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携帯電話の車内利用について

2008年02月13日 | ニュースから
ケータイの車内利用について考える(WIRED VISION) - goo ニュース


面白いコラムだ。
海外、特に中国、香港、韓国、シンガポールなどアジア圏内では、電車内でも乗客は普通に携帯で通話しているとか。
一方、日本では車内での「マナー」として、携帯電話の通話はNGである。

これは、日本特有の“美意識”によるものではないだろうか。
かなり失われたようにも思うが、公共の場では大声で話をしないという暗黙の了解がある。
この「暗黙の了解」がいわゆる「行儀」と呼ばれるマナーとなっていると考える。
見知らぬ人々が集う電車内というのは“公共の場”であり、従って電車内で大声で話をすることは「行儀が悪い」こととなる。
電車内での携帯電話通話NGは、この延長線上にあるだろう。

電車内に限らず、公共の場というのは様々な人々が集まっている。
中には、健康がすぐれず、大声で騒がれるのが辛い人もいるかもしれない。
ひどい頭痛がするときに近くで騒がれたら気に障るのは、誰にもあることだろう。
そんな他人に対する配慮が「マナー」ではないだろうか。

電車内での携帯電話での通話は一切NGというのは、いつでも連絡が取れるという携帯電話最大の利便性を損なうもの。
また、ペースメーカーへの携帯電話の電波の影響は、ほとんど接触するほどの至近距離でないと出ないものであり、しかも影響が出る機種もかなり限定されるし、現に今まで携帯電話の電波が原因となった事故を聞いたことがない。
そう考えると、優先座席付近では電源を切るというのも、“過剰対応”であると考える。
ゆえに、電車内での携帯電話使用は、禁止すべきでないと考える。
しかしそこには、当然他人への配慮が必要。
電車内で通話するときは、できるだけ小さな声で、周囲に不快な思いをさせない心配りをすべきだ。

最近やたらと「マナーを守りましょう」と言う言葉を耳にするが、まるで「マナー」とは明文化されていない慣習法のような扱いになっているような気がする。
四角四面な「マナー」という言葉に拘束されるのではなく、高度な文化的生活を営むための素養としての「配慮」に基づいた、自律的な行動をとることこそ肝要である。
「気配り」と「慎み」という、日本が古来持って来た高度な文化的行動規範を思い起こし、凛として世界に誇るべきではないだろうか。



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