経済は一流でも、政治は三流といわれてきたこの国だが,2009年8月、選挙による政権交代が実現し、1,5流の政治になるかも、との期待が大きかったのだが、一年足らずの鳩山内閣、それを引き継いだ菅内閣、の体たらくは如何したものであろう、、、。鳩山内閣成立当初は、緊密で対等な日米関係の構築を主張し、沖縄問題を前自公政権での日米合意を白紙に戻し、普天間移転は国外、最低でも県外と公言し、大いに期待を持たせたのであるが、、、。 鳩山氏の意思は、祖父一郎氏のDNAを引き継ぎ、真の独立国を目指そうとするものであった のだが、ひたすら現状維持を図る、外務官僚、防衛官僚のサボタージュ(最高指揮官、総理の意思の実現を断念させる)によって、お坊ちゃま総理は退陣、少年時代から総理大臣になる目標を持っていた菅氏が棚ぼた式に、念願の総理に就任した。
嫉妬とはいずれも女偏がいてるが、男篇がついた文字の方がよりねたみを表現するにはふさわしいかもしれない。特に権力をめぐる男同士の争いは、歴史を見てもすざましいものがある。民主党も野党時代は、それまでの自民党政権、公明党がサポートしての自公政権の行き詰まりにより、”国民生活が第一”のスローガンで、無血革命(?)を実現したのであるが、いざ権力を握った途端、男の嫉妬が表面化する。田中角栄氏を信奉する小沢氏は、”数が力の源”、民主的に言い換えれば、多数決の原理の体現者といえるだろう、、、。それに恐れをなしてか、”脱小沢”を目指す勢力が民主党内で権力を持ち、無血革命時の公約をことごとく否定し(財源がないが言い訳)、昨年の参議院選挙で大敗北、衆参のねじれを生じ、さらに今年の地方選挙でも大敗北したのに、だれも責任を取ることなく、ひたすら大連立を目指して、権力の維持を図っている。
イタリアの高校では、指導者の資質として、①知性、②説得力、③肉体上の耐久力、④自己制御の能力、⑤持続する意思。を上げ、カエサルはそのすべてを備えていた、と習っているそうだ。そしてその第一に挙げている知性とは、多くの人は、見たいと欲する現実しか見ようとしないが、見たくない現実を予知して、事前に最善の策を講じる資質をいうそうだが、その観点から合格点を与えることのできるこの国の政治家は果たして、、、、。指導者としての異質;能力のあるなし、なりたい意欲のあるなし、現実にその立場に立てた、立てない、で、いろんなタイプの指導者が生まれる。最も望ましいのは、能力資質があり、本人はその意思がないのに、周りから望まれて指導的立場に立った人の示す姿勢だし、もっとも弊害をもたらすタイプは、能力資質がないのに、意欲だけは十分で、実際にその立場についた人の場合で、能力のあるなしは別にして、意欲十分で、実際にはなれない立場の人の取る道は、足を引っ張ったり、揚げ足取りが落ちであろう、、、。まだしもましなタイプは、能力がないと自覚し、なりたい意欲もないのに、その立場に立たされた人の場合だろう。周りの意見をよく聞き、ブレーンを活用できれば善政は可能だ、、、。