
20250223
ぽかぽか春庭アート散歩>2025アート散歩春よこい(6)那波多目功一展4 in 郷さくら美術館
1月22日水曜日、いつもの病院検診を終えて出かけた先は、郷さくら美術館。日本画家那波目功一の特集展示の観覧です。日本画の中で桜を描いた絵の収集を続けている美術館、私も那波多目功一の桜の絵を郷さくらで見たことがあるし、花の絵の特集で那波多目の菊の絵などを見てきま した。
今回は「那波多目功一の世界—花と生命(いのち)へのまなざし—」という特集です。
郷さくら美術館の口上
那波多目功一は、1933年茨城県で日本画家・那波多目煌星の長男として生まれた。1950年17歳の時に再興院展に初入選し、翌年には日展においても初入選するなど、早くから日本画壇に実力が認められる。堅山南風が主催する「翠風会」に参加し、松尾敏男に師事しながら制作を続けた。写生にもとづいて表現された自然の風景や花々は高く評価され、1990年には日本美術院同人に推挙される。また、2000年には日本藝術院賞を受賞し、02年には日本藝術院会員に就任するなど、現代日本画壇を代表する存在として現在も精力的に制作を行っている。
本展は、那波多目の約75年にわたる画業を振り返る回顧展となる。学生時代に制作された初期作品、西洋絵画からの影響を受けて描かれた作品群、現在も続く写生にもとづいて制作された国内外の風景や四季の花々を描いたものまで、多彩な作品を紹介している。
本展は、那波多目の約75年にわたる画業を振り返る回顧展となる。学生時代に制作された初期作品、西洋絵画からの影響を受けて描かれた作品群、現在も続く写生にもとづいて制作された国内外の風景や四季の花々を描いたものまで、多彩な作品を紹介している。
1933年生まれ。1950年17歳で院展に初入選、2024年に文化功労者になる、という順調満帆に見える画業。満91歳。という、私があまりファンにならない、完全無欠な幸せ人生の画家に思えます。夭折だったり、不遇な中に消えていったり、というようなどこか影を負う画家が好みなのは、「花は盛りに、月は隈なきをのみ、見るものかは 」の徒然草流斜め下から見上げるタチが身についているせい。
でも、順調なばかりの画業ではなかったことも、1階インタビューのビデオで語っていました。
父親は日本画家那波多目煌星。 父煌星は、院展めざしていたけれど、毎年落選。ある年、切磋琢磨する間柄の父の友人が一足先に院展に入選した。するととたんに友人は態度を変え、友人同士だったはずが、父煌星を弟子扱いするようになり自分は師匠だという風を見せるようになった。思春期の功一にはそれが悔しくて「そんなら自分が院展に入選してみせる」と一念発起、画家をめざして絵をかきはじめました。それまで日本画にふれないで暮らしてきたので、岩絵の具の溶き方も知らないまま。父に絵の具の作り方、筆の使い方から習ったそうです。高校生17歳で院展に初入選。翌1952年には日展に初入選。1953年高校卒業。
「松山」1950(院展初入選作品)

1995年に母を亡くし、喪失感から描けなくなりました。ようやく筆をとり直し、描いた「寂」で、院展文部大臣賞。

外の世界と隔たれてしまったような垣根の向こうに見える花の姿に、こころ開かれていく感じを受ける絵です。
「月輪」1990

1階の大画面の「明け行くアッシジ」や菊の屏風、3階のかずかずの花の絵も思わず近寄って筆のあとなどながめたくなる絵でした。郷さくらは、ガラスが入っていない絵も多く、「ここから中に入るな」の床の線も割合に近い。平日午後の入場者は少ないので、うしろの観覧者に遠慮することなく絵に近づける。絵心のない私ごときが近づいたところで、何にもならないのはわかっているけれど、画家が描いた心に近づいた気分。
郷さくら美術館、ぐるっとパスで入場できて、いい美術館です。
<つづく>
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