Dr. 鼻メガネの 「健康で行こう!」

ダンディー爺さんを目指して 日々を生き抜く
ダンジーブログ

蛇型ロボット

2006-04-30 | 想い・雑感
 災害で瓦礫の下に埋もれた人などを探し出すために、蛇型ロボットの開発が行われているとのこと。隙間を縫って人を見つけに行くことが出来るとのことで、その実用化に向け研究が進んでいるそうだ。見つけ出した後に救出する術も同時に発達させる必要があるでしょうが、見つけなければ助けられませんから、研究の進歩を期待したいですね。

 でも、長くてくねくね動くものが大嫌いな人が、蛇がやってきたと思って、卒倒しなければよいですね。

 基本的にロボットは動かしている人がいる訳なので、ロボットと出会ったとき、そのロボットの向こうにいる人が善意の人か悪意の人かが分からないという怖さもありますね。

 近い将来、ロボットに囲まれた社会がやってくるのでしょうが、外見では人と区別のつかないようなものまで誕生してくるとしたら、なかなか油断のならない生活になるかもしれませんね。あらゆる生き物や機械にまねた監視ロボットがそこら中にあるとしたら、監視する立場の人から完璧にコントロールされてしまうかも…。

故郷は…

2006-04-30 | 想い・雑感
 故郷を離れ、距離を置いてみてみると、そこにいるときには見えなかったものが見えてくる。そして懐かしさがこみ上げ愛しくなる。

 けんか別れをした友人など。いざ距離を置くと、良い面などが見えてくる。

 日本を出て外国で暮らしてみると、日本の良さを改めて思い知らされる。そして、如何に自分が日本のことを知らないかを実感する。日本人で良かったと思う。

 いいなあと感じる心は、人から無理矢理教え込まれるものではなく、ある時自然とわき出てくるものと思う。好きになれなどと、人から強制されることなど、真っ平御免である。

 四季の移ろいという自然の贈り物があり、基本的にはそれほど好戦的でもない日本。別に教え込まなくても、いいなあと感じることをどんどん増やせば、誰でもこの国を愛すると思う。それは日本人に限らず、他国の人から見ても愛すべき国になるということでもある。

 民のため、市民のために国があり、国の一部の人間のために民がいるわけではない。近年国に奉じている公務員や政治家の汚職や管理能力の低下がしばしば問題となっている。そのような方々に今以上の権限を与えることには強い危機感を感じる。

 

急変時の対応

2006-04-28 | 医療・病気・いのち
 癌を患われたご家族の最後を、自宅で送ってあげたいと考える場合、心の準備として必要なことがあります。

 急変時の対応です。
 
 どこの癌か、どのような広がりか、どこに転移しているかなどその状況により、どのような形で急に状態が変化するかは変わりますが、全体として多い原因は、出血と呼吸状態の悪化です。どのようなことが起こりうるかは、主治医に確認しておく必要がありますが、思わぬ事態が起こることもあるので、心の準備はしっかりしておく必要があります。

 また急変時にどのような対応をしてもらえるかも、病院や医院に確認しておく必要があります。病院は満床であれば入院受け入れができません。その時往診してくれる医師をできれば確保したいところです。

 しかし、とにかく自宅で見送りたいと思われるなら、急に状態が変化することが有りうることを理解すると共に、覚悟をきめることだと思います。救急車を呼んだり、入院手続きをしたりとばたばたしているうちにも、時間は過ぎていきます。そこの時間をしっかり見送ってあげるというのも一つの選択肢でしょうから。

人の振り見て

2006-04-27 | 想い・雑感
 人の振り見て我が振り直せと申しますが、なかなか自分の身を振り返るというのは難しいものです。

 交通機関で携帯電話をしている人を迷惑そうに見ている人が、着信があればやはり話し始めたり、おしゃべりしているおばさんたちをうるさがる人がやはり大きな声で話したりと、例を挙げればきりがない。

 しかししょうがないではすまされないのが、ウィニーなどを通じて流出する個人情報ですね。個人情報を扱っているという認識と、ウィニーをインストールしているというたった二つの事実に気づきさえすれば、防げるものがかなりあるはずなのに、今だに流出が報じられております。

 今回はあろう事か、流出の原因となったのが新聞社の社員である。メディアとしての影響力の大きさをしっかり自覚し、細心の情報管理をしてもらいたいものですね。かなり責任は重いと思いますよ。

 病院も我が振りを見直さなければなりません。病院のデータ管理をするのに、医師に持ち出し禁止のPCが使用できるようになっておらず、結局医師個人のPCを使用している病院も少なからずあるはず。データの院外持ちだし厳禁を徹底する必要と、情報管理システムを病院として構築する必要がありますね。

担当者は誰?

2006-04-27 | 想い・雑感
 チェルノブイリ原発事故20年国際会議で、世界保健機関(WHO)の担当者が「事故が原因でがん死する人数は将来発生分も含めて4000人(今月、9000人と修正)」との予測を出した。これに対し「あまりにも少なすぎる」との批判が出されているとのことで、4万人以上の死者が出るとの予測もある。

 どちらが正しいかはわからないが、WHOは人類の健康を守るための提言を出すのがつとめだろうから、少なめに見積もっていたとしたら問題だろう。

 どんな報告でもそうだが、それを誰が出したのかはとても重要なことだ。インターネットの発達に伴い、容易に情報が手にはいるようになってきたが、その情報の信頼性を確認するのはかなり困難だ。

 WHOにしても、内部では国益がぶつかるような事態も当然予想される。WHO の中でもどのような立場の方がこの報告書をまとめたのかも問題であろう。

2006-04-27 | 想い・雑感
 旬の竹と書いて筍(たけのこ)。

 旬という言葉が死語になるのではないかと思うくらい、多くの食材が一年中手に入る昨今だが、やはり筍は春がおいしい。

 アミノ酸、ビタミン、ミネラルが豊富で、当然繊維質も多く、自然が恵んでくれた健康食品。

 取れたての筍をいただき、炊き込みご飯などで食べた。春の息吹、力強く若い命を体に取り込んだようだ。孟宗の母親が食して病が癒えた(孟宗竹という名の由来)というのもうなずける気がする。

 人の体は、口から食べたもので構成されている。食べることの大切さを今一度考える必要がある。

トリプタノール

2006-04-25 | 想い・雑感
 多くの薬は、副作用の危険がある。また、人によっては必要な作用が、別の人には副作用となることもある。たとえば、血圧を下げる薬は高血圧の人には有効だが、下がりすぎると低血圧症状を起こすことがある。

 トリプタノールという薬を中学2年生が教師の食事に混ぜた事件があった。この薬は主にうつ症状に使用するものだが、種々の副作用があり使用には注意を要する。おもな副作用は、口の渇き、眠気、めまい、立ちくらみ、便秘などで、ほかに、手のふるえ、かすみ目、尿が出にくい、動悸などもある。さらにはもっと重篤な副作用も起こることがある。

 こんな薬が、インターネットを通じて簡単に手にはいるということに恐ろしさを感じる。販売した人(業者)は摘発されれば間違いなく違法行為だ。

 使う側は、薬には必ず副作用の危険があることをしっかり認識することが必要だ。簡単に手にはいるからといって、安易に薬を使用しないことだ。法を犯して薬を売りつけようとする人間が、副作用を丁寧に教えるわけがないのだ。

春霞?

2006-04-24 | 想い・雑感
 今朝起きると、近くの山がかすんで見える。一瞬春霞?と思ったが、全体が黄色っぽいのだ。黄砂の影響だった。

 黄砂は、中国では紀元前1150年頃には記録が有るようだし、お隣韓国でも170年頃の文献に出てくるそうであり、自然現象の一つとも言える。しかしここ数年、黄砂の量が極端に増えてきているそうで、中国大陸の砂漠化がその原因とも言われ、環境問題としてクローズアップされてきている。

 黄砂の影響で、呼吸器の障害が増えたり、洗濯物が汚れたりという害もあるが、物事には多面性がある。黄砂は遠くハワイまで到達することもあるそうで、黄砂に含まれているカルシウムその他が、ハワイあたりでの植物の生育を助けているという話もある。また、日光を遮り温暖化を抑制するとか、雨をアルカリ化し酸性度をおさえるとか、良い面もある。

 日中韓で黄砂の研究を合同で行っているようだが、黄砂という現象一つとっても、環境にどう働きかけるかというのは難しい問題を多く含んでますね。環境という複雑な系を、人間の微々たる知識や知恵では、なかなか理解するのが難しいのでしょう。
 

円楽さん

2006-04-24 | 想い・雑感
 日曜の夕方に放送される「笑点」は、私が物心ついた頃には始まっていました。名物の大喜利は打ち合わせ無しのぶっつけ本番、と随分前に聞いたことがあります。まさに噺家の実力がそのまま出てしまう世界。出演者の勇気と芸には驚くばかりです。

 また出演者も単にはやりという人ではなく、芸と呼べる物を持った方がほとんどであり、見ていてホッと安心できる番組です。

 その番組の司会者を長く勤められた円楽師匠が、司会者役を退くとのことです。そういう時期になったのでしょうね。脳梗塞から復帰したが、人の話に対し即座に反応できていないというもどかしさがあり、そんな自分が芸人として、特に素早い反応が求められる大喜利の司会者として人前に出ることを許せなかったのでしょうね。ここらが潮時ということでしょう。

 潮時を見逃さないと言うのは大切なことなのかもしれません。1人の人生の中でもその時どきで役回りが変わる、潮時があります。その時期を見逃さず、自分に与えられた役回りを誠実にこなしていきたいものですね。円楽師匠もますます活躍してくださることを期待します。また笑点というホッとできる番組も続いていってほしいと思います。

膀胱刺激症状

2006-04-23 | 医療・病気・いのち
 胃癌の場合、癌が胃壁の外へ顔を出すと、そこからお腹の中へ癌細胞がばらまかれ、腹膜転移(腹膜播種)を起こすことが少なくありません。

 膀胱の一部も腹膜に覆われており、その近くに転移を起こし次第に大きくなってくると、膀胱に浸潤してくることがあります。転移巣から膀胱へ直接入り込んでいくわけです。

 最初の症状は、膀胱炎のような症状、つまり排尿してもまたすぐに出したくなる、残尿感があるというものです。少し進むと排尿時痛が出現し、さらに癌が膀胱の内面までに顔を出せば、尿に血が混じってくるようになります。

 ここででできることは、主として抗癌剤の使用と症状緩和です。

 胃癌に対する抗癌剤治療は、体にそれほど負担をかけずに延命効果を出せる場合もあり、効けば症状が取れることがあります。主治医とよく相談する必要があります。相談してみて、抗癌剤の使用方法を1種類か2種類しか提示できない医師であれば、セカンドオピニオンを求めた方が良いと思います。

 症状緩和、つまり緩和ケアとしては、麻薬製剤を含めた鎮痛、ステロイド使用、止血剤の使用、夜間の鎮静剤使用その他症状に応じて手段を講じます。まずは気になる症状すべてを主治医に伝えることが大切です。

 緩和ケアを受けるに当たり、ホスピスや緩和ケア病棟の必要性を声高に唱える人もいますが、施設としての受け皿がなければケア出来ないというものではありません。緩和ケアの知識とケアへの興味を持った医療スタッフを育成すれば、どこででもかなりの部分は出来ることだと思います。

成長?

2006-04-21 | 想い・雑感
 誕生日を迎えると、正月とは別の感覚で時の流れを感じる。決して以前の誕生日には戻れない。子供の頃、学生の頃、働きはじめた頃と、時は同じ早さで過ぎているはずなのに、その時々で早さが違う。

 それにしても、子供の頃は時の流れを、成長という言葉で表現するのに、ある年齢を過ぎると老化と呼ぶのは何故だろうか。老化が悪いとは思わないが、齢を重ねても日々成長しているととらえた方が、なにか心に豊かさを感じがする。

 職場では、立場で上下関係があるが、これは偉い偉くないではなくて、役割が違うだけであろう。

 年齢の違いも、社会に対する役割が違うだけであり、また、その人によって人生におけるステージが違うだけである。ある年齢に達しても、死に向かってどこまでも成長し続けると思って生きていきたいものである。多くの面でスピードは遅くなるが、成熟しているのである。仏という悟りの境地へ向かい、成熟しているのである。

 一生勉強、死ぬまで成長。
 今を大切に、感謝して生きるのみ。

血液脳関門

2006-04-20 | 想い・雑感
 「GABA」と表示されているコーヒー飲料を見つけた。
 ストレス社会と闘うあなたに!というキャッチコピーが目についた。

 GABAというのは、γアミノ酪酸の頭文字をとったもので、かなり以前から抑制的に働く神経伝達物質(神経細胞から神経細胞へ指令を送る物質)とされている。そこで、神経を静める効果を印象づけるキャッチコピーになったと思われるが、少し疑問。

 全身を流れる血液は、体の隅々に栄養と酸素を送り届け、不要な物質を回収してくる。しかし、脳は体の司令塔。有害な物質が脳に流れ込んでは困るので、血液中から脳にとって必要なもの以外は流れ込まないようになっている。これを血液脳関門と呼んでいる。

 GABAもこの関所を通ることができないそうなので、GABAを口から摂ってもそれが鎮静効果へ直結するとは考えにくいような気がする。おそらく、販売戦略会議か何かで、心を静める点を強調しようということになったのでしょうが、少し引っかかる。ただし、血圧を下げる作用、中性脂肪を除去する、肝臓や腎臓の能力を高める、などの効果はでるであろうから体に悪いことはなさそうだ。

 ちなみに、私も単純なのか、この飲料を飲んでみると不覚にも心が落ち着くような気がしてしまった。情けない。でも人の情動ってそんなものなんでしょうね。

2006-04-19 | 想い・雑感
 井上陽水や吉田拓郎、チューリップにシューベルト。
 フォークソングやニューミュージックと言われるものが盛んになってきた頃に中学生をしていた世代なので、ギターの簡単なコードを押さえたり、アルペジオを奏でたりくらいは少しだけできる。

 ギターなどの弦楽器は、使用しないときは弦を弛めておくのが基本らしいが、ついつい弾きっぱなしになってしまう。しばらく時が過ぎ、ちょっと弾いてみようというときには音階が下がっているので、また少し弦を強く張る。これを繰り返しているうちに、弦は次第に引き延ばされ、ある日限界を迎えバチンと切れてしまう。

 人の心も緊張ばかりでは、ある日切れてしまう。緊張していると気づかないうちに疲れ果てることも多いから怖い。

 私の好きだった落語家の桂枝雀さんがよく、「緊張の中に緩和があり、ひょっと弛むところに笑いがある。」というようなことをいっていた。自分を鏡に映してみて、いつも眉間にしわを寄せているようなら、笑いを生活の中にぜひ取り入れてもらいたい。笑ったときには、ほぼ間違いなく心が弛んでいますから。

天気は?

2006-04-19 | 想い・雑感
 「今日の天気は?」と聞かれて、反射的に新聞の天気欄を見たり、テレビを点けたりする自分に気が付いた。いつの間に空を見上げなくなったのだろうか。そういえば夕焼けや朝焼け、雲の変化、星の瞬き、月の満ち欠けなどなど、滅多に見なくなった。少し視線を上げれば、いつもそこにある空という自然。やはりそんな自然と遊離した生活になっているのだろう。

 久しぶりに空を見上げた。黄砂のことや浮遊しているかもしれない化学物質などのことは忘れ、ただ澄み渡る青空を見上げた。少しの間だが、心が満たされ、体全体がいやされるような感覚につつまれた。

 地上に目を落とすと、ほぼ花びらを落とした桜たち。でも近くの山を見ると、頂上近くで恐らく満開となっている桜たちがいる。春が山頂目指して駆け上がっているようだ。

 人の体も自然そのもの。自然を見つめないと言うことは、人も見つめていないと言うことになるのかもしれない。

落語

2006-04-16 | 想い・雑感
 縁あって毎年同じ落語の師匠のお話を聞く機会がある。
 話芸というだけあって、毎年芸に磨きがかかっていくのが分かる。

 音楽でもライブの迫力というのはCDとは全く違うが、落語もテレビと生では全く違う。体の動き、息使い、目の動き、体温などが直接伝わってくるので、話しがなめらかだとどんどん引き込まれていく。声だけが聞こえてくるCDやテープとは全く違う世界だ。直接接するというのは、やはり伝わる情報量が全く違う。

 人と人がコミュニケーションする場合も同様だ。メールや電話と、直接話すのでは全く違う。直接会ってコミュニケーションする場合は、言葉自体より、動作や表情、目の動きなどの方から、人はずっと多くの情報をキャッチしているという。

 同じような声で、同じ内容を語っていても、人にいやな印象を与える人と、好感を与える人がある。これは言葉以外(ノンバーバル)の表現に起因するのであろう。一度鏡を見ながら、自分が話しをするときの表情や動きをチェックする必要がありそうだ。