春庭Annex カフェらパンセソバージュ~~~~~~~~~春庭の日常茶飯事典

今日のいろいろ
ことばのYa!ちまた
ことばの知恵の輪
春庭ブックスタンド
春庭@アート散歩

ぽかぽか春庭「2003年の嘆きの母」

2015-03-17 00:00:01 | エッセイ、コラム
20150317
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>三色七味日記3月(1)2003年の嘆きの母

 12年前のうさぎ年、2003年の三色七味日記3月を再録します。
 中学生の息子、反抗期まっさかりをやっていました。大学生の娘は反抗期が収まりかけたころ。私はままならぬ子育てに「嘆きの母」の毎日。
~~~~~~~~~~~

2003/03/01 土 曇り午後雨
日常茶飯事典>おやこ喧嘩

 3月4日から期末試験が始まる。中学生になって、家では5分も自宅学習をしようとしない息子。
 小学校のときも、確かに家では1分も自宅学習をしなかった。でも、それでも皆についていけた。今は、皆においついていくのは至難の業だ。

 息子が入学試験に合格したときはうれしかったけれど、数学オリンピックメダリストとか、コンピュータプログラミングコンクール優勝者とかに囲まれて、どれだけ息子がしんどいか、母は心配でたまらない。息子は、のほほんとゲーム三昧したい子なのに、クラスみんなが天才秀才。落ちこぼれるのも、みんなでこぼれりゃこわくはないが、たった一人でこぼれっぱなし。

 中2の3学期期末前になっても、まだ勉強しようとしない態度に、ハハの小言攻撃激化。息子、ふてくされる。事態は、母子姉弟喧嘩に拡大。
 勉強しようとしない中学生の息子に、母が「勉強しなさい」と小言攻撃、というのは、中学生を持つたいていの母親がやっていること。母の小言に反発反抗するのも、中学生として、あたりまえ。そんな典型的なおやこ喧嘩の顛末。

 9時ころ起きてきた息子、トーストを食べ終わると、母の攻撃をかわして、歴史教科書を読みはじめた。ちょうど1時間やったところで、息子は「これで勉強ノルマは果たした」と感じて、ブランチ休憩。11時半に娘が起きてきた。スパゲッティをゆで、インスタントのたらこソースやツナマヨソースをまぜるだけのブランチ。

 食べ終わると、娘は息子に「勉強すると約束したんだから、食べ終わったら勉強しなさいよ」と息子軽くたたいた。息子は自分はもうノルマ分の勉強したつもりだったから、娘をはたき返した。それで娘が怒って強くまた叩き返して、よくある姉弟げんかの展開。
 しかし、これまで、口げんかのほかは、ほとんど喧嘩らしい喧嘩はしたことがない二人だったので、たたき合いになった時点で、私が間に入ってとめた。「たたくのはやめて」
 娘は怒って泣く。娘にしてみれば、息子を勉強させようと思って忠告しているのに、お母さんは弟の味方ばかりしているという気持ちだろう。身支度をすると、雨の中出ていった。ひとまわり買い物をするのか、夫の事務所に行くのか、あいちゃんの家に行くのか、どれかだと思ったから、行き先も聞かなかった。

 息子はしばらくふてくされて地理のプリントを見ていたが、私はもう、勉強については息子の判断にまかせようと思ったので、何も言わず、ベッドで本を読んでいた。そのうち息子も怒り出し、ふとんにもぐってしまった。「勉強しろと、うるさいくせに、ちゃんとやっていると無視する」と、思ったのだろう。

 息子も、娘もどうしてこう難しいのだろう。
 昨日、テレビのアニメで「あたしンち」を見ていたら、娘は「うちのお母さんとよく似ているね」と、笑う。確かに私はドジばかりしているが、キャラクターはゆずみかんの母とはかなり違う。私はネクラだもの。
 つまり、それは娘の「うちのお母さんも、ゆずママみたいなあっけらかんとして、どっしりして、おっちょこちょいの明るいお母さんだったらいいのになあ」という願望が言わせた言葉だと思った。私はいつも心配の種を拾って歩くような、根っから心配性の人間だ。楽観主義者になりたいのに、杞の国の人間である。

 毎日ネクラに「どうして、子育てはこんなに難しいんだろう」と、嘆くばかりなのだ。
 8時すぎても何の連絡もないので、夫の事務所に電話をすると「事務所に来ていたけれど、今は映画を見に行っているのでいない。映画が終わるのは8時半ころ」と夫が言う。

 息子は8時すぎに1回起きてきた。「サラダのきゅうりを薄切りにして」と、頼む。しぶしぶキュウリを切っていて、終わったら、食べずに寝てしまった。夜9時すぎ、娘が帰ってきて起こしても、起きてこないですねていた。

 娘は映画『セレンディピティ』を見てきたという。「面白かった」と、ごきげん。黙って出ていったのを心配して損した。

本日のひがみ:「あたしンち」のように笑っていたい


2003/03/02 日 晴れ
日常茶飯事典>グットラック反抗期

 息子、朝からまだ「スネ夫」継続。起きてきて牛乳を一杯飲んだと思うと、またごろりと横になり、口もきかずにすねている。ごはんも食べない。
 私は弱気の母親だから、たちまち意気消沈。反抗期の息子に対処できない。夕方、娘が起きてくるまで、ずっと息子のスネ夫反抗と私のシオシオさめざめが続く。

 娘の不登校のはじまり頃、何も食べない日が続いたことを思出すと、また、息子も「学校生活に耐えられない」「食べられない」「不登校」という道をたどるのかと心配になる。

 娘にとっては、「1年半、中学校に行かなくても、なんとかなったじゃない」という1年半だったかもしれないが、私には永遠に続くかと思われる、苦しいつらい1年半だった。単位制高校に合格し、なんとか通学していけそうだと納得するまで、不安と苦悩のどん底にいた。

 娘の不登校の原因、「生徒会会長として頑張っていたのに、生徒会を生徒管理の手先と思っている生徒指導教師と対立してしまった。教師からのイジメに耐えられなくなり、学校へ行けなくなった」と、いうことを、娘が私にうち明けたのは、高校2年の夏になってからのことだった。

 娘は「教師のイジメが原因っていう本当のことを最初にいったら、どうなったと思う。お母さんは絶対に、教育委員会に持ち込んだり、新聞に投書しようとしたり、裁判するって大騒ぎすると思ったから、教師が原因ということは言いたくなかった。こうして、高校にも行っているし、もう、本当のこと聞いても、裁判するって思わないでしょ」と、ほとぼりがさめてからうち明ける結果になったことを説明した。

 実際、もし不登校中にこの話を聞いたら、私は学校に乗り込み、逆上のあまり、娘をいじめた教師をナイフで刺すくらいのことはしたかもしれない。娘のほうが冷静であった。「もし、本当の原因を話していたら、お母さんが騒ぎまくって、高校進学どころじゃなかった」と、娘。

 しかし、娘がうち明けるまで、ずっと私は、小児科の医者から言われた「お母さんが子育てしながら大学院に通うとか、子どもを実家に預けて単身赴任するとか、がんばりすぎていることが思春期の娘には負担になるんですよ」という言葉をまともに受けて、自分を責め続けていた。

 なにしろ悲観主義者で、なにごとも悪い方へ悪い方へと考え、不安スパイラルに落ち込むのだ。理屈では「だいじょうぶ、学校へ行かないでも子供は成長していくし、それなりにつかみ取るものがあるんだから」と思う。
 何でも活字で納得する方だから、奥地圭子さんの本も斎藤学さん、渡辺位さんの本も山のように読んだ。だから、頭では「不登校は不登校として経験である」「不登校だからこそ可能な子どもの成長がある」と言える。

 けれど、もう一度あの1年半を繰り返せと言うなら、はっきりと「私にはもう1度でよくわかったから、ほかの方、ご経験になってください」と、この貴重な人生経験のチャンスをお譲りしよう。
 東京シューレでは、兄弟姉妹で不登校はよくあることだったが、我が家の場合、フリースクールに通うのさえいやだというからなあ。東京シューレ親の会に、せっせと通ったのは私だけ。娘は1度もシューレに足を運ばなかった。

 娘が不登校になった頃、「私一人でふたりの子を育てている。誰にも相談できないし、誰にも助けて貰えない」という思いの圧力が、自分の心を押しつぶしていた。この圧力が娘にも向かい、娘もその圧力がいやだったのだとは思う。
 実際には、姉にも妹スモモにも助けてもらってきたのだが、私には「たった一人で」という意識が抜けなかった。
 今もそう。私が愚痴を笑ってしゃべりあう友達を作れず、ひきこもりになる性格であることが一番のネックなのかもしれない。

 娘は学校がなければ、昼夜逆転生活に戻る。不登校のときから「朝、寝て、夜起きる夜行性が本来の私。学校なんてもんに合わせて、自分の生活スタイルをねじ曲げることはない。夜行性の動物に昼間起きていろといったら、死んじゃうよ」と、いう。

 今日も、夕方起きてくると、「そんな14歳の反抗期少年ほっておきな!」と、夜行性活動開始。
 「でも、朝から何も食べないんだもん、お母さん心配で」「そんなもの,おなかがすけば、一人でカップ麺でも何でも食べるでしょ。だいたい反抗したいんだったら、親が買った物なんか食べずに、自分で稼いだこずかい出して、コンビニでもどこでも行って買ってくればいいんだから」と、威勢がいい。
 「自慢することでもないけれど、わたしが14歳のときは、こずかい有り金全部と20万くらい貯まっていた貯金通帳と全部持って家を出たんだからね。これでしばらくは一人で生活していけるって、計画たてて家を出たんだから」と、自慢する。
 「それに、お母さんは私が14歳のときは、もっとガンガン怒っていて、バトルしたじゃないの。どうして弟にはもっと怒らないの。差別だ差別だ」という。

 娘のときは小児科の医者にも、スクールカウンセラーにも「反抗する子供をガンガン怒ったりする、そういう母親の態度が悪い」と責められて、「それじゃ、黙って見ているだけにしたほうがいいのか」と思うと、「母親が黙って見ているだけだから、子供は見放されていると感じてしまう」と言われていたよその親もいた。
 まあ、どのような態度をとろうと、結局「母親が悪い」といわれてしまうことが、東京シューレの親の会でわかった。どっちにしろ悪いのなら、怒るのは疲れるから、もうやらない。怒るエネルギーはもう尽きた。

 「わたしが中学生のとき、お母さんに黙ってフィールドオブビューのコンサートにいったことがあったでしょ。あのとき、お母さん、がみがみ怒ったね。朝、黙っていなくなって、どこいっちゃったか分からないから、朝からずっと心配したんだから」と思い出す。
 不登校のはじめころ、学校休んでいるのに、私に言わずに、夫にだけうち明けて、ファンクラブに入っているグループのコンサートに行ったのだった。

 帰ってきたとき、ぎゃんぎゃんと怒鳴り散らした。黙って出て行ったこと以上に、夫には話していたことに腹をたてたのだ。普段は子育てにまったく関わらない父親には言えるのに、なぜ毎日世話をしている母親に言わないのか、それこそ差別だ、差別だ。

 娘は「うちは家出をしても、お父さんの事務所に逃げ場があるから、いいよね」と、すましている。親と対立したときに、祖父母の家とか、知り合いの家とか、逃げ場を持てる子供はラッキー。
 我が家の場合、夫は「遠縁のおじさん」のような役割。夫としては、父親の役割を果たすより、ときどきものわかりの良さそうな顔をして子供を受け入れてやる方が楽だろうが、擬似母子家庭の母親として二人の子供を育てた私は、「ふだん、父親らしいことをしないで、父親面するな」と思ってしまう。たぶん父親面しているのではなく、「遠縁のおじさん面」をしているのだろう。
 私だって子育ての苦労はなしに「いい顔」だけして、子供に慕われる遠縁のオバサンになれたら楽ちんだよう。

 「今、息子が反抗期なのはわかるけど、反抗するならお母さんに反抗しないで、男の子なんだからお父さんにすればいいのに。」と、娘に言うと、「いつもいない人に反抗したって仕方がないじゃない」ま、確かにそうである。

 夕食をいっしょに食べるよう、娘が息子を説得してもまだ、すねたまま。しかたがないから、ほっておいて、娘にフィレカツと揚げ餃子の夕食を出す。私は食べる気もしないので「ちょうどいいからダイエットする」と食べないでいた。

 娘は自分の「反抗心得」を語る。
娘、「高校生中学生がプチ家出とか言って、2・3日友達と遊び回って、親に銀行振り込みさせて金をもらったりするけど、気がしれない」
 「お金を送ってくれないなら、カツアゲ万引きするとか、援助交際するって言って、親を脅すらしいよ。親は子供が警察のやっかいになるよりましだと思って、お金振り込んじゃうんじゃないの」
 娘が言う、「だいたい、親の金で生活しているうちは親の方針に従え。親の言うことを聞きたくないなら、二度と戻らない覚悟で家を出て、自活しろってんだ。お母さんも、ちょっと子供がすねたからって、そうやってメソメソぐずぐずサメザメしてないの」と、とても偉そうな「反抗期評論家」である。
 「お母さんは子供が元気で、おいしいと言ってごはんをいっぱい食べて、いっしょにテレビ見て笑っていられればそれで、十分なのに、なんでいつもさめざめしていなくちゃならないんだろう」嘆きの母。

 娘は、「だいたいお母さんは、本人がしたいことなら仕事はなんでもいいといいながら、弟クンがガテン系になったらいやなんだから」と、批判する。それは違う。ガテン系がきらいなんじゃない。好きでもないことを、いやいややることが嫌いなんだ。
 大工が好きなら大工、鳶が好きならとびでいい。ただし、「家を建てたり寺を建てたりすることに誇りを持っている大工」とか、「とびの仕事が好きでたまらないとび」になって欲しい。そういうところが「エリート主義」?なのかもしれない。

 「子供のころから、お前は頭で生きていくしかないんだから、と言われて育ってしまって、美貌もなし、愛想もなし、勉強でもするしか生き方がなかったんだもの、仕方がないでしょう。エリートめざしてエリートになり損ねたから、屈折しちゃったの」と、自己分析。
 なんの雑誌やら新聞で読んだんだか、「三流の優等生」という言葉を見つけて笑えた。私は自分のことを優等生と思わなかったが、三流のという形容をするなら、確かに私も「三流の優等生」だったなあ。一流になれない自分を自覚できる程度の能力は持つ三流の優等生。

 『グッドラック』が始まったら、息子がふとんから出てきた。娘が「見るの?」と、聞くと、うなずいて、テレビを見始めた。「食べられそうなもの何?フォーなら食べられそう?」と聞くと、「食べる」という。
 娘が「食べるなら自分で作って食べなさいよ」と言うと、息子は自分で作って食べた。「見てたら、私もフォー食べたくなったから作ろう。お母さんもさめざめしてないで、食べなさいよ」と、娘がいうので、私も、娘のフォーを少し分けて一口食べた。息子が食べ始めたので、私もメソメソさめざめは、とりあえず、中断。

 フォーをひとくち食べたら、フィレカツも食べられそうな気がしてきたが、せっかくダイエットできそうなので、やめておいた。いつもダイエットしなくちゃ、といいながら食欲に勝てないのに、子供に反抗されて食べる気もなくなった、っていうチャンスは大事にしましょう。これで500グラム減?

 『グッドラック』は、いつも通りの展開。ドラマが始まったとたんに、ラストシーンまでのストーリーが推測できて、とりたてて波瀾万丈もない。
 たぶん「自分の思ったとおりにストーリーが展開するのが心地よいドラマ」という、水戸黄門的存在なのかもしれない。

 息子のためには「グッドラック」なドラマ。どうして突然グッドラックでスネ夫を中止したのか、わかんないけれど、息子は、フォーを食べながら、笑ってテレビを見ていた。とりあえず、今日はこれでいいかと、寝てしまう。

本日の、負け惜しみ:フィレカツ分のダイエット成功


2003/03/03 月 くもり午後雨 春一番突風
ニッポニア教師日誌>講師会議

 コース修了式は1時半から、会議は2時からだったが、息子のために早めに家を出た。うるさい母親がいないほうがいいと思って。
 
 11時30分に駅の北口で、美容室の割引クーポンを配っていた。「1時半までに到着しなければならないんだけど、間に合うならカットとヘアダイをお願いしたい。間に合わないなら別の時間にくるから」というと、自信たっぷりに「間に合わせますから」と言う。太めのおばさんにカットとヘアダイをしてもらう。
 電気のおかまをかぶると、染料が頭皮にしみてぴりぴりした。とても我慢できなかったので、電気を止めてもらう。全部終わったのは1時15分前だった。「間に合わせます」と約束した予定時間より長くかかったのは、電気を止めたせいらしい。

 電車を降りたのは1時10分すぎ。電話を入れて「出がけに用事ができて、間に合わないから、修了式欠席。会議だけ出る」と連絡。
 2時から講師連絡会議。4時半まで。

 帰りに、娘のリクエストのポテトパイを買う。しかし、息子は夕食のビントロ丼も半分残し、パイも食べなかった。

本日のつらみ:白髪は染めたが、心は灰色


2003/03/04 火 晴れ 
日常茶飯事典>灰色心模様と「○○色の童話集」

 息子「歴史は昨日ちょっとやったから、まあ、何とかなるでしょう。代数はやってもわからないから、やらなくてもおなじ。代数は2学期末に限りなく最下位に近かったから、3学期末にさらに落ちてもたいした差はないでしょう」と、代数を完全放棄の期末予報をして出かけていった。
 朝ご飯は卵豆腐のみ。でも、2科目だけだから、おなかが空いた頃帰宅できる。同学年120人中、代数最下位でも死にはしないから大丈夫。

 12時半ごろ息子帰宅。私もスーパーで買い物をして帰ってきたところだから、まだお昼ご飯を作ってなかった。
 昨日残したポテトパイを食べながら、「歴史はそこそこ。記述問題には半分くらいしか書かなかったけど、それでも点はくれるでしょ。代数は、計算違いがなく、書いたのが全部あっていたとして75点というところ。ってことは、他の人はみんな全部書けていて、またまた平均点90点とかいうところだろうな」それでも、まったく手も足もでないという状態ではなかったからか、食欲はもどった。
 そして「今からやっても、あしたの古典、英語、技術は、どうせ間に合わないでしょう」といいながら寝てしまう。私も疲れるから、もう「勉強しろ」は言いたくもない。

 気分はまだまだグレイ系。そう簡単に、晴れ晴れ空色とか、ぽかぽか春色、というわけにはいかない。

 こどものころ読んだ「ラング世界童話集 ○○いろの童話集」について。訳者のひとりが川端康成であることがわかった。小学校低学年のときの感受性の2割くらいはこの童話集で作られたと思うので、川端の名をみつけて、感慨しきり。
 川端の小説はあまり好きではなかったのに、この作家の文体によって育ったのだと思うと、不思議。世の中すべてご縁ですなあ。

本日のひがみ:若草色、空色、バラ色、あかね色、ラングを読んでいた頃は、世界が希望の色いっぱい

~~~~~~~~~~~~~

20150317
 どのうちにもあった、あるいは現在進行中で続いている「反抗する息子と母親」のバトル。
 ただ、その渦中にいるときは、泣いたり嘆いたり、これが永遠に続くような気がして落ち込みます。まあ、我が家の息子は12年立っても青空晴れ晴れとはいかず、曇り空の泣き出しそうな空模様ではありますが、嵐はとりあえず収まった。
 現在進行で親子バトル中を嘆くお母さんがいたら、「今は真っ暗でしょうけれど、10年間もつづく嵐はないから」と言いたいです。

<つづく>
コメント (4)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ぽかぽか春庭「信長からの手紙」 | トップ | ぽかぽか春庭「2003年の小さ... »

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
こんにちわ^^ (すみとも)
2015-03-17 11:40:27
子育ての頃が甦りましたよ! 我が家もご多分に漏れず
いじめによる登校拒否も 経験しましたし。
反抗期も・・・です。 

 世の流行物は 何でも押し寄せてくる我が家ってところです(笑)
返信する
なぜか、部分部分、記憶があります (くちかずこ)
2015-03-17 21:09:43
根暗、心配性?
くちこもですよ。
中高一貫校で、最初の数ヶ月で長男は勉強はおろか、学校で人と喋ることも放棄したしね。
夫は、自分の道楽や女遊びに忙しくて、くちこも、必死で働きながら、反母子家庭でした。
長女、長男の反抗期、なかなかのモノでした。
いじめにも遭いましたよ。
先の見えないトンネルで脱線して止まっているような気分でした。
ちょっと似ていますね。
我が家の場合、くちこが離婚したことで、歯車が正しく動き始めたような?
「それどころじゃないっ!」
その一言に尽きる状況でしたからね。
サメ氏の息子三人、全員、不登校。
普通に高校に通った子は居ないです。
全く行っていないのが二人。
すぐに辞めたのが一人。
何十年も鬱なのが一人。
自殺が一人。
だからね、
だからこそ、
負けずに笑って生きようと知恵を絞ったサメ氏とくちこなんですよ。
貴女もそうでしょ?
そう思います。
そして一流優等生ですよ。
返信する
すみともさん (春庭)
2015-03-18 00:25:47


こうして12年前を振り返ると、ようも耐えてきたなあと思えるので、自分誉めの材料をとっておいたようなもの。だれも言ってくれないから、ひとりで自分誉めをやっています。
うん、よくがんばった!!

すみともさんもいろいろあっての現在なのですね。
返信する
くちかずこさん (春庭)
2015-03-18 00:28:09
子どもの反抗期真っ盛りのころは、「どこの家でも同じだから」とか「いつかは親のありがたみがわかる」と、言われても、「どっかの家のことなんかどうでもいい、今、私が落ち込んでいるこの悲しい状況が問題なのに」と、思っていました。真っ暗なトンネルをいつ抜けられるとも知れず、孤独な迷路だったなあと思います。
そういう心の闇をまったく知らない人生をすごせたほうが幸福なのかどうかわかりませんけれど、少なくとも、心に悲しさ苦しさを抱えて今を生きている人の心に寄り添える人間にはなれた気がするから、あれもこれも修行のひとつだったのでしょうね。

お孫さんふたり、すくすく成長のごようす、これも今までさまざまな試練を乗り越えてきたかずこさんへの天からのごほうびなのですね。
返信する

コメントを投稿