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ぽかぽか春庭「きよしこ」

2021-04-20 00:00:01 | エッセイ、コラム

20210420
ぽかぽかシネマパラダイス>ステイホームシネマ春(2)きよしこ

 3月20日春分の日。夜、娘といっしょにテレビドラマ『きよしこ』を見ました。
 原作小説が発刊されたのは2002年ですから、内容については知る人も多いけれど、私が知っていたのは「きよしこ」とはクリスマス聖歌「きよしこの夜」の歌詞を「きよしこ、の夜」だと思い込んでいたことからつけられたタイトルだということくらい。
 娘はゲームの中にはめ込まれた重松清の小説『永遠を旅する者 ロストオデッセイ 千年の夢』を読んだことがあり、また家族でみたドラマ『とんび』も好きだったので、楽しみにしていました。

 原作は「小説新潮」に連載されたのち、単行本は2002年11月発行。
・きよしこ(2001年1月号)
・乗り換え案内(2001年11月号)
・どんぐりのココロ(2001年12月号)
・北風ぴゅう太(2002年1月号)
・ゲルマ(2002年2月号)
・交差点(2002年4月号)
・東京(2002年5月号)


 NHKのドラマは「きよしこ」と「どんぐりのココロ」「東京」を中心に、「乗り換え案内」などのエピソードも加えて、いとう菜のはが脚色。
 以下、ネタバレ含む紹介です。
 
 好調に著作を発表してきた作家白石清(安田顕)は、編集部に届いた手紙を紹介されます。吃音の子を持つ母親からの「吃音なんかに負けないよう励ましてほしい」という依頼でした。白石は返事を書く代わりに自分の子ども時代を小説にすることにしました。「~なんかに」という表現にひっかかったからです。清は少年時代、吃音に苦しみ、イジメを受けて成長してきたのです。

 「きよしこ」
 母親の出産のため祖父母に預けられた幼い清は、母がいない不安を感じてすごし、迎えにきた両親にうまく言葉を出せませんでした。このあとくらいから、カ行とタ行の発音がうまくできない子どもになります。
 魚雷ゲームと言えなかったために、クリスマスプレゼントとして飛行機を渡され、父への感謝のことばも言えません。つらい気持ちのなか、「きよしこ」という同じとしごろの不思議な男の子と話します。

 きよしこは、清のインナーフレンド(心の中の空想の友達)です。きよしこは、清の心の中を察してくれ、「ほんとうに伝えたいことは、いっしょうけんめいに伝えればきっと伝わる」と、背中を押してくれます。清は父に謝ることができ、両親(西田尚美・眞島秀和)に包まれて成長していきます。

「どんぐりのこころ」
 父が転勤族のため、清は転校を繰り返します。転校生として自己紹介のたびにカ行タ行の発音がむずかしく、自分の名前をうまく言えません。からかいやイジメに遭う中、神社の境内で「どんぐりのオッチャン」に出会います。オッチャンは同じようにひとくくりにされているどんぐりにも、シイの実やカシの実など、それぞれ違うことを教えてくれ、松ぼっくりやどんぐりを使って野球の練習にもつきあってくれます。

 しかし、近所の人の通報で「昼から働きもせず酒臭く、家族も出て行ってしまったあやしげなオッチャン」といっしょにすごすことは母にとめられてしまいます。清は吃音の子どものための教室で、同じような子どもと過ごすこともでき、上達した野球の腕が認められて学校内で友達といっしょに過ごすこともできるようになりました。母にとめられたため、神社にはいかなくなってしまいました。
 ある日、ふと神社に寄ってみました。しかし、オッチャンの姿は見当たりませんでした。会えないまま、オッチャンとすごした日々の思い出は、清の心の中に残りました。

「東京」
 高校生になった清には、女子大生ガールフレンド(福地桃子)ができ、彼女は清がつまって言えないことばを先回りして「通訳」することで「人の役にたつ」喜びを感じています。しかし、清は彼女と同じ地元の大学へ行くことより自立を求めて東京の大学へ行くことを決意します。両親や親しい友人と離れ、一人で生きて行くことを選択したのです。なにくれと世話をしてくれる彼女と別れることが独立のために必要でした。

 「吃音なんかに負けないよう励ましてほしい」と訴えてきた母親へ、清は単行本「きよしこ」を送ります。

 心あたたかくなるストーリー。安田顕ほかの熱演もあり、とてもいいドラマになったと思います。
 どんぐりのオッチャンとの出会い。街の人から見たら、家族にも逃げられた飲んだくれの親父ですが、清にとっては40年たっても忘れられない出会いであった、ということ。「昔は町内にひとりはいたショーモナイオッチャン」を排除する御清潔で不寛容な現代社会ではこのような出会いはなくなってしまったのだろうなあと思います。

 清には吃音という「他の子どもとは違う」部分がありましたが、野球がうまいこと、学校の成績がよいこと、という「学校社会で生き残っていける」部分もありました。どの子どもにも、その子どものよいところを見いだしてやるのが親や教師の役割だろうと思いますが、そういう教師に巡り会わなかった人も多い。

 私が中学生とすごした3年間、留学生とすごした32年間。私はだれかのよいところを引き出すことが、どれだけできたのだろうか、と思います。
 英語のEducateとは「引き出す」というラテン語が語源だ、という説は近年の語源研究では否定されているようなのですが、俗説語源であっても、エデュケーションはだれかのよいところを「引き出すこと」だという説明を信じていたい老教師です。

 Bookioffの110円文庫にあった「きよしこ」を買いました。朝3時半という早すぎる時間にトイレにたったまま2度寝できなくなったある朝、5時半の起床タイムまでの2時間で読了。
 ドラマの脚本ではさらっと通り過ぎてしまった「乗り換え案内」も、ドラマには出てこなかった「北風ぴゅう太」「ゲルマ」「交差点」もじっくり読むことができ、清の成長にとって大事な出会いとなった人々との交流が描かれていて、もう会うことはないかもしれない加藤君や不良のゲルマも、清の心の中に残されたことで、人の出会いの奇蹟を伝えてくれます。よいお話でした。

<つづく>

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