Dr. 鼻メガネの 「健康で行こう!」

ダンディー爺さんを目指して 日々を生き抜く
ダンジーブログ

力を抜いて

2010-11-30 | 想い・雑感
ボーっと立ってみる

なるべく多くの筋肉の力を抜き
足底がぴたっと地面に張り付くイメージで
立ってみる

普段いかに無駄な力を使って立っているかがわかる

肩や肘に力を入れれば
それだけエネルギーを使っている

肩肘張らずに
柔らかく生きれば
ずいぶん楽に生きられる

現実

2010-11-29 | 想い・雑感
同級生何人かが集まった様子を写真に撮り
メールで送ってきてくれた

だれだこれは?

年は隠せないなぁ

おお こんな顔になったか

見目麗しかった子も今や・・・


勝手な感想を抱きながら
懐かしくその写真を見た

人はある年齢から
一気に老ける
友人の顔を見て
実感する

でも
これからの人生で
今が一番若い

そう励まして
今日も行く

求められたときに

2010-11-28 | 想い・雑感
朝の病棟回診が終わり
手術室に向かおうとしたとき
外来から電話

Yさんが体重減少を気にして
外来に来られているとのこと
緊急性はなさそうなので
外来日に改めて受診してもらうように言おうとして
言葉を飲み込んだ

Yさんの姿を思い浮かべてみる

よほど気になって
突然外来に来られたものと思われる

時間が無いの一言で済ませるのは簡単だが
兎にも角にも手術室に行く前に
Yさんの顔を見ようと考えた

診察をすると
やはり緊急性はなさそうだが
癌の再発を気にされているのは明らかなので
四日後に検査の予定を組んだ

検査では
臨床症状は全く欠落しているが
CTごく一部に肺炎と呼べるような
僅かな陰影を認めた
しかし再発は認めなかった

結果を説明し
念のための抗生物質を処方して
診察を終えようとした時

Yさんが一通の手紙を差し出した
Yさんの親友から私への手紙だ

そこには
突然の受診に対し
すぐに対応したことについての礼が述べられていた

たった四日の間に
遠隔地の友が手紙を届けていたわけだ

きっと
時間を縫って診察したことを
すぐにYさんが喜びを持って親友に伝え
その喜びを親友も自分のこととして一言伝えたくなったのだろう

患者さんが外来を訪れるというのは
必ず理由がある
それにできる限り応えることが
大切なことだと改めて教えられた出来事だ

それにしても
素敵な友情ですね
少し羨ましくも感じたのでした

習慣

2010-11-25 | 想い・雑感
帰宅して
ほとんどPCを開かない日が続いた
別に意図があるわけではなく
自然とそうなった

開かなければ
他にすることはさまざまあり
あっという間に
時はすり抜ける

2週間以上更新しないのは
ブログを始めて以来初だが

ないならないで
やっていける

というのは
習慣のほとんどに言えること

どうしてもないとやっていけないこと
などというものは
ほとんどない

こだわりを捨てると
生きやすくなる

何を信じる?

2010-11-09 | 想い・雑感
胃癌で紹介されてきたKさん

検査予定の日に受診されないのでどうしたのかと思っていたら

自分がガンのはずはないと
占い師の所を訪れたらしい

その占い師から
検査を受けるように言われ
結局は受診されてきた

もし占い師が
検査の必要なしと言えば
そのまま放置されていたのでしょうか

病理の結果より
その結果を全く知らない
占い師のほうを信用するのでしょうか

それとも単に
自分がガンであることを
否定したい気持ちが強く働いていただけなのでしょうか

いずれにしろ
人は
自分が信じたいように信じることしか出来ないのだなと
つくづく思います
善悪の問題ではありませんよね
そんなものなんですよね

戻らぬ

2010-11-07 | 想い・雑感
同じようなことの繰り返しに
人は退屈しがち

退屈した時
人は繰り返す行為のみをみていて
過ぎゆく時間を
見逃していることが多い

過ぎた時間は
二度と戻ってこないのだから
同じように見える行為も
全くおなじものではないことを
見逃していることが多い

当然いるはずの身近な人が
ある日遠い世界へ旅立つ
その時
確かに二度と戻らぬ時間があることを
思い知らされる


運命

2010-11-05 | 想い・雑感
潰瘍から出血したために
たまたま見つかった胃癌

その時30代半ば

5年目の検査(血液、内視鏡、CT)
にも特に異状なく
無事卒業となった
今や40代の男性

その間
再婚し
転職も経験
表情は穏やかで
幸せそうな雰囲気いっぱい
こちらまで嬉しくなる

あの時
見つかっていなければ
ひょっとしたら手遅れになって
今を迎えることはできなかったかもしれない

これも
その方の運命なのでしょうが

あらためて
病を得るということが
生きる
ということの一部であることを思い起こす

そして
生きる
ということの凄さを思う