自由人

 己を『”親も無し、妻無し、子無し”職も無し、ローンもなければストレスもなし』と詠んで、六無斎清々を僭称。

冤罪は晴れたが、、、

2009年06月05日 12時41分00秒 | コラム
 足利事件の犯人とされた人が、晴れて刑の執行を停止され釈放された。正式には再審裁判で無罪の判決を受けて終結するのだが、18年間に渡る、逮捕・取り調べ・拘留・獄中生活を余儀なくされた人の無念は、国家が非を認めての刑事補償費が何千億になっても癒されることはないであろう。弁護団も短期の再審で無罪獲得での決着ではなく、『冤罪の構造』を明らかにする再審裁判としたいと述べているが、当然のことだろう。刑事事件の原則「たとえ100人の有罪のものを見逃したとしても、1人の無実のものを作ってはいけない。」に近づくためにも、、。

 痛ましい事件が起きた時、類似の事件が近辺で数件あり、未だ未解決であった。 警察の威信にかけての捜査が始まったが、決め手となる情報も得られず(初動捜査に問題ありか、、、?)捜査本部長の“草の根分けても犯人を”とか“警察の威信をかける”との声明が出されただけで、前件と同じ迷宮入りする危険があった。

 聞き込み等から、幼稚園の運転手をしていた菅家氏がマークされ、約1年間、尾行が続けられ、彼が捨てたゴミを押収し,DNA鑑定。当時鑑定設備は警察庁にしかなく、各都道府県に設置すべく予算折衝していたが、不採択であった。DNA鑑定による犯人特定で、検挙率低下に歯止めを掛ける必要もあったのだろう。それこそ、「威信にかけて」、、、。

 事件発生が’90年5月、翌’91年12月に菅家氏が逮捕状なしの任意同行、夜には犯行を自供したという。『冤罪の構造』にメディアの責任も問われるべきであろう。地元紙『下野新聞』の“犯人”逮捕時の記事、図書館で調べてみると、警察のリークのみで、“被疑者”が容易に“犯人”となってしまう。
 12月2日の一面に、幼稚園元(捜査の対象となっているとして解雇)運転手逮捕・・・DNA鑑定で体液一致、深夜犯行自供、否認突き崩した科学の力、等の活字が踊っている。翌3日には、いたずら目的認める、騒がれては困ると殺害、足利署前の三件も追求、小さな字で、あの優しいおじちゃんが、、、。その後起訴に至るまで、記事は2面に移るが、何れも大きな見出しで、二件と関連か、菅家に土地鑑、自宅から手書きの地図、異常な犯行供述、橋を渡って逃走、犯行の全容ほぼ解明、そして私生活まで暴かれる。結婚破たん、劣等感?、幼児に興味持つ、現場検証、「囲いの中」で整然と、、起訴の日(21日)「血液」と「体液」一致。22日、一面で、2件とも自供。これらの記事を読めば、一般市民が裁判委員に選ばれても、有罪は間違いないであろう。12月の最終折衝で、DNA鑑定設備の予算が認められるというおまけも付いた。

 自供した2件も、犯行時。勤務時間帯であった等立件不能となり、足利事件のみで起訴され、3審制により、最高裁で無期懲役が確定する。2審の高裁判決後、’96年7月、類似の事件が発生する。現在も無解決で、生死不明なのだが、“真犯人”の警察への挑戦か、ないしは、犯人にされてしまった人への贖罪の意味もあったのかもしれない。この段階で、最高裁が『真昼の暗黒』の被告が叫んだ、“まだ最高裁がある!”との信頼に応えたら、司法の威信は守られたのだが、、、。 

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