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納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

# 547 ドラフトネタ 西武ライオンズ編

2018年09月05日 | 1985 年 



去年のドラ❶ 大久保博元:鳴りを潜めていた長距離砲は四番打者へ着々と歩んでいた
喉から手が出るほど欲しかった長距離砲。昨年のドラフト会議で広沢選手(現ヤクルト)を逃し、代わりに1位指名した大久保選手。陽気な性格で見るからに頼もしい体格の持ち主でレオファンの注目を集めていた水戸の怪童は激動の1年を送っていた。自主トレ初日の1月6日に姿を現した大久保はいきなりフリー打撃で高校生離れした打撃を披露した。当然マスコミは1年目から一軍で使える、と大騒ぎをした。しかし現実はそう簡単なものではなかった。「今だから正直に言いますけど、あの時の僕は体重が100kg を超えてました。マスコミの皆さんにはベスト体重(94kg)と言ってましたけど本当は104kg でした。スミマセン」と先ずはウエートコントロールの試練が待ち受けていた。

秋山選手を脅かす飛距離があっても守る所が無ければ、大田選手や片平選手など指名打者候補のベテラン勢がいる西武では出番はない。広岡監督は「打つだけじゃ一軍では使えない。捕手以外にも一塁・三塁でも守れるようになるのが一軍定着の条件。それには先ず身体を絞って身軽にならなきゃね」と冷静に突き放した。広岡監督の指摘通りプロとしての身体作りが最優先課題だった。身体を絞り二軍の試合に本格的に出場するようになったのは5月に入った頃。初本塁打はイースタンリーグが開幕して15試合目のロッテ戦(6月11日)。同期入団の田辺選手は既に3本塁打しており、やっと飛び出したという印象だった。打率も2割台をウロウロして上昇する気配はなかったが日野二軍監督は大久保を四番から外さなかった。

「大砲としての自覚を植え付ける為ですよ。当りが止まっていたのも土井(二軍打撃コーチ)とマンツーマンでフォームの改造をしていたから。心配はしていない」と日野二軍監督。英才教育は続く。7月20日からの二週間、一軍を体験した。本人は「やっぱり野球はお客さんが多い所でやらなくちゃ」と一軍定着を狙っていたが広岡監督は大久保をお客さん扱いして5試合(4打数1安打)で早々に二軍に戻した。「やっぱり一軍は違う。やるこの全てがスピーディ。日本シリーズも登録されて掛布さんや岡田さんを自分の目で見れたのも収穫でした。今は体重も87kg に落ちたし来季はやりますよ」と本人はやる気満々。現在は秋季キャンプで汗まみれとなっている。「化けたら今年の秋山以上の活躍をするかも(黒江コーチ)」と首脳陣の期待は大きい。



【 運命のドラフト当日: 渡辺久信 】
レオのヤング右腕は2年前の昭和58年11月22日を思い出すと複雑な気持ちになるそうだ。前橋工のエースとして運命の日を迎えた。高校1年生の時に甲子園出場して以来、時速150km の剛腕投手は12球団の注目の的だった。「ええ、全球団のスカウトの方が学校や家に来ていたし、指名されるかもしれないから当日は学校で待機するように言われてました(渡辺)」。渡辺投手は子供の頃から巨人ファンで憧れの王選手や中畑選手と同じユニフォームを着るのが夢だった。担当だった堀江スカウトから「絶対に1位で指名する」と言われて胸をときめかせてその瞬間を待っていた。だが現実は西武が1位指名。「正直がっかりしたけど、ヨ~シ日本シリーズで見返してやる!」と直ぐに気持ちを切り替えた。

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