自由人

 己を『”親も無し、妻無し、子無し”職も無し、ローンもなければストレスもなし』と詠んで、六無斎清々を僭称。

8月15日に思う、、、

2011年08月14日 11時45分36秒 | コラム

 66年前の8月15日、私は仙台郊外の疎開地で迎えた。先立つ7月7日仙台が空襲を受け、命が大事と疎開を決意した母は知人を頼って、農家のひと部屋を借りての間借り生活をしていた。当時小学一年であった私は、ラジオから流れる勇ましい軍艦マーチの曲の後、大本営発表なるものを聞き、その大勝利を台所の母に伝えに走る、いっぱしの少国民であった。   疎開から元の生活に戻り、間もなく始まった二学期は、午後から通う二部授業、午前中は焼け出された旧制中学生が間借りの授業を受けていた。幼かったこともあり、ファシズムから民主主義への移行はスムーズだったような気がする。大人たちは有史以来の敗戦を迎え茫然自失の状況だったのだろう。皇居前で土下座して天皇に謝る庶民の写真は、戦争を知らない70%以上の今の市民にはどのように映るのだろうか、、、。

 66年後の今日、新聞と戦争(上、下)の文庫本を、その帯のタイトルに魅せられて購入し読了したが、その上には{朝日の論調が変わったら気をつけろ}、下には{新聞は、あの戦争を正義だとうたったーーー}と記されている。その朝日新聞の記者であlり、戦争責任を問われることがなかったのに責任を感じ、戦後すぐに辞職し、東北の横手で、{たいまつ}を灯しつづけた、むのたけじ氏の存在は、朝日の良心と考え、長年朝日新聞を購読してきたのだが、その朝日の今日の社説のタイトルが、終戦に思う、、、となっている。

 名将野村監督が広く周知させたある剣豪の言、{勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし}まさに名言である。野村氏は野球を通して、実体験したのだろうし、今回のなでしこジャパンの快挙も、不思議の勝ちの連続だったし、勝って兜の緒を締めないと、次回にはみじめな敗戦となるかもしれない。66年前の敗戦を、敗戦ととして受け止め、そこから多くの教訓を学ばないと、同じ過ちを犯す危険がある。司馬遼太郎氏は、坂の上の雲で、日露戦争までは日本は正しかった旨述べているが、日露戦争の勝利は不思議の勝ちであった、との自戒がない故に、対華21ケ条要求、満州事変、泥沼の日中戦争、そして、40年後の不思議の負けなし、に繋がったのだと思う。

 一年前のブログで、8,15は終戦でなく敗戦、、そして終戦祈念日、と記したのだが、人類の永遠の課題である終戦(戦争のない世)に向けて一歩を踏み出す日としなければならない。