孫ふたり、還暦過ぎたら、五十肩

最近、妻や愚息たちから「もう、その話前に聞いたよ。」って言われる回数が増えてきました。ブログを始めようと思った動機です。

異常気象、友を引いても、お葬式

2016年02月25日 | 日記
近所の最長老のお婆さんが昨日の早朝に亡くなった。

葬儀屋に任せるにしても、近所のお手伝いはお互い様とはいえ、半ば強制的な社会活動なので、通夜と葬式で約1日半は黒服を着ていなければならない。

長生きなのは知っていたが、99歳だと聞いて驚いた。自分の歳と引き算をすると、私はあと38年生きなければならない。

お手伝いの担当をどうするのか決めるため、一軒で一人が喪主宅に集まって打合せをするしきたりだ。喪主は、葬儀屋と坊主の予定を聞いてから、通夜と火葬場、葬式の段取りを決める。

私は、職場で訃報を知ったので、すぐに暦を確認して、大安や友引が何曜日になるかチェックした。

土曜日が友引なので、多分木曜日に通夜、金曜日が葬式となるのだろうな、と予想して、職場の同僚や上司にそう報告した。

ところが、昨日帰宅して打ち合わせに出た家人に確認すると、土曜日が通夜で日曜日が葬式に決まったという。坊主の日程が詰まっていることと、葬儀屋も予定がぎっしりで
小道具の準備ができないそうだ。



気温が乱高下したために、年寄りの体がその変化について行けず、このところバタバタなくなる老人が続出しているのだそうだ。

以前真冬に親戚の法事に参席した際、菩提寺の坊主が手帳を見ながら、今年の初盆はいつにするか早いトコ決めてもらわないと、希望通りにはいかないかもよ、と施主に詰め寄っていたことがあった。

今頃は、恐らく日本中の坊主の稼ぎ時なのだろう。葬式仏教と呼ばれるように、葬式以外にはあまり我々と付き合いのない職業である。



通夜で家にきても、終わればお茶を飲んでそそくさと帰ってしまう。聞いてためになる話の一つもすればいいのに、あれでは仏教大学の学生でも代役が務まるだろう。

葬儀屋も、揃えた葬式用具の償却が終われば、あとは経費は人件費のみという、ぼろ儲けだと聞いた。テレビでは盛んに簡素な葬式のCMが流れている。恐らく、これも時代の変化なのだろう。

さらに、田舎町にも「セレモニーホール」と呼ばれる葬儀専門会場がいくつかできて、結構利用されているという。

通常、通夜は遺体を自宅に安置して線香を絶やさず一晩過ごすのだそうだが、最近では、通夜も葬儀会場を利用して、その晩は施主たちも自宅に帰ってしまうのだそうだ。遺体はさみしく葬儀会場にほっとかれるのだというから、何という罰当たりか。



出棺では、近い親戚の男衆が霊柩車に運び込む。棺桶を家から出すときは、頭の方から出すものだという地域と、いやいや、足の方から出すものだと言い張る地域があって、ちょっとした口論になったりする。

どこの葬儀でも知ったかぶって、聞きかじりの知識をひけらかす年寄りがいるものだ。



火葬場の1時間は長い。この時間に読みかけの文庫本を読み終えようともって行っても、そういうときに限って変な親戚のオヤジに捕まって、面白くもない話に付き合わなければならなかったりする。

日曜日は、お茶を用意したり、茶菓子や弁当を配ったり、後片付けの掃除をしたりして午前中が終わることになるだろう。

近所には、まだ90歳以上のお年寄りが何人かいる。さらに、80歳代後半の方も何人か控えている。それが一段落すると、ピタッと候補者は減って、数年は葬式などなくなるのではないだろうか。

私が押さない子供の頃は、葬式というと大騒ぎになる一大家族イベントであった。近所のお手伝いも、一軒で2名の方が料理の準備までやってくれたものだった。

世の中、コンビニエントになって結構なことだが、地域社会が壊れてから、もう数十年になるのではないか。

となりのウチの冷蔵庫の中にあるものまで知っている、そんな近所づきあいのあった時代が懐かしいかと言うと、意外と私はそうでもないと思うのだった。

ましてや、異文化共生などは、、、くわばら、くわばら・・・



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