YNWC的な日常

街の中でも季節を感じて暮らしたい。生き物や自然のの話を中心に美味しい食べ物、散歩のことなど綴っていきます

雑感

2015-11-16 08:51:53 | 日々のお話
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おはようございます。本日も代休のため、のんびりモードの朝です。
いつもは自然観察系のYNWCですが、本日は今回のテロ事件について自分の思うことを書いてみました。長文のうえ内容も薄く、掲載するのは恥ずかしくもあるのですが、自戒の念を込めて投稿します。よかったら読んでください。

2年前、世界を旅して回ってきて、これまで知らなかった負の遺産や悲しみと怒りの歴史に触れる機会がありました。戦争であったり、侵略であったり、先住民への迫害であったり…。知らないことが多すぎました。日本にいたら気付かなかっなこともありました。自分の中に眠っている差別や偏見に気づき、それと向き合うこともありました。

話はちょっと変わりますが、つい先日の話です。友人がシェアしてくれていた、日ハムの広告問題。北海道を「開拓者の大地」と表したキャッチコピーがアイヌへの配慮に欠けるという内容。抗議を受けた日ハム側が迅速に対応し謝罪したことでとりあえず収束したようです。

なんでこの件を持ち出したのかというと、それは、このとき自分の中の無関心さを突きつけられたからです。正直に言うと「開拓者の大地」というコピーを雑誌か何かで見かけていたら、わたしはそこに潜む問題に気がつくことができたのか分かりません。ひょっとしたら気づけたかもしれないけれど、たぶん気付けなかったんじゃないかと思います。そうした配慮のなさや心のすれ違いが膨れ上がり、積み重ねられ、取り返しのつかない問題になっていくのかもしれません。そして利害関係や政治、宗教といったものが絡み合いより複雑な問題へと…。

昨夜はアメリカやイギリス、オーストラリアなどの有名な建造物がトリコロール色にライトアップされたそうです。東京タワーも3色になってました。テロは許せません。そして、テロや殺戮はフランスだけではなく、他の国でも現在進行形で多数起きています。それなのにフランスでのテロだけにこれほどの脅威を感じ、何かしなくちゃという気にさせられるのは自分の身にふりかかる可能性が感じられるからなのだと思います。

けれど、シリアやパレスチナで今何が起きているのか、恥ずかしながらわたしは曖昧にしか理解していないのです。自分の無関心さを再び突きつけられました。

いじめの問題が発覚すると、いじめはダメだ、許せないと世論が騒ぎます。その通りです。でも、いじめの根源でもある差別や偏見は日常生活に溢れています。子どもたちはそれに敏感です。世間がある人のことを悪く言えば、同じように悪く言うし、ある国のことを批判すれば、その国のことを忌み嫌うようになります。その人や国のことを何も知らないのにです。そして群集心理は仲間はずれを生み出し、外れたものを傷つけることへのためらいを奪います。そんな会話をしている子どもたちを見ると恐ろしいなぁと思います。子どもは大人の鏡。人間の本質を映し出します。

いじめを助長するのは周囲の無関心とも言われます。無関心は悪だとも。これも全く同感ですが、実際問題、世界の問題に対して、まったく無関心であった自分に気づき情けなく思ったのです。

対岸の火事という言葉がありますが、対岸からできることなんてたかが知れています。もちろん、可能であれば消火活動を手伝いに行くことはできますが、すべての火事を自分ごととして対応するなんてできるはずがありません。自分の生活を優先することはいけないことではないはずです。自分の生活を守るため、飛んでくる火の粉を消したり、原因を知って予防することは大切なことです。火の粉を投げ返したり、気づかぬうちに火の粉を作り出したり、同じことを繰り返していてはいつまでも火事はなくならないのです。

生き物の本能には生き残るためには他者を蹴落とすという遺伝子が植えつけられている、という考えは正解なんじゃないかと思っています。世界平和を目指すなら、その遺伝子と戦わなくてはいけません。

凝り固まった偏見や膨らみすぎた差別、国と国との啀み合い、利害も絡んだそんな膨大なエネルギーの前には、何ひとつできることがなさそうに思います。しかし、これから生まれる偏見や差別を減らすことはできるかもしれません。それはあまりに微力なことかもしれないけれど、小さな力が結集したら大きな力になるっていうことを東日本大震災のときに知りました。あのときの日本中の節電への協力は素晴らしかった!!あっという間に元に戻ってしまったけれど、小さな力が大きな力に変わるんだってことを実感できました。心を一つにすることは、本当に奇跡に近いことだけれど可能性は0ではないんです。もっとも、わたしもすでに節電を怠っている一人です。今も続けている友人たちを尊敬します。

世界平和も同じことで、そういう日々の小さなことの積み重ねが、大きな力になるんじゃないかと思います。自分の中に眠る差別や偏見。そして無関心。これまで育ててきてしまったそうした感情や習慣をそうそう変えられるものではありませんし、わたしはすぐに怠ける弱い人間です。でも、何もしないよりは少しずつでも変わっていくことが大切だと自分を励ましたいと思います。

自分にダメ出しすることも、実は差別からくるんだということに気がついたのも旅の効果です。自分はダメと自分にレッテルを張るということは、他の人を見るときにも優劣をつけ、レッテルを貼っている自分がいるからです。弱い人間はだめ、強い人間はいい、みたいに。世界には強い人間が必要だし、同じくらい弱い人間も必要なんです、きっと。どちらも幸せになる権利をもっています。もちろん、強い人間に憧れることも自由です。けれどそれは弱いことを否定することとは違うのではないかと思います。

…。

でもこのあたりを突き詰めて考えていくと、いろいろ矛盾も出てきてしまうのです。どう考えても共存を拒否したい人間はいるわけで…。例えば快楽殺人に嗜好を示す人に対しては「みんな違ってみんないい」なんて言ってられないし…。

やはり、人の生活に迷惑をかける行為は慎まなければ同じ輪の中では暮らせないということになります。それで社会規範とかモラルとかが生まれてくるわけなのでしょうが、それってあくまで絶対多数の言い分であって、少数派は迫害を受けるっていう…。あー思考が無限ループにはまってきた…。…。…。…。

ちょっとリセット。

とりあえず、今の自分がやるべきことは、自分の中の差別や偏見、無関心と向き合うこと。そして笑顔で過ごすこと。笑顔の力はすごいと思います。笑顔や優しさは伝染してプラスのパワーを生み出します。ない頭で小難しいことを考え回しているよりも、ずっと大切なことかもしれません。

もう一度書きます。

自分の中の差別や偏見、無関心と向き合うこと。そして笑顔で過ごすこと。できれば人の笑顔を生み出すこと。

これが、今の自分にできること、考えられることの限界のようです。この程度のことしか書けないのかと情けない気持ちにもなります。でも、なんていうか、書くことで頭の中がずいぶん整理できたし、わたしという人間の今の限界も分かったので良しとします。子どもたちにもこうしたことを伝えていけたらいいなと思います。

人の命が奪われていくことは本当に悲しいことです。ましてやそれが自分の身近な人だったらなんて考えたくもありません。誰もが傷つかない、誰も傷つけない、そんな世界は幻想かもしれないけれど、それを願わずにはいられません。こんな独りよがりのことを書いても何一つ変えられないかもしれないけれど、考えることに意味はあると信じたいです。

皆さんはどんな風に考えられますか?
読んでいただきありがとうございました。

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