「死刑判決」と本村洋さんが伝えるもの

福田総理をはじめとする責任ある立場の人々の軽薄で不誠実な言動や、天下り先など自らのポストだけを意識した霞ヶ関の役人がつくる法律・制度を見るにつけ、こんにち劣化する政治に辟易とします。翻って、本日下された広島高裁の判決を受けての本村洋さんの記者会見における言葉は、理路整然と述べられ、客観的であり、実に説得力があり、琴線にふれるものでした。

一貫して感情を抑制し、社会に利益となる司法判断を希求してきた本村洋さんの姿勢が、司法をして9年の歳月を費やし、やっと、社会正義を死守させたのだと思います。判決直後の本村洋さんの、「被害者遺族は司法に感謝をして、被告人はおのれの犯した罪を後悔して、社会が正義を再認識し、そして司法が威厳さを保つことで、民主主義であり法治国家は維持されるものだ」との発言は、ずしんと心に響きます。裁判に臨んだ本村洋さんの、本懐そのものをあらわしています。間違いなく本村洋さんは、人間の尊厳に寄り添っていると、痛感できる言葉です。

今回のこの判決は、不毛に消化されていく政治に、大きな問いかけをしているのだと、私は解釈します。政治の目的は社会正義の実現でなければならないし、政治は権力そのものであるからこそ、政治を担当するものは自己犠牲の精神を忘れてはなりません。年金記録の問題や後期高齢者医療制度は、筆舌に尽くしがたいほどお粗末です。後期高齢者医療制度は、国会でどこまで真面目に議論されてきたといえるでしょうか。今になって見直しを主張する多くの与党議員が存在することが、過去に国会でまともな議論がなされてこなかったことを、如実に物語っています。

霞が関の役人がつくる法律・制度は、概して対象となる人々に心を寄せていません。相手に心を寄せなければ、相手が納得する法律をつくることはできません。莫大な額の機密費や天下り・利権により甘い汁を吸う政治家や役人がいまだ存在する以上、国民は痛みを受け入れる心境にはなりません。政治は心に訴えるものです。霞ヶ関の役人や永田町の政治家の姿勢が変わらない限り、政治は生きてこないし、社会は浄化されないのです。

広島高裁の判決と本村洋さんの発言は、あらためて政治を担当するものに対して、社会正義の実現という大きな課題を提起したと、私は考えます。すべての国会議員が、社会正義を基軸に議論を交わしてこそ、真に有益な法律が生まれてくるのです。そんなときが必ずやってくると信じて、耐えてしのんで頑張るしかないと、私は覚悟を決めています。

差し戻した最高裁、それに応えた広島高裁、当事者でありながら冷静さを失わなかった本村洋さん、そしてそれらすべてを突き動かした世論・・・眼には見えないエネルギーが交錯し、社会正義が実証されたのだと思わずにはいられない、今日1日でした。
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