自由人

 己を『”親も無し、妻無し、子無し”職も無し、ローンもなければストレスもなし』と詠んで、六無斎清々を僭称。

松下村塾と松下政経塾

2012年03月23日 09時26分08秒 | コラム

 松下政経塾は、町工場から世界的工場へ進展させ、日本の誇るべき物作りを体現した三人の創業者(ホンダの本田宗一郎、ソニーの井深大、松下電器の松下幸之助)の一人、松下幸之助が1978年に私財70億円を投じ設立したものである。本田宗一郎は晩年社名をホンダにしたことに悔いを残していたとのことだが、その引き際の見事さ、技術屋としてのプロに徹した生き方、そして身内を自社に受け入れないという基本方針は、井深のソニーとも共通するものであった。井深は晩年幼児教育に心血を注ぐが、松下は、PHP研究所を設立し、同じく松下政経塾を立ち上げたのも、前者二人と違った人生観の持ち主なのだろう。かって松下電器は自社独自の技術開発に金をけちり、他社が開発した製品の後追い、そして追い越す戦略をとり、マネシタ電器と揶揄されたこともあるのだが、松下政経塾も松下村塾の歴史的評価をふまえての命名なのだろう、、、。健全な保守政治家の育成がその趣旨であったのだが、、、。

 松下村塾は吉田松陰が私塾として、叔父から引き継ぎ、安政の大獄で獄死するまでのわずかな期間、心血を注ぎ、塾生を教育すると同時に自己教育も完結したのである。松下村塾の基本方針は、人格の修行を柱とし、学問を学問として学んだり、仕官の道として学ぶのではなく、時代につながる生きた学問の実践を目指していた。身分の枠を取り払い、幕末の内憂外患の危機的状況にいかに対処していくか、いかに行動するかとの強い意志を持つものは入塾を認められた。維新を迎える前に散った、高杉晋作、久坂玄瑞は最優秀門下生であったし、維新後華々しく活躍する長州出身の政治家には桂、山県、伊藤、などこの塾生だったものが目立つ。
 吉田松陰については、尊王の志士から革命家までの幅広い肯定的評価がなされているが、28歳という若さで獄死した超人の評価は単純には計れないものがあるだろう。松蔭の尊王を実行しようとして、幕府にコントロールされてる天皇を長州に連れ出そうとして失敗したのが、久坂玄瑞であるし、奇兵隊を結成しク・デターによって保守派を追放し、長州藩を倒幕に踏み切る革命を実行したのが高杉晋作である。久坂の挙兵を失敗に追い込んだのが、京都を警備していた薩摩藩の西郷隆盛であるし、その怨讐を超えて、時代を作るために薩長の仲立ちをした坂本龍馬、その意図を組んで薩長同盟に踏み切った、薩摩藩の西郷隆盛、高杉亡き後の長州藩の桂小五郎。
 井戸を掘った人はその水は飲めず、木を植えた人はその木の実を食べられないのは、歴史の真実のようだ。先人を称えつつ、自らは多くの水を飲み多くの実を食したのが藩閥政治というものなのだろう、、、。しかもその藩閥政治の中心に同じく松下村塾出の、山県有朋、伊藤博文がいるというのは歴史の皮肉というものだろうか、、、。歴史にもしは禁物だが、高杉や坂本が維新以後も政治の中心にいたとしたら、彼らは五箇条のご誓文の第一項にある、『広く会議を起こし、万機公論に決すべし、、、。』とある共和制を目指したのではないだろうか、、、。

 功成り名を遂げた人物の晩年の世に対する思い願いが、松下氏の場合、PHP研究所と松下政経塾だが、時代を創るため一瞬を駆け抜けた吉田松陰のそれと比べるのがそもそも無意味なのかもしれない。PHPは、Peace and Happiness Through Prosperity.(繁栄を通しての平和と幸福)とのことだが、その考えを広めるためにPHP研究所は月刊の小冊子を発行し廉価で各方面に配布している。Pの配列が逆だとすばらしいことだと思うのだが、、、。つまり平和を通しての繁栄と幸福であるのなら、、、。繁栄を第一次的に考えるか、平和を第一次的にするかによって大きな違いが生じてくる。
 繁栄があっての平和という考えは、古くは、「パックス・ロマーナ」であり、今の、「パックス・アメリカーナ」に通じるものであり、わが国の近代史における、「満州は日本の生命線」とも共通する考え方である。平和を第一次的に考えた繁栄を目指すのが21世紀の人類の課題だと思う。その先頭に、日本国憲法第9条第2項を持つわが国が立てるはずなのだが、、、。
 松下政経塾の方は、入塾テストに合格すると、3年間全寮制で研修することになっている。新しい国家経営を推進していく指導者育成を目指すとのことだが、塾是・塾訓・五誓で基本方針、目指す人間像を定めている。入塾一年目は、まずは伊勢神宮に参拝し神道の息吹にふれるとのことだが、日本本来の神道にふれるのなら、出雲に行くべきだと思う。八百万の神々が存在したのがわが国の神道の原点なのだから、、、。伊勢神宮は天武天皇以降の天皇家の守り神である。「伊勢神宮に参拝しても違憲ではないのに、何で靖国神社に行くのが違憲なのか、分かりませんね、、、。」なんてとぼけた首相がいたが、歴史音痴のなせる技であろう。もともとは伊勢の漁師たちの安全を祈願する社だったのだが、吉野を脱出、近江朝に反旗を翻した大海人皇子が、この地で必勝祈願、壬申の乱に勝利し飛鳥朝を樹立、約束通り、それ以降特別な地位を確保・維持してきたのが伊勢神宮であることを理解しておく必要があるだろう。次に、精神修養・体力増強を目指し、早朝清掃・早朝ランニング、茶道・書道・剣道で日本文化の粋にふれ、座禅をして自己修養、さらに100キロ行軍、英会話や初級中国語講座もあるが極めつけは、自衛隊体験研修である。このような内容を含む三年間の研修で、どのような政治家が生まれてくるのであろうか、、、。孔子の門下からも清廉潔白の士は誕生したのではあるが、、、。一般民衆の上に立つ指導者意識を持つ清廉潔白の政治家が生まれる可能性はあるが、民衆と苦楽をともにできる政治家とはほど遠いのではないだろうか、、、。

 戦前は、天皇・軍部・財閥とががっちり組んだ鉄のトライアングルが成立し、それに反対するものは、治安維持法違反で獄中に繋がれるか、非国民のレッテルを貼られ、特高警察からつけ回され監視された。戦前いい思いをしたものがいた反面、一般民衆は塗炭の苦しみを味わったし、アジア近隣諸国の民衆にも多大の犠牲を与えた。その過去の味が忘れられない戦前回帰のDNAを引き継ぐ勢力が表舞台に登場するようになってきたのは気になることである。財閥は形を変えて完全に復活した。その代表が、三菱である。グローバリズムの風潮にあわせ、今以上に軍需産業に、三菱の持つ財力、技術力、人材を向けてもらっては困る。憲法を変えて軍隊を持てる国にしようという動きは、その案ずるところと連動しているのではないだろうか、、、。軍隊を保持するようになれば三菱のみならず多くの大企業は、軍需産業に手を染めていくようになるだろう。松下政経塾出身の民主党の憲法改正論者は、このことをどう考え、どう歯止めをかけようと考えているのだろうか、、、。

 ここで空想的提案をしよう。アメリカがイラク戦争に踏み切ったのも、パックス・アメリカーナ故であり、繁栄を維持するための資源の争奪は戦争を引き起こすという悪しき例である。地球上の限りある資源の争奪は、戦争を引き起こすのみならず、人類滅亡すら引き起こしかねない。日本の全ての屋根に太陽光発電の設備を設置すること、さらに世界各地に太陽光発電の設備を設置し、その設備の製造に三菱のみならず大企業の資金、技術をを投入したら、需要は無限だし、原油、ウランは有限だが、太陽エネルギーは、数十億年単位で無限であるし、今、アメリカが苦心している産軍複合体の後追いをすることなく、平和を通しての繁栄と幸福(新PHP)な社会の実現に向かうべきだ。その平和産業へ向けて大きく舵取りするのが三菱のみならず、戦前軍部と結び戦争によって大企業へと成長したものたちの責務であろう、、、。


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