薬害こそ官僚政治の最たるものだ 6月18日

2003年12月に、日本でも販売が開始された抗菌剤「ケテック」が、米国で大きな波紋を呼んでいる。「ケテック」の販売が開始されて以降、米国では2年間で110件もの肝障害が報告されている。うち4名は死亡が確認され、「ケテック」を承認したFDA(米食品医薬品局)に批判の矛先が向けられ、とうとう公聴会が開催される見通しとなったのだ。

2001年誕生した「ケテック」は、当初から肝臓に及ぼす副作用が懸念され、承認が見送られるというアクシデントに見舞われていた。開発したフランスのサノフィ・アベンティス社は、独自に安全性を確認する臨床試験を行い、その結果、日本では2003年、米国では2004年に承認、販売が開始されたのだが、実は、この臨床試験に重大な問題があったのだ。サフィノ・アベンティス社は、臨床試験の報告書に副作用を過少に報告、即ち記録を誤魔化し虚偽のデータを記載していたのだ。臨床試験にかかわった医師は、2003年、詐欺罪により実刑判決を受けている。

これらの事実を認識した上で「ケテック」を承認・販売許可した厚労省やFDAに、落ち度がなかったとは到底言い難い。厚労省もFDAも、そしりを免れるものではない。耐性菌の発現を忌避する狙いはあっても、他に類を見ない効能が期待されるほどの医薬品でもないのに、リスクの高い「ケテック」を承認するメリットが、いったいどこにあったのか。患者利益とは別の、官業にまたがる利権の構図が疑われても仕方がない。

米国では、公聴会という異例の措置がとられることとなったが、日本国内でも「ケテック」は2004年に約20件の副作用が報告されている。同年11月厚労省は、サフィノ・アベンティス社と販売元のアステラス製薬とに注意を喚起すべく添付文書の改訂を通知しているが、製造・販売元を指導するだけでは、事故の未然防止にはつながらない。「ケテック」が私たちにとって本当に必要十分な医薬品であるのかどうか、厚労省は、科学的なエビデンスのもとあらためて公正に審査・検討する必要があるのではないか。

ジェネリック医薬品が徐々に市民権を得る中、大手製薬メーカーは新薬の開発にしのぎを削る。その結果、私たちにとって本当は不必要かもしれない医薬品が上梓されるばかりでなく、「ケテック」や「エンブレル」のように、十分な安全性の科学的根拠のないまま患者に投与される医薬品が、今後も少なからず流通する可能性を完全には否定できない。独創性のある新薬の薬価は、高額だ。発売後数年間で、莫大な利益を挙げたい製薬メーカーが、当然、ネガティブファクターを可能な限り隠し通したいと考えることは十分に予測される。だからこそ、新薬の安全を確保するためには、厚労省やFDAが、開発メーカーの資料に頼らない独自の審査体制を構築していくことが求められるのだ。

今月16日、原告の完全勝訴となった「B型肝炎訴訟」は、提訴から17年もかかったことを除いては、当時の厚生省の不作為を認めるに十分な判決だった。21日に判決が言い渡される「薬害C型肝炎集団訴訟」では、旧ミドリ十字(現三菱ウェルファーマ)が加熱フィブリノゲンによる肝炎発症例を少なく報告し、当時の厚生省が、ミドリ十字のこの報告を極めて信頼性の高いものだと評価していたことが判明している。即ち、医薬品の安全性や副作用情報については、当時もそして現在も、製薬メーカーが提出する資料を厚労省は丸のみしているということなのだ。それが薬害や重大な副作用をもたらす大きな要因であり、特に、新薬を承認する際の最大の問題点となっているのだ。

天下り先である製薬メーカーが承認申請する新薬に対して、厚労省が独立した立場で公正に審査することなど、常識的に考えてもできるはずがないのだ。厚労省から製薬メーカーへの天下りを完全に断ち切らない限り、医薬品を公正に審査することは不可能だ。数ある役所の中でも、製薬メーカーに天下る厚労省の天下りほど、国民に不利益をもたらすものはない。医薬品は、人間の命をも左右する両刃の剣だ。どんなに画期的な効能が期待されても、同時に重大な副作用を伴うものであれば、その承認には慎重に慎重を重ねることが必要だ。「エンブレル」がそうであるように、重大な副作用の可能性があっても、製薬メーカーの提出資料のみに頼り、科学的エビデンスのないまま、いわばメーカーの言いなりになって販売を許可した薬事審議会の対応は、過去の過ちをまったく教訓としない厚労省の姿勢の現われなのだ。

日本にとって最も重要なことは、国民に重大な被害を与えても決して過ちを認めようとしない官僚政治からの脱却だ。天下りの禁止にまったく手も足も出なかった小泉政権に、「改革」を語る資格などそもそもありはしないのだ。官僚と対等に議論できるだけの能力を備えた「国会」でなければ、真の改革は断行できない。互いに癒着して共存するのではなく、名実共に三権が分立して、国家社会の再構築に取り組まなければ、この国に未来はない。

そのための第一歩が、政権交代なのだ。
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