Dr. 鼻メガネの 「健康で行こう!」

ダンディー爺さんを目指して 日々を生き抜く
ダンジーブログ

2006-10-30 | 想い・雑感
 競馬場に足を運んだことはないが、走る馬の姿は非常に美しいと聞いたことがある。きっとその通りであろうと思うが、野生の馬が野山を駆ける姿の方がより美しいのではないかと想像する。踵で横腹を蹴られ、鞭を入れられながら走る様子をあまり見たいとは思わない。昔、つらい労働を強いられ続けている状況を、馬車馬の如しと表現したが、競走馬にも通じるところがあるのではないだろうか。

 人も、生きているうちに、世間から手かせ足枷をつけられ、ある方向に走らされていることが多いと感じる。人からどう思われるかに心を砕き、自分の意志とは違う方向へ走らされるのである。

 人は、自分に与えられた時間がどれくらいあるかを知らずに生きている。すぐ背後に迫っているのかもしれない。例えば5日後に死ぬと分かったときに、自分に取ってどのような過ごし方を望むのか。自分が生きていく上で、何が重要と考えるのか。


 世の喧噪から少し距離を置き、閑かに一人で過ごす時間というのを、日常の中で意識的に持つことが必要だと感じる。

美しさには惹かれる

2006-10-29 | 
 昔スキューバダイビングをしていた。慶良間に何度か行った。

 はじめて間もない頃、潜っているとヒレをゆらゆらさせながら、悠然と漂う、体長が20cm程度の魚がいた。揺れるヒレは体に纏うドレスのようであり、優雅で美しく、つい手を出しかけた。その時パートナーが両腕で大きな×を作り触らないように警告してくれた。

 魚はミノカサゴであった。

 背びれに鋭い棘があり、かなり強い毒を持っている。死に至ることは少ないようだが、刺されると激痛とともに腫れ上がるらしい。

 私の得た教訓
 
 1:自信の有るものは、泰然としている。

 1:知らないということは恐ろしい。知識は身を護るかも。

 1:美しさに惑わされてはいけない。…少し難しい…。

狂想曲

2006-10-29 | 想い・雑感
 テレビを点けると、CMが洪水のように流れ出してくる。

 CMの作り方にはいろいろな手法があり、それを駆使してCMを制作しているのであろう。しかし、伝えることはただ一つ、「うちの商品を買ってくれ。」と言うことだ。より高価なもの、人より良いもの、おいしいもの、きれいなものなどを手に入れたいという欲を、煽り立てることがCMの存在意義のなかで最重要であろう。

 しかし、番組自体にも、欲望を煽り立てるようなものがある。

 皆さんご一緒に、欲望狂想曲を奏でましょう。

 これは、日本的宗教観の根幹である仏教と全くもって対極のあり方である。仏教では欲を絶つことを理想とし、少欲を説いている。そして足ることを知る(知足)大切さを説いている。と私は思っている。

 日本中に欲深い人間があふれかえっている。

 バブルの形成。
 収賄を行う官僚、政治家、経済界の人間。
 遊び金ほしさの強盗、殺人。
 もうけるためなら手段を選ばない詐欺。
 必要以上のものを手に入れるためにお金を借りて、結局自分の首を絞める人。

 こういう現象は、おそらく第二次世界大戦後に著明になったものであろう。それが向上心という形で表出されるうちは良かったが、個々人が欲の塊になってしまったのでは、やはり社会が乱れてくる。

 そこに、ゆとり教育などといって、教える内容を安易なものにしたことが更に拍車をかける可能性がある。特に、古典と呼ばれるものを教育から削ってしまうと、知の蓄積を次世代に残していくと言うことを放棄することになる。難しい言葉もきちっと教えれば良いのである。その言葉の持つ意味は、人生経験の中で自分なりに咀嚼していけるのである。

 医療も生きたいという欲望ばかりに振り回されるのでなく、死をしっかり見つめたものでなくてはならないと思う。

さわやか

2006-10-27 | 想い・雑感
 秋らしくなってきた。

 日の出時間が遅くなり、朝新聞を取りに出ると、朝焼けを楽しめる日もある。

 清涼な空気を吸い込めば、生気もともに取り入れるような心地よさがある。

 生きている有り難さを感じるひと時だ。

直腸癌

2006-10-26 | 医療・病気・いのち
 直腸癌の手術が必要となると、気になるのが人工肛門が必要かどうかである。

 癌は周囲に向かって浸潤(入り込んでいく)傾向があるので、肉眼で見て存在するところより離して切除する必要がある。したがって直腸がんが肛門のすぐ近くにできていると、本来の肛門も含めて切除する必要が出てくる。そうなると、残った結腸をお腹に出してそこから便が出るようにしなければならない。これが人工肛門である。

 人工肛門になると、ご本人が最も気になるのがにおい。20年くらい前までは金属のお皿のようなものをかぶせるくらいの装具しかなかったので大変だった。しかしその後皮膚にぴたっとくっつく装具がいろいろ市販されるようになり、まず周りの方が気にするようなにおいは出ない。

 また、以前であれば人工肛門になったような状況でも、技術の進歩で肛門を残せるようにもなってきた。随分と人工肛門を必要とする方は減ってきたのである。

 しかし、直腸がんといえば人工肛門だけを気にすればよいわけではない。

 直腸の通っている骨盤の中には、膀胱や尿管が存在し、さらに男性ならば精嚢、前立腺などが、女性ならば卵巣、子宮、膣などが存在している。直腸がんがそれらの臓器に浸潤すれば、その臓器も一緒に切除する必要が出てくる。

 たとえば膀胱に浸潤していれば膀胱を合併切除する。切除したままでは尿の出口がないので、人工肛門とは別に尿の出口もお腹に開ける(尿路変更)ことになる。

 ただそこまで大きくなっていれば、他の遠隔臓器に転移を起こしていることも多く、この手術を受けることのできる方は限られてくる。

 他の癌と同様、直腸がんも小さいうちはほとんど症状が出ない。症状がなくても、40代になればぜひ検診をうけていただきたい。肛門からの出血があり、痔だと自己判断して診察を受けていない方は必ず検査を受ける必要がある。また、家系に大腸癌の方がいる場合は、10代でも癌ができることがある。少しでも気になれば一度は検診を受けたほうがよい。

 小さいうちなら、人工肛門などになる可能性はかなり低くなる。

あっかんベー

2006-10-25 | 医療・病気・いのち
 病院で診察を受けるとき、よく医師から下まぶたを引っ張られて、あっかんべー見たいな状態にされます。あれは何をしているの?との質問を受けました。

 あの時診ているのは、主に貧血の有無と、黄疸の有無です。

 ひっくり返したまぶたの裏側の赤味で、貧血の有無をある程度判断します。

 また、白目の部分が黄色くなっていないかどうかで、黄疸の有無を判断します。

 その他、瞳孔の異常や、結膜の充血の有無なども同時に見ています。

こっちを向いてくれ

2006-10-23 | 想い・雑感
 「こっちを向いてくれ。」と誰かに呼びかけたくなることは、多くの人に経験があると思います。向き合って分かり合いたいという叫びです。

 呼びかけたくなる相手は、友人、親、師、恋人、連れ合いなど、いろいろな場合があるでしょうが、どんな相手でもしっかり向き合うことから次のステップへ進むことができます。片方が背を向けたままでは、交流を持つことは難しいのです。

 常に同じ方向を向いていることは難しいでしょうし、そのときに応じて向きを変える必要はあるでしょう。しかし、その時々で向くべき方向に向いておく必要があります。顔が向いているのと反対方向は見えないのですから、必要ならば視点を変える柔軟性も必要です。

 これは、個人対個人だけに限らず、一対多、多対多の場合でも同様です。

 病院において、その病院がそして職員がどちらを向いているかはとても大切なものだと思います。病院の置かれている状況が、厳しく締め付けられてきている状況で、つい国、厚労省、都府県、組織の方向を向いてしまいがちです。病院を経営するうえではその方向を見る時間も大切ですし、それが主たる仕事の人間も必要でしょう。しかし病院職員の多くは、地域の住民や、患者さんおよびその家族の方を向く時間を多くしなければなりません。

 向いているつもりでも、本当に心がそちらに向いているかを振り返ると、やや心もとない気がします。孔子ですら日に三度は自身の行いを省みたのです。私も常に反省の心、謙虚な心を持っていく必要がある。

 それにしても、今の世の中は、「聞く耳持たん。」というような振る舞いの人が増えてきたような気がします。

不知足

2006-10-22 | 医療・病気・いのち
 メタボリック・シンドロームという言葉が市民権を得つつある。

 小難しいことは別として、要は食べ過ぎと、動かなさすぎによって引き起こされる病気群である。

 腹八分目と運動、どちらも健康を維持するためには大切であることは言い古されてきたことである。

 よってメタボリックシンドロームにならないためには、食べたいという欲求と、動かずずぼらにしていたいという欲望とをコントロールすればすむことであり、すべてではないが患者の多くは自業自得である。とはいえ、なかなか古来より欲望と名のつくものはコントロールが難しい。

 分かっちゃいるけど…。

油断大敵

2006-10-22 | 医療・病気・いのち
 油断の語源はいくつか言われているようだがよく分からない。

 ちょっとした心の隙に足下を掬われることは、よくあることだから、油断は大敵である。

 これは手術においても言えることである。

 車の運転などと同様に、少し慣れた頃が危ない。大丈夫と思う心の隙が、動きを雑にしてしまうのだ。

 どれくらいで執刀医になれるかは、経験数、個人の資質などにもよるが、上級医の実力にもよる。指導的立場になったとき、一番気をつかうのは、当然のことながら安全である。しかし人の体は一人一人性格が違う。思わぬ所に落とし穴がある。

 だから、指導医がどこまで下のものに手術を行わせることが出来るかは、なにか不測の自体が起きたときに、対応できる自信を持っているかどうかにもよるのである。

2006-10-21 | 想い・雑感
 地球の衛星写真を見てみると、緑のほとんどない領域の広さにびっくりする。アラビア半島を中心として西は北アフリカ大陸、東は中国へ向けて茶色く見える地域が続く。

 それに比べると、日本の国土は緑深い。

 ところが少しずつ日本を拡大すると、関東平野は悲しくなるほど緑が消失している。衛星写真ではわかりにくいが、他の地域でも、伐採後の植林を行わない業者が多く、森はどんどん減っているといわれる。

 森の減少は、自然災害の引き金になるという問題もあるが、日本人にとっては、心の故郷の消失を意味していると思う。

 トトロの森で描かれているように、森には豊かな命を感じることができる。また命や自然への畏れを感じることもできる。そんな森が、日本人の宗教観の形成に深く関わってきたことは間違いない。

 人も自然の一部である以上、自然の荒廃は、当然人の荒廃を引き起こす。森が消失し、乾いた土やコンクリートに覆われてくれば、人の心も乾いてくる。

教育

2006-10-21 | 想い・雑感
 組織の円滑な運営を図る際、管理を徹底すればよいと考える人たちがいる。

 管理という視点は必要だろうが、上に立つものが手っ取り早く成果を出そうと管理強化をしているような面が目立っていると感じる。

 また、管理責任者を作り、管理に不手際があれば、責任者のさらに上の立場に在るものは、管理責任者の責任を問うだけで、自分には責任無きが如き顔をすることも多い。

 下のものを締め付けすぎれば、いつか爆発し組織の存続自体が危うくなる可能性もある。

 現在いじめ問題の解決策の一つとして、教育委員会の強化があげられているらしい。でもそれは、現場教師の締め付けになるに過ぎず、問題の根本ではないような気がする。

 戦後60年。こころの問題をないがしろにしたままで、その場しのぎの教育手法を繰り返したつけが今噴出しているのだと思う。

 大きな自然、宇宙の、人智を超えた営みの中で、今私たち一人ひとりが、得がたき生を得ている有り難さを教えていくような教育はないのだろうか。

 教育委員会の委員の中には、長い教員生活を経てきた方も多いだろう。小手先の手段ではなく、年長のものとしての知恵をぜひ出して、国に対して提言するくらいの意気込みを見せてほしい。その姿勢を見せること自体も、教育であろう。

齢(よわい)を重ねる

2006-10-20 | 想い・雑感
 「人は、死ぬまで成長し続ける。」という考え方が好きだ。

 いくつになっても、人としてより高い段階をめざす。

 見聞を広め、思索を繰り返していけば、自分が生かされている存在だということに思い至る。謙虚さを身につけ、他者を慈しむ心を身につけていく。

 老成するというのはそういうことなのだろう。

 これからも、齢を重ねていくことが楽しみだ。

祈る

2006-10-20 | 想い・雑感
 仏壇に手を合わせる。

 静かに手を合わせていると、父母を含め先祖のこと、時の流れ、世の中のこと、人智を越えた絶対の真実などいろいろな想いが去来する。

 そして結局は、自分自身を見つめているのである。

 そのような時間を少しでも作るというのは、心の安定を図る意味でも大切だと思う。

食道ステント

2006-10-19 | 医療・病気・いのち
 食道癌が進行すると、食道の内腔が狭くなり、食事の時につかえる感じが出現してくる。更に進むと、我々が普段無意識に飲み込んでいる唾液すら食道を通過しなくなり、しょっちゅう唾液をはき出す必要が出てくる。当然食事など全く出来ない。

 こういった場合、食道の内腔を少しでも確保する方法として、ステントの挿入がある。食道ステントは、網目状の形状記憶合金を筒状にしたものである。これを細くした状態で食道の狭窄部に置き、それが広がる力で狭くなった食道を押し広げるのである。

 ステントが完全に広がり、食道にフィットするのに1週間くらいかかるのでその間食事はできないが、最も早く経口摂取を再開出来る方法である。

同窓会

2006-10-18 | 
 胃癌と大腸癌が同時に見つかり、73歳の時に手術をさせていただいた方がおられる。このたび5年経過したので再発の有無を検査しが、明らかな再発を認めず無事完治となった。

 この間に、呼吸機能が少し落ちて来たため、在宅酸素療法を昨年より開始されているが、携帯用酸素ボンベをもって外出もされており、いたってお元気だ。

 その方が今度、同窓会に参加する予定という。長い人生の旅を続けてきた中で、60年来の友と再会し、青春の一頁を紐解くのはきっと何とも言えぬ味わいであろう。それぞれの人生という年輪を、顔や心に刻んだもの同士が、一瞬にして若かりしころの俺、お前に帰る。きっと酒や食事もうまいに違いない。

 私は何歳まで生きているかわからないが、もしそのような同窓会のチャンスがあるならば、穏やかな心で参加できるような人生を積み重ねていきたい。