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ぽかぽか春庭「納涼落語 by 金原亭世之介独演会 in 池袋演芸場」

2018-08-05 00:00:01 | エッセイ、コラム


20180805
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2018十八番日記燃える夏(3)納涼落語 by 金原亭世之介独演会 in 池袋演芸場

 暑いです。もともとヤワな春庭の右脳も左脳も燃えたぎっております。
 池袋演芸場で「金原亭世之介独演会」を聞きました。日ごろ薄ぼんやりと生きていて、この夏の猛暑に右脳も左脳もさっぱり働かなくなって春庭の、脳活です。
 7月30日、6時開場、6:30開演。

 最初に登場したのは、世之介の二番弟子、金原亭杏寿。まだ前座にもなっていない見習いですからから、名前の「めくり」もありません。

 二番弟子は、一番弟子の金原亭乃ゝ香のあとを引き継いで、世之介師匠が大学の客員教授として出講するとき、教室に座布団を運んだりなどの師匠の世話する役をこなしています。世之介教授の担当授業「情報・メディア表現B」の受講生たちに、教室に高座をもうけて一席うかがったこともあります。

 教室での金原亭安寿のミニ高座。先生が講義している教室の脇に高座がしつらえてあり、学生は、横を向いて聞いています。(画像借り物。肖像権に問題ありの場合削除します)


 杏寿は、2017年の11月に、女優として所属していた芸能プロダクションを円満退社し、世之介に入門。今はまだ見習いです。前座になるには最低10席の噺を師匠の前でうかがい、合格点をもらわなければならない、というのが落語界の暗黙のしきたりだそうですが、杏寿は半年で5席まで覚えたところ。と、ブログに書いていましたから、きっと近々前座になるでしょう。

 某所でこの杏寿さんを見かけて、「高座でのお名前はなんていうの」と質問したことがありました。「あんじゅ」とおっしゃるので、「安寿と厨子王かしら」とたずねると、「あんずにことぶき」と教えてくれました。見習いとして師匠のお世話をしながら、噺を稽古中というので、「何席覚えましたか」と質問すると、「まだ五席」といっていましたが、それから3か月の7月には、師匠の独演会で一席うかがうようになっているのですから、たいしたものです。

 杏寿の先輩、一番弟子乃ゝ香さんは元ミスキャンパスのべっぴんさん。そして二番弟子杏寿さんは、沖縄出身の元女優さん、一番におとらず美人です。乃ゝ香さんのブログタイトルが「もしも女子大生が落語家になったら」であるのに対して、杏寿さんのブログは「沖縄女優が落語家になったわけ」
 うん、美人度もブログUP度も切磋琢磨の女弟子。

 杏寿の一席は「寿限無」。
 いまやNHK教育テレビの「にほんごであそぼ」でも、子供たちが声をそろえて「じゅげむじゅげむごこうのすりきれかいじゃりすいぎょの~ちょうきゅうめいのちょうすけ」と暗唱している寿限無ですから、前座噺、見習い噺としてどういうふうに演じるのかと、聞き入りました。

 杏寿の語り口は、名前の部分を超高速活舌でもって「寿限無じゅげむごこうのすりきれ~」を10秒くらいで全部言う、その活舌ぶりにみな「ほう」となる。美しいお顔で「いっしょうけんめい稽古に励みました」と感じさせるところがかわいい。

 近所の子供が「ここの子になぐられて大きなこぶができた」と訴えにくる。ふた親が我が子の名を繰り返してコブの下手人を確かめているうちに、こぶもひっこんだ、というサゲになります。
 10秒で名前を言ってしまうと、その間にこぶが引っ込むだろうかという疑問は残りますが、おなじみの噺をどう表現するか、ということなら、おでこに「よくできました」のハンコをペタンと押してあげたいかわいらしさ。
 「美人は百万年分の得」と、去年の「乃ゝ香評」と同じこと書いておきます。美人へのひがみやっかみは、私の持ちネタ。

 世之介師匠は、1992年に真打になってからも長い間弟子をとらずにいました。「男社会の落語会にあって女性真打も増えてきたので、女性が語る落語を考えているころの2016年に乃ゝ香が弟子入り志願してきたので」というタイミングが合って、乃ゝ香在学中に入門。2017年3月卒業と同時に見習いから前座になりました。

 前座になったばかりのころ、某所(杏寿と出会ったところと同じですが)で出会い、同じ質問をしました。高座名と何席覚えたか。
 昨年4月の世之介独演会で乃ゝ香の「こほめ」を聞いたときの感想は、こちら。
https://blog.goo.ne.jp/hal-niwa/m/201705/1

 世之介一番弟子、前座乃ゝ香の「孝行糖」。
 乃ゝ香の噺を一年ぶりに聞きます。前回聞いたときは、「前座というのは、真打の師匠がどれほどうまいのかというのを客に知らせるために高座にあがる」と「美人へのやっかみ評」を書いたのですが、今回、噺の上達ぶりに「1年間みっちり修業を重ねたんだなあ」と、感じました。とても上手になっていました。

 ちょっと足りない与太郎が、親孝行のご褒美にお上から報奨金をもらいます。ご近所さんたちの配慮によって、もらったお金で飴屋を始めます。親孝行のご褒美を元手にして売る飴ですから、孝行糖と名付けたのが当たり、この飴をなめれば親孝行になれる、との評判もたって、売り上げ上々です。

 「孝行糖、こーこーとぉ。孝行糖の本来は、粳の小米に寒ざらし、カヤに銀杏、肉桂に丁子、チャンチキチン、スケテンテン。昔むかしの唐土(もろこし)の二十四孝のそのなかで、ほら老莱子といえる人、親を大事にしようとて、こらこしらえあげたる孝行糖。食べてみな、こら美味しいよ。また売れたったら嬉しいねッ」
 という飴屋の売り口上もいっしょうけんめい覚えました。

 孝行糖を鐘太鼓をならし口上をつけて売り歩き、水戸上屋敷門前でお囃子口上をやってしまいます。お武家様の門前では音曲遠慮すべきこと知らなかった与太郎、水戸様御家来に棒で打たれてしまいます。

 通りかかった知り合いが、弁解し助けてくれます。痛いようと泣く与太郎に、知り合いが「どこが痛いのか」と聞きます。
 与太郎はぶたれたところをさして「こーこーとぉ、こーこーとぉ」と下げ。

 古典落語のなかでいちばんショーモナイ、ダジャレのサゲなんだって。この「しょうもないサゲ」も、美人が語ればわっはっはと楽しくなる。
 乃ゝ香の精進ぶりを聞くことができました。三遊亭金馬師匠直伝で、お墨付きをもらったというネタなんですって。

 ひとつ注文つけるなら。与太郎描写がさらに深まることを。
 チョイとろ与太郎のばかっぷりを口跡で伝えるには、演技力が必要。たとえば、山ピーが「アルジャーノンに花束を」を演じたときがそうでした。「ほんとうは利口もんの僕が、おつむのたりない役をやっているのさ」が見え見えの演技になっていました。新薬の力でどんどん知能指数が上がり、天才になったときの山ピーは、優れた能力とともにある孤独感が出ていてとてもよかったんだけれど。

 乃ゝ香の与太郎も同じく、「ほんとは美人で利口な私が演じる、与太郎のおばかさん」という感じでしたが、でも、美人だから許す。

 「孝行糖」の与太郎は、母親を大事にし、孝行糖の売り出し口上の長いのを暗記できたのですから、ちょっと抜けているところがあっても、まるっきりのもののわからなさではない。
 ただ、「武家大家の門前で音曲まかりならぬ」というような世間知が少々足りない。そのビミョーなおばかぶりを伝える口跡をものにして、さらなる精進を重ね、二つ目真打と成長する姿を見ることができたら、老落語ファンもうれしい。こちらの寿命が寿限無じゅげむのちょうきゅうめいのちょうすけ、くらい長生きするなら、きっと乃ゝ香杏寿の真打披露も見ることができるでしょう。

 ゲスト出演者、ポール宮田。ポール牧の弟子だそう。歌謡曲の替え歌と、演歌の前奏司会の「ちゃんと歌を聞いてくれる場合の司会」と「だれも歌を聞いちゃいないカラオケなんかのときの司会」のネタで笑わせました。

 今日が初仕事で高座返し(座布団をひっくり返す)をやったのは、世之介三番弟子、駒平。師匠の二つ目時代の名をもらったのですから、期待の弟子なのでしょう。そのうち、前座をつとめるようになったら聞いてみたい。
 乃ゝ香が1年で上達したのを聞くと、世之介師匠の弟子育成力はすごいと思います。

 真打登場。「笠碁」と、夏向き幽霊噺「三年目」。

 枕には、いろいろな話題が出ました。師匠自身が大正大学客員教授を務めていることから、大学の危機管理について、など。
 大正大学非常勤講師だった50代のおっさんが、教え子女子大生といっしょに暮らすようになったのがなんだかんだのトラブルになった。彼女の心ををつなぎとめるために、言われるままに大学の建物脇で全裸になりましたとさ。彼女が、脱いだ服全部を持ち去ってしまったので、通報されるまで全裸でいた、という事件。笑える事件ですが、大学側が対応を間違えれば、翌年の受験生が減るところでした。
 私は事件が起きたときはヤンゴンにいたので、事件があったことだけ知っており、どんな内容の事件だったかを、世之介の枕でようやく知りました。

 師匠は、大学から「大学教授としての振る舞い方」的な分厚いマニュアルを渡され、「先生、ほんとうに大丈夫でしょうね」と、念を押されたそう。師匠が大学講義にあたって、美人弟子を同行しているのは、イケメン教授に群がってくる女子大生避けなのかもしれないと思いました。世之介師匠の危機管理、大丈夫と思います。

 世之介の枕。全国に危機管理学部を持つ大学は、3校。アメフト事件で危機管理がまるでなっていないことが全国に知れ渡った日本大学。あとの2校は、千葉科学大学と倉敷芸術科学大学(2017年学部開設)。この2校は、嘘答弁やらを繰り返している加計学園系列です。世之介師匠は、「この3校に危機管理学部があるって、笑っちゃうしかないですね」とふっていました。たしかに。
 (ちなみに。理事長の加計氏とおとしたもだちABEシンゾーさんは、2004年の千葉科学大学開学式にも2014年10周年記念式典にも出席)

 枕でたっぷり笑わせて、「笠碁」。ほんとうに聞きほれるしかない見事な一席でした。
 相模屋と近江屋の人物描写で、古川柳「碁敵(ごがたき)は憎さも憎しなつかしし」のやりとりを聞かせました。

 一席終わって、となりの女性(高齢者ばかりだった観客の中では若いほう。40代くらい)がお連れ合いに質問していました。「どうして傘のしずくで碁盤が濡れるの?傘さしたまま部屋にあがったってわけ?」
 お連れ合いが解説。「このカサは、今の傘じゃなくてさ。富士参りのカサって言ってたでしょ。頭にかぶるやつ。だからあ、碁が打てるうれしさで、笠を頭から外すのも忘れて碁盤の前にすわっちゃって、しずくが垂れたんだよ」

 噺の中で、師匠が「笠」について「富士参りの笠」とだけ言い、形やら頭にかぶる笠だというような解説はしなかったので、独演会の噺を聞きにくるような観客は、みな落語の中にでてくる事柄については先刻承知で、ヘタにいろいろな解説をつけるのを野暮と思うような人ばかりなのだろうなあ、と思ったのでした。そこは、若い人がわんさか押し寄せるテレビ向けの高座とは違うんでしょ。

 でも、アラウンド古希の私の世代でも、カサと聞いて、笠のほうを思い浮かべるのは、手植えの田植えを見たことがある田舎育ち。
 若い人に「笠」をイメージしてもらうには「ほら、国語の教科書に出ていた『かさ地蔵(かさこじぞう)』のお話読んだことあるかな。おじいさんが、雪の中のお地蔵さんに、菅笠をかぶせてやるお話。あれに出てきた笠」というと、わかってもらえるかも。(現在、2年生の国語教科書への掲載率が高いおはなしです)。

 そうか、若い人にとって、笠をイメージするのもむずかしいとなると、笠碁を聞いて、碁が早く打ちたくて、碁敵の碁盤にしずくが垂れることなんか気にもとめない心の「はやり」もわかってもらえないのだなあと感じました。落語の語彙、ますます、若者からは縁遠くなっています。

 また、「碁敵の家に、忘れてきた煙草入れを取り返しに行く」という旦那に、おかみさんが「傘は、私がつかいますから、もっていかないで。こっちの笠、富士参りのときのをかぶってください」というのも若い人には理解ができない。

 傘は一家に一本あればいいほう、傘なんぞ家にないほうが普通であった時代、若い世代にはわからない。安いビニール傘が大量に出回るようになったのは、1980年代からのこと。それ以前を覚えている世代には、傘が貴重品であった時代がわかるけれど、30歳以下の世代なら、生まれた時から使い捨て傘ほかの安傘が家のなかにごろごろしているので、家に傘が1本しかない、ということが理解できないかも。

 新派の波野久理子だったか二代目水谷八重子だったか忘れたけれど、新派上演の意義のひとつとして、明治の生活文化、身体文化、そのほかの明治という時代を伝えていくことも大切なこと、とインタビューに答えたことがありました。

 古典落語の意義も、江戸、明治の庶民の心意気や生活を伝えていくのが意義のひとつかも。 新作落語で時代時代の新しい笑いを作っていくことも必要でしょうが、古典落語の噺を聞いて、生活文化しぐさの文化を伝えるのも大切だなあと感じました。

 碁敵と喧嘩して碁がうてず、退屈しきった旦那がキセルで煙草を吸う仕草。もう時代劇でしかキセルでの喫煙は見ることができず、これからますます喫煙不可の社会になると、若い人には、扇子をキセルに見立てて吸うところ、何をしているところなのか、わからなくなっていくんじゃないかしら。

 歌舞伎は、スーパー歌舞伎以後、映像とのコラボありワンピースやナルトなどの漫画原作ありと、なんでも取り入れて21世紀の生き残りをかけています。
 語りだけで世界を作っていく落語。若い客を呼ばなければ、これからどうなるやら。私の世代がいなくなったら、観客がいなくなる。

 金原亭世之介独演会の、池袋演芸場。4月の独演会では立ち見が出たので、7月30日には補助席も設けられていました。しかし、補助席利用するまでには至らず、93座席のうち、空席もわずかながらありました。問題は空席ではなく、観客のほとんどが高齢者だったこと。ハゲだのシラガだのばっかり。
 師匠のブログ「世之介のそばにおいでよ」に出ている7月30日の写真。ハゲおやじの前の前の席に、私の頭が写っていました。高齢者のあたま。

 さてさて。若い観客を呼び込まなければ、落語の将来、先細り。
 落語で笑える観客が育たなければ、いくら美人落語家が増えても、古典落語を聞きたい客はどんどんと高齢化の一方。古典落語は絶滅危惧芸能なのか。
 東西800人いるという落語家のなかには、新作とテレビのバラエティ番組やらコメンテーターやらの出演で稼げればいいという人もいるでしょうけれど。
 落語が伝統芸能として税金で保護しなければならない芸になってしまったら、「ちゃんと笑わせろ、この税金ドロボー」なんていうヤジも起きそう。

 高齢者たちのなかに、若い男性ふたりみえていました。美人弟子その1その2のおっかけファンなのか、世之介教授の授業を取っている「クリエイティブライティングコース」の学生なのか。
 世之介教授学生への課題のひとつは、「落語台本の制作実習」。若い台本作者が育って、若い美人弟子が育って、そして若い観客が育っていけば落語の将来万々歳です。学生さんよ、単位もらったあとも、落語ききなさいよ。

「三年目」
 ご亭主への思いを残して若くして亡くなった女房。やむを得ず後妻をめとることになったら、婚礼の晩に化けて出て、後妻を退散させると約束しました。しかし、女房の幽霊はいくら待っても出てこない。3年たってようやく「うらめしや~」と現れたので、遅れた理由を聞くと、「納棺のとき、私の頭を丸めたでしょ」「ああ、成仏できるように僧の姿にするのが習わしだから」「こんな坊主頭ではあなたに愛想づかしされるかもしれないから、髪が伸びるまで3年待ちました」

 女房の描写が絶品でした。夫が後添えとの間に子ももうけ、幸せに暮らしていることへのやるせなさと、それでも亭主への思いを捨てられない女心が、しぐさひとつセリフひとつに表現されていました。

 古今亭一門は、女性の描写を十八番にしており、女性のしぐさを学ぶために、日本舞踊の名取になることが奨励されているのだと、枕にふっていました。世之介師匠も日本舞踊浅茅流の名取。浅茅与志寿朗。

 本も書くし、若かりし頃はシンガーソングライターとして歌も出していた、というマルチな才能の師匠。弟子や学生を育てる才能もお持ちで。
 「なんで神様はそんなに何でもできる人と、なんにもできないドジばかりの人を分けるんでしょか」
 「そりゃ、どうにも違いがあるんですよ」
 「え、どこに違いが?」
 右脳をさして「こーこーとぉ」左脳をさして、「こーこーとぉ」
 おあとがよろしいようで。って、あんまりよろしくはないが、おひらき。

<つづく>
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