December 16, 2015
50代の初めごろ首の後ろにあった脂肪の塊のようなものを手術で取り除いて以来、肩こりからは完全に解放されていた。今回右眼が役に立たなくなってから、眼が原因であろう肩こりがひどくなった。首筋も肩も背中全体にまで及んでいる。今年も残り少なくなった。この問題の解決は来年に持ち越すことになるだろうが、眼の回復が望めない以上、肩こり解消と本格的に取り組まなければなるまい。
12月10日に今年最後の点訳の勉強会があり、何とか今年の目標である400ぺ―ジまでは完成できることになったとキャップから報告があった。点訳も大変だが、そのあとの三校までの校正が日にちを要することを改めた実感した。英和辞典の点訳に、2年遅れで参加してちょうど1年経った。やっと皆さんに追いついた感じでいる。何度もこのブログで書いてきたことだが、何事も全体像をつかむことが大切だ。細部に疑問点があっても、それはその都度覚えていけばいい。まあそんな状態である。
一段落したところで、図書館から借りてきた、ジュンパ・ラヒリ『べつの言葉で』(新潮社)を読みはじめた。ラヒリの本は、いくつか読んできた。特に『低地』は、ブログにも書いたが、今年読んだ本の中で印象に残ったものだった。ラヒリは両親ともカルカッタ出身のベンガル人で、幼少期に渡米し、大学、大学院を経て小説家になった女性だ。家庭内ではベンガル語、家を出ると英語という環境から逃れるようにイタリア語を習得し、家族(夫と息子2人)でローマへ移住するまでに至る。本書は、イタリア語で書かれていて、イタリア語を習得するまでのプロせスについてのエッセイと、イタリア語で書いた短編が収められている。まだ読み終えていないが、外国語の習得について、何か突き動かしてくれるものがあった。私は長く英語を勉強してきたつもりだが、まったく中途半端である。しかし、ラヒリのイタリア語習得の奮闘記を読んでいると、もう一度バイリンガルに挑戦してみようかという気持になる。本書の題名のように、別の言葉が身体中にあふれたとき、人はどのように変われるのか、あるいは変わらないのか、そんなことを考えながら続きを読んでいる。エッセイの中のひとつにある、言葉について書かれた文章にまったく同感したので、次に引用させてもらう。
もうかなり上手にイタリア語がしゃべれるようになってはいるが、話し言葉は助けにならない。会話は一種の共同作業を伴うものなので、多くの場合、そこには許しの行為が含まれる。話すとき、わたしはまちがえるかもしれないが、何とか相手に自分の考えを伝えることができる。ページの上ではわたしは一人ぼっちだ。より厳格で、捉えることが難しい独自の論理を持つ書き言葉に比べれば、話し言葉は控えの間のようなものだ。(ジュンパ・ラヒリ『べつの言葉で』新潮社)
画像は、散歩の途中通る公園で。