December 20, 2015
ラヒリのイタリア語習得に関するエッセイを読んだ後に、それと交換のように図書館で借りてきた本、乙川優三郎『ロゴスの市』(徳間書店)が、題名の示すように言葉を扱っている偶然が不思議だ。しかし、ラヒリと乙川の結びつきは偶然ではない。ラヒリが『停電の夜に』で作家デビューしたとき、乙川もそれを追うように短編集『トワイライト・シャッフル』を出している。残念ながらこれはラヒリの短編集には及ばない作だったが、乙川がラヒリの登場を意識していたことはわかる。本書でも、日本語に翻訳する対象となる作品として、ラヒリの名が登場している。
本書は、翻訳家として働く男性と、同時通訳として働く女性の恋愛小説である。私は、凡庸な結末で終わる恋愛の話よりも、多分小説家になる以前の著者の体験から来ているのだろうが、翻訳家が二つの言葉を文学という制約の中であやつることの難しさが伝わってきて、興味深かった。昨夜夜更けまで読み、今日も午前中に読み続けて読了した。右目がほぼ失明状態の中でこれだけ集中して本が読めるエネルギーがあったことに自信がついた。
私が乙川優三郎の作品を知ったのは、朝日新聞の連載小説『美しき花実』が最初だった。時代小説には全く興味がなかったので、乙川の名前すら知らなかった。素敵な挿絵とともにこの小説を読んだ日々は、今でも鮮明に覚えている。それほど印象に残った作品だった。その後乙川作品を読み続け、大佛次郎賞を受賞した、この作家の最初の現代小説、『脊梁山脈』も当然読んだ。しばらく乙川の作品から離れていたが、私が感動した、『美しき花実』の最後で、女流画家の主人公がさらなる飛躍を求めて江戸に旅立っていくシーンのような迫力が、今の乙川の作品にはないと感じた。ジュンパ・ラヒリはこれから書いていく人、乙川は、何か大きな転機がない限り作品が枯渇していくのではないか。本書を読んでの私の生意気な感想である。
画像は、たまプラーザのショッピングセンター内で撮った。