孫ふたり、還暦過ぎたら、五十肩

最近、妻や愚息たちから「もう、その話前に聞いたよ。」って言われる回数が増えてきました。ブログを始めようと思った動機です。

武器商人か平和希求者か

2016年02月21日 | 日記
いつも楽しみな週刊新潮のコラム「変見自在」。最新号の高山正之氏も舌好調であった。

立ち読み中、朝鮮半島のことを書いたところを読んで、我慢できず声を出して笑ってしまった。

『朝鮮半島がなくなった地図を想像してみる。日本海が途端に広くなって、清々しさすら感じた。』

高山氏は以前から、半島国家の存在はいつの世も厄介なものだ、といい続けていたが、それは朝鮮半島に限ったことではない。

浦賀に黒船がやって来た頃、中東黒海にあるクリミア半島では大きな戦争があった。



この辺りの歴史は、学校で習ったか習わなかったかの記憶すらない。黒海の西側にはルーマニア、ブルガリア、セルビア、それにスポーツキャスターがよく舌を噛む、ボスニア・ヘルツェゴビナなど、耳にはする国や地域が存在するが、その位置関係や文化や歴史など、私にはほとんど知識がない。

クリミア戦争といわれても大した知識はないが、ノーベル賞のアルフレッド・ノーベルとか、白衣の天使・ナイチンゲールと聞けば、「ああ、知ってる、知ってる。」と言う人が多いのではないだろうか。

実はこの二人は、クリミア戦争には欠かせない有名人である。



日本の江戸時代末期にあたる1833年にスウェーデンのストックホルムで生まれたノーベルは、ダイナマイトで莫大な利益を得て、その遺産を元に今のノーベル賞がスタートした、というのはよく知られているが、それにはそれ以前に起きたクリミア戦争が大きく関わっている。

つまり、ロシアとトルコ、英仏軍の戦ったクリミア戦争のときには、ダイナマイトは完成しておらず、戦後にノーベルが特別な起爆装置を開発して実用化し、1871年以降急激に普及した爆薬であった。

それでは1853年から56年まで続いたクリミア戦争がどうノーベルに関わったのだろうか。

ノーベルの父、イマヌエルは建築家であり、発明家であったが事業に失敗して困窮し、彼は職を求めて単身ロシアのサンクトペテルブルクに渡った。そこで彼はエンジニア、工場経営者として徐々に頭角を現し、地雷や機雷の開発でロシア軍に大きく貢献したのだった。



クリミア戦争で、水中兵器・「機雷」の威力が大きく、優秀な武器であると認められ、イマヌエルは工場を一気に拡大して、機雷や地雷の生産を拡大し、この時点で莫大な富を得た。

 機雷敷設の様子

イマヌエルは息子達の教育には投資を惜しまない主義であったため、アルフレッド・ノーベルには学校には通わせず、当時一流の家庭教師を何人も高給で雇って英才教育を施し、海外に出してより見聞を広めさせた。

そして、22歳のときに大学教授から化学を習った際、ニトログリセリンという物質と出会うことになる。

ニトログリセリンは爆発力は当時普及していた黒色火薬の7倍あったのだが、火をつけただけでは燃えるだけで、爆発しないという厄介な物質だった。

彼は、導火線を工夫して特許を取り、「ニトロ爆薬」として大量生産を始めた。工場を拡大し、ヨーロッパに11箇所設立、そしてアメリカにも進出した。

事故で工場の爆発が続発していたが、その驚異的な爆発力のため、需要は文字通り爆発的に増えていった。

ノーベルは、破壊力を減ずることなく安定性を求めて実験を繰り返し、珪藻土を使用して固体化することに成功し、ダイナマイトと命名した。(名前の由来は、diatomite :ダイアトマイトとは、珪藻岩のこと。)

1888年。アルフレッド・ノーベルが55歳のときだった。兄のリュドビックが亡くなった。このときフランスの新聞は、「死の商人、死す」という見出しで、アルフレッドの死亡記事と誤って報道してしまった。

これを知ったアルフレッドはかなり強烈なショックを受けたのではなかろうか。

それまで、科学者、経営者として奔走してきた自分が、その死後どのように世間に評価されるか、ということを深く考えたのだと予想できる。

その結果、「換金可能な財産は、死んだ後、人類に最も役立つ研究や発明をした人に、分け与えてください。」という遺言を残すことになったのだった。

1896年12月10日、63歳で他界したノーベルが残した遺産は、日本円で約200億円。これを基金として、11901年、第一回のノーベル賞授与が行われた。

スタート時の対象は、医療、物理学、化学、文学、平和の五つであった。

私は、今でも「平和賞」と「文学賞」には首をかしげるが、このことはいずれまたブログのネタにしようと思っている。

一つの賞の賞金は、約1億円だそうだ。

メダルの感想を聞かれた日本の受賞者が、「ただの金属でしかない。」というようなことを言ったそうだが、まるで、宝くじの当たり券を、ただの紙切れだと言うようなもので、随分無理をした感想だと思った。

さて、疲れたので、ナイチンゲールとクリミア戦争については、次回のブログネタにします。

きれいなだけのイルミネーション

2016年02月20日 | 日記
もうかなり前のことだが、私の気持ちをタモリが代弁してくれたようで、記憶に残っている事がある。

暮れも押し迫った時期の昼のバラエティー番組でのことだったと思う。

「最近、クリスマス近くになると、庭の木なんかに電飾をしたりする家があるじゃない。アレ観ると俺は無性に腹が立つんだよね。なんか、ウチは幸せな家庭ですっていいたげでさぁ。」

LED照明が安価で手に入るようになり、最近では駅前の並木などにもこの手の電飾を施すところが増えたり、イルミネーションを売り物にしたリゾート施設なども季節を問わず現れている。



家の近くにもその類のリゾート施設があり、孫達が行くというので誘われたこともあるが、私はああいう電飾を観てもあまり感慨を覚えないばかりか、きれいなだけ、ただそれだけとしか感じないので物足りない。



ここまでカラフルなLED電飾が可能になったのは、青いLEDの量産が可能になったためで、すべての色が少ないエネルギーで長時間照明可能になり、一気に普及し始めました。

一昨年には、この青色LED誕生の功績に対して、ノーベル賞を受賞した三名の日本人が話題になりました。



三名のうち二名は開発者で、残り一名は、量産化に貢献した技術者ということで受賞されたそうだが、三名の受賞に対する反応は文字通り三者三様であったように思う。

一人は、高齢の学者でコメントも奥ゆかしく控えめだった。また、別の学者は授賞式に同行した奥さん共々大喜びで、無邪気にはしゃぎまくっていたようだった。

そして、残る一人は、記者会見で、「研究の原動力は『怒り』だった。」とか、ノーベル賞の授賞式の後、メダルの印象を問われて、「ただの金属だ。」と何かに不満げな態度で、嫌なら辞退すればよかったのに・・と観る者に疑念を抱かせる応対だったと記憶する。



その理由はぼんやりとしか分からなかったが、当時気になって経緯を少し調べてみると、ハハ~ンと少し納得できた。

そう言えば、記者の前で彼は、「他のお二人の受賞者の論文など、読んだこともない。」と言っていた。つまり有体に言えば、彼は受賞すべきはこの自分だけだと言いたかったのだろう。

実際、彼は受賞が発表された後のコメントで、「新聞、テレビは、『青色LEDは赤崎(勇)名城大教授・天野(浩)名古屋大教授が発明し、中村氏は量産化する技術を確立した』と紹介する。 こんな認識は日本だけです。世界では、『青色LEDは中村が発明した』というのが共通の認識です」 と発言していたそうだ。

1993年、徳島県の勤め先の技術開発プロジェクトで青色LED 製品化に成功したときに、勤め先から得た報奨金は2万円だったと、マスコミはセンセーショナルに伝えていた。

それを彼がアメリカの研究者に話したら、「信じられない。お前はまるで奴隷みたいだ。」と嘲笑されたそうだ。

彼は勤め先を退社して、2001年に職務発明の対価をめぐって訴訟を起こしたのだった。1審では日亜側に200億円の支払いが命じられたが、2005年に高裁判決で和解し、中村氏には約8億円が支払われた。

中村氏は和解成立後の会見で「日本の司法制度は腐っている」とぶちまけていたそうだ。

2000年2月、彼は カリフォルニア大学サンタバーバラ校 材料物性工学科教授に就任し、晴れてアメリカ国籍も取得して、金も名誉も手にしたわけだ。

詳しい事情は分からないし、この業界の事情もあるのだろうが、当時から私はこの方の言動は、何か日本人離れしているようで、あまり共感を感じなかった。

アメリカに渡った彼が、以前の勤め先の競合会社で、特許権で元の勤め先が争っているクリー・ライティング社の非常勤研究員に就任していることを知ると、益々嫌悪感が募ってきた。

そんなこんな事も影響しているわけではないが、私はあの豪華なLEDイルミネーションを観ても、冷ややかな印象しか感じないのだ。

高梨、敵無し、気負いなし!

2016年02月20日 | テレビ・ラジオ
スキージャンプ、ワールドカップでここまで14戦11勝の高梨沙羅(19=クラレ)が96・5メートル、99・5メートルを飛び優勝、圧倒的な強さで2季ぶり3度目の個人総合優勝を決めた。



欧州の関係者たちは、栄光を祝福しながらもそのはらわたは氷河をも解かさんばかりに煮えくり返っているはずで、どういう対応をしてくるか、今後が見ものである。

それにしても、高梨選手は相変わらず冷静な様子で、その圧倒的な強さを見せ付けての快挙にも満足せず、「観ている人を驚かせるようなジャンプをしたい。」と今後の抱負を語っていたそうだ。

日本のスポーツマスゴミは、冷静に彼女の今後を応援して欲しいものだ。下らないオチャラケ番組に出して、おもちゃにしないことを強く望みたい。


アメリカPGAツアーで活躍する愛媛県松山市出身の松山英樹選手は、今期2勝目をあげた。私は、特にゴルフというスポーツに思い入れはないが、この選手は応援したい。
その寡黙さが好きだからだ。野球の野茂選手を彷彿させる。



テレビでみる彼のインタビューの言動はその性格を良く表している感じがする。寡黙ながらも、要点はキッチリ聞かれたことに回答していて、非常にスマートだ。

それは、フィギュアスケートの宮原知子選手に共通する。彼女のインタビューでの応対も、問われたことにずれることなく、正確な日本語で答えていて、いつも感心させられる。

ネットで彼女の経歴を観ていて、なるほど、と思った。彼女は両親の都合で7歳まで米国のヒューストンで生活していたそうだ。幼い時の英語の素養が、主語・述語・目的語が明確な、今の彼女の正しい日本語の話し方に繋がっているのだろう。

今後も現役を続けるか、と問われて、「う~~ん・・・、ハーフ・ハーフかな・・」などと答えていた選手もいたが、宮原選手はそれと比べて、人間的にも実にしっかりしていると思う。今後も陰ながら応援したい選手だ。

人柄の良さそうな濱田コーチと共にがんばって欲しい。



スポーツ界は、それを取り巻くイエロージャーナリズムと共に、言と動が同調しない、なんとも品格を感じさせないイメージを、観ている者に与えがちなところがある。

活躍した選手をオチャラケ番組に引っ張り出して猿回しの猿の如く使いまわして、面白がっている事がある。生活のためにそういうことをせざるを得ないのかもしれない事情もあるのだろうが、私はああいうのは観たくない。

一途に努力している現役選手には、たとえ寡黙でも、こちらに訴えてくるものは大きいものだ。

主客転倒??

2016年02月20日 | 日記
休日、犬の散歩で河原に出掛けると、ウォーキングに精を出している高齢者たちをたくさん見かける。

何の変哲も無い雑草の茂る河原をひたすら歩いている高齢者達は、病で寝たきりになることを恐れて、医者の勧めによって、あるいはテレビの健康番組を観て、自分はああなりたくないと感じた結果での行動だろう。



アルファベットの省略語を最近の若者が面白がって使っているようだが、ちょっと前のこのブログでもKYTという省略語を紹介したことがあった。

「空気が読めない頓馬」ではなくて、「危険予知トレーニング」のことだった。

では。PPKとその対極にあるNNKとはどういう意味か。この問いの正解率は多分高齢者の方が圧倒的にたかくなるだろう。

正解は、「ピンピンコロリ」と「ネンネンコロリ」である。

散歩でも仕事でもなく、運動として歩くことを日課にしている高齢者達は、PPKを目指して、NNKにはなりたくなくて、夢遊病者のように土手道を河原道をひたすら歩くのであろう。

60代半ばから70代前後の高齢者の多くは、自分の両親や身内の老人達の末路を見たりして、「自分は、ああはなりたくない・・」としみじみと感じているのだと推察できる。私もその中の一人である。

つまり、今の日本は最先端の医療をほとんどの人が享受でき、高齢になって体調が悪くなり一旦病院に運ばれると、医者達は死なせまいと全力を尽くすのである。

ほとんどの医者達は、教育の所為か信念なのか、患者や家族の「人の死に方」に対する心情や「息の引き取り方」などには関心が無いようにみえる。

快復する見込みなどゼロでも、心臓の動きを止めない方法を模索する。鼻から腕からチューブを差込み、自分で食事が出来なくなれば、お腹に穴を明け胃に直通するチューブから流動食を定期的に流し込む。

そうやって自分の親を介護したり、その光景を見たりしてきた高齢者たちは、いよいよ自分がその時期に近づいてきたとなると、「とんでもない、あんな風にはなりたくない。」と思い始めるのは、極めて自然な流れだろう。

かくして、田舎の田んぼ道や河川の土手、河原は一心不乱に歩き回る高齢者たちで溢れかえっているのである。

そして、早朝のテレビはどの局も、早起きの年寄りを対象にした健康食品や、サプリメントの通販番組を垂れ流している。

痛い膝が治った、階段を上れるようになった、この歳でテニスを楽しみ、鉄棒で大車輪を・・・などと、健康優良老人を紹介しては、自社の製品を売り込もうとする見え透いたCMは、昨今のオレオレ詐欺に簡単に引っ掛かるような年寄りを相手にするには、大した工夫もいらない。

健康優良老人の最たる方といえば、この方をおいて右に出る人はいないだろう。



何せ、高血圧や高血糖などものともせず、世界最高峰のエベレストの頂上に上ってしまうお方である。ポパイはほうれん草を飲み込むと俄然強くなるが、果たしてこの御仁は一体何をエネルギー源にしているのか。高齢者ならずとも、気になるところではある。



エベレスト登山といっても、里山を日帰りで登るのとは訳が違う。日本から大量の機材とスタッフを送り込み、現地ではシェルパというチベット住民のプロの荷物運びを雇い、少しずつ高緯度に体を順応させながら、頂上を目指す大事業となる。

それには、体力とは別に大金を要することは簡単に想像がつく。そのため、上着にはテレビに映ったとき目に付く位置に、資金を提供する企業のロゴマークが縫い付けられていて、ゴルフやテニスの賞金稼ぎの人たちのように、さながら歩く広告塔となる。

多額の資金を出してくれると言われれば、テレビのCMにも出ようというものだ。こういう場合は、恐らく桁が違ってくるのだろう。

前回エベレストを登った際は、一部のマスゴミの中には、「登った」と言うより「連れて行かれた」と言った方がいいようだ・・・と辛口の評論をコメンテーターに言わせていたのを聞いた。

老人一人を生きたままエベレストの頂上まで送り届けて、無事に下山させるという、これはロジスティックのプロジェクト。健康食品・医療・通販・通運業界を巻き込んだ一大プロジェクトと呼んでも過言ではないだろう。



成功の暁には、「世の老人達よ、このスーパー老人を見習え!」この老人を支えていたのは、ほうれん草ではない。「このサプリメントだったのだ!」と煽りまくり、売上げを飛躍的に伸ばそうとするスポンサー企業の戦略がある。

ご本人も、講演や雑誌のインタビューで、「年齢など気にするな!目標を持て!あきらめなければ、夢は叶うのだ!」と日本中を鼓舞する。

確かに、日本人の寿命は男女とも伸びて、長生きできるようになったのだが、自分で食事ができ、トイレに一人で行けるという「健康寿命」は、統計上男女とも「平均寿命」よりも10年前後短いのである。



つまり、介護を要する「寝たきり老人」の状態が約10年間続いてから、ようやくあの世に旅立てるという現実があるわけだ。

PPKにあこがれる老人達の心情の発露はここにある。



ところで、私はこの夢をあきらめないスーパー老人の様子を観ていて、最近感ずるのだが、何だかこのお方、自分の夢を叶えるための資金集めの手段でCMに出てサプリメントを宣伝したり、しているのか、はたまた、CMに出たり講演して廻るための手段でエベレストに登ろうとするのか・・・

主客逆転してるんじゃないか?  

ま、余計なお節介ですな・・。

頻発?若者犯罪

2016年02月18日 | 日記
このところ、20代の青年の悪質な犯罪が急増しているような気がするが、統計的にはどうなのか分からない。

2年前まで、老父が老人養護施設にお世話になっていたこともあり、そういう施設で立て続けに老人達が高いところから落下して死亡するという事件があったのには、少なからず関心があった。

思ったとおり、そこで働く介護職員の仕業だったことが、トップニュースとして報道されていた。しかも犯人の20代の青年は、救急救命士の資格を持っていたというではないか。



人の命を救う専門家のはずが、3人の老人の命を高いところから、あたかもゴミでも捨てるように投げ落としたというから、とても赤い血が流れる人間の仕業だとは思えない。どんな言い訳をしようが、死刑にするくらいでは物足りない。

仕事を終えて帰宅して、夕方の報道番組を何気なく観ていたら、20代の女性の保育士が、あずかった子供にワサビを塗った鶏の唐揚げを食べさせるなど、虐待を繰り返していたという、事件を伝えていた。



上手く口がきけない幼子に、この保育士は以前から暴力や唐辛子をまぶした食事を与えるなどという非道を繰り返していたようだった。

これら同時期に発生した2件の事件から、世相を予見して今後起こりうる事件を、余興で考えてみるとこんな具合になるだろう。

その1. 20代の消防士が、日頃の上司や同僚のいじめにイライラして、休日に消防署近くの住宅に放火をして廻る。



何事も無かったかのように、本人は先陣をきって消火作業をしていたが、監視カメラの映像から、顔が割れてしまう。

その2. 20代の自動車整備士が、整備した自動車のブレーキを細工して、数キロ走るとブレーキが急に効かなくなるようにした。その結果、その車の所有者である高齢者は下りのカーブでスピードを落とせず、ガードレールを突き破って即死した。



被害者の家族の証言から、被害者は60年間無事故無違反であり、自動車も半年後とに点検に出すほど車好きだったこと。さらに、事故の二日前に定期点検から戻ってきたばかりだったという証言を基に、事故車を徹底的に調べた。

その結果、ブレーキパイプに細工の跡があり、整備した担当者を追及したところ、趣味のパチンコに負け続けていて、ムシャクシャしていたので、何か事件を起こしたかったと自供した。

非正規雇用の若者は今後も増え続け、若者の間にも格差が蔓延していく。

ゲームと共に大きくなった今の若者は、大それたことをしでかしても無意識のうちに簡単にリセットできると考えているのかもしれない。

考え方によっては、ゲームやパチンコも白い粉と同様に人生を狂わせる要因の一つとして、同類だと言えないだろうか。

興醒めの「荒行修行僧」

2016年02月18日 | 日記
テレビのドキュメンタリー番組は、普段知り得ないことを教えてくれることが多くて好きなジャンルだが、たまにどこかのテレビ局のように、見え透いた捏造で欺かれる事があるから、眉に唾をつけながら見た方がいい場合もある。

ちょっと前だったが、千日行とかいう僧侶の荒行のことを伝えているのを見たことがあった。これまで数人しか達成したことの無い凄まじいもので、断食・断水・不眠などを続け、何十キロもの山道を千日間かけて歩き続けるのだそうだ。



一旦行を始めたら、途中でやめるわけにはいかないそうで、辞めるなら命を絶たなければならないそうだ。

達成した僧侶が会得したものは何か、という問いに対する答えが実にシンプルで呆気なかった。

「感謝する心」「思いやり」「反省する気持ち」

きっと、言葉では簡単に表現できないのだろうな、と同情したのだが、全工程ではないにしろ、テレビカメラがその荒行を撮影しているのを観るのは、観る側として興味本位でしかない。

失礼だが、「リアクション芸人」がプロデュ-サーの無茶振りに応じて、「芸」を披露しているのを観るのと、大差ない気分で観てしまう。

この荒行を観た時も、「こういう荒行は、敢えて公開しなくてもいいのでは・・」と感じたが、昨日の朝の番組の中で、千日行とは違う宗派の荒行に挑戦する僧侶達のレポートを流していた。

このテレビ局はこういうのが好きなのだなあ・・と思いながら観てしまったが、これはまったく興醒めの酷い出来であった。

全国にあるその宗派のお寺の住職が何十人と集まり、白いコスチュームに身を包んで荒行のカリキュラムをこなしていくのである。





褌一つになって冷水を浴びたり、滝に身を打たせたりする「行」の様子を映像で伝えるのだが、何だか僧侶の荒行というより、何かの体育会系同好会の訓練か、どこかの奇祭のレポートか、それともテレビ局の新人アナウンサーの体験レポートでもやっているのかと錯覚しそうになった。





しかし、椅子からずり落ちそうになるくらいズッコケたのは、修行中のある僧侶の家族が修行を見守って応援している様子を映していることだった。

「へえ、この坊主は奥さんがいるのか。」と呟いたら、カミさんがすかさず、「普通いるでしょ、坊さんだって・・。」と合いの手を入れた。



両手を併せて祈るように見守る妻たちや、彼のお寺の檀家の主婦達だろうか、「あんなにふくよかだったのに、痩せちゃったネエ・・。」などと気の毒そうに感想を言う場面もあった。ご丁寧に、テレビはその僧侶の修行前の写真を紹介する。

修行中の食事は、一汁一菜で通すので、痩せるのは当然。むしろ、如何にそれ以前は栄養を取っていたかが分かるというものだ。



修行を終えて喜ぶ僧侶達、そしてその家族。

修行中の厳しさを伝えたいのか、主演の僧侶は自分の足の裏を自慢げに見せていた。傷だらけの足は、滝行のとき出来たそうで、痛さなど感じないと言っていたが、踵にはパックリ割れた傷がカサブタのようになっていて、痛々しかった。

しかし、私は一連のレポートを観ていてだんだん腹立たしさを覚えていたのだった。

そもそも、こういう「行」をするということは、僧が俗世間と隔絶した環境に身をおいて、煩悩を振り払うためのものだろう。修行した僧侶も確かそう言っていた。

しかし、自分の家族達に一部でもそれを見せる。それどころか、テレビカメラに修行の一部始終を公開して、その「壮絶さ」を見せ付ける。挙句の果ては、修行後に自分の足の裏を見せて傷を説明する・・・。

こういうのを、「パフォーマンス」というのだろう。この宗派は、営業戦略としてテレビ局に特集を売り込んだとしか思えない。

ソロバンをはじいて、「経済効果」を計算した上のことであったと想像できる。

外来文化礼賛

2016年02月17日 | 日記
毎年、2月に入るとスーパーの一角にチョコレート専門の棚が出現するのが恒例になった。

この前、ドラッグストアでは、その前でどれにしようか迷っている老婆がいて、明らかに通行の妨げになっていた。大した量を買うわけでもないのに、老婆達はほとんどみんなカートを利用したがる。

これも通行の妨げになる要因の一つだが、優柔不断そうなその老婆は、我関せずといった様子でチョコレートを手にとっては戻す動作を繰り返していた。

バレンタインデーにチョコレートを。それも女性から男性に。

どの職場でも似たような現象が起きているのだろうが、私の通う職場でも4名いる女性社員が20名ほどの男性社員に、お菓子を配って歩く習慣が存在している。

いわゆる「義理」なのだろうが、私にはあれは迷惑でしかない。

さすがにチョコレートにすると負担が大きくなるためか、駄菓子の詰め合わせなのだが、それも市販のものではない。手作りの詰め合わせなのだ。



乾いたタオルを絞れ、と職場の改善、無駄取りを要求されている彼女達だけに、今年の菓子詰め合わせにはその知恵が顕著に表れていた。

明らかに、100円ショップで売られている駄菓子を数種類買い求め、それを開封して適当に割り振って、片手に乗るくらいの紙袋に詰め込み、しゃれたリボンで封をするのである。

中には丸や四角の煎餅有り、ビスケットあり、ラムネ菓子あり・・・

憎いなあ・・と思った演出は、紙袋に小さく「銀座○○」というカタカナ名の店の名前と、シールが貼られていて、紙袋は茶色で中身は見えない。意外とずっしりとした重量感もあって、「オッ!今年は高級チョコでも奮発したのか?お返しが大変だな・・・」と早とちりさせる仕掛けだった。

家に持ち帰って、開封してみてがっかり。結構なショックを感じた自分を恥じてしまった。

今やチョコレートなど年中好きなときに買って食べることができる。また、海外旅行の帰りに余った現地通貨でお土産を買うとすれば、チョコレートが一番無難で、私など毎回チョコレート以外勝ったことが無い。

こウルサイ女性達にお返しをやらないとなると、陰でどんな悪口を言われるか考えただけで恐ろしくなる。出張に行っても何のお土産も買ってこない上司など、もうドケチ呼ばわりしている。

バレンタインデーなど、頼みもしないのに、毎年毎年迷惑な習慣が出来上がったものである。

こういった、カタカナの外来文化を盲目的に礼賛したがるのは主に女性であることは、もう誰も否定しないだろう。

結婚式を挙げるなら、キリスト教徒でもないのに、ウェディングドレスを着て教会形式でと言いたがるのも女性である。



ああいう形式の結婚式に出たことが何度かあるが、出席者に賛美歌まで歌わせるのには閉口した。(私はそういうとき、般若心経のメロディーを頭の中で唱えて、キリシタンの邪気が心に入るのを阻むことにしている。)

ハロウィンなどという毛唐のお祭りを真似たがるのも、女性たちであろう。自分の子供に妙な格好をさせて、近所に駄菓子をせびらせ、町興しだなどと威張っている。



そして、今や幼い子供達は英語教室通いを始めた。家に帰ってきた我が子が、「グドゥ・イヴニン、マム!」などと言おうものなら、ママは「おぉ!!」と呟いて卒倒しそうになる。「我が子はまるで外人みたいな英語を喋る!」と。



年に何度かはミッキーやミニーと記念写真を撮りに出かけたがるのも女性達に多い。

こんな調子で育てられた子供たちは、いつの間にかカタカナの外来文化を崇拝し、日本古来の伝統文化や習慣は『ダサい、旧い、興味ない』と言ってバカにするようになる。それもこれも親の背中を見て育つからだ。

母国の文化を下に見て劣等感を抱き、その反動で外国のものなら何でも優れていると考えるようになるわけだ。ママと同じように。

こういう子供の割合が徐々に増えていくのに伴って、日本の国力はジリジリ下がっていく。母国を誇れずして、国を想う人間に育つわけが無い。

自分の名前を、トムだのスティーブだのと外国人に呼ばせて喜ぶ男も多いが、小さな子供に大きな影響力を持つのは、断然女性だろう。

日本の女性達に望みたい。外来文化を信奉するのはホドホドにしようではないか。

吸血昆虫・蚊

2016年02月16日 | 日記
20歳のとき、パプア・ニューギニアを探検した。先輩と二人でキスリングにテント持参で1ヶ月間滞在したが、海外旅行は初めてだったし、今と違って情報も少なかったので、マラリアのことなどまったく気にもしなかった。

しかし、現地でテントを張って寝ようとした最初の夜、横になってすぐのこと、プーンという蚊の飛ぶ音が微かに聞えた。



二人ほぼ同時に飛び起きて、蚊だ、蚊だと大騒ぎになった。

蚊取り線香を持参していたので、急いで探し出し、火をつけて暫く寝ずに蚊に神経を集中したものだった。蚊の記憶は不思議とその程度だったし、幸いマラリアにも羅病せず無事に記憶できた。

それから何年も経って、社命でフィリピン勤務になってもさほど蚊には神経質にならずに暮らしていけたが、たまに本社から出張にくる若い技術者たちからは、滞在中のホテルの部屋に蚊がいるので、蚊取り線香を調達して欲しいとせがまれることがあった。

先輩の駐在員にひとりマラリアにかかった人がいて、普段は何でもないのに抵抗力が落ちたときに、ガタガタ震えが来ると言っていた。

年に数回帰国する際は、マニラに一泊して早朝発の飛行機を利用することが多かったので、そのときはホテルの近くにあるカラオケバーなどに行って、閉店の2時頃まで歌を歌いまくり、閉店になったら店の女給さん達を誘って、ラーメンを食べに行ったりしてそのまま寝ずに朝まで過ごしたりしたこともあった。

空が白み始めた頃、ホテルに戻るとロビーは白い煙で前が見えなくなっていることがあった。何事かと思ったら、蚊の防除のための殺虫剤を噴霧したとのことだった。



当時から、蚊はマラリアだけでなく、デング熱という病気も媒介するというので注意喚起はよくされたものだったが、悪運強く何事も起こらなかった。

シンガポールに赴任したとき感心したのは、あの国は政府が率先して蚊の繁殖を防ごうと活動していることだった。

つまり、蚊が増えるボウフラを防除するため、どんな水溜りも許さないという姿勢をアピールしているのだった。何でも無神経に古タイヤなどを放置しておくと、罰金対象になるとのことだった。

公園などには、自転車乗り入れ禁止! 罰金1000ドル! などという標識がいたるところにあり、実際私の前任者など、タバコのポイ捨てで罰金を払ったと嘆いていた。

さすが、Fine Country 「すばらしい国」であり、「Fine =罰金」の国でもある。

ジカ熱という耳新しい病気も蚊が媒介するそうだ。特に妊婦が感染すると、生まれた子供は、おむすびのような頭をした「小頭症」にかかる可能性が高いそうだ。



その子が成長するとどうなるのかまでは、テレビで解説していなかったが、ワクチンも有効な薬もないというから怖い。

リオのオリンピックは大丈夫なのか。

私は、天の神があの下らないカーニバルとかいうバカ騒ぎを見かねて下した、一種のお仕置きではないかと、勝手に思っている。

辞任するこたぁない。

2016年02月15日 | 日記
横浜の音楽家長木谷さんは、カーニバル関連のイベントに参加するため、1月7日にカリブ海に浮かぶ島国「トリニダード・トバゴ」に入国。2月10日朝、首都ポートオブスペインの公園で、清掃員によって遺体が発見された。警察が殺人事件として捜査していた。



ポートオブスペイン市のレイモンド・ティム・キー市長は遺体発見直後の記者会見で、長木谷さんがカーニバルの衣装姿だったことから、次のように述べた。

「私が見てきたカーニバルでの女性の振るまいについて言うと、もちろん男性のサポートの上でだが、女性は暴行を受けないように自分の身を守る責任がある。注意を怠らないようにしながらカーニバルを楽しもう。」

これに対し、女性団体を中心に多くの市民が、被害女性側に非があるような発言をしたと猛反発した。即時辞任を求める4000人以上の署名が集まったほか、大規模なデモに発展していた。キー市長は「私の発言で人々を怒らせ、傷つけたことをおわびする」として、13日、辞意を表明したそうだ。

キューバ、ジャマイカ、トリニダード・トバゴ、などの中米の国々に住んでいた原住民は、スペイン人に大量虐殺され、天然痘で完璧に死滅したので、現在これらの国の国民は当時アフリカ大陸から運び込まれた黒人達の末裔である。

スペインやポルトガルの血とアフリカ人の血が混じると、ああいうド派手であられもない格好をしてお尻を振りながら踊る人種が出来上がるようで、お祭りというとブラジルのリオだけでなく、カリブ海の国でも似たような文化が存在しているようだ。



暑いからあんな格好をするのではないだろう。異性を挑発する意図があるものと理解するのが自然ではなかろうか。



しかし、あそこまでいくと、色気などまるで感じなくて、気が狂ったメスの家畜としか私には映らない。傘を斜にかぶって、和服の裾をはしょった阿波踊りのコスチュームの方がずっと色っぽい。

はるばる演奏のために遠い国まで行って、命を奪われた女性は実にかわいそうなことだと同情するが、「カーニバルでの女性の振るまいについて言うと、もちろん男性のサポートの上でだが、女性は暴行を受けないように自分の身を守る責任がある・・



・・注意を怠らないようにしながらカーニバルを楽しもう。」と言った現地の市長の言葉のどこが問題なのだろうか?

どう見ても、南米のカーニバルの女性の衣装や踊りっぷりは、性犯罪を誘発するのに十分な要因になると思う。

百歩譲って、彼女が日本のお祭り、例えば浅草あたりに行ってあの格好をして演奏したのならまだ分かるが、文化や人種がが異なる外国で、裸同然の格好をしていれば、それはどういう危険を招くことが考えられるか。

常識のある大人ならちょっと考えれば分かるだろう。海外に出たら、自分の身は自分で守るなどというのは、鉄則中の鉄則だ。

KYTという職場での教育訓練があった。

KYというと空気が読めない・・という意味かと思ったら、この場合は「危険予知トレーニング」の略だと習った。



ボーっと仕事をするのではなく、常にまわりに潜む危険を予見する感覚を養う訓練である。例えば、次のようなイラストを見て、「この状況で、潜む危険は何か」を考えて発表する。





危険を洗い出したら、その危険を失くすにはどうすればよいかを考えさせるのである。

私は海外赴任していた時、出張で来た同僚達によく言ったことがある。フィリピンのマニラというと、街中、国中危険だらけである。その危険を回避するにはどうしたらよいか?とまず考えさせる。

その後、こう答えを言う。

「危ないところには近づかないこと。」

KYTでは、イラストだけでなく、写真も活用できる。



この写真を見て、どんな危険が予知できるだろうか。

マニラに赴任するとき、私は先輩から忠告されたことがあった。それは、マニラでは「メイドと女と警官に気をつけろ」という言葉だった。

警官というと頼りになる存在だと思いたいが、マニラでは危険な存在だと思っていた方がいい。

こんな写真は如何だろうか。どんな危険を予知できますか?

 両替所の看板です。

人通りの少ない両替所は危険が一杯です。両替所に出入りする人は、間違いなく少なからぬ現金を持っているはずだから、どこで誰が見ているか分かったもんじゃありません。

両替所を出た後ですぐタクシーを拾うのも危険です。交換レートが他よりいいなどと言われたらますます危険です。

『自分の身を守る責任がある』のは、女性だけではありません。特に見知らぬ土地では神経を研ぎ澄まして、危険予知をする感性を持ち続けなくてはなりません。

それが嫌なら・・・危なそうなところには出かけないことです。





社命か婚活か、海外赴任。

2016年02月14日 | 日記
職場の男性が急遽海外工場に赴任することが決定した、と先週発表があった。

来週から早速約2ヶ月弱の語学研修を始め、4月初旬には赴任することになるそうだ。その男性は、すでに中米の工場に赴任していた経験があるそうで、今度が2度目の海外赴任となるらしい。



赴任先はタイで、これまでの経験から見て、製造現場の品質管理を担当するのだろう。私は彼とは話す機会がほとんど無かったが、見たところ御歳40代後半。聞いたところでは未だに独身なので、当然単身赴任になる。

タイには一度だけ出張で出かけた事がある。新規取引先を求めて水産加工会社を1社訪問した後、サトウキビの先っぽが牧草の代品になるかの可能性を探るため現地視察に出かけた。

その場所が、カンチャナブリ近辺であったので、「戦場にかける橋」の舞台になった処に案内された記憶がある。その後マレー半島を南下してマレーシアとの国境近くにあった、紋甲イカの加工工場を視察したのは覚えているが、どうやってそこまで行ったのかまでは覚えていない。

バンコクでは英語がほとんど通じなくて、しかもタイ語の文字はクルクルッと丸まった字でまったく読めず、非情に強い恐怖感を覚えたものだった。その感覚は、その後出張に行った南朝鮮のソウルでも抱いた恐怖感で、言葉も通じず文字も読めないことが、あれほど怖いものかを痛感した。

今の職場には、独身男性が5人ほどいるが、皆20代か30前半位で、今度タイに赴任する男性は明らかに突出して目立っていた。

やはり、言われて見れば所帯じみたところが無く、悪い言い方をすれば、ちょっとチャラチャラしているようだった。

今では、こういう40歳過ぎても独身でいる男女はさほど珍しくは無く、世間にはゴロゴロいるそうだ。

今月47歳になったイケメン歌手も、昨年秋結婚したが、私はそれまでテレビで彼を見るたびに、容姿にも収入にも文句なしなのに独身を続けるなんて、何と不潔ななのだろう、といぶかしく思っていたものだった。



そういう主義の人なのかと思っていたが、きれいな女優さんと結婚するそうで、やっぱり女性が嫌いだったわけでもないんだ、と少し安心した。

タイに赴任する方は、任期5年だそうだから、もしかしたら赴任先で婚活に励むつもりなのかもしれない。

しかし、御歳からして恐らくご両親も老齢だろうし、熱帯での業務は思いのほか体力を使う。

私は機会あれば、海外赴任も厭わないと考えていたが、最近では体力の限界が見えてきた。もう無理はきかないのだ。

海外赴任は、毎日が刺激的で魅力はあるが、寄る年波にはもう勝てないと悟っている。




言動の言を考える

2016年02月14日 | 日記
今日の朝刊一面の古森義久ワシントン特派員の「あめりかノート」というコラムが目を引いた。

現在大騒ぎとなっている米国大統領選挙についてのコラムだったが、その熱狂さは現地で見るのと、メディアを通しての報道で見るのとでは、とても比較にはならないほどの差があるようだ。

感情むき出しの共和党候補の発言は、一昔前ならすぐに取り返しのつかない結果になったろうに、今回の大統領選挙ではそうならない、と特派員は伝えている。

その例として、1976年と1980年の大統領選挙を挙げていた。

1976年は、現職の共和党フォード大統領が挑戦者民主党ジミー・カーター候補と争った。

  

当時学生だった私は、このときの記憶がある。結果は、カーター候補が勝ち39代大統領に就任したのだが、知名度は極めて低く、大手新聞の見出しは『Jimmy, who?』(ジミーって誰やねん?)というものだった。

(敢えて和訳を関西弁風にしたのは、その方が当時の世間の反応が感じ取れると思ったからで、他意はありません)

古森特派員はこのときの公開討論をテレビで見ていたそうだ。フォード大統領が「ソ連の東欧支配なんてありませんよ。」と失言したとき、一緒にいた若い米国人男女は、一瞬驚いて、黙りこくってしまったそうだ。

この失言が致命的な失言として、下馬評はひっくり返ったわけだった。

そのカーター氏も、4年後の1980年大統領選挙では、共和党のレーガン候補との論戦の際、「娘のエイミーも核兵器の管理が重要だと話していました。」という発言をして、一気に人気が失墜したそうだ。12歳の娘の言を後生大事に紹介する非常識を責められたわけだ。



日本でも特に最近は、政治家の失言が連日のように取り上げられているが、言葉には人格や思想や教養が如実に表れるもので、政治家ならずとも注意が必要なことは確かであろう。

育休宣言をして売り出した35歳「イケメン議員」も、その年齢にも、早稲田大学商学部卒業という立派な経歴にも、まったくそぐわないお粗末な記者会見であったと思う。



ふしだらな下半身のために議員辞職を表明することになった宮崎助平氏の記者会見を見た後、「台本を書いて演じているって感じだったな。」と感想を漏らしたら、近くにいたカミさんが、「私なぜか、兵庫県の県会議員の号泣会見を思い出したわ・・」と呟いた。



まずは、有権者の皆様方、先輩・同僚議員の皆様方、私を支えてくださった皆様方、○○の皆様方、××の皆様方・・・もう誰でもいいからその辺に転がっている皆様方、すべての皆様方に謝罪しています。

深く、深く、深く、深く・・・・お詫びしたいそうで、もうお詫びの大安売りといった感じです。

頭が混乱して、気持ちの整理が出来なくて、説明が遅れてしまったと言い訳をグダグダして、とにかく前置きが長い長い。

自分は高い志を持って政界にチャレンジしたわけだから、これから有権者一人一人に丁寧に説明していきたいなどと言ってたが、そんな言い訳を聞く耳をもった有権者がいると思ってるのかね。

- 結婚後に他にも不倫相手がいたかどうかということだが。という記者の質問に対しては。

 「女性というところであれば、否定は出来ないところです。申し訳ございません。」

私のこれまでの経験から見ても、こういう風にいとも簡単に謝る人間にろくなのはいない。詐欺師みたいな連中ばかりである。

会見は、クリップボードに台本をしたためて、それをチラチラ見ながら進んでいたが、途中泣きべそをかく素振りを見せたり、怒ったような表情になったり、猿芝居と言っては猿に申し訳ない、酷いものであった。

奥さんや不倫相手には悪いが、こういう手合いをお付き合いの相手とするようでは、男を見る目が無さ過ぎると非難されても仕方ないだろう。

19、20歳のスポーツ選手の会見の方が社会人として、はるかにまともで、彼らの足の爪垢でも分けてもらって、煎じて飲むことを勧めたい。

 



口下手でも心情がこもっていれば、聞く方は納得できるが、美辞麗句や謝罪の言葉を何十回繰り返したところで、口先だけならすぐに見透かされるものだ。

いっそのこと、野々村元議員を上回る号泣・土下座でも繰り広げた方がアピール出来たかもね。


建国記念の日、雑感

2016年02月14日 | 日記
外国に行くと、その国の歴史を知りたくなって、ネットや書籍でざっくりと調べたりするものだ。アメリカと東南アジア位しか行ったことが無いので、結果ははっきりしていて、英国が侵略して乗っ取って、移民を受け入れて独立宣言したというもの。

片や、大東亜戦争の結果、長い長い欧米の植民地支配から解放されて、晴れて独立したという歴史を持っている国がほとんどだ。

それでは自分の生まれた国の始まりはどうだったんだろう、と考え始めることになる。

つまり、諸外国がそれぞれの独立記念日を盛大に祝うのに、自分の生まれた国の「独立記念日」は一体いつなんだ? と不思議に思うことがあったような気がする。(それがいつのことだったか記憶にはないが・・)

先週11日、つまり2月11日は「建国記念の日」という祝日だったが、マスゴミを始めとする日本人は、何となく意識的にこの日の意味することを話題にしないように努めているような気がしてならない。



ウィキペディアで「建国記念の日」を検索してみると、『2月11日は、日本国の建国の日として「紀元節」と定められ祭日となり翌年から適用されたが、第二次世界大戦後の1948年(昭和23年)に占領軍 (GHQ)の意向で廃止された。その後、復活の動きが高まり、「建国記念の日」として、1966年(昭和41年)に国民の祝日となり翌年から適用された。』とある。

日本独自の「皇紀」とは何だ?と、あらためてウィキペディアで「神武天皇即位紀元」と検索してみると、『 神武天皇即位紀元(じんむてんのうそくいきげん)または神武紀元は、『日本書紀』の記述をもとに設定された日本の紀年法である。古事記や日本書紀で日本の初代天皇とされる神武天皇は、日本書紀によれば紀元前660年1月1日 (旧暦)に即位したとされ、この即位年を明治に入り神武天皇即位紀元の元年と制定した。』とある。

つまり、今世界で使われている「西暦」よりも660年以前を元年としたわけだ。

従って、今年は皇紀でいうと、2016+660=2676 皇紀2676年ということになる。

因みに、西暦の決め方は、イエス・キリストの生まれた日を基にしているようだが、これも「西暦」で検索して読んでみると、結構いい加減なものだなあと理解できる。

最新の「週刊新潮」の高山正之氏のコラム『変見自在』によると、キリスト教とかその兄弟みたいな、ユダヤ教やイスラム教は、古代ペルシャの「ゾロアスター教」をパクッたようで、「終末」、「復活」、「救世主」などまるでそっくりらしい。

ゾロアスター教といえば、私は自動車メーカーの「マツダ」の社名の由来となった古代宗教だということくらいの知識しかなかったが、高山氏のコラムに触発されたので、時間をとって、あらためてこの宗教について調べてみようと思う。

さて、紀元節というと、私は「紀元2600年」という歌を学生時代に覚えた。



『紀元二千六百年(きげんにせんろっぴゃくねん)』は、1940年(昭和15年)に皇紀2600年 を祝って作られた国民歌であるが、二拍子の景気のいい歌である。

私の学生時代は、フォークソングの全盛期だったが、当時の私や先輩達はコンパや飲み会が佳境に入ると、いつも手拍子で二拍子の軍歌などを好んで歌ったものだった。

まだ、カラオケなど普及していなかったので、夏などは庭園の芝生に車座に座って、サントリーホワイトとかレッドなどの安い酒で、盛り上がったものだ。

各自に持ち歌があって、他人の持ち歌は歌わないという暗黙のルールのようなものがあった。私の好きな歌は、『戦友』や『加藤隼戦闘隊』だった。

『紀元二千六百年』という歌は誰の持ち歌でもなかったので、私も何度か歌った記憶がある。歌詞も曲も当時、公募で出来た国民歌だそうだ。

♪ 金鵄(きんし)輝く日本の   榮(はえ)ある光 身にうけて
いまこそ祝へ この朝(あした) 紀元は二千六百年
あゝ 一億の  胸はなる ♪


当時は、この替え歌も相当流行ったようだ。なかなか良く出来た歌詞だ。

♪ 金鵄あがって 15銭  栄えある光 30銭
今こそあがる 煙草の値 紀元は二千六百年
あゝ 一億の  民は泣く ♪

この替え歌の歌詞には、少し説明がいるだろう。つまり、当時の物価の上がり方を「金鵄」、「光」というタバコの値段にかけていて、最後に「一億の胸はなる」を「民は泣く」と落としている。

 

話は飛ぶが、よく西洋かぶれの人が(女性に多いようだが)、「日本人にはユーモアのセンスがなくて・・・」などと悪口を言うが、これには私は強烈に反発する。

昔から日本人には、頓知とかしゃれとか諧謔(かいぎゃく)とか呼ばれるその手の感覚は備わっていた。何もユーモアは欧米人の専売特許ではないのである。

話は戻って、替え歌の歌詞だが、これとて何とも風刺がきいた面白い出来ではないか。

さらに、当時にはクスッと笑いたくなるものもあった。



時代は、物資が不足して節約が尊ばれていたころだった。通りには、「日本人なら、ぜいたくは出来ないはずだ」と書かれた看板などが立てられていたようだ。

「贅沢は敵だ」というものもあったという。

そこで登場したのが、「敵」という字の上に「素」を書き込んで「素敵だ」としたものだった。



これをユーモアのセンスと呼ばずして何という。

以上、建国記念の日に感じた雑感をまとめました。
(まとまりませんでした)

いつも思う、奇態な光景

2016年02月13日 | 日記
『名選手、名監督にあらず』とは、けだし名言だと思う。

いくら記録を残そうが、名場面で期待通りの成績を残そうが、人に教えるのが上手下手というのは、まったく別の才能だと言えるのは間違いない。

よく例に出すのだが、山本五十六の名言だとされる、「やって見せ、言って聞かせて、させて見せ、褒めてやらねば人は動かじ」は、上手な教え方のエッセンスだと思う。



それが、少年野球教室という場で、こういう教え方しか出来ない人には、指導を依頼する方が間違っているとしか言えない。

「球がこうスッと来るだろ」
「そこをグゥーッと構えて腰をガッとする」
「あとはバァッといってガーンと打つんだ」

夕方のニュースで、球団のスポンサー局のためか、往年の名選手が野球キャンプ地を訪問して選手を激励した、と伝えていた。



この御仁、業界ではミスターとか訳の分からない通称で呼ばれ、正に神様扱いされているようで、脳卒中で倒れて以来中気の体を世間にさらけ出し、麻痺した右手をズボンのポケットに隠し、ヨイヨイの体で球場や練習場に出没する。(それとも、取り巻きに引っ張り出されるのか・・)

この光景は、私には名状しがたい奇態にしか映らない。

ワールドカップとかいう外国チームとの試合に出た際、日本チームの監督はこの御仁に、こともあろうか日の丸に、その方の現役当時の背番号である3の文字を書かせ、ダッグアウトの壁に掲げたのだった。



そして、守備に付く選手達はダッグアウトを出る際に日の丸の3の部分に手で触れてから飛び出していくのだった。恐らく監督の指図だったのだろうが、これなど胃液が逆流しそうなくらい不快なシーンであった。

そんな往年の名選手と対照的な存在であった元スワローズの監督は、選手育成に関しては一家言持つ方だった。

最近もどこかで目にしたが、覚せい剤で逮捕された元職業野球選手に関して、こんなことを言っていた。

『野球選手に大事なのは判断力だが、清原のプレーからは状況判断をしているとか、頭を使っているとかが全く伝わってこなかった。・・・』

『清原が西武1年目か2年目のときに、俺は森(祇晶・元西武監督)に言ったんだよ。清原は野球に対する思想、哲学が何もない奴だ、天性だけでやっている。お前が悪い。ちゃんと教育しろって。野球の指導はコーチがやる。監督の仕事で大事なのは人間教育、社会教育ですよ。・・・』

『清原は若いときに教育されていないから考えないし感じない。人間の最大の悪は鈍感であると言うが、まさにそのとおりだよ。覚醒剤は悪いと知りながら手を出すのは鈍感以前の問題、バカとしか言いようがない。バカと同時にやはり若いときの教育だね。』

まったく、この方の仰るとおりで、この方の奥さんやご自分の息子に対する教育姿勢などではどうしようもない方だと常日頃感じていたが、上記のコメントは実に的を射ていると思った。

西武のときに野放しだったのが、そのまま別球団に移籍してからもまったく変化無く、世間からも、球団関係者からも、スポーツマスゴミからも、チヤホヤされ続けていたわけだ。



神様的な存在の御仁も、右手でほっぺたをバシッとやりたかったであろうが、如何せん中気で思うように動かなかったようだ。

イエロージャーナリズムは、今や大物歌手もシャブ仲間だったと書きたてているようだが、以前大麻で逮捕された彼とて、脛は傷だらけで今後の進展も知れたものであろう。



スポンサー局ならば、この際徹底的に膿を出し切る姿勢を示さないと、人気は益々下降線をたどることになるだろう。右手は動かなくても、まだ話せるようだから、何か球界に君臨するお立場で、一言寄せて欲しいものだ。

「吸いたくなったら、グウッと構えて、バァっと我慢するんだ。」とかね。

偉大なる日本語

2016年02月13日 | 日記
職場で、今現場で使用している帳票の一つを海外工場用に英訳して欲しいという依頼があった。

製造ラインで不具合が発生した際に使っている報告用の帳票で、どこで何を作る為の、どういう作業で、どういう不具合が発生したか。現象は、症状は。などなど記入する項目は多いが、そのために時間を費やすのは無駄と考え、記入方法には工夫を凝らしてある。

例えば、簡単な問いには「有・無」のどちらかを丸で囲む。あるいは、「要・不要」のどちらかを丸で囲む・・・等々である。

最初依頼されたときは、簡単なことだから30分もあれば出来るだろうと思ったが、いざ始めるとこれがなかなか厄介だと分かった。

日本語を英語に翻訳することはこれまで何度もあったが、こういうスペースの決められた処にはまる様に英語に訳すとなると、文字の大きさが揃わなくなったり、改行せざるを得なくなったりで、帳票のバランスがガタガタになってしまうのだった。

「要・不要」とか「有・無」などは、漢字なら1文字か2文字で済むが、英語にするとそうはいかない。

そんなときは、項目の質問内容を工夫して、「○○、必要か?」あるいは、「△△は、あるか?」として、回答は「Yes ・ No 」とした。

それにしても、日本語は便利である。

横にも縦にも書ける。漢字は、音読みと訓読みの2種類がある。その漢字を加工して、ひらがなとカタカナを作り出した。

Pneumonia という英語を見て、知識のある人は何のことかすぐ分かるが、無い人にはチンプンカンプンで、何のことかは想像すら出来ないだろう。

しかし、「肺炎」という漢字を見れば、医者でなくとも、「何か肺の病名ですかね?」と分かるだろう。おそらくこの漢字を初めて見る小学生ですらかなりの割合で理解できる子がいると思う。

しかし、外国語ではこうはいかないのである。ちょっと前まで、南朝鮮では漢字とハングル文字を併用していた。従って、私が30年以上前になるが、仕事で滞在していた頃は、新聞を見て、漢字の部分を拾い読みすれば、大まかな意味は理解できたものである。

しかし、今や彼らはその漢字を捨てた。その不便さは、この例えがいい。

Shindaisha tanomu.

このような文があったら、意味が分かるだろうか。ハングル文字は母音と子音の組合せだから、丁度ローマ字のようなものだ。

Shindaisha とは、「寝台車」とも「死んだ医者」とも読める。

日本でも本気でローマ字を公用語にしようと議論したときがあったそうだ。もし、ローマ字や英語が公用語に決っていたら、今日の日本の繁栄は絶対に無かったといえるだろう。

英語を公用語にすれば、グローバル化が進み、益々発展するはずだ・・と主張する人は、フィリピンを見ればいい、マレーシアを見ればいい、インドを見ればいい。

明治維新で外国からそれまでになかった概念や知識がなだれ込んできた。そのとき、必死で日本語化に取り組んだ結果、日本国内で最新の学問を享受できたし、外国に出なくとも研究にいそしむことも可能になった。

原子、分子、時間、空間、価値、電力、演説、社会、気温、遺伝、確率、回路、経済、可能性、胃潰瘍・・・数え切れないくらいの言葉が発明され、今日あたかも昔から存在していたかのような使い方がされている。

今、日本の会社であるにもかかわらず、英語を社内公用語にしようとする動きがあったり、テレビでは幼い子供を対象とする英語塾のCMが垂れ流されている。

クリスマスだのハロウィンだのバレンタインだのと、カタカナの文化が日本を侵食しているようだ。

子供は、それをカッコイイと感じ、対照的に日本独自の伝統文化を尊ばなくなっていく。

英語教育の若年化は亡国の愚策である、と警鐘を鳴らす人たちの趣旨はそこにある。

不適切な関係でした。

2016年02月12日 | 政治ネタ
当時生まれた子は、今18歳の青年になるわけだ。

25歳の実習生としてアメリカ合衆国のホワイトハウスで仕事をしていたモニカが、当時のクリントン大統領とねんごろな関係になり、大統領の執務室で肉体関係とは呼べない「性的な関係」を持ったということで、大きな騒ぎになった。



そのモニカはなぜかクリントン大統領の精液の付いた青い服を当時のまま保管していた。DNA鑑定した結果、その精液がクリントン大統領以外の人物のものである確率は、7兆8700万分の1であると判明したのだった。

なぜ、モニカの青い洋服にクリントン大統領の精液が付いていたのか。なぜ、モニカはその服を洗いもせず保管しておいたのか。

肉体関係のない「性的な関係」とは、一体どんな関係なのか。二人は大統領執務室で何をしていたのか。

思い巡らせば、様々な疑問が生じてくるが、当時私が一番関心を持ったのは、このスキャンダルをアメリカ国民はどう決着をつけるのか、そしてビル・クリントンの妻であるヒラリー・クリントンは夫のスキャンダルにどう対処するのだろうか、ということだった。



当時、クリントン大統領はテレビカメラに向って「彼女と『不適切な関係』を持った」と告白した。実際には、英語でこう言った。

I did have a relationship with Ms. Lewinsky that was not appropriate.

確かに私はルインスキー嬢と適切ではない関係を持ちました。

appropriate (アプロプリエイト)という単語は、「適切な」「妥当な」「望ましい」といった意味で、それを否定しているから、「不適切な」と訳されたのである。

そして、この言葉は当時の流行語となり、今でも盛んに使われるような便利な言葉になったのである。

今日、議員辞職を表明した宮崎助平とかいう男も、「このたびマスコミで報じられている件について、私の不適切な行為により多くの皆様に多大なるご迷惑をおかけしましたことを、心からおわび申し上げます。」などと、便利な言葉を使っていた。

それにしても、この男、最初の結婚相手が自民党の議員だった「加藤の乱」の加藤紘一の娘、「鮎子」議員で、わずか3年で離婚している。このときも女がらみのイザコザが原因だったようだ。



そして、今度は年上の議員さん(この方もう帰化したようだから日本人)と結婚して、臨月の妻を横目に、家事に育児に精を出すと張り切っていたのだった。

ところが、ナイスバディーのグラビアモデルだか、AV女優だか知らないが、女郎蜘蛛みたいなのと知り合うと、下半身が言うことを聞かなくなった様だ。



さて、クリントン大統領は国民の前で恥を忍んで懺悔した結果、米国民の許しを得たようで、そのままアメリカ合衆国大統領を続けた。そして、その妻ヒラリーはそんな夫と離婚するわけでもなく、目下自らが大統領候補として選挙戦を戦っている最中だ。

『やっぱり、アメリカ人ってその程度の人種なんだなあ。』というのが、当時私が抱いた感想だった。

さて、宮崎助平氏は潔く他の浮気事例も認めた上で、妻とは添い遂げたいみたいなことを喋っていたようだが、奥さんは一体どう判断するのでありましょうか・・。

そういえば、我が郷土にも一人、ナイスバディーのタレントさんと浮名を流し「不適切な関係」を持った小者議員がいた。(今でもまだいると思う。)

モナ、モナ、モナ男、細野のモナ男

当時彼には妻も娘もありながら、堂々と公道で「ベロチュウ」をして見せたり、我が娘の運動会の日にも関わらず、議員パスを使ってその不倫相手と旅行と洒落込んでいたというのだから、宮崎助平氏の下半身といい勝負だろう。



どんなに立派そうなことを喋っても、所詮淫らな下半身をぶら下げたお方・・・と思ってしまって、いつもこの小者議員の話を全部聞く気にならないのである。

もっとも、「武士の情け」もかけたくなるような人と、そうではないタイプの人がいるようで、だれ彼構わず「情け」は掛けるものでもない気がする。

この辺りの基準は、言葉にも文字にも表せない、日本人の持つ「感性」だと思うのだが。