Dr. 鼻メガネの 「健康で行こう!」

ダンディー爺さんを目指して 日々を生き抜く
ダンジーブログ

誰のため○○?

2009-07-21 | 想い・雑感
消費税全廃
 宗教法人にとってはもはや納める税金はほとんどなくなる

相続税撤廃
 宗教法人の教祖などにとっては
 丸ぶとりの財産を子息などに丸ごと渡せる

あまりにもみえみえで…

万歳

2009-07-21 | 想い・雑感
子供のころから
さまざまな場面で万歳をしてきたと思う

めでたい! とか
いのり とか
頑張ろう とか
いろいろだ

今日のニュースで
衆議院の解散場面が出ていた
与野党のほぼ全員が
解散の宣誓が終わると
万歳をしていた

何に対する万歳?

意味がわからない

日本のかじ取りがなされない40日間以上の日々を前に
なぜ万歳などしているのだ

わからない…

サンフランシスコの路面電車

2009-07-21 | 想い・雑感
サンフランシスコといえば
坂と路面電車

レンタカーを運転してあちこちドライブしたが
市内の坂の中にはかなり急なものもあり
坂の上に来るまで出たところで
とても降りることはできないと感じ通行を断念するような坂もある
だけど地元の人は徐行しつつも普通に降りていくんですよね

路面電車が市内を走る姿は名物
クラシックな外観を見せる電車が走る姿は素敵である
路線の終着点では
係員がロータリー上で電車をぐるっと回して反対路線に導くのを
興味深く見た記憶がある

その路面電車が衝突事故を起こしたらしい
ひどい事故ではなさそうだが
あののんびりした風景に事故はあまり似合わないかな


おにぎり

2009-07-21 | 想い・雑感
これまで食べたおにぎりで最もおいしかったのは
母のおにぎり
塩だけをつけ白いご飯をにぎった
シンプルなおにぎり
ふっくら やわらか
だけど崩れない

もう一度食べたいな

でもどうしてあんなにおいしいおにぎりができるのか

佐藤初女さんの本を読んでわかった

子に対する深い愛情と いのりがあったのに違いないと

引き返す

2009-07-20 | 想い・雑感
慣性の法則というものを最初に習ったのは中学生のころ
動かし始めるのにも
動きを止めるのにも
力が必要とのこと

この法則は
物体に関するだけでなく
人間の感情や行動にも当てはまるようで
何か行動を開始するとき
ある方向に進み始めた感情を抑えるとき
突き進み始めた行動を止めるとき という具合に
あらゆる生活の場面で
自身をコントロールするのにある力が必要なことを実感する
特に引き返すというのはかなりの決断力を要する

癌の手術でいえば
術前の予想以上に周囲臓器への浸潤が激しい時
切除に向けて進むか
リスクを考えて切除をあきらめ引き返すか
という場面になる

その際には質の異なる様々な因子を勘案することになる
患者やその家族の思い
患者の症状(食事が摂れない 出血している その他)
切除によって長生きできるか
切除に伴うリスクはいかほどか
手術チームとしての質はどうか
引き返すとしたらその後の治療方法はどうするか
などなど考えているうちに
どうしてもひと頑張りしてしまうことがある

引き返すという判断をした時
幾ばくかの敗北感を伴う
そして引き返した後時間がたち外来などで患者さんと会うとき
本当に引き返したほうが良かったのかと 今一度考えてみる
でも無理に切除を進めた時にどうなったかは
だれにもわからないことであり
目の前の患者にとってどちらが良かったかが完璧にわかることはない

引き返す決断
なかなか難しい

あなたはどうですか

ハイキング気分?

2009-07-19 | 想い・雑感
修験者の山にある神社あたりまで行ってきた
走り始めの気温は30.5度
山間に入っていくにつれ気温はすっと下がり
登山口で止まった時には22.5度
標高差800mくらいだから
計算通りの気温低下

事故のあったトムラウシ山は標高2000mくらいあるらしいから
町中が25度として
山頂近くは下界と同じ天候としても5度
かりに寒冷前線が通り過ぎたとしたら
もっと気温は急降下

北海道の夏は
下界でも気温が急に下がり
寒くなるほどなのだから
天候の変化が激しい場所に行く時は
ハイキング気分で行くのはまずいでしょうね

天満天神繁昌亭

2009-07-18 | 想い・雑感
地方都市で落語を聞く機会などというと
落語家が地方回りをする時くらいしかない
そこにいくと
東京などはその気になればいつでも
寄席を楽しむことができうらやましい限り

笑いの街大阪なども寄席がいくつかあるのだろうなぁと
思っていたら最近まで寄席がなかったそうで
天満天神繁昌亭という寄席が
ようやく数年前にできたということだ

大阪に行く機会があり
ネットで検索して初めて知った
夜席をちょいとのぞいてみた
210席ちょっとの座席は
平日の夜というのにほぼいっぱい

まあまあ楽しませてもらった
ただ6時30分開演というのに
座席での飲食不可というのは
大阪らしからぬ(失礼)きまりですなぁ

寄席のホームページでは昼席の様子が短い動画で紹介されている
しかし昼席はどちらかというと新人に重きを置いている様子

寄席に行く時近所で何人かの人に場所を聞いたが
知らない人がわりといた
地元の人にすらはっきり知られていないというのは宣伝不足

新人を紹介する意味も込め
どうせなら昼席の様子は
カットなしの映像を提供し
少しでも多くの方に関心を持ってもらったほうが良いような気がする

本心

2009-07-15 | 想い・雑感
もう10年以上動物園に行ったことがないので
いまでは状況が変わっているかもしれないが
ゴリラの檻の前には
「ふんを投げつけるので気をつけてください」
などという立て看板がある
投げつけられたくなければ近づかなければ良いのだろうが
逆に興味を持ち 恐る恐る近づいたりするのが 人である
そして時にはヒトの優越を感じたりもする

しかしゴリラは分けがわからずフンを投げるのではないだろう
この野郎 と思うかどうかは知らないが
何かの感情表現のはずで
フンを投げていること自体は認識しているはずである

ヒトの場合
己の排泄の管理ができるというのが当たり前と思って生きているので
そのゴリラを見ると ヤレヤレ と感じるわけだが
自身の排泄管理ができなくなる事態はヒトにだっておきうること

病気や年齢による機能低下のために起きる場合と
認知症などの精神障害によって起きる場合とがある
前者の場合はその本人も事態を認識しているので対処法もあるだろうが
後者の場合は本人がわからない場合も多いだろうからなかなか難しい

認知症がかなり進んだ方に対する治療を依頼される事がある
精神科病棟があるので
そこに入院していただいた上で治療計画を立てていくことになる

そのような方の中には
ところかまわず排泄したり 排泄物を投げ散らかしたりする方もおられる
当然手術内容の説明を本人が理解することは望めず
手術自体を本人が希望するか否かもわからない
結局家族の希望にそう形になってしまう

こんなとき
叶わぬことではあるが
本人の心に繋がる糸電話でもあればなぁ と思う
本当は何を望んでいるのか 知りたいなぁ と思う

結局本人がどうしたいかではなく
家族の気持ちを納得させるための治療になってしまっているのではないかと
自問するが答えは見つからない
本人の本心がわからないのだから

見つめる

2009-07-14 | 想い・雑感
子供の頃から
トンボといえば
赤とんぼにオニヤンマ それにシオカラトンボ
くらいしか知らない
それも正式名称かどうか知らない

時折見かける
胴体が細いトンボは
全部ひっくるめて 糸トンボ と呼んでいた

その糸トンボが最近庭に現れる
普通トンボといえば素早くスーと移動するイメージなのだが
このトンボはひらひらと飛ぶ
すっと手を伸ばせばすぐに捕まえられそうな危うさがある

ひらひらと飛び
ふらっと木や草の葉にとまる
運動後のクールダウンのように
3 4回ゆっくりと4枚の羽を広げては閉じ
後はじっとしている

周りをどのように認識しているのか知らないが
私が顔をすぐ近くまで寄せても
慌てて逃げ出したりしない

じっとこのトンボを見ていると

何気なく通り過ぎる日常の中で
少し眼を凝らして
当たり前の事象に注意を向けると
何か新しい発見がある
そんな柔らかな感性をできれば身に付け保ちたい
と思った次第である

救急室での夢想

2009-07-11 | 想い・雑感
今日の日直は今のところちょいと閑なので
しばし空想・・・

交通事故発生
ひき逃げ事故で犯人は逃走
受傷した人はA総合病院救命救急センターに救急搬送された
頭部の損傷著しいが搬送途中呼吸はあり血圧も何とか維持されていた
しかしセンター到着後心肺停止
直ちに蘇生が行われ 挿管の上人工呼吸器に繋がれた

証明書などはまったく身に着けておらず
顔面の損傷が著しく
指紋も登録されていないということで個人識別不能であったが
わが子ではないかと名乗る夫婦らしき男女が現れた
衣類などからその夫婦により本人確認がなされた

センター長より脳死の可能性が高いことを説明され
夫婦は脳死判定開始に同意した
判定結果は脳死と認定された・・・


?1 以上の状況で脳死判定を開始できるのか
?2 事故が故意のひき逃げである可能性を短期間に否定できるのか
?3 家族確認のために血液型確認さらにはDNA鑑定まで行うのか
?4 夫婦が移植に同意した時点で次のステップへ行ってしまうのか
?4 脳死判定後に事件性が判明した場合被害者への医療行為を継続してよいのか
?5 医療行為を継続した場合脳死を死と法律で断じれば死者への医療行為と成り医療費は支払われないのか

などということをうだうだ夢想しているうちに
救急患者さんとのお呼びです
失礼

流れ

2009-07-10 | 想い・雑感
一つの死が
他の生に引き継がれ
多くの生を支えてきた

地上に生命が誕生して以来
多くの生が
強く複雑に絡み合い今に至る

死して後
己が臓器を
他の人の役にたてたい
との思いもそこに通じるものがあるのかもしれない
ちょっぴり人為的ではあるが
生をつなぐという意味ではよりわかりやすいのかもしれない
そのことを望む人には
その機会が提供されて良いように思う

但し
死して後
己が肉体を構成してきたものが
土に還り
細菌や虫たちを養い
水の流れに沁み出でたものは魚などを養い
それらを食したものを養い
というような
生命界広くに解き放たれた己のほうが
しっくり来る人には
そのままの あるがままの死を許してほしい

臓器を提供しても
結局はその大きな流れに戻るのではあろうが

同じ移植?

2009-07-09 | 想い・雑感
移植の問題を語り合うテレビ番組を見ていると
どんどん移植医療を推進したいと考える人の中には
「輸血だって移植だよ」
と脅しのように発言する人がいる

三つの点で違和感を感じる

①移植といった場合通常は
実質臓器(心臓、肝臓、腎臓、膵臓、肺臓など)や
管腔臓器(小腸など)の移植をさすものなので
血球成分を細胞として輸注する輸血とは
ちょっと論点がずれると感じる

②輸血の中でも赤血球を主として輸注する(濃厚赤血球輸血)場合を考える
成熟赤血球は核を持たない(脱核)ので細胞分裂せず
平均120日ほどでなくなってしまうとされている
ずっと臓器として体内で生かそうとする臓器移植とは異質である
輸血には当然免疫抑制剤など必要ない

③多くの臓器移植が他者の死を前提としているのに対し
輸血の場合は血液提供者の生を前提としている

一般の移植と輸血を同じ土俵で論じてはいけないのだ

目の前の患者さんを救いたい気持ちは痛いほどわかるが
先走った発言は
かえって推進の妨げになるかもしれない

内在

2009-07-08 | 想い・雑感

梅雨まだ明けず
夏未だしのこの時期に
虫の声が聞こえてくることがある
すでに秋もやってきている

生が既に死を内在しているように
季節が次の季節もその身に持っている

もともと内在しているものなのに
生と死を対比し
そこに線を引きたがる

何のために

運よく今を生きている

2009-07-08 | 想い・雑感
高跳びのとき
バーの向こうには
厚みがあって弾力のあるマットがおいてあり
選手たちは跳躍の後そこに落ちる
というのが今では見慣れた風景

昔は飛び終われば砂場に着地
というのが普通だった

私が小学校4、5年生のとき
陸上競技会で高跳びに参加したときも当然砂場
ライバルと私の二人が残った

跳べたり跳べなかったりという高さにバーが上げられた

跳躍
「バーを越えた!」
と思った次の瞬間
背中を砂場で強打した
「息ができない!」
教師が私を胸を伸ばし 胸を押した
息がつけた

その後自分としたら普通に戻ったと思ったが
友人たちは顔が真っ青だと言う

今にして思えば
息ができないと思った瞬間は
きっと心臓震盪を起こしていたのに違いない
腑が悪ければそのままあの世か脳障害の後遺症か植物状態
ボールその他で胸を強打し
若者が心臓震盪から命に関わる状況になることは決して稀なことではない

きっと気がつかないだけで
死は私たちのすぐ傍に寄り添っているのに違いない

たまたま生かされているだけに違いない

生かされている今
さて何をする

余裕

2009-07-07 | 想い・雑感


車やバイクなどは
排気量が多目の方が
運転していて楽である
十分な余力があるので
ややきつい上り坂にさしかかっても
少しアクセルを開くだけで
速度を落とすことなく進んでいく

人間にも予備能力があり
毎日の生活では体力を目一杯使っているわけではない
ぎりぎりで生活しているなら
ちょっと無理をしただけで
バタンキューである

この予備能力も年齢とともに低下するのが普通であり
高齢になるほど手術のリスクがあがるのも
予備力が少なくなっているからである

70歳や75歳くらいなら
癌と診断され切除可能であれば
手術を勧めるような場合でも
85歳のがん患者さんとなるとちょっと立ち止まり
普通に手術を勧めることを躊躇する

人の予備力を正確に測る術がないし
手術がうまくいっても
退院直後に心筋梗塞や脳出血で亡くなることだって
実際にある 特定の個人にそれが起こるか否かは神のみぞ知る領域ではあるが・・・

多くの経験をつまれたご高齢の方に医療者が手術を勧めるかどうかは
本人の人生哲学に大きく左右されることとなる