今、テレビでお年寄りの身体拘束の現状を見た。
痴呆症の年寄りを安全に見守るためにはやむなし。
そういった事情らしい。
確かに急激に増えている痴呆症の高齢者を夜間の少ない看護師で見守るのは無理なんだろう。
それはよくわかる。
現実問題、これしか今のとこ、方法はないのかもしれない。
そこについて、どうこう言うつもりは無い。
ただ、、、
最近の年寄りは人間としての尊厳を保っていられなくなってるな、と。
そう感じている。
仕事で接している年寄りに職場の誰もが対応に苦慮し疲弊しきっている日々。
年寄りは仕方ない、、、
と、諦めという言葉を何度も飲み込みながら耐える。
そんな年寄りたちに尊敬を持つことは皆無で、人間として対等には捉えてない。
明らかに人としは低く見ている自分たちがいる。
昔、近所にかなり高齢のお爺ちゃんがいた。
昼間は子供であった私達が遊んでいる側でよく日向ぼっこをしていた。
その当時のことを一生懸命思い出してみる。
いつも何も語らない、そのお爺ちゃんはただただ、私は怖かった。
とにかく存在が怖かった。
その怖い、という思いの奥底には、
人として尊大過ぎるオーラを感じてしまい怖かったのだ。
そう、決して蔑んだりする事なく、大きな存在過ぎて恐れていた。
今、年寄りにそんな思いを持つ事は皆無だ
そして、当時の私の年の7才ぐらいの子供は年寄りをどう見るんだろう?
子供だったら当時の私の様に年寄りに畏敬の念を抱くのだろうか?
あちこち体の具合悪いからと薬づけ。
何も理解出来ないからと詐欺まがいの商法に年中遭う。
運転すれば危険な事故多発。
生産性のある世代からは疎まれる日々
人間らしく人生の最期を送ることは出来ぬものか?
ただ命を繋ぐことのみに注視して最期まで生き続けるのでなく、
人間として誇りを持って生きられる最期を過ごすこと、
そこをもっと大切にすべきだと、ただただ思う
痴呆症の年寄りを安全に見守るためにはやむなし。
そういった事情らしい。
確かに急激に増えている痴呆症の高齢者を夜間の少ない看護師で見守るのは無理なんだろう。
それはよくわかる。
現実問題、これしか今のとこ、方法はないのかもしれない。
そこについて、どうこう言うつもりは無い。
ただ、、、
最近の年寄りは人間としての尊厳を保っていられなくなってるな、と。
そう感じている。
仕事で接している年寄りに職場の誰もが対応に苦慮し疲弊しきっている日々。
年寄りは仕方ない、、、
と、諦めという言葉を何度も飲み込みながら耐える。
そんな年寄りたちに尊敬を持つことは皆無で、人間として対等には捉えてない。
明らかに人としは低く見ている自分たちがいる。
昔、近所にかなり高齢のお爺ちゃんがいた。
昼間は子供であった私達が遊んでいる側でよく日向ぼっこをしていた。
その当時のことを一生懸命思い出してみる。
いつも何も語らない、そのお爺ちゃんはただただ、私は怖かった。
とにかく存在が怖かった。
その怖い、という思いの奥底には、
人として尊大過ぎるオーラを感じてしまい怖かったのだ。
そう、決して蔑んだりする事なく、大きな存在過ぎて恐れていた。
今、年寄りにそんな思いを持つ事は皆無だ
そして、当時の私の年の7才ぐらいの子供は年寄りをどう見るんだろう?
子供だったら当時の私の様に年寄りに畏敬の念を抱くのだろうか?
あちこち体の具合悪いからと薬づけ。
何も理解出来ないからと詐欺まがいの商法に年中遭う。
運転すれば危険な事故多発。
生産性のある世代からは疎まれる日々
人間らしく人生の最期を送ることは出来ぬものか?
ただ命を繋ぐことのみに注視して最期まで生き続けるのでなく、
人間として誇りを持って生きられる最期を過ごすこと、
そこをもっと大切にすべきだと、ただただ思う