Dr. 鼻メガネの 「健康で行こう!」

ダンディー爺さんを目指して 日々を生き抜く
ダンジーブログ

いびき

2010-06-14 | 想い・雑感
体調が悪く入院している人にとって
夜間の物音は
耳につき
睡眠不足となることがある

靴音や
器械の音
扉の開閉
ひそひそ話
急変患者の処置の騒ぎ
などなどいろいろある

そして
いびきである

「いびきで、眠れない!!!」
と幾晩か我慢した後に
爆発する

いびきをかく本人は自覚がないから
本人に注意して何とかなるものでもない
注意すればいびきの音源の方が気にして眠れなくなるかもしれない

部屋替えなどで対応するにも限度がある
個室でない限りは
完全に
いびきから守るすべはない

針をも通す

2010-06-14 | 想い・雑感
昔懐かし巨人の星

このアニメの中には
あり得ないだろう・・・
というような場面がたくさんあった

例えば
幼い星飛雄馬が大リーグボール養成ギブスを装着したまま
家の壁の小さい穴に向かってボールを外に投げ
そのボールが外の木の幹に当たり
再び壁の小穴を通って飛雄馬のグラブにおさまる

ボールの投げ出す位置 初速 方向 が一定
木の幹に当たる場所が 上下 左右に 全くぶれない
飛んでいく途中で 風の力や 虫の衝突の影響を受けない
などなどの条件が全て整っていなくては
ボールは戻ってこない

・・・やはり あり得ないだろう・・・

ところが
はやぶさ無事帰還のニュースである

着陸した惑星イトカワは
3軸の距離が535 × 294 × 209 m
地球ですら宇宙の中では塵のような存在なのに
直径僅か500m
無きに等しい大きさではないか

そのイトカワと地球の間を
探査機が往復したのだ

う~む
人間が考え付くことで
絶対不可能ということはないのかもしれない

星飛雄馬のボール
あり得るかも・・・

音声模倣

2010-06-13 | 想い・雑感
人の口真似をする鳥がおりますが
あれは言葉を解しているわけでないので
音声模倣というらしいですね

それができるのは
鳥類の5割程度
鯨類の一部
それに霊長類のひとに限られる
ということ

我が家のネコ ムクタンは
ペットショップの片隅で売れ残っていた猫で
おそらくもうじき処分という時期だったのを連れ帰ったらしい

このネコ
周りはほとんど犬という環境にいたためか
我が家に来た時には
にゃ~ん
とは鳴かず
子犬の鳴き声とネコが混ざったような声で

ぅあん あん 

と啼いていた

ところが
数年の間に
2匹の猫が加わったところ
いつの間にやら

にゃ~ん

と啼きだした

これって
音声模倣じゃないのかな?

使うべきか否か

2010-06-13 | 想い・雑感
抗がん剤治療を行うのは
患者さんの全身状態が保たれているときに行うのが基本

抗がん剤という毒を盛るわけだから
疲弊した体に用いるのは避けなければならない

ただし
骨髄癌腫症の状態となり
白血球 赤血球 血小板などが作れなくなった緊急事態で
全身状態は悪いが その状況を打破しなければ
すぐに死に至る状況となったとき

状態が悪いからあきらめるか
打破できる可能性にかけて抗がん剤を使うか

とても難しい選択となる

素麺の薬味

2010-06-13 | 想い・雑感
麺類は全般的に好きだが
この時期は
そうめんがおいしい

お店で食べると
そうめんの量が少なすぎて
欲求不満となるので
家で食べる

麺は湯がき過ぎないことが肝要

そして
刻んだ薬味をいろいろそろえる

ネギ
茗荷
生姜
錦糸卵
ハム
きゅうり
しそ
わさび

ほかの人は何を添えて食べるのだろうか

薬味というだけに
体を整えるという意味もあるだろうから
一種の薬膳とも言えるかもしれない

そうめんが
うまい!

豹変

2010-06-13 | 想い・雑感
私たちは意識はせずとも
人としてのありようを
なんとなく持っている

それに沿って
自分の未来もなんとなく想像する
そしてそれをあまり疑わない

人って豹変することがあるのだが
自分が状況によって大きく変わる可能性を
普段私たちは考えない
因果が絡まれば
自分が何をしでかすかわからない
とは考えない

随分自分を信用している

そこまで自分を信用しないで
自分の未来を縛らないでいるほうが

楽 ということはあるかもしれない

同時に 怖いことではあるけれど


強風注意報

2010-06-13 | 想い・雑感
随分風が強かった
強いといっても
方向も強さも刻々と変わるから
次の瞬間どうなるかを予想するのは難しい

こういう日には
風にまつわる事故が報道されることが多い

気象庁が
強風注意報などを出している日だと
風が原因となってけがをしたり 人が亡くなったりすると
業務上過失傷害・致死の言葉がニュースに出る
「強風注意報が出ていたにも関わらず…云々」

強風注意報の有無を気にしている人がどれくらいいるのだろうか
その注意報が出ていると
屋外活動はしてはいけないのだろうか

そもそも
天気自体の予報だって外れるのに
風の予想が正確に当たるのか
予報の有無によって
罪になったりならなかったりするのか

事故の当事者の苦しみや悲しみを考えるのは当然だが
それと司法上の罪の有無は別物だと思う


軽くみられる

2010-06-13 | 想い・雑感
生活していると
身の回りには
物が次第に増えてくる

時に鬱陶しくなり
捨てるぞー
と片付け始めるが
たいして処分することもできず
やはり増えていく

心にもいろいろ溜まってくる
記憶を捨て去ることが難しいので
こちらはなかなか無くすことはできないが
考え方を変えることにより
軽くすることができる

人間
自分を中心にして世界を見るから
どうしても自分を重く考える
自意識過剰なんていう状況も
そこから出てくるのかもしれないし
相手をされないと怒りだすのかもしれない

あまり自分を重く考えず
自分自身を軽くすると
軽やかに生きていけるような気がする

軽く見られる

というのは良いことだったりして

急逝

2010-06-12 | 想い・雑感
地元に帰って10年
時折同級生と一緒に飲むことがある

そんな小学校・中学時代の同級生の一人が
心筋梗塞で急逝した

細身できれいな顔立ちの少年は
7,8年前に再会した時には
随分肥えていて
一瞬誰かわからないほどであった

エネルギッシュに自分の会社を運営しているようだが
酒とたばこが気にはなっていた

数日前
彼の会社の前を通った時
平日なのに
シャッターが下りていた

元気にしてるかなぁ
と思いながら通り過ぎたのだが
その時には既に…

訃報のメールを受け取ったとき
ポカーン
とした後
自分でもよくわからない心の動揺が広がっている

死は万人に訪れる共通の真実だが
すべてが異なる死であることを
思い知る

自然

2010-06-11 | 想い・雑感
ブログをアップすることに
ものすごく
責任感を感じながらやっている人
たくさんいますよね

わたしも
無責任な発言をしているつもりはありませんが

だれかのためにやっているという意志は
ございません

しらふの時も(これが9割以上です)
酔っている時も

ただ
そのうちに
自分が振り返るよすがにしようくらいの気持ちで
キーボードを打っています

いい子になるより
正直になろうと思っています

わたしたち日本人が
知らず知らず
人に縛られて生きているのではないかと思い

自分の死に関してまで
人に縛られることがないように願いながら
キーボードを叩きます

でも
何も考えずに
打つこともあります

ときに
私にとって
重すぎる期待をしているのではないか
というコメントをいただきます
そのコメントをされた方の
期待にこたえるために
ブログを更新しているわけではありませんから
期待はずれもあると思います

どうか許してください

私は決して
ストイックな
人間ではありません

私は人に縛られたくないし
できれば自分で自分を縛る人間にもなりたくない
と思いながら生きているものです

みんな
今日を
楽しく
機嫌良く
生きたいですね
と考えながら
キーボードを打っています

ちなみに
今は酔っています…

一つの癌を克服しても・・・

2010-06-11 | 想い・雑感
早期胃癌に対して手術を行った方に
昨年骨腫瘍が見つかった
悪性リンパ腫であった
腫瘍が骨髄を圧迫し半身麻痺になりかけていたので
整形外科で腫瘍を切除し麻痺をなんとか避けることができた

その後放射線と抗腫瘍剤による治療を行い
数ヶ月前に治療を終えたとのことだった
痛みも取れやれやれと思ったところ
再び症状が

完治どころか
寛解すら難しいようだ

整形外科病棟を訪れてみると
疲れた顔で休まれていたので
声をかけるのを躊躇したが
結局少しお話をした
良く来てくれた
と笑顔を見せてくれたが
力ない笑顔

胃癌の治療後無事5年が過ぎたとき
これで一安心と夫婦で見せてくれた笑顔が忘れられない

専門家

2010-06-10 | 想い・雑感
どんなに多くの死を見つめてきた
死の専門家と呼ばれる人も
それはあくまで
「他人」の死の専門家であって

自分自身の死については
素人だ

たった一回しか経験できないことの
専門家になれるはずがない


何もしないわけではありませんが

2010-06-10 | 想い・雑感
「ありません・・・」

囲碁などで
もう打つ手がなく
途中でもう勝ちようがなさそうだと
負けを認め投了するとき
このように言うのを聞いたことがある

勝負の世界だから
勝ちがあり 負けがある
まあ致し方ないですね

勝負しているわけではないけど
時にわたしも ・・・ありません・・・
という意味のことを言わざるを得ないときがある
癌自体の治癒や制御ができなくなったときである

提供する医療とすれば
まだまだ手は有るのだが
がんを治せない
という内容を本人に告げるのは
婉曲表現でもつらい


「様々な抗がん剤を組み合わせて治療してきて
何度も小さくなりかけましたが
再び勢いを増し
今回の勢いを押しとどめる治療が難しくなりました」

「じゃあ 次は何をしますか?
何もしないんですか?」

「・・・」

この・・・の部分は
その状況によって
様々な言葉が並んでくるし
その部分は
病状の進行と共に
変化していく

べつに
あなたも私も
負けたわけではないのにね
死 を相手に勝負できるわけないのにね