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ぽかぽか春庭「ハンナ・アーレントその2」

2013-12-04 00:00:01 | エッセイ、コラム
2013/12/04
ぽかぽか春庭シネマパラダイス>明かりを灯す人(3)ハンナ・アーレントその2


 映画『ハンナ・アーレント』を見て、ハンナが「考えることを放棄してはいけない。自分の脳を他人にゆだねるな」と、命懸けで語っていることはわかりました。

 有名なアイヒマン実験で、多くのごく普通の人が、命じられれば、無批判に上位者の命令をきく性質を持つことが明らかにされました。
 アメリカ・イェール大学のミルグラムが、アイヒマン死刑後、1963年に実施した心理テストです。被験者は教師役を与えられ、「教育効果を高めるための実験」として、テストで誤答をした「生徒役」に電流を流して懲罰を与える行為を継続できるかどうか観察されました。

 結果。人間は上位者上級者から「これは正当な行為だ」と示唆されれば、人間を痛めつける行為に疑問を感じず、当然のこととして行うことができる、という結論が出されました。

 実験方法に批判があり、同じ実験を再度行って検証することが不可能であることから、実証性がないとされていますが、「教育効果を高めるために、試験の成績が悪い生徒に電流を流すボタンを押す教師役」を与えられた被験者の60%が、疑問を感じずにあるいは疑問を感じても、上位者に「正当な行為であり、教育効果を高めるために必要だ」と諭されると、「生徒役」が助けてくれと絶叫しても、なおやめずに電流をながし続けました。生徒役に実際には電流は流れておらず、演技をしているだけですが、教師役はほんとうに電流が流れていると感じても電流ボタンを押し続けたのです。なぜなら、そうするのが正しい教師の仕事だと命令されたから。

 ハンナ・アーレントは、アイヒマンが行ったユダヤ人虐殺のための「職務」が正当だったと言っているのではありません。だれでもアイヒマンになりうる、私たち自身もアイヒマンの一人にすぎない、と言っています。しかし、ハンナのアイヒマン裁判リポートを読んだ多くのアメリカ人は激怒し、ハンナを非難しました。

 ハンナは、ユダヤ人社会から排斥を受けても「真実を追求し、自分の頭で思考し続けること」をやめようとは思いませんでした。

 私は人様のものを盗んだこともなければ、まして人を傷つけたりしてはいない。電車の椅子の上にケータイ忘れた人がいれば、大声で「これ、お忘れですよー」と、大声を出して呼び止めたり、駅の構内改装で戸惑っている視覚障害の人を見かければ、「どちらまでいらっしゃるのですか、よろしかったら、ごいっしょしてもいいですか」と声をかけずにいられない。私も自分を「ショーモナイ人間ではあるけれど、どちらかと言えば善人のほうにはいるんじゃなかろうか」と、信じ込んでいる。

 しかし、こういう善人がいちばん危ないのです。自分が大きな悪事に手を貸していることを自覚できないから。

 子供の頃、母に「どうしてこの戦争は正義の戦争だと信じられたの?間違った戦争だとは思わなかったの」と尋ねたことがありました。母はつらそうに「一番上の弟が戦死するまで、戦争に疑問を感じても、それを言い出すことなどできるはずもないと思っていた」と、語りました。軍隊が家にやってきて、母たちの愛犬を、雪の中で戦う兵士のために、犬の毛皮が必要だと言われて犬を連こうとしたとき、犬の供出を拒みました。母の弟が出征してもなお、「戦争に協力的でない家」と言われ、「あの家は非国民だと」言いふらされた。「結局犬は連れて行かれて殺され、弟は戦死してしまったのだから、もっと大声で戦争はいやだと、言えばよかったのに」と、母は悲しそうな顔をしました。母の実家は、「戦争に非協力的な非国民の家」として村八分にされ、母の弟が戦死してようやく村八分が解消されたのだという話を、母から聞きました。
 戦争に反対せずにバンザイ三唱して弟を戦地へ送り出したことを自分自身のあやまちとして感じたゆえの、悲しそうなつらそうな顔だったのだと思います。

 戦後、母は一貫して「死んだ弟を生きて返してくれない限り、政府が何を言おうと二度と戦争を支持しない、協力しない」と言い続け、子供たちにもそういう教育をしました。

 「集団防衛体制を作ることが必要だ、アメリカが攻撃されたら、日本も協力して戦争できる国の体制を作らなければ」という考え方を、現在の与党は提唱しています。私はこれに反対をしています。
 防衛のために公務員が政府の秘密を漏らしたら罰を与えるという法案にも反対。政府提出の案は、国民が真実を知るための策が封じられるだけです。

 でも、こう考えるのは少数派になってしまいました。みな、景気をよくするためなら、原発再開も秘密保護法もOKという考えなんですね。国民が、そういう与党を選んだのですから。
 私のような考え方の人が、非国民と呼ばれて排斥される日も迫っているのかもしれません。
 でも、私は「権力者が言うから従う」というふうになれない。最後まで自分で考えたいです。

 金曜日、仕事でのサービス残業が5時間を超えたので、ついつい「こういうサービス残業はおかしい」というメールをボスに送ってしまいました。同僚たちは「仕事なくなるといやだから、受け入れる」という態度をとってきたので、私も波風たてたくないとはおもってきたのです。でも、ハンナ・アーレントを見た翌日だったので、つい異議申し立てをしてしまいました。たぶん、改善されることなく、2コマ分の授業をして2コマ分の時給を支払われるだけなのに、そのあと5時間もサービス残業をする習わしは変わらないでしょうね。非常勤講師がどんな苦労をしようと、常勤教師には関係ないから。

 ハンナ・アーレントは「アイヒマン・レポート」を雑誌に掲載し、『イェルサレムのアイヒマン-悪の陳腐さについての報告』(Eichmann in Jerusalem: A Report on the Banality of Evil)が出版されたあと攻撃を受けましたが、テュニア取得教授(定年までの勤務が保証されている教師)だったので、仕事を失うことはありませんでした。

 私は、ボスに文句ばかり言う非常識非常勤講師として、来年は職を失うかもしれません。けどね。物言わぬは腹ふくるる技。言いたいこと言って仕事失うことになってても、言いたいこと言えずにお腹に不平不満をためるよりは、健康にはよさそうだ。
 ストレス解消のやけ食いでどんどん太る毎日に比べると、来年は「失業ダイエット」ができそうです。

 「大声でデモをするのはテロと同じ」という幹事長がいる党を人々は選挙で支持しました。「原発反対も秘密保護法反対も、与党方針に反対する人々は、テロリスト」そういう考え方の与党が政権を担うことがいい、と人々は思ったので、あと3年はこの体制が続きます。解散がなければ、次の国会選挙は衆議院が2016年12月。参議院は2016年夏。

 2016年どころか、来年はどうなる身なのやらわからない日々をおくっていますが、自分の頭で考え、自分のことは自分で決定する自由を失わずに生きたいというささやかな望みは捨てずに生きていきたい。

 荒野を走り回って、木の根やら草の実やらを探して腹を満たさねばならぬ日々と、豚小屋でのうのうと昼寝をし、与えられる餌で満腹する日々のどちらを選ぶか。昨今は豚小屋もずいぶんと立派になって「うさぎ小屋に住んでいた頃から見れば、俺もずいぶんと出世したもんだ」と、満足して豚小屋の餌を食べる生活があることは知っています
 何事も知ろうとせず、知っても我が身のことだけ考えていたほうが楽なことは知っていますが、私はやはり荒野に立ちたい。荒野を照らす星あかりもきっとあるはず。
 次回は「星の銀貨生活」について。

<つづく>
コメント (2)
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