Dr. 鼻メガネの 「健康で行こう!」

ダンディー爺さんを目指して 日々を生き抜く
ダンジーブログ

反攻

2009-03-31 | 想い・雑感
胃癌に対する抗がん剤治療をしていると
いつかは癌細胞がそれまでの治療に反攻を開始し
まさに爆発という表現があたっているような状況になることがある

肝臓を含め腹腔内の大半が腫瘍組織に置き換えられた状態になることも

もう押さえる手立てはなくなる

備え

2009-03-30 | 想い・雑感
急に体調を崩すということは誰にでも起こりうること
1日2日休んでおけばよくなるくらいならまだいいが
入院が必要となるほどのことになると大変
いきなり日常から遮断されるわけですから
いろいろな方面への手配りなども追いつかない

当直のとき来院された30代半ばの女性
腹痛を訴えての受診だが
どうしても入院加療が必要な状況
ご主人と一緒に来られていたが
下の子がまだ1歳とのことで
その段取りが必要

親が近くに住んでいるとのことでなんとかなりそうでしたが
ご主人もいろいろ大変です

家庭間のつながりが希薄な現代日本
一人ひとりにとっては
震災に対する備えより
急病に対する備えのほうがプライオリティが高いかもしれません

今急に自分が倒れたら・・・
   家族が倒れたら・・・

と想像してみる事からはじめましょうか

捨て猫

2009-03-22 | 想い・雑感
注意されたから気がつく
というようなことがときにある

「ここにゴミを捨てるな!」
というような立て看板があると
ほうほう ここに捨てるような場所があるのか
とかえって気がついたりするたぐいだ

看板だけではやはり効果がないと見えて
最近では監視社会よろしく
「不法投棄 監視カメラ作動中」
などという立て看板も一緒に立っていたりする
そういう場所で見回してもカメラらしきものはなさそうなのだが
あるのでしょうか 

先日ツーリングの道すがら立ち寄った滝の傍に
観音様を祀った祠があった
入口に
「ここに猫を捨てないでください」
との張り紙
その前には猫が5匹ほどごろごろ
いずれも栄養状態が良さそう

これをみると
かえって猫を捨てに来る人が出てくるのではと
ちょいと心配になる
「観音様がみてますよ」
では気にしない人も多かろうから
やはり監視カメラありとする必要があるかもしれない

そこの猫は
近づいてもちっとも逃げないところをみても
観音様のご加護か
餌をくれるやさしい人々が訪れるのでしょう

うーーん やはり安心して猫を捨てに来る人が何人かは出てくる気がする

今日を生き抜く

2009-03-17 | 想い・雑感
いつも元気いっぱいのFさん
進行胃癌の手術から4年以上が経過
同時期に膵癌の治療を受けていた奥様はもう他界された

「これを飲みはじめてかぜをひかない」とのことで
少量の抗がん剤と免疫賦活剤をまだ服用している

大好きなゴルフ三昧の日常だが
ご本人は
『嫁さんも逝ってしまったし いつ死んでもいいと思っている
このまま起きないかなといつも思いながら眠るが
朝を迎えることができている
せっかく今日をもらえたのなら
さあ 今日はどんな楽しみが待っているかなと考え一日をはじめる』
と言われる

明日のことを思い煩うことなく
今日を生き抜く
理想的なありようですね

Fさんにはいつもこちらが元気をもらっている次第

逆走

2009-03-16 | 想い・雑感
朝日新聞が朝刊のトップで
高速道路での逆走件数のうち65歳以上が4割を占める
との報道タイトルを見た
驚いたことが二つ

1:65歳未満が6割も占めるんだ
2:朝日新聞ともあろう物が数字の扱いに無頓着なんだ


新聞などで報道される逆走事故は
かなり高齢者の起こした事故しか記憶がない私は
てっきり認知症が出てくるくらいの方が
事故を起こしてしまうのかなぁとなんとなく思っていた
ところが若い世代も同様の事故を起こしているようだ
こうなってくると個人の問題もさることながら
システムの問題と思えてくる
間違いを犯すのが人間だという認識に立ったシステムの構築こそ急がれる


数字に関して言えば
なるほど朝日は事実を伝えているのかもしれない
しかし人に何かを伝えることを生業としている人間なら
数字がどのような影響を持つかくらいご承知のはずだろう
65歳以上・・・ 「高齢者だな・・・」
4割  ・・・  「多いな・・・」
本文を読めばニュアンスは変わってくるが
見出ししか読まない人間も多い中
この表現はいただけない
見出しは逆走が年間900件を越えていることだけで十分でしょう

しかも現在の日本の状況を伝える中で
これがトップ記事になるという感覚も私にはわからない

早期のうちに

2009-03-13 | 想い・雑感
先日病院の会議に出ておりますと、外来患者さんの受診数が最近やや減少しているとのことであった。しかし、一人当たりにかかる費用は少し高くなっているとも言っていた。費用がかかるということはそれだけ、治療や検査が必要な場合が多いということでもあるだろうから、来られる患者さんは本当に具合が悪くなるまで我慢している可能性がある。そこには、最近の不景気も影響しているのかもしれない。

まだ統計を取っているわけではないが、昨年末から外科に来られる患者さんも進行癌の方の割合が多いような気がしている。先日医局で同僚たちと話していても、そう感じている医師が多いようだ。受診抑制がかかっているのではないだろうか。
言い古された言葉だが、早期発見早期治療が何より大切。癌に対する外科治療にしても早期であればあるほど、体に負担のかからない治療を選択できる。当然、支払わなければならない医療費も、早期であるほど安く済むのが道理である。最近は、治療の選択肢がかなり増えているといっても、それは主に早期の癌に対してであって、進行癌になってからだと選択肢は限られてくる。さらに手術ができないほどの癌であれば、抗がん剤による治療が選択肢になってくるが、この薬が随分高い。抗がん剤治療をしていると、病院は製薬会社のために窓口でお金を集めているような気がしてくるほどである。

癌、例えば胃癌の進行度によって、どれほど治療方法に差が出てくるか。治療のつらさに差が出てくるか。その辺のところを、早いほど治療費も少なくなるであろうことも含めて地域に出て行ってお話しするのも必要かもしれない。なかなか時間を作るのが難しいが、それも仕事のような気がしてきた。

節制

2009-03-12 | 想い・雑感
胃癌の手術後5年間は
年に4回ほど患者さんに顔を出していただく場合が多い
必要な検査を過不足なく行うことが目的の一つだが
様子を聞かせてもらうのも大切

胸焼けはないか
よく食べているか
食後に気分がわるくなることはないか
お腹が痛くならないか
下痢や便秘はしてないか・・・

などなどを脈をとったり 
お腹の診察をしたり
リンパ節が腫れていないか診たり
しながらお聞きする

先日外来に来られたTさんとも
同じようにお話していると
「そういえば一回だけ気分が悪くなった」
と言われる
それは・・・と思って身を乗り出すと
「久しぶりに友達と楽しくやって飲みすぎちゃいましてね、
ちょっとばかり気分が悪くなったのですが
翌朝のご飯も食べられたから大丈夫ですよ」
とのこと

食べ過ぎに注意するべきところだが
大したことなくてよかったと思うのと
がくっときたのもあって
言わずじまい

学会誌を見ていると
胃の手術後に
すしをシコタマ食べて
胃が破裂した例が報告されていた
つなぎ目ではなくて胃の壁自体が避けたとのこと

う~ん
今度Tさんが来られたら
やはり食べすぎ警報を出しておこう

治療の選択

2009-03-11 | 想い・雑感
どんなに元気に見えても
年齢が上がるほど
体の余力というものは少なくなっていく
ただどの程度少なくなっているかを
明確に示す方法はない
日常生活や経験した病気 それにいくつかの検査をもとに
類推するしかない

89歳の男性に早期胃癌が見つかった
癌が小さいこと 高齢であること などを踏まえ
内科の先生は本人と良く話し合い
手術ではなく内視鏡による治療を行うこととした
胃上部の難しい位置にできたため
粘膜切除ではなく
レーザーで焼くこととなった

一回焼いたがしばらくするとまた出てきたので
二回目もレーザーで焼いた
二回とも病変は1cmにも満たない
浅いものだった

それから一年後 経過を見るための検査を行ったところ
なんと5cmくらいの進行癌になっており貧血も伴なうようになったので
外科に紹介されてきた
結局胃全摘を行わざるをえなかった

一番最初の治療の段階であれば
全摘をせずに局所切除で対応できたかもしれないが
食道近くに5cmの病変があればそれはすでに無理であった

では最初の決断が誤りだったのか

そんなことは決してない
最初の時点で
その方にどれくらい寿命があるか
本人も含め誰にもわからない
手術に耐えられたかもだれにもわからない
もし手術に耐えられたとしても
手術による疲れから今まで命を保てたかどうかもわからない

先がどうなるか確かなことはわからずに
その時点でより良いと思う選択をするしかないのは
治療方法の選択も 人生における決断も同じ

それが難しさであるとともに
ある意味 生きることの味わいであるかもしれない

さて自分が元気な89歳で癌がみつかったらどうするかなぁ

って そこまで生きるつもり?

受容

2009-03-06 | 想い・雑感
受容 ・・・ そのまま受け入れる

癌といわれた場合
患者がたどる心のステップとして
否認 怒り 取引 抑うつ そして受容があるとされる

最後のステップの受容というのは
自分が死に行くという事実を
受け入れるということとされる

受容という言葉を聞くと
泰然 諦念 毅然などの言葉を連想する

でもそれは苦しみまでもすべて受け入れる
悟りのような状況とは違うのではないだろうか

死に行くという事実は受け入れても
どのようにそのときまで生きていくかは
人それぞれであると思う

どこまでも積極的治療を受ける
つらくない治療を選択して受ける
とにかく苦しみを取り除く努力をする
医療行為をすべて排除する
などなど・・・・・

そして本人が望むことに対し
それをできるだけ提供していく努力を
医療者ははらっていく必要があるのだと思う

がん治療と緩和医療
二つを比較して語られる場合が多いようだが
苦しみを取り除く努力を続けるという意味で
両者ひっくるめて癌に対する医療があるのだと思う
それが人の苦しみを取り除く為にある医療の根本に繋がることだと思う


自然?不自然?

2009-03-05 | 想い・雑感
自然なのと不自然なのとどちらが良い?
とぼんやり聞かれれば
自然なのが良い
と多くの人が答えそうな気がする
でも具体的な現実を前にするとなかなか難しい

福岡大学附属病院において
数日単位で亡くなると思われる患者さんに対する延命処置を
中止した事例が存在することを
先日マスコミが取り上げていた
家族の希望や本人が無理な延命を希望していなかったなどという事実を勘案して
決定したということだ
おそらく5年から10年以上前なら
もっと攻め立てるような報道になっていたと思うが
今回は自制が効いていた
そろそろ皆でこの問題を考えるという機が熟してきたのかもしれない

いよいよ死期が迫ったとき
このまま自然にという希望に沿って
不自然な延命を開始しなかった場合は問題とならず

不自然な延命を一旦開始した場合は
それを中止し自然な経過に任せようとすると問題となり
 時には殺人罪などとまで言われる
実にちぐはぐなことである



樹齢1900年とも言われる楠の樹
一度火災にあったそうだが奇跡的に今も命を保っている
それを支える支柱が少し痛々しいが
これがあればまだまだ100年 200年と生き続ける可能性がある
一つの延命処置とも思える

楠の樹に尋ねる事はできないので
支柱を当人が有り難がっているのか 迷惑がっているのかわからない
そして不自然な行為といえばそうなのだが
人間が自然の一部でありその行為も自然の一部と考えるならば
支柱もまた自然なことなのかもしれない

となると自然か否かを判断基準にするとややこしくなる可能性がある

延命治療をどうするか
人の場合は 本人の意志を第一とするしかないのだろうか

法律でクリアカットに決定することは
難しいかもしれない

次の一手

2009-03-04 | 想い・雑感
再発した消化器の癌に対して
抗がん剤治療を開始した時点で
完治はほとんど望めない

とはいえ治療開始に当たって
かなり難しいことはご本人にお話しするが
希望を持って治療を開始することになる

薬を変えたり 組み合わせを変えたりしながら
何とか押さえ込めている間は良いのだが
治療方法を出しつくしたところで
癌の勢いが盛り返してくると
医学的には根拠のある次の一手が見当たらなくなる

治療する側もつらいが
ご本人が一番つらい

それでもなにかできることは無いか
何かしてほしい治療はないか
相談しながら進んでいくのみである

蛇淵滝

2009-03-03 | 
春の気配が増してきた
休みにバイクで少し遠出
蛇淵滝という名の滝を見てきた

名前に蛇がついているので
季節がらうごめき始めているのではないかと思い
あまり近づかなかったが
人もおらず静かな場所だった



自然の中に身をおくというのは
なんとも気持ちが和むもので
しばし滝の周囲を散策した



その滝から10m位しか離れぬ場所に
滝と呼ぶには線の細い
一筋の水の落下を認める

その下にある石は窪まず
先端が丸くなっているのが
なんとも不思議な感じがした