Dr. 鼻メガネの 「健康で行こう!」

ダンディー爺さんを目指して 日々を生き抜く
ダンジーブログ

突然

2008-05-29 | 医療・病気・いのち
食道癌の方が急に亡くなることがある
その原因の一つが出血である

出血も
大量出血自体による全身状態悪化が死に結びつくときと
血液が気管を塞ぎ窒息する時とがある

大量出血は
癌が食道の近くを走っている大動脈まで入り込み
あるとき突然大動脈から吹き出るという場合が多い

窒息は
食道から出血した血液が気管に流れ込んだ場合と
気管に浸潤した癌から突然出血する場合とが考えられる

いずれにしろ
そのときはいきなりやってくる
起こりうることはわかっても
実際起こるのか
起こるとすればいつなのか
それは誰にもわからない

ご家族は
食道癌が進行し
末期に向かっていることはわかっていても
突然の出血から死に至ると
なぜ?
という思いにとらわれる

しかし癌の末期には
本当に何がいつ起こるかわからない
ということは肝に銘じ
大切な人との時間を送る必要がある

突然の別れを経験したとき
人は一期一会の意味と重みを
改めて噛み締めることになる

月影

2008-05-28 | 想い・雑感
月明かりに作り出された
自分の影が
川面に浮かぶ

流れによる水面の乱れや
流れ来る落ち葉などのために
その影も共に乱れる

しかし影自体は
その場から動くわけではなく
穏やかに
泰然として
私と共に在る

様々な人や出来事との出会いの中で
心が千千思い乱れることはあっても
乱れざる本来の自分を失わない
そうありたい

また
想いは波立っても
穏やかなる心を運んできてくれる出会いがあれば
それは良き出会いなのだろうと思う

盛年

2008-05-26 | 想い・雑感
出身高校の同窓会総会に参加した
様々な年齢層が大集合
熱き日の想いを胸に語り合う

20期 30期
いやそれ以上離れた先輩諸氏
白髪を纏い 深く刻まれた皺

しかしそれらが気にならないほどの
輝く眼 
張りのある声
豊かな表情

心があの日々に戻っている

盛年は重ねて来らずという
確かに歳月は二度と戻ってこないが
己が心の中では
今と遠い昔はしっかり繋がっている

旧友と邂逅し若返った心を
帰ってからも保ち続けてほしい

なんと言っても
これからの己の人生で
今が最も若いのだから

今を 生きよ

感受性

2008-05-25 | 想い・雑感
人は毎日いろいろなことを感じながら生きている

人それぞれの感じ方があって
同じものに対しても
みなそれぞれの違った感じ方をしている
それまで生きてきた中で出来上がった
感じ方のくせというものがある

年齢とともに体が硬くなるように
心も硬くなりがちで
自分の感じ方のくせから抜け出しにくくなる

すこしでも柔らかな心を保つには
新しい考え 出来事 もの 行動 活動などに触れることを厭わず
感じ 受け止め 
一旦は自分の中に受け入れる
ということが大切なのだろう

真実という言葉があるが
自分にとっては
自分がどう感じたかがすべてであり 真実である

患者さんとの間
いや人との間で
柔軟なコミュニケーションが取れるようにするには
様々な感じ方 感受性を
いかに多く受け止められるアンテナをもっているか
ということが大きいと思う

抑制

2008-05-24 | 想い・雑感
理性的であることが
良いことと感じ また信じている人が多い
私もその一人       datta

欲するままに
欲する方向に突き進むことを
理性がうまくコントロールし
よい方向(あくまで理性的によいと思う方向)に
より効率的に運んでくれる

社会で生きていく上で
この上なく便利な道具であることは間違いない

でも理性は
本能に対する抑制系の命令であるという認識は必要

患者さんの中で
良い患者さんといわれる方の中には
この抑制系が極めて強いために
感じたことを表に出さない人がいる

良い子と言われる子供の心の中が
非常に傷ついていることがあるように
良い患者さんといわれる方も
実は随分つらい思いを抱えていることがある
そしてそれが突然爆発することがある

どんなことでも押さえすぎるのは良くない

最近では
理性的であることが正しいというわけではない
と宗旨替えをしつつある私である

まあこれは
理性で押さえきれない自分がある
ということへの言い訳かも知れませんが

ほたるのひかり

2008-05-24 | 想い・雑感
市政だよりのようなものに
近隣にある蛍の名所なるものが紹介されていた
もうそういう季節なのですね

ほたると聞くと
その儚い風情から
いろいろと皆さんも思いを馳せるでしょうし
懐かしい 少し胸の痛む思い出などもおありでしょう

私の場合思い出すのは
風景とすれば
車を止めた細い道を埋め尽くすような無数の淡い光が
風に乗って一気にサーと流れていく幻想的な状況

でも最も思い出すのは
全く詩的でないのですが
中学校校舎端の2階にあった理科室での授業
蛍の光を作り出すエネルギーは
ATPという物質だという内容だった

光といえば電気とか電流とかいうイメージしかなかった坊主は
単なる物質から光が生まれるという事実に
かなり驚いた
その記憶が鮮明に残っている

そのときの理科の先生の顔もはっきり覚えている
そしてその先生が現在
ほたる館という施設の施設長をされているのにも
何か因縁を感じる

我慢はほどほどに

2008-05-23 | 想い・雑感
武士は食わねど高楊枝

これに美意識を感じる方もおられるかもしれませんが
あまり見栄を張るのも考え物
背伸びをするとき少しかかとが浮き上がりますが
この状態を持続するというのは随分疲れる
見栄を張るのもいい加減にしておかないとやはり疲れる

あまり我慢が足りないのも困りますが
我慢しすぎるのも困ることがあります

特に患者さんの場合
あまり我慢して症状が強くなってからでは
治療にも時間がかかることがあります

痛みを我慢しすぎると
その痛みを止めるために
かえって早めに薬を使うより
たくさんの鎮痛剤が必要になることもあります

ところでこの「我慢」
もともとは自分に執着することから起こる慢心を意味したそうで
そこから強情などの意味に転じ
さらに人に弱みを見せまいと耐える姿を連想し
現在使われている我慢の意味になったとか

もともとの意味からすると
やはり我慢にはどこか無理があるようで

肩肘張らず
見栄を張らず
我慢しすぎず
自分自身を笑い飛ばして
穏やかに生きていたいものです

昔の傷

2008-05-22 | 想い・雑感
心も体も
古傷は疼くものですね

こころの傷はさておき
私には左ひざの古傷があります

中学時代
バスケットボール部に所属しつつ
高跳びの選手として陸上大会に出場してました(陸上部がなかった)
小学4年生のときに
担任から教えてもらった
ベリーロールを武器に
中2の時には県大に出たりもしましたが
時代はベリーロールから背面とびに変化しつつある頃
先生に勧められ背面とびの練習を始めました

それが踏み切り足の左膝に負担になったのでしょう
あるとき踏み切った瞬間に
左ひざを鉄の棒で強打されたような激痛が走り
そのままマットに倒れこみました

病院へ直行
膝蓋骨(膝の皿)を支える腱が切れているとのこと
1ヶ月の松葉杖生活となりました

大学時代
友達と信州へスキーへ
オーバースピードですべることに快感を感じていた矢先
おもいきり転倒
やはり左膝に痛みが
ちょっと休憩しているうちに膝が腫れてきたのだが
タオルできつく縛ると少し楽に
馬鹿な私はこれ幸いと
残る数日をだましながら滑ったのでした
その後当分痛かったなぁ


恐らく昨年膝を痛めたのも
それらの古傷が影響したのだと思う
プラス体重増加も関係していたのかな・・・

---------元気のたね----------というブログの「古傷」を読んで思い出したことでした

懐かしい

2008-05-21 | 想い・雑感
同窓会に出たとき
旧友からの電話があったとき
書き込みのある教科書が出てきたとき
子供の頃の写真を見たとき
友と録音したテープを聴いたとき
どこかで聞いた音楽が流れてきたとき ・・・

昔と 過去とつながる何かに触れたとき
私たちは
なつかしいなぁ  と感じる

でも時に
初めて会ったのに
あってすぐに
懐かしいなぁ  と感じる人と出会う

こころが なんとなく暖かくなり
話が始まれば 飽きずに聞いていたくなり
そして気持ちが穏やかになる

この感覚というのは何なのでしょうか
どこかに懐かしい誰かとの類似点を感じているのでしょうか

それとも
ずっと遠いところで
しかししっかりと繋がっている 縁がある
ということなのでしょうか

前世というものを信じてもいいかな
などという普段は思いもしないことを
考えてみたりもします

過去

2008-05-21 | 想い・雑感
他人の過去が気になる人と
それほど気にしない人がいる
私はどちらかといえば後者
過去に犯罪歴があったりするとちょっと考えるかもしれないが
積極的に聞き出すなどということはしない

今ここにいる私にも
ここに至るまで様々なことがあった
おそらく記憶にすら残っていない
多くの出来事を経験してきているはず
それをぜ~~んぶひっくるめて
いまの私だ

目の前の人だって
それまでの人生丸ごと
その中に蓄えているはず

一つ一つの出来事より
今ここにどのように存在しているかの方が大事

どのような会話ができ
どのような時間を過ごすことができ
どのような心の交流ができるかが 大切



一方自分の過去をとても気にする人がいる

車のバックミラーやサイドミラーを見るように
過去なんて時たま振り返ればよさそうなものだが
始終振り返っている

そんなに後ろばかり見ていると
事故を起こすよ

controllable?

2008-05-20 | 想い・雑感
車を運転するときには
スピードや方向をコントロールする
しかし想定外の事態があると
自分で制御しているつもりが
out of control となる

自分の心もできれば自身のコントロール下に置きたいところ
でもとても難しい

本屋の書棚には
人の心をコントロールできるかのようなhow to ものが並ぶ
コントロールしたい対象は
お客さん
子供

異性
仕事相手 などなど

他人をコントロールするには
自分自身が制御できていることが先だと思うのだが
皆 そんなことができているのだろうか

私にはそんな自信はない
感情が常に安定しているなんて無理

どこまで自分をコントロールできるか
はなはだ自信がない
特に最近の私は

だれの時間?

2008-05-20 | 想い・雑感
ちょっといつもより早く病院を出た
まだ日は落ちていない
ふらふらと自転車で町中へさまよい出て
本屋さん経由でスタバへ

店外の椅子に腰掛け
のんびりと本を開く

通り過ぎる人々
様々な会話
夏祭りへ向けての太鼓の練習

それらを背景に感じながら本を読む

何となく見えにくくなったなと思うと
日はすでにほとんど落ち
少し肌寒い

別にどうということもないことだが
このように自分の思うように時を過ごすと
如何に普段
時間に使われているかを実感する

ほとんどすべてが自分の時間であった
そんな青春時代を
懐かしく思い出す

でも本当は
どのような状況でも
すべては自分の時間
己が生きている時間だよね

心の持ち様で
すべてが自分の手に戻ってくるはず

たまたま

2008-05-19 | 想い・雑感
花の種が入った袋を結びつけた風船を
児童が校庭から一斉に放つ
という話しはちょくちょく耳にします
地図上で見ればほんの点でしかない校庭から
多くの風船が飛び立っても
一つとして同じ場所に落ちることはない

川辺から多くの花びらを川面に浮かべても
同じ場所にたどり着くわけではない

たどり着く場所は何らかの必然の連続なのだろうが
人智を越えた世界
つまり人から見れば偶然の出来事となる

脳の血管に血栓が詰まり発症する脳梗塞
心臓の中などに血栓ができ
その血栓がはずれて血流に乗って流れていく
たどり着く先が脳の血管であれば
詰まった先の血流が途絶え
その支配領域の脳細胞が死んでしまう

出来事の流れとすれば同じであっても
血栓の大きさやどの血管に流れ込むかなどと言うことを
誰かが制御できるわけではなく
たまたまの連続である

そしてたまたま
死に至る人
命は長らえたが麻痺などの症状が残る人
症状を全く残さず治癒する人
などに分かれる

同じ病気で助かる人と助からない人
それは治療の違いでなく
もともとの状態の違いということは多い

助けた医師が名医とは限らない
たまたまということも多い

同様に助からなかったからといって
治療に間違いがあったとは限らない

医療の不確実性というのは
世の事象すべての不確実性を反映しているに過ぎない

正念?場

2008-05-19 | 想い・雑感
現内閣の支持率はじり貧状態
メディアで支持率が30%くらいと報道された頃
いよいよ正念場かなと思っていたが
20%近くになってくると
すでに正念場とも言えない状況

歌舞伎や浄瑠璃などで正念場といえば
役柄を見せる最重要場面という意味で用いられるようなので
現内閣の場合
支持率低下以前にそもそも見せるべき真髄がないから
正念場自体ありえないとも考えられる

ただ正念という言葉を見ると
正しい念ということでしょうから
正しいこと 真理と思えることを 深く考える
という意味になるのでしょうか
だとするとここで一発
正しく国民のことを考えた政策の一つでも見せていただけると
正念を見せる場になるかもしれませんね

ざわめく心

2008-05-18 | 想い・雑感
病院に入院される方は
様々な病気の影響で
食欲が落ちている方が少なくない

栄養を取るには
口から何かを食べるのが最も良いと思われるが
食欲が落ちてしまうと
なかなか食べることができず
点滴をしたり
腸に入れた管から栄養を入れたり
ということになる

ただ食欲不振の原因は病気だけでなく
家族のこと 仕事のことやしている役員のこと
それにお金のことなど気になることが原因となることがあるし
癌と言われたことが尾を引いて食欲が出ないこともある
つまり心の問題ですね

食事を十分召し上がれない方がおられれば
その原因が何かを見つけ出し
必要なら栄養補給の方策を見つけ出さなければならない

でもその時に病気のことだけに気を取られるのではなく
一人の患者さんの全体を診てあげる必要があるわけですね


但し
恋煩いの方は
病院でも如何ともし難い
寄せては返す波の如く
一日 24時間
心をざわめかし
食べることすら忘れてしまう
そこまで行くとかなりの重症ですが
1次~3次救急のいずれでも
受け入れられませんねぇ