子供のころ母親が、「♪トントントンカラリと隣組♫」と歌っているのを聞いたことがある。軽快なメロディーなのですぐに入ってきた。学校に入り社会科の授業でその隣組というのがどのようなものかを習った。町内会の中の組組織というようなイメージと理解した。相互扶助という意味合いが大きいのだろうが、国から見れば相互監視組織という意味合いが大きかったと理解した。何かあれば密告する末端組織と言える。国家は、当時の軍部は、随分ひどい組織を作ったものだと思った。戦争中というのはとても窮屈な時代であり、戦争をしていない時代に生まれたのは幸せだと感じた。
コロナ感染爆発により、非常事態宣言が発布となり、外出自粛要請が出されている。現在ふらふらと出歩くのは悪であると感じ、出歩く人を諭し、非難することは正義だという確信の元、積極的行動に出る人も出てきた。また感染が分かった人やその人にかかわった人たちに対して排除を求める人たちが出てきた。こんな様子を見ていると、戦時中の隣組組織は、自然発生的に互助組織から相互監視組織へと変貌していったのではないかと考えさせられてしまう。
他県ナンバーの車に対して、投石する人もいると報道されている。やっている方は正しいと思っての行動だろうが、冷静に見てこの行動はあまりにも単純な反応だと思う。しかし人はこのような行動に出るという面があるのだろう。他県ナンバーに乗っている人は、すでに地元に暮らす住民かも知れない、他県登録のまま乗っているのかもしれない、インフラを支える仕事についている人かもしれないなどと想像を働かせることすらできなくさせるものは、根底にある不安感なのだろう。大きな不安を感じている人が多い現在、過激な反応が出る可能性が高く、思わぬ方向に不安解消のための矛先が向いてしまう可能性もある。その点からみると、中枢にいる政治家は不安鎮静装置ではなく不安増大装置になっているのではないかと不安を感じてしまう。
冷静になる必要があるのだが、冷静になるためには正確で透明性のある情報に基づいた明確な論理のもの、今後どのように行動することが求められ、どのようなやり方でやっていくか、ということをリーダが語る必要がある。そうでなければ不安は増大するばかりである。
とりあえず私は、バイクに乗って他県を走るのはやめておく。