面白き 事も無き世を 面白く
住みなすものは 心なりけり

だんしはしんだ

2011年11月25日 | 落語
三枝号泣「格好よくて、ずっと憧れていた」(サンケイスポーツ) - goo ニュース


ゆうべから朝にかけて、ニュース番組や情報番組は談志死去のニュースでもちきりだった。
その中でいろいろ知らなかった話も出たのは当たり前ではあるが、改めて故人について実は「本当の凄さ」をほとんど知らないのだろうなとも。

「笑点」の大喜利で月番(司会)を最初に務めたことは知ってはいても、テレビで見た記憶は全く無い。
また、彼の高座をテレビで見た記憶があるのは、「花王名人劇場」からでしかないし、彼の人生からすれば“後半”部分しか知らない。
残念なことではあるが、自分の年齢を鑑みれば如何ともし難いことであり、それを悔しがっても「死んだ子の歳を数える」ようなもので、せんないこと。
それでも、テレビの生放送で彼の言動を見たし、1回だけではあるが見応えのある「芝浜」も見れたのだから、幸運と言える。

ニュース記事によると、桂三枝が昨年、襲名について病床の談志に相談したところ猛反対されたという。
そして会見数日前に談志から、
「人生成り行き。三枝より文枝の方がよくなったのか。じゃあ仕方ない。勝手にしろ。三枝のばかやろうへ」
と“辛口”激励ファクスが届いたことを明かしたとのこと。
談志としては、せっかく「三枝」という名前を大きくしたのにもったいない…といったところだろう。
創作落語の第一人者として数々の自作の噺を残し、さまざまな賞を受賞してきた三枝という名前は、それ自体で落語界の歴史に名を刻んだ大きな名跡になっている。
しかし、その三枝から文枝に襲名するとなると、文枝という名の歴史の1ページに収まってしまうことになる。
三枝が築いてきた数多の功績も、「6代目文枝は、前名の三枝時代に…」というフレーズと共に記されることになってしまう。
「三枝」という名で落語の歴史に1ページが作れるというのに、何を古臭い落語界の因習の中に閉じこもってしまうんだい!
創作落語というジャンルを切り開いてきた開拓者たる「三枝」を捨てるたぁ、これまでのてめぇのやってきたこたぁ、一体なんだったんだ!?
「辛口の激励」というよりは、三枝という名前が文枝よりも小さくなってしまうことへの口惜しさを読み取ったのは、うがちすぎだろうか。

ところで、今回のテレビにおける追悼の中で、「だんしがしんだ」というフレーズを生前談志がよく口にしていて、自分が死んだときのスポーツ紙の見出しはこれだな、などと言っていたということを初めて知った。
それを踏まえてのことであろう、各スポーツ紙が見出しに「だんしがしんだ」を使ったという。
シャレの利いたイイ話だ。

それでふと思い出したのが、昔、小朝が使っていたマクラ。
大名人・三遊亭円生が死んだときのこと。
落語界の重鎮が亡くなったということで、明日の朝刊は大々的に出るなぁと噺家達は言い合っていたとか。
ところがちょうど同じときに、上野動物園で「ランラン」だか「カンカン」だか、パンダが死んだ。
翌日の朝刊のトップ記事は、「国民的アイドル・パンダ死す」。
その横に小さく、「円生さんも」。

幸いなことに(?)、談志の死亡を凌ぐ死亡記事は他に無かった。
しっかりスポーツ紙のトップ記事に「談志が死んだ」と掲載させた5代目立川談志。
死してなお、ダンディズムの真骨頂を見せつけ、カッコ良く散っていったその姿は、男としてかくありたしという見本だ。

また改めて冥福を祈るばかり…

合掌


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