大江健三郎氏とエドワード・サイード 4月29日

今日は、私にとって記念すべき1日となった。長年の夢であった、作家・大江健三郎氏の講演を、生で聴くことができたのだ。「生・大江」に、あと何回会えるかわからない、もしかしたら最初で最後のチャンスかもしれないと、昨夜は興奮してあまり眠れなかった。

歴史に翻弄されるパレスチナの地に、和解と共生を求め続けたパレスチナ出身の知識人故エドワード・サイードを軸に作成されたドキュメンタリー映画、佐藤真監督「エドワード・サイード OUT OF PLACE」の完成記念上映会で、生前のサイード氏と親交のあった大江健三郎氏は講演した。2002年、朝日新聞は、大江氏とサイード氏との往復書簡を連載した。私も毎回楽しみにしていた読者のひとりだが、実際のところ内容が非常に難解で、2,3度読み返さなければ理解できなかったことを覚えている。

2時間17分にも及ぶ映画は、佐藤真監督の思い入れが十分に伝わってくる力作だったが、サイード氏が亡くなったあと撮影されたものなので、子どもの頃のモノクロフィルムなどでしか、サイード氏本人は登場しない。映画上映後、妻のマリアム・サイード氏が挨拶に立った。妻・マリアムは、音楽を通してパレスチナとイスラエルの和解と共生を実現しようとしたサイード氏の遺志を継ぎ、指揮者でピアニストのダニエル・バレンボイムとともに、パレスチナ西岸地区で音楽教育の発展とイスラエル・パレスチナの若手音楽家の交流プロジェクトに、現在取り組んでいる。バレンボイムは、ワーグナーの解釈の第一人者で、2002年にも日本で公演を行っている。

マリアム・サイードによる紹介で登場した「生・大江」は、やっぱりすごい人物だった。まず何よりも驚いたのは、この講演のために大江氏が費やした、膨大な時間とエネルギーだ。半年前から準備を始め推敲された講演内容は、会場で大江氏の講演を聴く妻マリアムに対して同時通訳しやすいようにと、事前に原稿にまとめられていた。生原稿をめくりながら話す大江氏の姿は誠実さにあふれ、大江氏の言葉を借りるならば「優しさの感情」にあふれていた。即ち「優情」というこの言葉は、少年時代からの友人であり義兄であった映画監督・伊丹十三氏の突然の自殺に悩み苦しむ大江氏に対して、サイード氏が送った言葉の一つだ。オリジナルは「Affection」。大江氏は、堀田善衛氏の言葉を借りて、これを愛情ではなく「優情」と訳したのだ。

今日の講演の圧巻は、大江氏が教育基本法について触れたことだ。昨年1月発行の「『自分の木』の下で」の文庫版のあとがきで、大江氏は教育基本法について触れている。日本国憲法が施行されたその年、大江氏は新制中学に入学した。前年、父親を亡くしていた大江氏は、中学への進学をあきらめていただけに、喜び勇み、学校で教わることのすべてに興味を持った。「(新しく施行された)憲法の一番大切なところが、子供の生活と関係づけて短く書いてある」と社会科の先生が紹介してくれた教育基本法を、大江氏はノートに写した。大江氏は「難しい言葉の連続だったが、その文章が好きだった」と記している。

このとき大江氏は、教育基本法の文章を、これから作っていく学校の方針を子供らに約束するのにふさわしい表現であると感じ、「普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化の創造をめざす教育」が本当になされるのであれば、自分はしっかりと受け止めようと思ったという。

自公が合意した「伝統と文化を尊重し、それらを育んできた我が国と郷土を愛する」の表現は、国境を超える文化の多様性を否定し、国家によって文化を一つにしようとするものであって、著書「文化と帝国主義」でサイード氏が考察し導き出した思想に明らかに反するものだと、大江氏は主張した。パレスチナを追放され、生涯「exile(故国喪失)」であり続けたサイード氏が求めてやまなかった「文化」を、政府改正案は、まさにエグザイルするものだ。現在の教育基本法と政府改正案が示す『文化』とは、多様性と普遍性において正反対のものであると、大江氏は言い放ったのだ。このままでは、戦争という暴力によって世界の文化を統一しようという米国の帝国主義に、日本は飲み込まれてしまうと大江氏は危惧する。

敗戦前の、「文化」の帝国主義に戻りかねない与党の改正案が、昨日閣議決定され国会に提出されたことは、天長節であった4月29日を意識してのことだと大江氏は分析する。政府改正案は、これまでの教育基本法の趣旨とは、まったく異なるものだと断言し堂々と立ち向かう大江氏の言葉に、会場を埋め尽くした千数百人の聴衆は、いつしか吸い込まれていた。

大江氏は、ノーベル賞受賞後に一度、ペンを置くと宣言した。しかし、今、再び、ペンを持った。大作も残したいそうだが、一人でも多くの次世代を担う若者に伝え残しておかなければと、文体を気遣い、所謂わかりやすい文章での作品を発表し始めている。待ちに待った大江氏の講演は、本当に素晴らしいものだった。準備に準備を重ね、言葉の一つ一つを選び誠実に語り尽くす今日の講演ほど、立派な講演を私は聴いたことがない。
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共謀罪の恐怖 4月28日

民主党案が提出され、政府案・与党修正案とともに審議されることとなった共謀罪。といっても、連休中は、国会は閉会。十分な時間もとらず、連休明け早々には、与党は採決する方針。2000年11月、国連で「国際組織犯罪防止条約」が採択されたのを機に、それまで組織的な犯罪集団が関与する重大な犯罪の共謀行為を処罰する罪が存在しなかった我が国では、条約に加入するために、あらたに「共謀罪」を新設しなければならなくなり、条約が発効された3年前から、この問題の国会での審議がスタートした。

冗談を言っただけで罪に問われかねない政府案は、むしろ積極的に犯罪者を作るような法案で、私たち一般国民はおちおち暮らしてゆけなくなる。政府案は、安心・安全のためではなく、逆に私たちを不安と危険にさらす法案なのだ。政府案では、テロや麻薬など組織的犯罪集団による犯罪に対処するという条約の趣旨をはるかに逸脱して、619にものぼる犯罪が処罰の対象となる。死刑・無期懲役・最高刑が懲役4年以上あるいは禁錮4年以上にあたる重大な犯罪が対象ということは、確かに暴行罪や脅迫罪などは対象からはずれるが、例えば、公職選挙法違反などもその対象になってしまう。選挙のアルバイトの交渉を相談しただけで、共謀罪に問われてしまうということを、与党は承知しているのだろうか。

さすがに与党から修正案が出されたが、それでもまだ犯罪の対象が不明確で、司法当局の心持ち次第でいかようにも解釈できる内容だ。司法当局の恣意的な解釈によって、本来の目的に反する結果をもたらす可能性のある非民主主義的な法律を、断じて許すことはできない。政府案や与党修正案は、明らかに民主主義を破壊する法案なのだ。善良な市民をも犯罪に巻き込んでしまいかねない異常な法律が、この世に誕生しては困るのだ。連休中にもしっかり勉強していただいて、明けの国会では真剣に議論してもらいたい。

連休明けには、共謀罪の他、重要法案・重要課題が目白押しだ。まずは、米軍再編のための日本の負担金3兆円の是非だ。日米関係は、結局はお金なのか。国民を納得させるだけの説明が、政府にできるのか。小泉総理は、今国会でのこの問題の法案提出は無理だと述べているが、今のままでは、政府は了承しても、国民は了承しない。防衛庁の省への昇格問題は、3兆円問題が解決してからの議論でなければならないのだ。

教育基本法改正案も、極めて重要だ。「愛国心」という言葉にこだわって、「我が国と郷土を愛する態度」という表現で自公が妥協したが、そもそも「愛国心」は、強制されるものではない。安心・安全が確保され、健康で文化的な住み良い社会であるならば、この国に生まれた者の殆どがこの国を愛するに違いない。しかし、不安定な住み心地の決して良くない社会であるならば、そこに「愛国心」など芽生えるはずがないのだ。要は、すべての国民が「愛国心」を抱けるような社会に、日本が成長できるか否かが問題なのだ。言葉だけが先行しても、何も変わらない。

この上、米国産牛肉の輸入再開が決定されようものなら、この国は小泉政権の独裁国家だ。政権末期になって、小泉政治の本質である凶暴性が、いよいよ完全にむき出しになってきた。一刻も早く、小泉政権、また、その流れを汲む政権の息の根を止めなければならないのだ。それにはもはや、政権交代しかない。小沢民主党の底力が、いま問われている。
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武部氏の死命を制す「ホリエモン」保釈 4月27日 

ホリエモンが出てきた。車に乗り込む際、申し訳ありませんでしたと詫びながらお辞儀をする姿は、若かりし頃の起業当時を髣髴とさせると、むしろメディアは好印象で受け止め報道した。誤認逮捕でもなんでもなく、ホリエモンは、非常に多くの株主をだまし投資をさせた挙句に大きな損失を与えた、れっきとした刑事被告人なのだ。権力側のメディア操作に、すっかりはまってしまった日本のマスコミの体たらくには、今更ながら溜息が出る。

誰が考えても、やっぱり疑惑の臭いムンムンのホリエモンと政治家(特に武部幹事長)との関係はうやむやにされてしまうのだろうか。小泉政権の圧力に、地検は、結局は屈してしまうのか。先の千葉7区の補選は、内心は誰もがやっぱり怪しいと感じている武部氏が、全面的に選挙を取り仕切ったことが、有権者の反発をかった結果だとも言われている。武部ファミリーにお金を渡したか否かは、勿論ホリエモンが一番よく知っている。要するに、ホリエモンは武部氏の政治生命を握っているのだ。したがって、武部氏が政権与党の中枢の一員でいる限り、ライブドア疑惑はこれ以上解明されることはない。政治浄化のためには、いかに政権交代が必要不可欠であるかがわかる。

エイチ・エス証券副社長の野口氏の死も、いまだ謎だらけだ。当局には、捜査を続けて事実を解明する意思などない。むしろ、真実の隠蔽が専権事項なのだ。野口氏は、那覇空港で間違いなく数人の人間と接触している。その足取りさえ明らかにされていない。あまりにも不自然だ。一体、何のために沖縄に行ったのか。沖縄には一体何があるのか。権力によって、真実は闇に葬られようとしているのだ。

いつの間にか日本は、正義よりも権力が優先する、非民主主義の国になってしまった。力のない弱者は、永遠にハズレくじを引かされ続けるのだ。このまま、共謀罪を新設する組織犯罪防止法改正の与党案が可決成立してしまったら、私たち一般市民は、常に冤罪を意識しながらビクビク暮らしていかなければならなくなる。それを安心・安全な社会と呼べるだろうか。まるで、不安と危険に満ち溢れた社会ではないか。

既成の慣習を打ち破ったホリエモンの功績は大きいと評価する人もいるが、ホリエモンは、ある意味恥も外聞もかなぐり捨てて、お金のためなら法律を無視し法の網をもかいくぐる、ルールを守ることのできない人物だ。ルールを破る人が増え社会が無秩序になることを、私たちは望まない。ホリエモンは、明らかにルールを破った、決定的に倫理観に問題のある人物だ。ホリエモンに比較的好意を持って報道することは、メディア自体に倫理観が欠如していることを意味するのだ。

荒廃する社会を再び立ち直らせるには、政権を交代するしかない。私たちの血税を、あっちでもこっちでもドブに捨てまくる自公政権を、断じて許してはならない。ホリエモンが許される社会を、私はやっぱりおかしいと思う。
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連休明け国会は「とんでもない法案」だらけ 4月26日

連休明けの国会は、4点セットに付け加えて、更にとんでもない法案のオンパレードだ。共謀罪・教育基本法・米軍再編費用3兆円!いったい政府は何を考えているのだろうかと、首をかしげるものばかりだ。何より、ローレス米国防副次官が表明した、グアム移転費用など米軍再編にかかる日本の負担金が3兆円というのには驚いた。安倍官房長官をもってしても「途方もない数字」との弁。額賀防衛庁長官は、本当にこの金額に同意をしたのだろうかと疑問に思うくらいだ。

米側の負担が4,600億円に留まることと比較すると、冗談を通り越えて狂気の沙汰だ。米軍再編は、米国自身の世界戦略の新たな方針によるものであり、在沖縄の海兵隊をグアムに移転する理由は、沖縄の負担軽減のためでは決してないのだ。米国の都合による移転の費用に、日本が血税を3兆円も投入することは、負担の超強化以外の何ものでもないのだ。

そして懸案の米国産牛肉については、やはり、連休明けには輸入再開が決定される流れになってきた。小泉政権なら、すぐに首をたてに振りそうだ。この間、米国は、何一つ抜本的な問題解決に取り組んではいない。最も重要な牛の飼料規制に関して、米国は具体的な行動を起こしてはいないのだ。日本がどんなに要求しても、米国には、はなっからやる気なんて微塵もないのだ。

オハイオ州の小さな片田舎で、同じ競馬場に行ったことのある多くの人たちが、変異型クロイツフェルト・ヤコブ病の疑いで死亡していた事実がある。特に、競馬場の職員だった20代の女性は、競馬場の食堂で、T-ボーンステーキをよく食べていたという。ところが州は、小さな街の奇妙な一連の死を、解明するどころか、なんとこの競馬場を跡形もなく抹消してしまったのだ。当時の資料も「残っていない」の一点張り。明らかに、出入りの大手パッカーが、BSE感染牛肉を競馬場の食堂に卸していたに違いない。州は、事実を解明するどころか隠蔽してしまったのだ。そんな米国が、日本に輸出する牛肉の安全を、日本の要求通り確保するとは到底思えない。たとえ、再び輸入が再開されても、米国産牛肉には絶対に手を出してはいけない。あまりにも危険だ。断言する。

更に、教育基本法についても、いよいよ政府案が4月28日に閣議決定され国会に提出されることになった。準憲法規範として、21世紀の日本の教育の根本を左右する重要な法案を、自民党と公明党とが談合して決めてしまうなんて、断じて許されるものではない。自公が現在の議席数で強行採決しても、民主党が国会の多数となれば否定されることになる。国の教育の根本となる法案が、政権交代の度に変わるなんて、決してあってはならないことだ。憲法改正と同様に、政権を争う二大政党と更に多くの政党・会派のコンセンサスを得て、教育基本法は制定されるべきなのだ。

政権末期を迎えて、小泉政権は益々狂ってきたようだ。小沢民主党は、最大限の力を発揮して小泉狂乱政治に終止符を打たなければならない。多くの国民の願いもそこにあると、私は確信する。
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少子化なのに過酷な産婦人科医!? 4月25日

4月24日開催された「医療体制に関する拡大検討委員会」の報告によると、全国の大学病院及び関連病院における常勤産婦人科医の数は、この2年余りで8.0%減少し、出産を取り扱う関連病院は、1,009施設から914施設と、9.4%も減少したそうだ。全体的な医師の数は、年々増加しているのに、何故、産婦人科や小児科の医師だけが不足する事態に陥るのか。当初言われていた「少子化」は、遠因ではあっても大きな要因ではない。当直や深夜の緊急呼び出しが多く、勤務環境が過酷で、医療訴訟を抱える割合も高いことが、産婦人科を目指す若い医師が激減する理由だ。

20年前の1986年に比較すると、2004年、医師の総数は2倍以上に増加している。中でも、内科医の数が圧倒的に多く、全体の28.7%を占め、第2位の外科9.1%に大きく水をあけている。その他の主な診療科の割合は、整形外科7.3%・小児科5.7%・眼科4.9%・精神科4.7%・産婦人科4.0%・耳鼻咽喉科3.5%・皮膚科3.0%。この2年間で大学病院とその関連病院の産婦人科医が8%減少したことを加味すると、現在の産婦人科医の医師総数に占める割合は、全体の3%以下ということになる。患者が増加傾向にある心療内科・アレルギー科・リウマチ科、あるいは利益率の高い美容外科などは、2002年から2004年までの増加率が極めて高いが、もともとの絶対数が少ないので、内科の隆盛の到底足もとにも及ばない。

少子化が加速度的に進行する一方で、何故、産婦人科医が突如として不足してきたのか。一つ興味深いデータがある。約30年前の1975年のデータと2004年のデータとを比較すると、産婦人科医の数は、11,963名(1975年)と10,163名(2004年)で、あまり変わらないのだ。1975年の出生数は約190万人、2004年の出生数は111万人。単純に計算すると、30年前の1975年当時のほうが、一人の産婦人科医がとりあげる赤ちゃんの数は、圧倒的に多い計算になるのだ。医療の地域間格差が拡がり、産婦人科医の偏在が顕著になってきているということだ。市内に一人も産婦人科医が居ない沖縄県名護市で今年1月行われた市長選挙では、応援にかけつけた小池百合子環境大臣が、「私が、防衛医大から産婦人科医を引っ張ってきます!」と演説したことが、与党候補の勝利に大きく貢献したと言われている。防衛医大の医官が1人ずつ1年交代で、4年間派遣されることが決まった。

ところで、産婦人科医でなければ赤ちゃんを取り上げられないわけではない。日本には伝統的なお産の形態として助産師による出産がある。ほぼ安全に出産できそうな妊婦に対しては、歴史をひも解けば室町時代からその名が残る「助産師」の活用を忘れてはならない。1992年の22,690人から2004年の25,257人まで、助産師の数はほぼ増加傾向にあるが、圧倒的に病院・診療所で産婦人科医の介助をする助産師が多く、肝心の助産院を開業している助産師の割合は、6.5%に留まっている。医師一人が取り上げる赤ちゃんの数からいって、助産院の数が減少したことが、産婦人科医の労働環境を悪化させているとも考えられる。医師以外に赤ちゃんを取り上げることの出来る助産師を養成していくことが、いかに重要な課題であるかがわかる。産婦人科医の不足を嘆く前に、信頼できる街角助産師の数を増やすことが先決なのだ。

診療科の偏在を解消するには、上級公務員の国家一種の試験が一つの参考となりはしないか。財務省・経産省・総務省・警察庁が、現在の若者に人気の省庁なのだそうだが、人気のない省庁にも毎年きちんと新人は配属される。省庁ごとに定員があるからだ。結果的に、人気の省庁に職員があふれることは、決してないのだ。医師の世界でも、国家試験の成績と適性試験によって、診療科に定員を設けることは、一部の診療科が医師不足に陥ることを解消する、合理的な手段になりはしないだろうか。開業医の子息の中には、親の診療科を引き継がなければならないと主張する医師も居るかもしれない。その場合には、診療科を変更するチャンスを用意すれば良いのだ。第二のチャンスでは、希望する診療科の医師として、その能力が問われることは勿論だ。

「医療体制に関する拡大検討委員会」にあたり、調査結果をまとめた日本産婦人科学会の検討委員会委員長である吉川裕之筑波大教授は、「産婦人科は当直が多く勤務時間も長いのに、待遇は他科と変わらない。臨床研修制度で大変さを見て、志願者が減っている。根本的な改革が必要だ。」との見解を述べた。それはつまり、比較的余裕のある他の診療科の診療報酬が、優遇されすぎていることの裏返しだ。例えば、人気の内科開業医が急増することは、国民にとってデメリットもある。一定の地域内での患者の争奪戦は、本当は治療の対象ではない人を、あえて「患者」にしてしまい、食事や生活習慣で軌道修正できるものを無理矢理薬漬けにしてしまうきらいがあるからだ。

少なくとも、研修医から数年間は、診療科ごとに定員を設けて、医師が極端に偏在しないような国家一種並みの環境づくりが必要ではないかと思うのだが、社会主義国家ではないのでなかなか難しいか。ただ、どの診療科に進むかが本人の自由である限り、多くの人は「楽して儲かる」ほうを選択する。街角助産師の充実強化と合わせて、診療科の割り振りが出来れば、産婦人科医の不足は解消できるのだ。弁護士の子息が、必ず弁護士になれるわけではない。内科開業医の子息が必ず内科医になれる保証を、国が与えてはならないのだ。近年の産婦人科医不足の問題は、「楽して儲かる」診療科への医師の流れを放置してきた厚労省にも、重大な責任があるのではないか。
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海兵隊移転費用に唖然 4月24日

6,760億円とは、驚きの数字だ。米海兵隊グアム移転の費用分担を、日本が59%負担することで合意してしまった額賀防衛庁長官。日本がそこまで譲歩し資金援助する理由が、どこにあるだろうか。米軍基地が沖縄にあることで、日本は有事に備えて、本当に安全・安心だったのか。むしろ、沖縄の人々は、騒音や米軍兵士の破廉恥な行為に悩まされ、恐怖と不安におびえる日々ではなかったか。損害賠償を請求したいくらい、在日米軍は沖縄県民にとって「負の遺産」に近い存在なのだ。そんな住民感情を反映するかのように、沖縄市長選挙では東門美津子氏が、岩国市長選挙ではダブルスコア以上で井原勝介氏が当選したのだ。

投票日翌日、あっさりと6,760億円もの支援を約束してしまうような政府に、もはや国民は愛想を尽かしている。59%という比率もさることながら、第一、総額1兆2千億円にも及ぶ移転費用は、あまりにも高額すぎる。中身も米国側の一方的な見積もりで、積算根拠は明らかにされていない。そもそも、米軍再編は、米国の利益のための米国自身の計画であって、その費用を日本が負担しなければならない理由は、実はまったくないのだ。

沖縄の負担軽減のために、沖縄の米海兵隊の全てをグアムに移転することを実現すべきだ。そうすれば、普天間基地返還のために辺野古に新たな巨大基地を建設する必要もなくなるのだ。海兵隊のグアム完全移転が実現するのなら、従来の「思いやり予算」の中の沖縄での海兵隊関連費用(年間300億円程度)10年間分を負担すれば、移転費用の約3,000億円は、新たに総額2兆円(辺野古費用なども含む)の予算を組まなくても捻出できる。有事に備えた「日米同盟」のための抑止力は、沖縄の海兵隊の全てをグアムに移転しても、十分に維持されるものだ。

明らかに民意に反して、米国に6,760億円もの法外な資金の提供を約束してしまう政府の外交交渉能力は、まったく評価に値しない。ポスト小泉には、果敢に米国と渡り合える人物が必要だ。安倍氏では、小泉流の二の舞だ。米国に対して、堂々と日本の主権を主張できる人物こそ、次の総理大臣に求められる才覚だ。21世紀は、従属的で異常な「日米同盟」ではなく、対等で正常な「日米関係」へと転換することが重要なのだ。
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小泉政治の終焉!!! 4月23日

小沢一郎代表就任は、抜群の効果を発揮した。メール問題で震撼した民主党結党以来最大の危機を、小沢代表が一気に大逆転!!千葉7区は、怪文書にも負けず26歳の太田和美さんが見事に当選を果たした。偏差値だけは高い官僚出身者よりも、親しみやすい庶民的な太田和美さんに、有権者はエールを送ったのだ。メール問題で最悪の逆風が吹く中での立候補表明。太田和美さんにしかできなかったことかもしれない。今後は、有権者の期待に応えて国会でも大いに頑張って頂きたい。すごいっ!

一方、安倍晋三官房長官の地元山口での岩国市長選挙も、空母艦載機の岩国基地への移転に反対する現職の井原勝介氏が、ダブルスコア以上の大勝利をおさめた。そして、同じく米軍基地再編問題に揺れ嘉手納基地を抱える沖縄市長選挙でも、沖縄の基地縮小・撤去を主張する社民党系の東門美津子氏が当選した。いずれの選挙も、小泉政権への「NO」の意思表示だ。特に、政府は岩国・沖縄の民意をくみ取って、今後の米軍対策を見直さなければならない。

更に今日は、中川自民党政調会長の地元、東広島でも市長選挙の投票日だった。自身の選対幹部であった県議の立候補にぶつけて、なんと中川氏は自分の秘書をしていた次男を立候補させる荒業に出た。結局、前県議が当選を果たし、中川氏の作戦は裏目に出た。千葉・岩国・東広島、いずれの選挙も安倍晋三官房長官は応援にかけつけている。しかし、結果は惜敗・惨敗・完敗と敗北の嵐。小泉政権の終焉とともに、安倍氏のポスト小泉ねらいにも暗雲が立ち込めてきた。

小泉流の改革のまやかしに、ついに国民は気付いたのだ。天下りの全面禁止も官製談合禁止もできないような「似非改革」に、もうこれ以上振り回されるのはごめんだ。5年に及ぶ小泉政権はアメポチ路線をひた走り、総理の軽率な靖国参拝によってアジア外交を不必要に後退させ、結果的に日本の主権をズタズタに傷つけてきた。そして、ライブドアやオリックスに代表される人々に金儲けをさせ、日本の伝統にはない格差社会を出現させてしまった。

期待を一身に受けた再生小沢民主党の担う責任は、予想以上に大きい。メール問題のような稚拙な行動は厳につつしみ、政策で国民の期待に存分に応える責任が民主党にはある。これまでのわかりにくい年金改革案から、小沢氏の提唱する「基礎年金・介護・高齢者医療は消費税」路線を柱にして、誰もが納得する改革案を構築していく必要がある。いずれにしても、より庶民感情に近そうな人物が見事に当選を果たしている。刺客騒動で沸いた昨年の総選挙の流れとはまったく異なる。完全に潮目は変わったのだ。期待に胸膨らむ一夜となった。
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竹島と独島 4月22日

一触即発とも言われた日韓の緊張状態は、両外務次官の10時間にわたる会談の後、交渉が成立した。日本側は調査を中止し、韓国側は6月の海洋会議にハングル名の地名報告をしないという。しかし、韓国側は、いずれ適切な時期に報告するというから、問題が解決したとは、とても言えない。

竹島は、日本の領土だと思う。韓国が、実質支配を強行したことに対して、日本政府、特に外務省がこれまで不作為だったつけが、今あふれ出している。1952年以降、韓国は竹島を事実上「侵略」していたのだ。

竹島は1618年、江戸幕府が鬱陵(うつりょう)島とともに伯耆(ほうき)藩の所領とした。が、78年後の1696年、朝鮮との漁業交渉で、鬱陵島への渡航を禁止。しかし竹島所領は続けた。当時は「松島」と呼んでいた。1905年(明治38年)1月、明治政府は近代国家として改めて領有を閣議決定し「竹島」と命名。同2月に島根県に編入した。

昭和27年4月28日発効のサンフランシスコ講和条約でも、竹島はわが国の領土だと確定した。だが、韓国の李承晩大統領は直前の1月18日、沿岸主権の「李承晩ライン」の設定と、竹島領有を一方的に宣言。翌年4月に武装組織を駐屯させた。

歴史を紐解けば、竹島が日本領土であることは明らかだ。韓国が実力占拠を続けるなら、国際司法裁判所に判断を委ねるしかない。ただ、国際司法裁判所に判断を委ねるには、日本のみならず相手国である韓国の同意が必要。でも韓国は、国際司法裁判所まで問題を持っていきたくないようだ。それは即ち、韓国自身、歴史に反して不当な占拠を続けていることを認識しているからではないか。なんということ!!

明らかに、韓国の横暴であることは自明の理だが、だからといって占拠に対して、実力行使することで解決をはかることには何の生産性もない。北方領土問題もそうだが、領土問題を解決する有力な方法の一つは、「竹島」の共同統治ではないだろうか。竹島そのものは無人島の岩同然のもので、実質的な意味を持つのはEEZ(排他的経済水域)の漁業権なのだ。

この日韓両国の漁業権の重なり合う部分を、共同水域とするか、あるいは、二つの中間線の中間を新たな中間線とするかについて、日本両国で外交交渉するしかない。それが解決するまでは、日本は、竹島の主権を明確に繰り返し主張し、日本国民と韓国国民にも繰り返し説明して、国際司法裁判所に提訴することに同意するよう韓国を説得し続けるべきだ。

勿論、これまでの日本政府、特に外務省の不作為は、厳しく批判されるべきだ。
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「米国産ジャガイモ」も禁輸措置 4月21日

日本のジャガイモの自給率は、1971年までは100%だった。その後、加工品が海外から輸入されるようになり、2003年度は80%に低下した。といっても、他の食品と比較すると、かなり高い自給率だ。これには理由がある。ジャガイモは、害虫からの防除が非常に難しく、土が皮に付着したまま輸入されると、害虫ごと輸入することになりかねないからだ。加工されたものを除いて、ジャガイモの検疫は、隔離検疫だ。

農水省は今日、今年の2月から輸入禁輸措置を解除した米国産ジャガイモの輸入を、再び停止する措置を発表した。輸入元であるアイダホ州の農場の土壌から、「ジャガイモシロシストセンチュウ」という名の害虫を検出したからだ。ジャガイモの恐ろしいところは、そのまんまの状態が所謂「種」であって、そのまま土に埋めれば芽が生え新たなジャガイモを生産することができる点だ。日本の土壌が、害虫に汚染されることが十分に予測されるのだ。

米国産のジャガイモは、殆どが子どもが大好きなポテトチップスやフライドポテトに加工される。カルビーも、数種類あるポテトチップスの中で「ポテリッチうましお・ポテリッチコンソメWパンチ・ポテリッチじゃがバター」の3種類は、米国産のジャガイモを使用している。カルビーの言い分は、「国内産では間に合わない」ということだが、安易に輸入ジャガイモに頼る企業の姿勢は決してほめられたものではない。国内のジャガイモ生産の約80%を、北海道が担っている。牛乳の栄養価が疑問視される今、酪農からジャガイモの生産に大きく舵をきることも一つの重要な選択肢ではないだろうか。

マクドナルドのフライドポテトも、米国産の冷凍ジャガイモを使用している。丸ごとふかして食べる国産有機ジャガイモの、なんと美味しいことか!握りこぶしよりも大きなジャガイモを、2つ3つはペロリと食べてしまう。マックのフライドポテトを美味しいという人は多いと思うが、でもそれは、添加物に味付けされたニセモノのジャガイモの味であることを忘れてはならない。

米国のジャガイモ農家は、貯蔵性を高めるため、ポストハーベスト「クロロプロファム」を使用している。日本では承認されていない農薬だ。来月18日以降は、「ポジティブリスト制度」によって、日本では未承認の農薬についても検疫されることになる予定だが、一個一個をチェックするわけではなく、大半が網の目をくぐって国内に持ち込まれるのが現実なのだ。

害虫被害を防ぐために長年禁輸措置を講じてきた米国産のジャガイモが、2月に輸入を再開した途端に再びこれだ。禁輸措置解禁前に、何故現地の土壌調査をしなかったのだろうか。それとも、事前調査ではOKだったのに、2ヶ月でシロシストセンチュウが再び発生してしまったというのだろうか。いずれにしても、牛肉がそうであるように米国の輸出食品に対する意識の低さは、あまりにも明白だ。そもそも、日本との協定を守る意識が、希薄というか皆無なのだ。米国の圧力に負けて条件を緩和するようなことのないように、日本政府は厳しく対応しなければならない。それが世界の公衆衛生に寄与することになる。

ジャンクフードを筆頭に、日本の食品市場は輸入食材だらけ。特に、消費者の声が届かない米国と中国の食材の品質は、極めて怪しい。価格の違いはコストの違い。安いものには、安いなりの理由がある。人の手間を省き、化学物質にたよりきった食材が、人間の60兆の細胞をおかしていることに気付かなければならない。その代償が、ガンや生活習慣病であり、キレルるヒトの急増なのだ。社会の荒廃を正すには、まずは食卓を見つめ直すところから始めなければならないのだ。
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コーヒーの功罪 4月20日

緑茶とコーヒーを沢山飲む人は、糖尿病になりにくいというデータが、日本でも発表された。欧米の論文では既に、肝臓ガンになりにくいことと合わせて発表済であったが、日本人の追跡データが発表されたのは初めてだ。緑茶を1日6杯以上飲む人は、週1杯未満の人に比べて、糖尿病の発症リスクは33%減。コーヒーを1日3杯以上飲む人も、週1杯未満の人に比べ42%減ということだ。

しかし、ここで気をつけなければならないことがある。コーヒーは、乳ガンの発症因子の一つなのだ。コーヒーと乳製品・肉類を好んで食する人は、極めて乳ガンの罹患率が高い。更に、カテキンを多く含む緑茶を大量に飲む人の胃相は、概して良くないという事実も判明している。カテキンは抗酸化作用を持ちガンになりにくいと言われているが、複数のカテキンが結合すると「タンニン」と呼ばれる渋になる。渋は、非常に酸化しやすく、熱湯や空気に触れることによって簡単に「タンニン酸」という酸化物質に変化する。タンニン酸にはタンパク質を凝固させる作用があり、結果として胃粘膜を荒らすことになるのだ。

実際に、タンニン酸を多く含む緑茶・中国茶・紅茶・コーヒー・どくだみ茶・杜仲茶などを日々常飲している人を胃カメラで診ると、粘膜は薄く萎縮性変化が起こっていること多い。これは、胃ガンの前兆でもある。更に、茶葉を栽培する際に農薬を使用していれば、ダブルパンチだ。単純に、「緑茶とコーヒーは糖尿病になりにくい」と報告することは簡単だが、それらの負の側面も同時に報告しなければ、国民に誤解を与えかねない。

コーヒーを飲むと、皮脂の分泌が盛んになる。皮脂は、尿や便で排泄できない有害物質が、毛穴から噴出したものでもあるので、いかに、コーヒーが体にとって有害物質であるかがわかる。ノンカロリーの緑茶やブラックコーヒーを飲んで口寂しさをまぎらわした結果、過剰な糖分の摂取は抑えられるに違いない。しかしその一方で、体内でタンニンの酸化が進行し有害物質に変化することを、見過ごすわけにはいかない。「糖尿病になりにくい」と発表するのなら、逆に、胃ガンや乳ガンにはなり易いという事実も同時に発表しなければ不親切だ。

断片的で一方的な情報が氾濫する中、私たちには、情報の適切な取捨選択が求められる。コーヒーは、見るからに毒々しい。「病気にならない生き方」の著者・新谷弘実氏によると、緑茶は、1日2~3杯、食後に飲むのが望ましいそうだ。
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