H's monologue

動き始めた未来の地図は君の中にある

使命の道に怖れなく どれほどの闇が覆い尽くそうと
信じた道を歩こう

内科本道への回帰

2013-01-01 | 臨床研修



みなさん,こん**は。須藤@東海大学総合内科です。

“総合内科”という名称についてちょっと独り言です。

 --------*お忙しい方は飛ばしてくださいね。*----------


私は学生の時に,自分は将来“内科医”になりたいと思いました。その時に例えば“循環器内科”だとか“消化器内科”といったなんとか内科というのはイメージ出来ませんでした。外科の先生に叱られるかもしれませんが,“内科こそ医学の王道”みたいに思っていました。だから将来何かの専門を持つかもしれないけれど,“まず内科医になりたい”と思いました。

もともと内科は内科的側面を通して総合的に患者さんをみるのが内科であって,わざわざ“総合”とつけないといけないのが変だと思いませんか?ですから本当は“総合内科”という呼び名は私はあまり好きではありません。

自分の中での目標とするキャッチフレーズは“富士山みたいな内科医”でした。そのこころは,裾野は広くでも頂は高く・・といったところですか。でもチーフレジデントを終えてその後の専門(Nephrology)の勉強をしてゆくうちに,五合目まで積み上げた(と,思っていた)裾野も,ふと気がつくと時間がたつにつれて大沢崩れみたいにぼろぼろ崩れているのがわかるんです。なかなか“富士山みたいな内科医”にはなれないです。

専門の勉強をしてゆくうちにgerenalな知識は残念ながら情けないくらい古くなっていくことに気づきます。現在の圧倒的な情報量の中で広い範囲すべてにUpdateし続けることは,ほとんど不可能にも思え無力感を感じます。今でも時々Morining Reportの中でピントのはずれた質問をして失笑をかったりしてます。(^^;; それでも今“総合内科”の看板でやっていこうとしたときに気がついたことがあります。

何でも知っていて何でも出来るというのは我々凡人には幻想だと思いません?(ごくまれにそんなとんでもない先生もいますが・・。)

「総合内科っちゅう看板しょってるオマエは何でもわかるんか?」「そんなもん,ノーに決まってますがな。」「だったら総合内科っちゅうのは,何じゃ,それは?」

総合内科医であることの条件は「少なくともどんな患者さんであってもまず自分の患者であると考え,見ようとする姿勢」だと自分は思います。自分の限界を知った上で,最良のケアを患者さんに提供しようとする姿勢こそが総合内科医たり得る資格ではないかと・・・。

分野によって得手不得手があるのは当然ですし,その限界の中で適切な判断ができればよい,と自分を納得させています。(そんな姿勢を持つことと,能力とは別ですよね。)

でもそう考えるとすべての内科医は総合内科医であるのがあたりまえというごく当然の結論に帰結します。
やっぱり「総合内科」は「ただの内科」だよなあ,「総合」の二文字は余分だよなあ,と考えてしまいます。


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上の文章は,2001年すなわち今から12年前に,college-med というMLに書いたものである。以来ずっとその考えは変わっていない。「内科専門医」がいろんなしがらみから「総合内科専門医」に名称が変わってしまい(ひそかに憤慨したものであるが),「総合内科」という名称も今では一般的になった。しかし,自分の中ではどうも納得がいかない,何かわだかまりのような違和感を持ち続けている。

大学病院のような大きな施設では,その名称はやむを得ないと思う。しかし,現在の自分の病院のような中規模の施設で「総合内科」と名乗ってもしかたがない。それは内科の中で「うちではない」という不毛な線引きを作るだけである。

「サパイラ」の第1章序論の中で,サパイラ先生は「内科 Internal Medicine」の定義について,強烈に皮肉って次のように書いている。

(i)(もはや時代遅れの定義)臨床診断や科学的治療にかかわる非外科的な医学専門分野。以前は二次的に依頼を受ける専門科であったが,1960年代の終わり頃に崩壊してしまい危機に瀕している。
(ii)(現代の定義)細分化された三次的,非外科的,超専門科(サブスペシャルティ)の生物政治学的な共同体。矛盾するようだが,プライマリ・ケア専門科であると主張している。



この2年間,「サパイラ」を相手に悪戦苦闘してきて,もう一つ感じたことがある。それは「自分が目指したいと思う内科医」とは「サパイラ」でも時に出てくる「大変革以前の内科医」なんだと。言い換えると「古き良き時代の内科医」であり,細かく細分化される以前の内科医である。そんなもの現代においては幻想といわれるかもしれない。でも自分はそれを目指したい,悪いか。

「内科本道への回帰」というタイトルで,上野文昭先生(うちの理事長です)が雑誌「medicina」で書かれていた内容を読んで,あらためて考えた。やはりそうだ。内科は内科で,わざわざ「総合」内科とつける必要はない。何となく「総合」とつけた方が人が集まりそうなという,スケベ心が以前なかった訳ではないが,我々の目指すところは,「Department of Medicine」である。これは東海大学で総合内科を立ち上げる時に,黒川先生とも何度も話したものである。

昨年の初め頃,自分の病院の内科にとって壊滅的な危機があった。自分の中でも正直モチベーションを保てない時期があった。その後,幸いなことに血液,腎臓,循環器,呼吸器を専門とする内科医が集まって下さった。さらに同じような志をもち内科をやりつつ専門の勉強をしたいという中堅の先生達も集まってきた。このチャンスを逃さずして,いつ目標とする内科ができるものか・・・・。パラダイスなんかどこにもない,自分達で作るしかないのだ。


であるからして・・・本日をもって,私,須藤は内科部長としてここに宣言いたします。大船中央病院の内科は,総合内科ではなく「内科 Department of Medicine」を目指します(きっぱり)。
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