あることだ。例えば、消費税率10%なら、基礎年金は月額7万円のように、年金受給額が消費税とパラレルであることは、非常に意味のあることだ。

その上の2階の部分は、国民年金基金のように、一人ひとりの裁量による積み立て方式をとる。月々の掛け金(積立金)が1万5千円なら年金受給額は月額5万円(積み立て期間20年)、掛け金が3万円なら10万円のように、極めて明快な積み立て方式とすることが重要だ。何故なら、そうすれば必ず、自己責任で年金は積み立てられていくからだ。現在のように、優遇される人と冷遇される人、更には議員のように「特別待遇」の人と分離されていると、一般的に冷遇されているとみなされる国民年金の人々は、なかなか保険料を支払う気分にはならないからだ。

更に、これまで共済年金や厚生年金を積み立ててきた人々が損をしないように、それらは3階部分として、積み立て方式(2階)の上に、上乗せする形をとれば良い。自営業の人々は、年金を沢山受給したければ月々の保険料をたっぷりと支払えば良いし、サラリーマンは、積み立て部分と企業年金部分とのバランスを、自らの裁量で配分すれば良いのだ。

いずれにしても、まずは何よりも、超・特別待遇の議員年金を廃止することが先決だ。思わぬところで、小泉総理のリーダーシップがものを言う!民主党案を成立させて、とにかく来年度から議員年金廃止を断行する国会であって欲しい。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

医療制度改革試案 10月20日

昨日発表された厚労省「医療制度構造改革試案」は、2025年、全人口の2割以上を占めると予測されている70歳以上の高齢者に、大きく負担を強いるものだ。高齢化により毎年8,000億から1兆円の医療給付が増え続けると推定される中、厚労省が70歳以上の高齢者を負担増のターゲットにしたことは、ある意味当然ともいえる。

一方、世の中には、明らかに不必要に多くの種類の薬を処方されている患者が大勢いる。両手でも足りないくらい薬を処方されていた年輩者が、いくら薬を飲んでも改善しないので、すべての薬を飲むのを止めた途端に元気になったという話は、冗談のようだが現実に少なからず耳にすることだ。

複数の薬が処方されている患者が、更に症状を訴えたとき、新たに薬を追加するのではなく、既存薬の副作用の可能性を追求し、むしろ「引き算」の診療ができないものかと、私はいつも思う。患者が症状を訴える度に薬を増やし、気がつけば患者がそれぞれの薬の効能を覚えることができないくらい山盛りの処方がなされることが、患者の体にとって本当に有益な治療だといえるのだろうか。

当然、処方薬の数が多ければ、その分、患者の窓口負担も増え、「高いなあ」と溜息をつく患者は多い。現役世代の5倍もの医療費を使う高齢者のうち、特に後期高齢者の罹患率が高いことから、試案では、65歳~60歳の窓口負担は2割に引き下げるが、70~74歳の窓口負担を、現行の1割から2割に引き上げるとしている(現役並みの収入がある人は3割)。

しかし、このような形で患者に経済的負担を強いる前に、まずは医療の質の向上が急がれるべきではないか。無駄な検査がなされていないか、無駄な薬が処方されていないか、医療制度改革を議論するにあたり厚労省は、医療の中身を徹底的に精査すべきなのだ。まずは医療のスリム化をはかり、医療の質を向上させた上で、患者負担割合を議論すべきである。それが筋というものだ。

医療現場では、患者は常に受身だ。特に加齢とともに反応の鈍る高齢者は、医師の言いなりである場合が多い。少子高齢化が加速度的に進む我が国では、社会保障費における高齢者医療や介護にかかる費用の占める割合は、今後益々ウエートを占めてくる。だからこそ、その中身を野放図にし、医療機関や介護事業所のやりたい放題を看過することは、厚労省の怠慢以外の何ものでもない。心ある医師に遭遇することが、幸運であってはならない。すべての医療機関が、患者に対して「心ある」診療を行う世の中でなければならないのだ。医療制度改革の本質は、そこにあると私は思う。

厚労省は、経済財政諮問会議が求める水準まで医療費を抑制する場合、医療保険の「免責制度」の導入が必要だと提案している。一回の外来受診費用のうち、1,000円または500円までを全額自己負担とするというものだ。貧乏な私は、マジで、おちおち医療機関を受診できなくなる!免責制度を導入する以上は、無駄を省き、スリム化された質の高い医療であることを、国は保障しなければならない。横行する社会的通院をなくすことと医療の質の向上、この二本柱が求められる。真の医療制度改革とは、患者と医師双方のモラルハザードへの切り込みでなければならないのだ。

ところで、医療費をGDP比5.6%以内に適正化するという最も厳しい数値目標を掲げる経済財政諮問会議が提案する、ジェネリック医薬品の使用促進化策は、非常に評価できる。医療保険給付をジェネリック医薬品の薬価水準までとし、先発品(薬価の高いもの)を選択した場合の差額を自己負担とするという仕組みだ。妙案!最近では、ジェネリック医薬品の品質は向上し、先発品との差が殆どない。貧乏な私は、この頃はジェネリック医薬品の愛用者だ。必要に応じて患者さんにも、医療費抑制のためにと、ジェネリック医薬品をお薦めしている。先発品も、一定の特許期間を過ぎれば、ジェネリック並みに薬価を引き下げれば、公平な競争ができるのだ。

厚労省の「医療制度構造改革」の基本は、このまま放置すれば、2025年に56兆円すなわち国民所得(NI)比10.5%に達する医療費総額を、49兆円すなわちNI比9.1%に抑制すること、そして、医療保険制度の再編成、つまり都道府県が保険者であるべきで、75歳以上の後期高齢者の医療保険については、市町村が運営すべきだという点にある。

この試案に対して、経済財政諮問会議は、総額を42兆円に抑制することを提案している。厚労省と諮問会議のせめぎ合いが年末にかけての焦点となるが、いずれにせよ、いま最も大切なことは、医療の質の向上すなわち医療資源の無駄使いをなくすことにあると、私は強く主張したい。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

中教審答申案に「人間力」の文字 10月19日

中教審の義務教育特別部会が決定した答申の最終案には、「教師の力量の強化を通じて子どもたちの人間力の豊かな育成を図る」との一文がある。中教審が「人間力」という言葉を使ったことは画期的、非常に評価できる。既得権益への執着や自己保身のための行政にならないよう、文部科学省のお役人も、まさに「人間力」をもって義務教育の更なる発展のために尽くしていただきたいと願うばかり。

しかし・・・冒頭の総論部分に「人間力」という言葉が登場し、期待を持って読み進めた最終答申案だが、読み進めていくうちに、肝心の「子どもたち」が実は置き去りにされていることに気付く。文科省はこれまでの権限(権力)を維持するためになりふり構わない姿勢を示している。文科省の言う「義務教育の根幹の保障」とは、「教職員の身分と生活の保障」に他ならないことが、手に取るようにうかがえる。

必要な資質能力が保持されるよう、教員免許の更新を検討するとあるが、文科省はいったい教員に必要な「資質と能力」とは、何だと考えているのだろうか。勿論、わかり易く指導するために教師自身の学力の向上は必須だ。従って、知識の確認のための学力試験は必要かもしれない。

一方で、教師に問われる最大の課題は、「人間力」の豊かな人を育てるために、子どもたちの心の成長を支える術を備えることだ。そのために、教師が持たなければならない能力とは何だろう。キレない子どもを育てるには、セネカの言葉のように、接する周囲の大人自身が思慮深くあることが重要だ。不当な要求などに対して、直ちに怒りを露にすることなく、いったんは受け止められる、度量の広さが必要だ。

それには、艱難辛苦を乗り越えた豊かな人生経験、すなわち「年輪」が何よりものをいう。指導者に「人間力」がなければ、子どもたちの「人間力」を、育むことなど決してできない。民間企業で幾多の荒波を乗り越えてきた熟年世代の方々の登用こそ、義務教育の現場には必要なのではないかと私は思う。教員免許を更新する際、教師の人間力を、どうやって推し量るというのだろうか。

学校を出たての若い人間が、まさに人格形成に多大な影響を与える小中学校で、全権をもって「教える」立場にあることに、私はずっと疑問を抱いている。若い教師に示唆する人間が必要だし、教員免許更新の前に、理想とする教師像を明確にすることが肝心だ。

更に最終答申案では、安心して教職に就くことが質の高い教育を生み出すもので、そのために、教職員の給与は保障されなければならないとある。文科省が、義務教育費の1/2を国庫負担すると主張する要因の一つだ。しかし、よく考えてみると、これは民間とは完全に逆の発想だ。通常は、結果に対して評価が下され報酬が与えられる。文科省の言い分は、良い結果を出すために、まずは給料を保障するというもので、論理が逆だ。現状にあまんじる教師から、質の高い教育など絶対に生まれない。

保障だけでは、良い意味での緊張は生まれることはなく、本末転倒。いつまでも既得権益にしがみつく教師など、必要ないではないか!義務教育の改正には、人間力のある教師を確保することが何より優先されるべきで、そのためには、教師採用の権限を地方自治体に委譲し、社会の各方面からふさわしい人生の先輩を登用していくことも考慮に入れるべきではないかと、私は思う。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 前ページ