”MIGHT is RIGHT、から RIGHT is MIGHT”が人類の永遠の課題といえるだろう。現実の世は、有史以来常に”力が正義”の連続だった。それを正当化するために、さまざまな”神話”が作られる。古代エジプトでは、”国王は太陽の子”であったし、”神から選ばれ民であり、救世主の到来”だったキリストは処刑されたが、甦ってヨーロッパにおける大勢力になったし、カーストに疑問を感じたブッダも、のちには権力に利用され続けている。権力の行使者に徳を期待したのが孔子であったのだが、、、。”権力は腐敗する、絶対的に腐敗する”のも歴史が証明している。腐敗がきわまると、”世直し”、”革命”が起きるのもまた歴史的事実である。旧勢力が消滅するまでの過渡期的な存在であるべき新たな権力も、”腐敗する”法則からは逸脱しないのも歴史的事実である。人間不信に陥ることなく、”RIGHT is MIGHT(正義が力)”の世を実現するには、権力を持たない民衆を、いかにして主権者意識を持つ人間に教育していくかにかかっている。
”人間生まれたときは、裸で名無し、、、、”なのだから、教育によって、ヒト→人→人間→human-beingとなるまで昇華させていかなければならない。家庭教育、学校教育、社会教育、そして自己教育によって達成されるものである。以前のコラムで、家庭教育、さ、し、す、せ、そ。学校教育、か、き、く、け、こ。社会教育(メディアの役割)、た、ち、つ、て、と。など考えたものだが、最終的には自己教育が決め手となるだろう、、、。
自己教育の、な、に、ぬ、ね、の。
な、、、、”汝自身を知れ”を追い続けること。
に、、、、人情深く、忍耐強い自己を目指す。
ぬ、、、、抜け駆けは厳禁、皆とともに歩む自己の確立。
ね、、、、妬みをなくし、熱中できるものを持ち続ける。
の、、、、望みは捨てることなく、あとはのちの世代に託する。
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