面白き 事も無き世を 面白く
住みなすものは 心なりけり

平成紅梅亭

2006年07月23日 | 落語
「平成紅梅亭」という番組をご存知だろうか?
平成7年だったと思うが、笑福亭松葉師(のちの7代目笑福亭松鶴・故人)と故・桂吉朝師
を中心にして始まった、よみうりテレビの深夜番組である。
(年数回放映)
二人レギュラーということで、毎回どちらかが出演するというふれこみに、吉朝師もいよいよメジャーな噺家になるのかと期待も膨らんだ。

そうして始まった番組だったのに、平成8年9月、松葉師が若くして亡くなり、番組は片翼を失った状態になった。
当時、7代目笑福亭松鶴の襲名も決まった矢先の訃報に愕然としたものだ。

そして昨年には、吉朝師も鬼籍に入ってしまわれた…。
「平成紅梅亭」はレギュラーが全て亡くなるという前代未聞(?)の番組となってしまったのである。

その「平成紅梅亭」で、吉朝師の追善番組を放映した。
平日の真夜中に2時間を超える番組なので、いつも録画して他の落語を集めたテープにダビングしているのだが、この回もいつも同様にダビングしながら観ていた。
実は放送日当日、ビデオのタイマーをかけ忘れていて、夜中に新聞の番組欄を見て思い出し、慌てて録画を始めたために全編は撮れていない。
雀松の途中からだったのでこれを飛ばして、松喬の「質屋蔵」からダビングを開始した。
ちゃらんぽらんの漫才をはさみ、キッチュ(松尾貴史)が登場して吉朝師の師匠、米朝師と対談。
米朝師が
「なんで死んだんや…」
とポツリと言ったのが印象的。
そのまま米朝師の「鹿政談」へ。

CMを挟んで再びキッチュと米朝師の対談風景。
番組の最後は「平成紅梅亭」第2回放送時の吉朝師の「ふぐ鍋」。
前々から米朝師は吉朝師の「ふぐ鍋」を絶賛していたが、今回の対談でもベタ褒めで、弟子の芸にはことのほか厳しい米朝師には珍しい場面に、より無念さがにじんでいたたまれない。
そして始まった「ふぐ鍋」。
元気一杯だった頃の吉朝師の高座姿といつもの軽妙なマクラに、思わず涙が溢れた。
部屋の掃除をしていたので画面から目を放し、涙は止まったが、掃除の手を止めて画面を見るたびに悲しみがこみあげる。。

番組の最後、お別れ会でざこばが弔辞を述べるシーンが流れた。
ざこばも涙がこみあげてスムーズにしゃべれない。
それでも、泣きながらもギャグを交えての弔辞はさすがであったが、聞いているこちらは涙を堪えきれなかった…。

吉朝師の最後の高座となった「弱法師(よろぼし)」の収録されたCDを買ってあるが、実はまだ聴けずにいる。


最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
本当に残念でした。 (貴樹諒音(たかぎりおん))
2006-07-23 14:31:17
こんにちわ~



『平成紅梅亭』は主人が好きな番組なのですが、深夜で見れない時がありいつも放映を知ってから残念がっています。

落語好きの主人が、松葉師匠の訃報には非常に残念がっていたのが印象に残っています。まじめなだけに松鶴7代目襲名がストレスが溜まった原因でしょうか。南光さんがテレビで悲痛な顔をしてらして、気持ちが伝わり私も辛い気持ちになったものです。主人は落語界をまとめるには一番いい人やったんちゃうかと言ってました。吉朝師匠も次代を背負う方だっただけに、米朝師匠もおつらかったでしょう。「弟子に死なれるのに一番つらい」とおっしゃってたと思います。
返信する
松葉師 (たけとら♪)
2006-07-23 22:44:45
確か、襲名決定前から調子は良くなかったんじゃなかったでしょうか。

いずれにせよ、7代目松鶴襲名問題のドロドロに巻き込まれて苦労されたのではないかと思います。「なんで松葉やねん」て絶対に言われますもんね。

本来は松鶴の息子である枝鶴が継ぐべきところを重圧に耐えかねて逃げてしまったことから迷走が始まったのですが、師匠は松竹なのに筆頭弟子の仁鶴が吉本というねじれた関係も、最後まで尾を引いたのだと考えます。

上方の大名跡も、今は松竹預かりになっているはずですが、継げる人間は当面出てこないでしょう。寂しいことです。
返信する

コメントを投稿